土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

10.瀧口修造『点』

瀧口修造『点』
みすず書房
19.3×13.3㎝(四六判、カバー、箱。自装)
箱  アンリ・ミショーのデッサン
表紙 殷虚の骨拓本(陳夢家「殷虚卜辞綜述」(1956)より)
カバー絵および装釘 滝口修造
口絵(モノクロ) 周銅器 犠首饕餮虺竜文法罍(部分)
目次7頁、図版目次1頁、本文436頁、あとがき4頁。図版8点。

奥付の記載事項

昭和38年1月15日 第1刷発行
¥ 1000
著 者 滝口修造
発行者 東京都文京区春木町 1-22
    北野民夫
印刷者 東京都青梅市根ケ布 385
    山田一雄
発行所 東京都文京区春木町 1-22
    株式会社みすず書房
精興社印刷・鈴木製本

20190723土渕信彦、図1 表紙図1 『点』(表紙)

20190723土渕信彦、図2 箱図2 箱(表側)

『点』は、『幻想画家論』に続く瀧口5冊目の評論集です。1951年から62年までの約12年間に、新聞や雑誌などからの依頼に基づいて執筆された、評論や展覧会評など97篇が再録されています。

前著『幻想画家論』(1959年1月)と、その前の『16の横顔  ボナールからアルプへ』(1955年6月)は、西洋の美術家を採り上げた評論集でしたので、この2冊よりも『今日の美術と明日の美術』(読売新聞社、1953年12月)の方が、連続性が強いように思われます。

全体は第1部・第2部の2部で構成されています。以下に第1部の内容を見ていくことにします。なお、第1部冒頭の「抽象芸術の論争」(「アトリヱ」、1951年7月)および「モダン・アートをめぐって」(「藝術新潮」同年8月)は、『今日の美術と明日の美術』の刊行前に発表された評論です。

20190723土渕信彦、図3 カバー図3 カバー(表紙側)

第1部の22篇は、比較的抽象度が高い論考で、美術雑誌・総合誌、講座・全集などに寄稿した評論が再録されたものです。発表媒体別に見ると、「藝術新潮」6篇、「みづゑ」(別冊も含む)5篇、「アトリヱ」2篇、その他の雑誌計3篇、全集月報、講座など5篇です。第1部については、「あとがき」(図4)のなかで次のように記されています。

「この十年に満たないあいだには、伝統と今日の問題、書やいけばなのような古い芸術のなかの新しい動き、いわば単数と複数、一品制作の芸術と量産による芸術―いわゆる美術とデザインとの問題、また抽象とか具象とかの論議を越えたところでの記号性の問題、あるいは急に高まってきた国際的な交流……といったいくつかの課題が数えられ、私なりに感想をひれきしているであろう。」

20190723土渕信彦、図4 あとがき図4 あとがき


挙げられたテーマは、それぞれ射程が長く、重要と思われますが、1960年頃から瀧口自身が開始したドローイングや水彩などを視野に入れると、特に興味深いのは、「現代のデッサン」(「別冊みづゑ」、1955年9月、図5)や、第1部末尾に置かれた「記号について」(「みづゑ」、1957年3・5月。図6,7)あたりかもしれません。表紙や箱のモチーフに殷時代の甲冑文字(上掲図1)やアンリ・ミショーのドローイング(上掲図2)が用いられているのは、(1950年代後半のいわゆる「アンフォルメル旋風」を背景とする)この時期の記号や表意文字に対する関心を示すものでしょう。なお、表紙の甲骨文字が採られた『殷虚卜辞綜述』の著者で、毛沢東や中国共産党による漢字の表音文字化運動を批判して弾圧された古文字学者陳夢家については、「大紀元」の記事をご参照ください。
https://www.epochtimes.jp/jp/2010/08/html/d11088.html
https://www.epochtimes.jp/jp/2010/08/html/d49863.html

20190723土渕信彦、図5 別冊みづゑ図5 「別冊みづゑ」、1955年9月

20190723土渕信彦、図6 記号についてⅠ図6 「記号についてⅠ」、「みづゑ」、1957年3月

20190723土渕信彦、図7 記号についてⅡ図7 「記号についてⅡ」、「みづゑ」、1957年5月

第2部の75篇は個別の展覧会評・演奏会評で、概ね年代順に収録されています。発表媒体別の内訳は、読売新聞59篇、朝日新聞7篇、毎日新聞5篇、藝術新潮2篇、地方紙2篇です。読売新聞が79%を占めており、海藤日出男氏が在籍していた読売新聞との太いパイプを示すものかもしれません。第2部については、「あとがき」で次のように述べています。

「造形芸術という美的現象と社会現象との錯綜体、しかも矛盾混迷しながらも、ついには生動を余儀なくされている、このふしぎなものの今日の状況に、私はつとめて身をさらそうとしてきたつもりである。しかし、それらはすべて問いかけ以上の何ものでもないであろう。それをしいて羅列してみたのは、一人の時評者を通しての、一時代の記録ともなると考えたからにほかならない。」

この言葉のとおり、これらの展評は1950年代から60年代の、日本の戦後美術の動きを生き生きと伝える、貴重な証言です。特に「読売アンデパンダン展」については、第6回以降、62年の第13回まで、毎回欠かさず採り上げており、『今日の美術と明日の美術』(図8)収録の第5回の展評「アンデパンダン展の可能性」および「アンデパンダン展と新人」と併せ、定点観測のようにその変遷を辿ることができます。同展に関する基本資料の一つといえるでしょう。発足から第4回まで、および作品撤去の事態が発生した第14回と「陳列作品規格基準」が導入され最終回となった第15回の展評が見当たらないのが惜しまれます。

20190723土渕信彦、図8 今日の美術と明日の美術図8 『今日の美術と明日の美術』

以上のように本書は、瀧口が美術評論家として最も活発に執筆活動をしていた、1950年代初頭から60年代初頭までの論考が再録された、充実した評論集であり、しばしば「時代の証言者」とも評される活動の姿を活字に留める、代表的な評論集ということができるでしょう。1950年代の美術界の状況を知る上で、まず繙かれるべき1冊と思われます。

さらに注目されるのは、自らによる美術評論活動への「訣別の辞」が、「あとがき」に記されている点ではないでしょうか。すなわち、1958年の欧州旅行から帰国してから、注文による美術評論の執筆が次第に減少していった経緯と、そうした状況に対する感想、さらにはその基底にある想いが、リアルタイムで述懐されているのです。以下に引用します。

「私はいま美術批評のありかた、その動機、発想そのものにたいして、いい表わしがたい疑問を自分につきつけている状態にいる。事実、この本に採録された最後の時評から半年にわたって、評論の筆をほとんど絶っている始末である。といって私には何の悔いもないが、そういう状況から、複雑な気持ちでこの本を世に送ることになったことを、私はあえて皮肉とは思いたくない。それはこれからの私の行為のすべてが決定することである。
読者よ、今日は! そして、さようなら、また会いましょう、を同時に申し上げたい。」

「これからの私の行為」とありますが、念頭に置かれていたのは主としてドローイング、水彩、デカルコマニーや焼け焦がしなどの、造形の試みだったのかもしれません。というのも、瀧口は当時すでにこうした試みを開始しており、本書刊行の2年前、1960年10月には、初の個展「私の画帖から」(南天子画廊)を、翌年には第2回展「私の画帖から」(北画廊)を開催していたからです。刊行直前の1962年12月には、第3回展となるデカルコマニー展「私の心臓は時を刻む」(南画廊)がまさに開催されていました。「自筆年譜」1963年の項でも次のように回想されています。

「この頃から新聞雑誌の評論をつとめて避けるようになり、むしろ偶々個人的に贈る言葉、または稀に書く個展への序文のような断章が結果として意外な比重をしめることになる。職業としての書くという労働に深い矛盾を感じる。」

20190723土渕信彦、図9 自筆年譜図9 「自筆年譜」1963年の項(「本の手帖」特集瀧口修造、昭森社、1969年8月)

その意味で上の「あとがき」は、一人の造形作家としての「再出発の告知」として読むことも可能でしょう。本書のカバーに自らの焼け焦がしを用いたのも(上掲図3)、再出発への決意のひとつの顕れかもしれません。刊行前年には「私も描く」(「藝術新潮」、1961年5月。図10)というエッセイが発表されていたことも、想い出されます。

20190723土渕信彦、図10 私も描く図10 「私も描く」

以上から、本書は美術評論家瀧口修造の代表的な評論集であるだけでなく、造形作家へと姿を変えつつある瀧口の姿を記録し、書物の形に具体化した、記念すべき1冊ということができるでしょう。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)は、近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi-130瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
《作品》
紙にドローイング(水彩)
Image size: 23.0x16.0cm
Sheet size: 25.0x17.4cm
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