「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」
5月26日(日)まで 東京国立近代美術館

伊藤佳之
(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)


本展の評を私などが書くのは、本来おこがましいことである。画家福沢一郎とその作品について、ただ長い間勉強しているにすぎない私にとって、本展企画者の大谷省吾さんは、折にふれご助言ご助力をくださる恩人であるし、近現代美術研究の心強い先輩であるからだ。だから、私がこの短文でなし得ることといえば、企画者の意図を私なりにくみ取り、いささか迂遠ながら、今回語られることのなかった画家の側面について補足するくらいのことであると、まずはお含みおきいただきたい。


本展は、福沢一郎の人間へのまなざしを掘り下げ、とりわけ社会批評を塗りこめた作品群を際立たせることで、彼の骨太なヒューマニズムを浮かび上がらせようとするものだ。よって、現存するタブローのほぼすべてを集結させた章(第2~4章/1930-40年)がある一方で、全く実作品が展示されない時期(例えば1958-61年)もある。企画者も「本展を見て福沢の全てが知れると思わないでほしい」という。ただ、誤解をおそれずにいえば、東京国立近代美術館という「権威」をもつ場でおこなわれたからには、本展が今後長く福沢「像」のスタンダートになってしまう可能性が高い。
だからこそ、冒頭に述べた本展における企画者の意図はある種の覚悟の表れであるし、日本近現代美術研究に一石を投じようとする野心でもある。
1931年の外山卯三郎のことば以来、福沢一郎イコール、シュルレアリスム絵画の紹介者、という判で押したような理解が、今なお彼の背中にべっとりと貼り付いたままの現状をいかに打破するか。企画者はこの問いに対し、逆説的ながら、まさに「シュール」とよばれた1930年代制作の作品群をことごとく集めてずらりと並べることで、答えのひとつを提示した。その詳細はここでは割愛するが、丹念な作品研究の積み重ねによって画家のドライな人間・社会諷刺の精神が浮き彫りにされた驚くべき空間だ。特に1935~37年制作の作品群と文学運動「行動主義」との関わりについては、過去の回顧展では明確に語られることがなかったが、2000年以降の作品発見の連続が幸いし、実作品の展示によってこれを語ることが可能となった。大空間ではないものの、企画者の研究成果がいかんなく発揮された、本展の中核といっていい箇所だろう。
人間・社会へのまなざしを自由に表現すること自体が権力によって抑圧されたこの時代、福沢は大胆さの中にも表現抑圧への苦悩をちらりと覗かせる《牛》(1936年)や《女》(1937年)などの作品を描いた。ここから戦争の時代を経て、戦後の人間群像、例えば《世相群像》(1946年)や敗戦群像(1948年)へと至る道(第6章/1946-49年)は実によく舗装されている。ただ、それ以降の中南米の人間・風物に取材した作品群(第7章/1954-57年)、そしてニューヨークのハーレムで暮らす人々を描いた連作(第8章/1965年)へと至る道は、いささか唐突にあらわれる。作風の変化が激しすぎるのだ。
この唐突さを緩和するのは、他ならぬ「人間」の存在といえる。福沢にとって人間像とは、社会の矛盾や軋轢の象徴であり、かつ力強い生命の表象でもある。このことを繰り返し強調しながら、企画者は中南米からアメリカへと主題が移る間の時間的断絶を埋め、あるいは編集しようとする。
ただこの編集行為では、それぞれの視覚的な違和感(例えば色彩の変化や絵具の使用法の変化など)に関する疑問は解消されない。解消されぬままギリシャ神話や地獄の世界、そして現代社会の諷刺(第9-10章/1970-86年)へと至るわけだが、ここは終戦直後の作品群と視覚的に親和性があるので、ついには人間・社会諷刺というテーマで画業全体が包み込まれ、違和感は解消されぬまま捨ておかれてしまう。
実は、この違和感を考えるうえで重要なのが、先に述べた実作品が全く展示されていない1959-61年の時期、いわゆる「アンフォルメル」に影響を受けたといわれる時期の作品にあるはずなのだが、おそらく明確な意図を持って、この時期の作品群は展示リストから外されている。なぜかといえば、明確な人間像を描いた作品がきわめて少なく、この時期の福沢はもっと不定形のイメージによって成される造形への興味と、おそらくは自己の外よりも内にあるものに眼が向けられていたと思われるからだ。
私はこの、本展における福沢の画業の「編集」を非難するつもりは全くない。むろん企画者は、こんなことは百も承知のうえで、自らの土俵に画家とともに立ち、いまこそ語るべきテーマで画家の実像を紹介してみせたはずだし、私もその意図にはおおいに共感している。
だからこそ、私はいま、この違和感を指摘しておかねばならない。そもそも、中南米旅行に取材したシリーズからニューヨークの連作に至る10年間の福沢の制作については、違和感を解消するほど調査・研究が進んでいないのだ。それは私を含め、これまで福沢一郎研究に携わってきた人間すべての責任であるし、放っておけば今後も研究はなかなか進まないだろう。それだけ厄介で、捉えどころのない作品群であるともいえる。本展のもうひとりの企画者古舘遼さんが、カタログの文章でこの時期の謎について触れておられるが、いま少し明確な像を結ぶためには、さらに地道な作品研究を積み重ねるしかない。
作品研究は、所蔵館の責務だ。今回残念ながら空白期となってしまった1959-61年の福沢作品を多く所蔵する地元群馬県内の美術館、そして各館の活動を微力ながらサポートさせていただく気持ちだけは満々の我が記念館などが、地味に地道に、これら厄介な作品群の調査・研究に取り組まねばならない。その活動が少しでも進んだとき、私たちは本展とも今までの回顧展とも少し違う、新たな福沢一郎の画業を俯瞰することができると信じている。
逆にいえば、本展はいまこそ見ておかねばならない。本展は福沢「像」のスタンダードなどではなく、企画者の意図と個性が強烈にあらわれた挑戦的な試みなのだ。こんな福沢一郎のワンマンショーはこれまで一度もなかったし、そしてこれからもないだろう。
単なる回顧展ではなく、むしろこれまでの差し障りのない回顧展に楔を打ち込む役割を担った本展で、ひとあじ違う福沢一郎のすがたにふれていただきたい。
(いとう・よしゆき)
福沢一郎「埋葬」
福沢一郎「埋葬」1957年 東京国立近代美術館蔵

伊藤佳之(いとう・よしゆき)
1970年北海道生まれ。筑波大学芸術専門学群芸術学専攻を卒業後、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館と群馬県立館林美術館に学芸員として勤務。主な担当展覧会に「生誕100年記念 福沢一郎展」(1998年)、「夢のなかの自然 昭和初期のシュルレアリスムから現代の絵画へ」(2006年)などがある。2012年より福沢一郎記念館(世田谷)非常勤嘱託。共著『超現実主義の1937年 福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』が2月にみすず書房より刊行。

福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ
会期:2019年3月12日[火]- 5月26日[日]*休館日:月曜日(3月25日、4月1日、4月29日、5月6日は開館)、5月7日[火]
会場:東京国立近代美術館
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福沢一郎(1898-1992)は、昭和の戦前から戦後にかけて前衛美術運動の中心的役割を果たした画家です。1930年代にはフランスのシュルレアリスム(超現実主義)を日本に紹介するとともに、社会批評のメッセージを象徴的に表現した作品を次々と発表しました。戦時中は弾圧を受けますが、戦後はふたたび社会批評的な視点から人間群像の大作に取り組み、晩年には文化勲章を受章しました。
福沢は、対社会的な視点を貫きながらも、硬直したイデオロギーを主張するのではなく、ときに古典絵画を引用しながら問題を普遍化させ、ときに知的なユーモアをまじえて自由に描きました。本展は代表作《牛》(1936年)をはじめとする約90点の作品によって、彼の取り組みを今日的視点から再評価し、そして美術と社会との関係について考えようとするものです。(同展資料より)
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●本日のお勧め作品は福沢一郎です。
Fukuzawa Lithograph (1)福沢一郎
「ニンフを追う牧神」
1979年
リトグラフ(刷り:MMG)
80.0×60.5cm
Ed.75  サインあり
※『福沢一郎全版画集』(玲風書房 2002年)No.75
※現代版画センターエディション

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*画廊亭主敬白
平成から令和にかけての大連休も本日で終わり、明日から画廊の営業も再開します。
東京国立近代美術館で開催中の福沢一郎展、その多くは各所蔵美術館で見ていたのですが、それが一堂に会し、企画者の綿密な編集によって展示されたのを、ただただ呆然として観てきました。
超現実主義の1937年上記レビューで伊藤さんは触れていませんが、今春2月みすず書房から刊行された伊藤佳之・大谷省吾・小林宏道・春原史寛・谷口英里・弘中智子著超現実主義の1937年 福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』 は近頃まれにみる面白い本でした。
伊藤さんたちが研究会を組織し福沢一郎の著書『シュールレアリズム』を2013年5月から4年間、12回にわたりすみから隅まで読みつくした記録です、参加者はのべ24人。地道な美術史研究の成果が今回の大回顧展にも繋がっているのでしょう。
伊藤さんと弘中智子さん(板橋区立美術館学芸員)による「編集後記」対談もぜひお読みください。
亭主の故郷・群馬が誇る画家は三人、オノサト・トシノブ(1912-1986)、山口薫(1907-1968)、そして福沢一郎(1898-1992)です。
山口先生には間に合いませんでしたが、オノサト先生、福沢先生には多くの版画作品をつくっていただきました(福沢一郎 石版画集「スペイン 闘牛」)。その風貌に親しく接することができたのは幸運でしたが、そのことについてはまたの機会に。
初期から晩年まで一貫しているのは人間へのあくなき興味と情熱、絵を描くことへの揺るぎない信念、あらためて凄い作家だったんだなぁと感嘆いたしました。必見の回顧展です。

◆ときの忘れものでは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催します。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
葉栗展
ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
初日5月24日[金]17時よりオープニングを開催します。

●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
〒108-0072 東京都港区白金5-12-21 TEL.03-6677-0575
OPEN 12:00-19:00(ただし展示最終日は17:00まで)
CLOSE: 月・火(祝日を除く)

●『光嶋裕介展~光のランドスケープ
会期:2019年4月20日(土)~5月19日(日)
会場:アンフォルメル中川村美術館
[開館時間]火・木・土・日曜日 祝日 9時~16時

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。