松本竣介研究ノート 第4回
『雑記帳』の松本竣介~挿画についてのメモ
小松﨑拓男
松本竣介が総合雑誌『雑記帳』を編集発行したのは、弱冠24歳であった。社会人で言えば大卒入社2年目。あるいは大学院の修士課程を終えようとしているか、いないかの年齢である。実に若い。今、注目を浴びている起業家、例えばソフトバンクの孫正義氏やZOZOの前澤友作氏などが、野心に燃えて起業した年齢に近いだろうか。
雑記帳創刊号表紙(復刻版)
もちろん松本竣介が野心に燃えて『雑記帳』を発行したという訳ではないが、この雑誌を刊行することに別の意味で、話題の起業家たち同様に大きな熱意を抱いていたのは間違いないだろう。そしてそれを単なる夢ではなく、実際の雑誌発行として実現させている。つまり夢を現実化する実行力も持ち合わせているということである。松本竣介の画業が評価されるのは当然のことであるとはしても、復刻されている『雑記帳』全14冊を眺めてみても、画業の片手間の仕事だった訳ではないことは容易に見て取れる。
著名な同人誌でもなく、商業的に成功した雑誌だった訳でも、また大手の出版社が関係していた訳でもない。無名の、ほとんど誰もその存在を知るところのなく、知る人ぞ知るといった雑誌である。だが、一つの個性的な雑誌として、もう少し大きな評価が与えられてもいいのではないかと思う。
日本の雑誌には、名物編集長の編集する大手の出版社から発行された文芸誌、月刊誌、週刊誌などはあまた存在する。しかし、これは大手出版社に属する社員編集者が編集したものだ。『雑記帳』のような組織を離れた個人が独力で編集した雑誌、特に美術家が心血を注いだ雑誌などほとんど稀有の存在なのではあるまいか。しかも時代が軍国主義に呑み込まれようとしている時に、自由やヒューマニズムの言論を誌上で試みていたことの意味は大きい。
個性的な編集者の個人的な雑誌ということで似た印象を受ける雑誌に、編集者花森安治が発行していた、商品テストで有名な『暮らしの手帖』がある。この雑誌は全編花森安治の個性に覆われている。比べる事が妥当であるかはともかく、そこには『雑記帳』と同じテイストを感じる。編集長の編集に関わる思想や思いといったものが、表紙から裏表紙、各頁の隅々まで行き渡っている。それは単に選ばれる記事や文章といったものだけではなく、文字のフォントやレイアウトなどのいわゆる編集デザイン、エディトリアル・デザインといった、視覚的な雑誌の微細な部分にまでのこだわりとでも呼べるものだろうか。『暮しの手帖』が花森安治の雑誌であったように、『雑記帳』は松本竣介の雑誌であった。
『雑記帳』で気になっていることの一つに、松本竣介の描いた挿画がある。1935年二科会に初入選した時の骨太の輪郭線に囲まれた画風はやがて、都会風景をモンタージした詩情豊かな細い線描の画風に変質していく。この変化の過程に『雑記帳』の編集発行が関与していたのではないかと推察している。特に、自身が手がけた挿画を見ると、魅力的な線描の作品が多い。
印刷技術の制約上、複雑な表現の挿絵などをそのままに再現することは不可能に近かった。そう思えるのは他の作家たちの挿絵の濃淡や細部が、残念ながら、松本竣介の意気込みとは裏腹に、十分なものではなかったのを見れば明らかであろう。
それに対して松本竣介の描く都会風景や建物の素描は、インクの黒々とした細い線がシャープに表現されており、挿画としてかなり成功しているように思える。この印刷上の効果、線描の柔和な表情を黒インクの素描として生かす描き方が、硬質で骨太だった油彩画の表現から都会風景の上に詩情を湛えた人物などを線描でモンタージュする、松本竣介独自のリリカルな都会風景への転換に、影響を与えたのではないかと思うのである。このことは詳しくは稿を改めて論じてみたい。
挿絵 群像
挿絵 人物
挿絵 建物と樹木
今回は創刊号の表紙と松本竣介の挿画3点を紹介しておこう。もちろん、これはオリジナルではなく、復刻版からであるのだが。それにしても奥様であった禎子さんや関係者の努力で、完全な復刻版が出版されていたことは、復刻版出版当時大学院生であった私にとって極めて幸運なことであった。これらの資料を手に修士論文を執筆していた当時が思い出される。もう30年以上も前の話だ。
表紙のデザインは10号までは、外国雑誌から切り抜いた頁を数字の形にレイアウトしてある。都会風のモダンな印象を受けるデザインだろう。松本竣介は優秀なエディトリアル・デザイナーでもあったのだ。このことも論じてみたいテーマの一つである。
挿絵は建物、人物、群像の3点が載っている。人物像には太い線が使われていることに注目しておきたい。
(こまつざき たくお)
■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め書籍は、松本竣介編集「雑記帳」復刻版です。
松本竣介編集 「雑記帳」復刻版
「雑記帳」復刻刊行委員会
綜合工房
1977年
17.0x24.5x8.0cm 全14冊P
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『雑記帳』の松本竣介~挿画についてのメモ
小松﨑拓男
松本竣介が総合雑誌『雑記帳』を編集発行したのは、弱冠24歳であった。社会人で言えば大卒入社2年目。あるいは大学院の修士課程を終えようとしているか、いないかの年齢である。実に若い。今、注目を浴びている起業家、例えばソフトバンクの孫正義氏やZOZOの前澤友作氏などが、野心に燃えて起業した年齢に近いだろうか。
雑記帳創刊号表紙(復刻版)もちろん松本竣介が野心に燃えて『雑記帳』を発行したという訳ではないが、この雑誌を刊行することに別の意味で、話題の起業家たち同様に大きな熱意を抱いていたのは間違いないだろう。そしてそれを単なる夢ではなく、実際の雑誌発行として実現させている。つまり夢を現実化する実行力も持ち合わせているということである。松本竣介の画業が評価されるのは当然のことであるとはしても、復刻されている『雑記帳』全14冊を眺めてみても、画業の片手間の仕事だった訳ではないことは容易に見て取れる。
著名な同人誌でもなく、商業的に成功した雑誌だった訳でも、また大手の出版社が関係していた訳でもない。無名の、ほとんど誰もその存在を知るところのなく、知る人ぞ知るといった雑誌である。だが、一つの個性的な雑誌として、もう少し大きな評価が与えられてもいいのではないかと思う。
日本の雑誌には、名物編集長の編集する大手の出版社から発行された文芸誌、月刊誌、週刊誌などはあまた存在する。しかし、これは大手出版社に属する社員編集者が編集したものだ。『雑記帳』のような組織を離れた個人が独力で編集した雑誌、特に美術家が心血を注いだ雑誌などほとんど稀有の存在なのではあるまいか。しかも時代が軍国主義に呑み込まれようとしている時に、自由やヒューマニズムの言論を誌上で試みていたことの意味は大きい。
個性的な編集者の個人的な雑誌ということで似た印象を受ける雑誌に、編集者花森安治が発行していた、商品テストで有名な『暮らしの手帖』がある。この雑誌は全編花森安治の個性に覆われている。比べる事が妥当であるかはともかく、そこには『雑記帳』と同じテイストを感じる。編集長の編集に関わる思想や思いといったものが、表紙から裏表紙、各頁の隅々まで行き渡っている。それは単に選ばれる記事や文章といったものだけではなく、文字のフォントやレイアウトなどのいわゆる編集デザイン、エディトリアル・デザインといった、視覚的な雑誌の微細な部分にまでのこだわりとでも呼べるものだろうか。『暮しの手帖』が花森安治の雑誌であったように、『雑記帳』は松本竣介の雑誌であった。
『雑記帳』で気になっていることの一つに、松本竣介の描いた挿画がある。1935年二科会に初入選した時の骨太の輪郭線に囲まれた画風はやがて、都会風景をモンタージした詩情豊かな細い線描の画風に変質していく。この変化の過程に『雑記帳』の編集発行が関与していたのではないかと推察している。特に、自身が手がけた挿画を見ると、魅力的な線描の作品が多い。
印刷技術の制約上、複雑な表現の挿絵などをそのままに再現することは不可能に近かった。そう思えるのは他の作家たちの挿絵の濃淡や細部が、残念ながら、松本竣介の意気込みとは裏腹に、十分なものではなかったのを見れば明らかであろう。
それに対して松本竣介の描く都会風景や建物の素描は、インクの黒々とした細い線がシャープに表現されており、挿画としてかなり成功しているように思える。この印刷上の効果、線描の柔和な表情を黒インクの素描として生かす描き方が、硬質で骨太だった油彩画の表現から都会風景の上に詩情を湛えた人物などを線描でモンタージュする、松本竣介独自のリリカルな都会風景への転換に、影響を与えたのではないかと思うのである。このことは詳しくは稿を改めて論じてみたい。
挿絵 群像
挿絵 人物
挿絵 建物と樹木今回は創刊号の表紙と松本竣介の挿画3点を紹介しておこう。もちろん、これはオリジナルではなく、復刻版からであるのだが。それにしても奥様であった禎子さんや関係者の努力で、完全な復刻版が出版されていたことは、復刻版出版当時大学院生であった私にとって極めて幸運なことであった。これらの資料を手に修士論文を執筆していた当時が思い出される。もう30年以上も前の話だ。
表紙のデザインは10号までは、外国雑誌から切り抜いた頁を数字の形にレイアウトしてある。都会風のモダンな印象を受けるデザインだろう。松本竣介は優秀なエディトリアル・デザイナーでもあったのだ。このことも論じてみたいテーマの一つである。
挿絵は建物、人物、群像の3点が載っている。人物像には太い線が使われていることに注目しておきたい。
(こまつざき たくお)
■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め書籍は、松本竣介編集「雑記帳」復刻版です。
松本竣介編集 「雑記帳」復刻版「雑記帳」復刻刊行委員会
綜合工房
1977年
17.0x24.5x8.0cm 全14冊P
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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