中村惠一のエッセイ「美術・北の国から」 第6回

三岸好太郎

 三岸好太郎という画家の名前を聞いたのはNDA画廊の長谷川洋行からだったと記憶している。北海道立近代美術館が札幌に開館したのは昭和52(1977)年7月のことで私が札幌に住み始めた前年のことであった。一方、現在北菓楼札幌本館になっている北海道立文書館別館が札幌生まれの画家・三岸好太郎の美術館であった。同地にあった北海道立美術館を昭和52(1977)年6月に道立三岸好太郎美術館と改称、ご遺族から寄贈された作品を展示する美術館としたのだった。長谷川は画廊に来る海外からのお客様やアーティスト、国内でも東京や大阪から来る画家たちを近代美術館ではなく三岸好太郎美術館へと案内したがった印象がある。当時は入場料をとっていたのだろうか、支払いをした覚えがない。もともと長谷川にかわって案内する場合には美術館からのフリーパスを預かることが多かったので、それで記憶にないだけかもしれない。

01中村惠一_移転前に三岸好太郎美術館のあった場所移転前に三岸好太郎美術館のあった場所
 
 私は南13条西11丁目という場所に4年間住んだのだが、三岸好太郎は南7条西4丁目で生まれている。私が4年間住んだ場所の近所とは言えないが、それほど遠くはない場所で三岸は生まれている。「すすきの」の中心よりは少し南側である。明治36(1903)年4月18日に生まれた。現在では札幌南高校となった札幌第一中学を卒業、在学中に中学の美術クラブである霞会に所属して油絵を描いている。卒業した大正10(1921)年に東京美術学校建築科に入学する親友の俣野第四郎とともに上京した。もちろん画家を目指してのことで、大正12(1923)年、春陽会第1回展に「檸檬持てる少女」が入選している。また、同年に俣野第四郎、小林喜一郎と札幌に帰って三人展を開催している。

02中村惠一_檸檬持てる少女「檸檬持てる少女」

 翌年の春陽会第2回展において「兄及ビ彼ノ長女」などを出品。春陽会賞を首席で受賞している。この年、吉田節子と結婚、巣鴨・染井墓地の近くに所帯をもった。

00中村惠一_兄「兄及ビ彼ノ長女」

 その後、高田、板橋町中丸、西巣鴨などを転居したが昭和4(1929)年5月に中野区鷺宮にアトリエ付の住宅を建てた。昭和5(1930)年11月に独立美術協会の創立に参加し最年少の会員となった。この時、三岸は27歳であった。昭和6(1931)年8月、独立美術協会の夏季講習会の講師を務めているが、新宿・紀伊国屋で開催されたこの講習会の告知ポスターが昨年板橋区立美術館で開催された「アヴァンギャルド画家の東京」展に資料展示されており、興味深かった。

03中村惠一_マリオネット「マリオネット」(独立美術協会第1回展)

昭和7(1932)年8月に札幌に帰った三岸は9月に北海道美術協会後援の美術講演会で「新興芸術運動」の演題で講演を行っている。12月、東京府美術館で開催された「巴里・東京新興美術展」を見、フランス前衛絵画の動向の紹介に大きな刺激を受けた。この後、前衛的な表現形態への傾斜が明らかなものになる。

04中村惠一_オーケストラ「オーケストラ」(独立美術協会第3回展)

05中村惠一_のんびり貝「のんびり貝」(独立美術協会第4回展)

06中村惠一_飛ぶ蝶「飛ぶ蝶」(独立美術協会第4回展)

 昭和9(1934)年3~5月に開催された独立美術協会第4回展に「ビロードと蝶」「飛ぶ蝶」や「貝殻」「のんびり貝」など晩期の代表作が描かれ、展示されている。そして、まったくこの時期に今も残っている山脇巌設計の新しいアトリエが依頼をされている。山脇はバウハウスに学んだ三岸とは親しい建築家である。また、美学者である外山卯三郎の自宅所在地を発行住所として「芸術学研究会」発行名義による100部限定の筆彩素描集『蝶と貝殻』が刊行されている。まさにこの時期は蝶と貝殻が三岸にとって重要なモチーフであったことがわかる。死んで残された貝殻と次に生命を残すために懸命に舞う蝶という対比されるモチーフは三岸にとって「生と死」の直接的なメタファーであったのかもしれない。
 印刷された素描の線と水彩で手彩色された画面は油彩とはまた異なったマチエールであるが、とても美しい。

07中村惠一_蝶と貝殻『蝶と貝殻』の中ページ

 アトリエの建築資金の工面もあって関西、広島、名古屋に赴いていた三岸は6月28日名古屋の旅館で胃潰瘍による吐血によって倒れた。7月1日、心臓麻痺を併発して死去してしまう。31歳のことだった。なんと本人不在のまま、楽しみにしていた新たなアトリエが完成したのは10月のことであった。そのアトリエが今も残っているのはある意味で奇跡のようにも思われるのである。

08中村惠一_山脇巌設計のアトリエ山脇巌設計のアトリエ

09中村惠一_コンポジション「コンポジション」(昭和8年独立美術協会秋季展)

10中村惠一_現在の三岸好太郎美術館現在の三岸好太郎美術館 庭の木にはエゾリスが住んでいる
なかむら けいいち

中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)

●本日のお勧め作品は福原信三です。
20170727130303_00001福原信三福原信三 Shinzo FUKUHARA
《ヘルン旧居  松江・島根》
1935年撮影(Printed later)  
ゼラチン・シルバー・プリント
イメージサイズ:34.2x26.2cm
シートサイズ:36.0x28.2cm
*裏面にピエール・ガスマンのサイン
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2020年02月04日|関根伸夫さんを偲ぶ会 2020年1月12日
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。