中村惠一のエッセイ「盛岡彷徨記」その3

岩手県立美術館


 盛岡建築ツアーは蕎麦の老舗・直利庵の昼食をもって終了。午後は岩手県立美術館を訪問した。もちろん、岩手県立美術館といえば地元出身作家の萬鐵五郎松本竣介舟越保武らの作品を展示する常設展示室を見るのが目的となる。企画展としては「広重―雨、雪、夜 風景版画の魅力をひもとく」が開催されていた。浮世絵の企画展示は岩手では珍しいそうで、多くの見学者が入場されていた。東海道五十三次を中心にした、かなりの見ごたえのある展示であった。

 常設展示はやはり圧巻であった。萬鐵五郎の部屋は一室すべてが萬の作品のみで構成されており、見ごたえも十分である。萬は明治18(1885)年に土沢(現在の花巻市東和町)に生まれた。土沢は花巻から遠野に向かう途中にある。実家は回送問屋であった。明治45(1912)年に東京美術学校を卒業、卒業制作の「裸体美人」は国立近代美術館に収蔵されている重要文化財である。卒業制作が重要文化財に指定されているのも驚かされるが、岩手県にとっては地元出身の重要な美術家である。岩手県立美術館には「赤い目の自画像」「雲のある自画像」「目のない自画像」といった自画像作品が展示されていて興味深かった。また水墨のような洒脱な絵画があって面白かった。

20190816中村惠一001雲のある自画像「雲のある自画像」

20190816中村惠一002赤い目の自画像「赤い目の自画像」

 続いて舟越保武・松本竣介展示室を見る。舟越保武は大正元(1922)年一戸町生まれ。県立盛岡中学で松本竣介と同期であった。昭和9(1934)年に東京美術学校彫刻科に入学している。展示では、カトリック改宗後の作品が収蔵されているためか、静かだが清らかな空気を伴った彫刻たちが印象的だった。作品「原の城」の背中の部分に落書きのような書き込みがあるのには驚いた。盛岡の街中には舟越の作品が数多く設置されており、どれも清楚な印象を持つような秀作ばかりであった。さすがは地元である。

20190816中村惠一003原の城「原の城」

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 最後に松本竣介の展示を見る。松本は明治45(1912)年に東京・渋谷で生まれた。幼少期に花巻、盛岡に移住。盛岡中学で舟越と同学年であった。しかし昭和4(1929)年に盛岡中学を3年で中退し上京した。竣介には盛岡郊外を描いた絵画がある。あるいは父も関係した銀行の本館建物を描いたデッサンもある。つまり早い時期に盛岡を離れた竣介であったが、盛岡の印象は彼の中に色濃く存在していたのである。竣介は必ずしも目の前にあるものをその通りに描く画家ではない。画面上で異なるイメージがコラージュされたり、モンタージュされたりしている。午前中に歩いた、竣介も歩いた街並みを思い出し、目にした郊外の丘の上に建つ建物群を思い出しながら作品を見ていった。昭和11(1936)年、竣介は松本禎子と結婚をし、松本姓に変わった。その後に夫婦が暮らした下落合(現在の新宿区中井)の郊外風景と盛岡の風景は重ねられ、融合し竣介の作品を形成していったものと考える。
 
20190816中村惠一005序説「序説」

 たとえば「序説」である。昭和14(1939)年に描かれた作品であるが、前景に竣介と妻の禎子と思われる男女が描かれ、背景にまるで現在までの物語が断片的に描かれているように感じる。そこには盛岡であり、下落合でありの風景や記憶や出来事が刻まれているのではないかと思った。花巻や盛岡で育ち、早くに東京にでた竣介は都会と田園風景、郊外風景をたくみに融合したどこにもないが、誰にでも懐かしく感じる都市風景を生み出した。まことに魅力的なその風景に私は常に憧れてきたように思う。美術館に付属のカフェでざくろのクリームソーダを飲んだ私は再度盛岡の中心部、盛岡城址を歩くことにした。ここも竣介の思い出の場所に違いないと思ったからだ。石垣に立つと盛岡の街が眼下にひろがり中津川と北上川が光って見える。これも松本竣介の原風景の一部なんだろうなと思いながら盛岡をあとにした。

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なかむら けいいち


*画廊亭主敬白
昨秋ときの忘れもので開催した「一日だけの須賀敦子展」がとても好評で、6月にも盛岡でも開催し、東京から大勢で参加しました。ツアーの様子は参加者のおひとり、中村惠一さんに三回にわたりレポートしていただきました。
文中、盛岡第一画廊とありますが、正式にはMORIOKA第一画廊です。
中村さんにはこのブログにしばしば登場していただいていますが、今秋から新連載「美術・北の国から」(仮題)の執筆をお願いしています。どうぞご期待ください。

中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)

●本日のお勧め作品は松本竣介です。
24松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《作品》
紙にインク、墨
イメージサイズ:26.4x37.8cm
シートサイズ:27.6x39.0cm
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阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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