松本竣介研究ノート 第3回
「Y市の橋」~今も出会える松本竣介の風景
小松﨑拓男
松本竣介が好んで描いた風景はたくさんある。
幼少時を過ごした盛岡の街並、自宅周辺の新宿区落合、東京御茶ノ水にあるニコライ堂、そして横浜駅近くの橋を描いた「Y市の橋」もその一つである。
この「Y市の橋」は横浜駅の近くの橋を描いたもので、実は今でも現地に行くと、作品とほぼ同じような光景を見ることができる。ここは数少ない松本竣介の風景に出会える場所なのである。
「Y市の橋」
1942年
油彩、画布
37.8×45.6㎝
岩手県立美術館
東京駅から東海道線で横浜に向かうと、横浜駅のすぐ手前、高速道路の下をくぐり、プラットフォームに差し掛かる直前に見える跨線橋。これは「Y市の橋」の中に描かれたモチーフの一つである。今は渡ることはできないが、幾何学的に構成された鉄骨のフレームが幾本もの線路を跨いで掛っている。横須賀線のプラットフォームの東京寄りの端に来るとその様子がよくわかる。
跨線橋の登り口
線路に掛かる跨線橋
横浜駅周辺は1980年代前半に始まった「みなとみらい21事業」によって開発され、その様相が大きく変わってしまった。だが、高速道路が建設され、近くに大型の商業施設ができても、さすがに川の河口の場所を大きく変えることはできなかった。川のある駅北側周辺の地形はあまり変わっていない。
松本竣介の描いたのは帷子川分水路(かたびらがわぶんすいろ)にかかる月見橋である。この川、現地に行くともう一つ別の新間川(あらたまがわ)という名前が記してある。同じ川なのに二つの名前があって、どちらが正しいのかと思うが、調べてみるとこういうことらしい。
もともとこの川は、新間川から派生した川で、派新間川(はあらたまがわ)と言ったらしいのだが、帷子川の増水対策のために地下水路を掘って帷子川をここにつなぐ改修工事を行い、分水路となったということだ。もちろんこれは近年のこと。松本竣介の時代とは違っている。
新間川の表示
帷子川分水路の表示
一方月見橋は人路橋で車は通らない。人の専用橋である。この月見橋の海側に国道一号線が通っているが、こちらの橋は金港橋という名があり、車の行き交う道路橋である。この金港橋から月見橋を望むとちょうど「Y市の橋」の風景に近い視点となる。
月見橋親柱
月見橋と跨線橋
松本竣介もこの辺りを歩き回り、手にした小さなスケッチ帖を取り出し、鉛筆を走らせていたのだろうか。ふと思い立って耳が不自由であった彼のように、耳を塞ぎ外界の音を遮断してみた。すると完全ではないが音のない世界に、松本竣介が出会った風景が、車の喧騒や電車の通る騒音、人の足音、風の音などがなくなり、見ている私自身の現前に大きく迫るような気がした。いつもにも増した集中力でものを見ているそんな感じである。もしかすると松本竣介もこんな集中力の中で目の前の光景を追っていたのかもしれない。
「Y市の橋」
1944年2月
鉛筆・墨、紙
37.8×45.7㎝
個人蔵
ところで松本竣介の画風は何度か変遷をしている。特に戦後すぐにはそれまでは描いたことのなかった抽象的な表現を試みている。私はこの変化のひとつのきっかけとなったのが、この一連の「Y市の橋」のシリーズを描いたことだったのではないかと思っている。
「Y市の橋」の中のモチーフで、中心となる特徴的な造形物はもちろん月見橋と跨線橋だろうか。ここに描かれているのは、ビルのような具体的な建築物の外観ではなく、構成された鉄骨のフレームだ。いわば太く黒い線と細く黒い線の組み合わされた抽象的構造物である。この跨線橋の細い線は、はっきりとした直線として、素描も含めて何度も描かれ、その都度形を変えている。まるでそれは絵画構成の直線を組み合わせる造形的な実験をしているように見えなくもない。この過程の中で松本竣介は、造形要素としての抽象的な形態に興味を抱いたのではないだろうか。もちろん、これだけの理由で抽象表現を試みたのだとは思わないが、きっかけの一つであったのではないかと思う。
この橋を描いた最後の作品は、空襲を受け、無残にも破壊された跨線橋と橋の姿だった。現実の跨線橋の構造物は破壊され、鉄の焼けた残骸だけが残った。しかし、この時松本竣介の脳裏には、構造物が喪失してしまったその現実とは逆に、新たな跨線橋が、黒く太い線や細い線でイメージされていたのではないか。そう考えてみると、唐突に見える戦後の抽象表現とその構想とが繋がっていくように思えるのだ。
(実景写真は全て筆者が撮影したもの)
「Y市の橋」
1946年
油彩、画布
41×53㎝
個人蔵
(こまつざき たくお)
■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め作品は、松本竣介です。
松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《作品》
紙にインク
イメージサイズ:23.0x18.0cm
シートサイズ:24.5x19.8cm
印あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●『一日だけの須賀敦子展 in MORIOKA第一画廊』
会期:2019年6月29日[土]
会場:岩手県盛岡市・MORIOKA第一画廊・舷
●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス』
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:東京白金・OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
●『倉俣史朗 小展示』
会期:2019年5月25日(土)~6月9日(日)
会場:大阪・Nii Fine Arts
◆ときの忘れものでは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催しています。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

出品No.11 《太公望》 H 72.5cm

ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「Y市の橋」~今も出会える松本竣介の風景
小松﨑拓男
松本竣介が好んで描いた風景はたくさんある。
幼少時を過ごした盛岡の街並、自宅周辺の新宿区落合、東京御茶ノ水にあるニコライ堂、そして横浜駅近くの橋を描いた「Y市の橋」もその一つである。
この「Y市の橋」は横浜駅の近くの橋を描いたもので、実は今でも現地に行くと、作品とほぼ同じような光景を見ることができる。ここは数少ない松本竣介の風景に出会える場所なのである。
「Y市の橋」1942年
油彩、画布
37.8×45.6㎝
岩手県立美術館
東京駅から東海道線で横浜に向かうと、横浜駅のすぐ手前、高速道路の下をくぐり、プラットフォームに差し掛かる直前に見える跨線橋。これは「Y市の橋」の中に描かれたモチーフの一つである。今は渡ることはできないが、幾何学的に構成された鉄骨のフレームが幾本もの線路を跨いで掛っている。横須賀線のプラットフォームの東京寄りの端に来るとその様子がよくわかる。
跨線橋の登り口
線路に掛かる跨線橋横浜駅周辺は1980年代前半に始まった「みなとみらい21事業」によって開発され、その様相が大きく変わってしまった。だが、高速道路が建設され、近くに大型の商業施設ができても、さすがに川の河口の場所を大きく変えることはできなかった。川のある駅北側周辺の地形はあまり変わっていない。
松本竣介の描いたのは帷子川分水路(かたびらがわぶんすいろ)にかかる月見橋である。この川、現地に行くともう一つ別の新間川(あらたまがわ)という名前が記してある。同じ川なのに二つの名前があって、どちらが正しいのかと思うが、調べてみるとこういうことらしい。
もともとこの川は、新間川から派生した川で、派新間川(はあらたまがわ)と言ったらしいのだが、帷子川の増水対策のために地下水路を掘って帷子川をここにつなぐ改修工事を行い、分水路となったということだ。もちろんこれは近年のこと。松本竣介の時代とは違っている。
新間川の表示
帷子川分水路の表示一方月見橋は人路橋で車は通らない。人の専用橋である。この月見橋の海側に国道一号線が通っているが、こちらの橋は金港橋という名があり、車の行き交う道路橋である。この金港橋から月見橋を望むとちょうど「Y市の橋」の風景に近い視点となる。
月見橋親柱
月見橋と跨線橋松本竣介もこの辺りを歩き回り、手にした小さなスケッチ帖を取り出し、鉛筆を走らせていたのだろうか。ふと思い立って耳が不自由であった彼のように、耳を塞ぎ外界の音を遮断してみた。すると完全ではないが音のない世界に、松本竣介が出会った風景が、車の喧騒や電車の通る騒音、人の足音、風の音などがなくなり、見ている私自身の現前に大きく迫るような気がした。いつもにも増した集中力でものを見ているそんな感じである。もしかすると松本竣介もこんな集中力の中で目の前の光景を追っていたのかもしれない。
「Y市の橋」1944年2月
鉛筆・墨、紙
37.8×45.7㎝
個人蔵
ところで松本竣介の画風は何度か変遷をしている。特に戦後すぐにはそれまでは描いたことのなかった抽象的な表現を試みている。私はこの変化のひとつのきっかけとなったのが、この一連の「Y市の橋」のシリーズを描いたことだったのではないかと思っている。
「Y市の橋」の中のモチーフで、中心となる特徴的な造形物はもちろん月見橋と跨線橋だろうか。ここに描かれているのは、ビルのような具体的な建築物の外観ではなく、構成された鉄骨のフレームだ。いわば太く黒い線と細く黒い線の組み合わされた抽象的構造物である。この跨線橋の細い線は、はっきりとした直線として、素描も含めて何度も描かれ、その都度形を変えている。まるでそれは絵画構成の直線を組み合わせる造形的な実験をしているように見えなくもない。この過程の中で松本竣介は、造形要素としての抽象的な形態に興味を抱いたのではないだろうか。もちろん、これだけの理由で抽象表現を試みたのだとは思わないが、きっかけの一つであったのではないかと思う。
この橋を描いた最後の作品は、空襲を受け、無残にも破壊された跨線橋と橋の姿だった。現実の跨線橋の構造物は破壊され、鉄の焼けた残骸だけが残った。しかし、この時松本竣介の脳裏には、構造物が喪失してしまったその現実とは逆に、新たな跨線橋が、黒く太い線や細い線でイメージされていたのではないか。そう考えてみると、唐突に見える戦後の抽象表現とその構想とが繋がっていくように思えるのだ。
(実景写真は全て筆者が撮影したもの)
「Y市の橋」1946年
油彩、画布
41×53㎝
個人蔵
(こまつざき たくお)
■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め作品は、松本竣介です。
松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO《作品》
紙にインク
イメージサイズ:23.0x18.0cm
シートサイズ:24.5x19.8cm
印あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●『一日だけの須賀敦子展 in MORIOKA第一画廊』
会期:2019年6月29日[土]
会場:岩手県盛岡市・MORIOKA第一画廊・舷
●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス』
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:東京白金・OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
●『倉俣史朗 小展示』
会期:2019年5月25日(土)~6月9日(日)
会場:大阪・Nii Fine Arts
◆ときの忘れものでは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催しています。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

出品No.11 《太公望》 H 72.5cm

ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント