「建てられない建築とパンデミック都市」
~インポッシブル・アーキテクチュア展~磯崎新、浅田彰公開対談
今村創平
国立国際美術館で開催された「インポッシブル・アーキテクチュア展」 の関連イベントとして、 建築家磯崎新と評論家浅田彰の公開対談が、去る2月15日(土)に行われた。
とは言え、昨今のコロナウイルス問題の余波により、直前になり磯崎は来場しないことになり、沖縄の自宅とをスカイプで繋いでとの対談となった。アクシデントを好む、この建築家に相応しい展開となったが、実際磯崎は昨年前半武漢に通いつめ、後半もたびたび浙江省を訪れていたというから、今回の騒動とはある程度接点があると言える(注1)。壇上にはひとり浅田が座り、その後ろにスクリーンに映し出され、書物に埋まる本棚を前に終始楽しそうに語る磯崎という体裁で、対談は行われた。
対談の口火として、浅田彰は今回の展覧会のセレクションに対して、異議を唱えた。インポッシブル・アーキテクチュアというタイトルを掲げているが、アンビルドの建築を何でも入れたのにはどうかという。実際には建てることができるが、事情により実現されなかった建築と、そもそも構想が通常の建築の枠を超え、実現を前提としていない建築とは分けるべきであり、後者のみの展覧会とした方が狙いが絞れたとの指摘がなされた。その点からすると、ザハ・ハディッドの国立競技場のプロジェクトは、実施設計まで終わっていたという最終案よりも、コンペ時の案を出すべきだったという。そして本展監修者である五十嵐太郎といった歴史家は、何でもたくさん集めたがるか、自分のような批評家は削りたがるとも付け加えた。
磯崎新は、今回の対話のための二枚のスライドを用意していた。そして、この展覧会に入ってしかるべきだが欠けているとして、いずれも1910年代の、イタリア未来派のアントニオ・サンテリア(「新都市」、1913-14)、ロシアにてシュプレマティズムを提唱したカジミール・マレーヴィッチ、レディ・メイドのマルセル・デュシャン(「泉」1917年)をあげた(注2)。また、それと対をなすように、1990年代の、大友克洋の「AKIRA」、押井守の「攻殻機動隊」、庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」をあげた(注3)。前者は、芸術や都市の概念を覆し、その後の20世紀の様々な試みを準備したものである。後者の漫画やアニメはいずれも壊滅的状況に陥った文明や都市のその後を描くということで共通している。
そして磯崎は、パンデミック都市について問いかけ、パンデミックになったとき都市をどうするのか、都市を封鎖するのか、そして都市に起きた不条理をいかに文学にした例として、トーマス・マンの「ヴェニスに死す」(1912)とアルベール・カミュの「ペスト」(1947)をあげた。マンの「ヴェニスに死す」ではコレラの危機が迫っていた。この小説の舞台ヴェニスには、磯崎がヴェニスで最もいい教会だとするアンドレア・パラーディオ設計の「レデントーレ教会」(1559完成)が大運河に面して建っている。実はこの教会は、16世紀後半ヴェネチア共和国でペストが猛威を振るい、その人口の25-30%が死亡し、その収束を神に感謝するために建てられたものだという。
浅田は、かつて都市には問題がある人を隔離する慣習があり、ヴェニスでもユダヤ人を隔離しゲットーと呼んでいた(世界各地にあるゲットーの名は、このヴェニスのものに由来する。)死体は島流しにされ、ヴェニスではそれがサン・ミケーレ島であり、それは死者の街であった。そうした閉鎖都市が、パンデミックで蘇っているとする。
また、道路と鉄道ができ都市は開かれ、ターミナルとなった(それを描いたのが、サンテリアの「新都市」)と浅田が言えば、磯崎は日本で最初の建築家辰野金吾は、ターミナルである東京駅を設計したが、パンデミックで亡くなったと返した。
さて、ここまである程度お二人の対談の内容を追ってきたが、対談を文字起こしするようにここに書きつらねるのは、著作権上、道義上問題があるかもしれないので、このあたりでやめておく。博覧強記でかつクリティカルなふたりは、ときどきユーモアを混ぜながら(自宅の磯崎は、近所に焼きいも屋が来たということで、途中家人に買いに行くよう言っていた)、次々と話題を提供したが、その全容はいつの日か公開されることを期待したい。
上記の通り、インポッシブル・アーキテクチュアを巡って企画されたこの対談は、はからずも現状をかなり映し出すアクチュアルなものとなった。コロナウイルス問題のあおりを受け、展覧会は3月下旬までとされていた会期を待たず、2月で終わりとなったが、1年間巡回した最後にこの対談が行われた意義はとても大きなものとなった。
(いまむら そうへい)
注1)この対談がなされた段階では、コロナウイルス問題はまだ中国の武漢の出来事であり、日本への影響をみるのは限定的であった。磯崎の欠席は、磯崎が88歳と高齢であるという理由からであった。
注2)磯崎は、もう一点展覧会に入っていなく残念であり、最も重要なものとして、アーキズームの「ノンストップ・シティ」にも言及した。「ノンストップ・シティ」はすべてがインテリアであり、実際にわれわれはこうした都市に生きているのではないかとした。
注3)磯崎は、「AKIRA」や「エヴァンゲリオン」をリアルタイムで読み、観ていたという。浅田は、ある時ザルツブルグのコンサートに磯崎と出掛けた際、現地で落ち合った磯崎が先ほどまでエヴァンゲリオンを読んでいたと語ったというエピソードを披露した。
■今村創平
建築家。千葉工業大学建築学科 教授。
早稲田大学卒。AAスクール、長谷川逸子・建築計画工房を経て独立。アトリエ・イマム主宰。
建築作品として《神宮前の住宅》、《大井町の集合住宅》など。
著書として、『現代都市理論講義』、『20世紀建築の発明』(訳書、アンソニー・ヴィドラー著)など。
公益社団法人 日本建築家協会 理事。
「インポッシブル・アーキテクチャー―建築家たちの夢」
会期:2020年1月7日(火)―2月28日(金)終了
※新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2020年2月29日(土)から3月15日(日)まで、臨時休館
会場:国立国際美術館
監修:五十嵐太郎

建築の歴史を振り返ると、完成に至らなかった素晴らしい構想や、あえて提案に留めた刺激的なアイディアが数多く存在しています。未来に向けて夢想した建築、技術的には可能であったにもかかわらず社会的な条件や制約によって実施できなかった建築、実現よりも既存の制度に対して批評精神を打ち出す点に主眼を置いた提案など、いわゆるアンビルト/未完の建築には、作者の夢や思考がより直接的に表現されているはずです。
この展覧会は、20世紀以降の国外、国内のアンビルトの建築に焦点をあて、それらを仮に「インポッシブル・アーキテクチャー」と称しています。ここでの「インポッシブル」という言葉は、単に建築構想がラディカルで無理難題であるがゆえの「不可能」を意味しません。言うまでもなく、不可能に眼を向ければ、同時に可能性の境界を問うことにも繋がります。建築の不可能性に焦点をあてることによって、逆説的にも建築における極限の可能性や豊饒な潜在力が浮かび上がってくる――それこそが、この展覧会のねらいです。
約40人の建築家・美術家による「インポッシブル・アーキテクチャー」を、図面、模型、関連資料などを通して読み解きながら、未だ見ぬ新たな建築の姿を展望します。(同館ホームページより)
・埼玉県立近代美術館 2019年2月2日 - 3月24日
ブログ2019年3月2日 富安玲子のエッセイ「インポッシブル・アーキテクチャー」
・新潟市美術館 2019年4月13日~7月15日
・広島市現代美術館 2019年9月18日~12月8日
・国立国際美術館 2020年1月7日~2月28日
ブログ2020年1月30日 新連載・石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」第1回
*画廊亭主敬白
<駒込の「ときの忘れもの」に銀塩写真の魅力 Ⅵ展を観に行ってきました。
菅原一剛さんの作品目当てに行きましたが、奈良原一高、アジェ等、有名な作家さんの銀塩プリントが観れて大満足。
図書室で写真集も観ることができて、気づけば一時間以上居座ってもた。3月14日まで。
(20200311/Ippei Asakuraさんのtwitterより)>
美術館や画廊の休館が続く中、ときの忘れものは本日も営業しています。来廊される皆さんが安心して鑑賞できるよう(阿部勤先生の設計だけあって建物は窓だらけですので)換気をよくしています。
残念なことに、今村さんにレポートしていただいた大阪の国立国際美術館の「インポッシブル・アーキテクチャー―建築家たちの夢」は予定を早めて終了してしまいました。
無観客の大相撲、無観客の演奏会(群馬交響楽団の556回定期演奏会)、いったいこの異常事態はいつ収束するのでしょうか・・・・・
●本日のお勧め作品は、倉俣史朗です。
倉俣史朗 Shiro KURAMATA
Ephemera(Flower Vase)
1989(1989-2019)
アクリル、アルミパイプ カラーアルマイト、ガラス管
D18.0xH140.0cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2010年05月30日|番頭おだちの東奔西走[山口文象邸見学会の報告]
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
~インポッシブル・アーキテクチュア展~磯崎新、浅田彰公開対談
今村創平
国立国際美術館で開催された「インポッシブル・アーキテクチュア展」 の関連イベントとして、 建築家磯崎新と評論家浅田彰の公開対談が、去る2月15日(土)に行われた。
とは言え、昨今のコロナウイルス問題の余波により、直前になり磯崎は来場しないことになり、沖縄の自宅とをスカイプで繋いでとの対談となった。アクシデントを好む、この建築家に相応しい展開となったが、実際磯崎は昨年前半武漢に通いつめ、後半もたびたび浙江省を訪れていたというから、今回の騒動とはある程度接点があると言える(注1)。壇上にはひとり浅田が座り、その後ろにスクリーンに映し出され、書物に埋まる本棚を前に終始楽しそうに語る磯崎という体裁で、対談は行われた。
対談の口火として、浅田彰は今回の展覧会のセレクションに対して、異議を唱えた。インポッシブル・アーキテクチュアというタイトルを掲げているが、アンビルドの建築を何でも入れたのにはどうかという。実際には建てることができるが、事情により実現されなかった建築と、そもそも構想が通常の建築の枠を超え、実現を前提としていない建築とは分けるべきであり、後者のみの展覧会とした方が狙いが絞れたとの指摘がなされた。その点からすると、ザハ・ハディッドの国立競技場のプロジェクトは、実施設計まで終わっていたという最終案よりも、コンペ時の案を出すべきだったという。そして本展監修者である五十嵐太郎といった歴史家は、何でもたくさん集めたがるか、自分のような批評家は削りたがるとも付け加えた。
磯崎新は、今回の対話のための二枚のスライドを用意していた。そして、この展覧会に入ってしかるべきだが欠けているとして、いずれも1910年代の、イタリア未来派のアントニオ・サンテリア(「新都市」、1913-14)、ロシアにてシュプレマティズムを提唱したカジミール・マレーヴィッチ、レディ・メイドのマルセル・デュシャン(「泉」1917年)をあげた(注2)。また、それと対をなすように、1990年代の、大友克洋の「AKIRA」、押井守の「攻殻機動隊」、庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」をあげた(注3)。前者は、芸術や都市の概念を覆し、その後の20世紀の様々な試みを準備したものである。後者の漫画やアニメはいずれも壊滅的状況に陥った文明や都市のその後を描くということで共通している。
そして磯崎は、パンデミック都市について問いかけ、パンデミックになったとき都市をどうするのか、都市を封鎖するのか、そして都市に起きた不条理をいかに文学にした例として、トーマス・マンの「ヴェニスに死す」(1912)とアルベール・カミュの「ペスト」(1947)をあげた。マンの「ヴェニスに死す」ではコレラの危機が迫っていた。この小説の舞台ヴェニスには、磯崎がヴェニスで最もいい教会だとするアンドレア・パラーディオ設計の「レデントーレ教会」(1559完成)が大運河に面して建っている。実はこの教会は、16世紀後半ヴェネチア共和国でペストが猛威を振るい、その人口の25-30%が死亡し、その収束を神に感謝するために建てられたものだという。
浅田は、かつて都市には問題がある人を隔離する慣習があり、ヴェニスでもユダヤ人を隔離しゲットーと呼んでいた(世界各地にあるゲットーの名は、このヴェニスのものに由来する。)死体は島流しにされ、ヴェニスではそれがサン・ミケーレ島であり、それは死者の街であった。そうした閉鎖都市が、パンデミックで蘇っているとする。
また、道路と鉄道ができ都市は開かれ、ターミナルとなった(それを描いたのが、サンテリアの「新都市」)と浅田が言えば、磯崎は日本で最初の建築家辰野金吾は、ターミナルである東京駅を設計したが、パンデミックで亡くなったと返した。
さて、ここまである程度お二人の対談の内容を追ってきたが、対談を文字起こしするようにここに書きつらねるのは、著作権上、道義上問題があるかもしれないので、このあたりでやめておく。博覧強記でかつクリティカルなふたりは、ときどきユーモアを混ぜながら(自宅の磯崎は、近所に焼きいも屋が来たということで、途中家人に買いに行くよう言っていた)、次々と話題を提供したが、その全容はいつの日か公開されることを期待したい。
上記の通り、インポッシブル・アーキテクチュアを巡って企画されたこの対談は、はからずも現状をかなり映し出すアクチュアルなものとなった。コロナウイルス問題のあおりを受け、展覧会は3月下旬までとされていた会期を待たず、2月で終わりとなったが、1年間巡回した最後にこの対談が行われた意義はとても大きなものとなった。
(いまむら そうへい)
注1)この対談がなされた段階では、コロナウイルス問題はまだ中国の武漢の出来事であり、日本への影響をみるのは限定的であった。磯崎の欠席は、磯崎が88歳と高齢であるという理由からであった。
注2)磯崎は、もう一点展覧会に入っていなく残念であり、最も重要なものとして、アーキズームの「ノンストップ・シティ」にも言及した。「ノンストップ・シティ」はすべてがインテリアであり、実際にわれわれはこうした都市に生きているのではないかとした。
注3)磯崎は、「AKIRA」や「エヴァンゲリオン」をリアルタイムで読み、観ていたという。浅田は、ある時ザルツブルグのコンサートに磯崎と出掛けた際、現地で落ち合った磯崎が先ほどまでエヴァンゲリオンを読んでいたと語ったというエピソードを披露した。
■今村創平
建築家。千葉工業大学建築学科 教授。
早稲田大学卒。AAスクール、長谷川逸子・建築計画工房を経て独立。アトリエ・イマム主宰。
建築作品として《神宮前の住宅》、《大井町の集合住宅》など。
著書として、『現代都市理論講義』、『20世紀建築の発明』(訳書、アンソニー・ヴィドラー著)など。
公益社団法人 日本建築家協会 理事。
「
会期:2020年1月7日(火)―2月28日(金)終了
※新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2020年2月29日(土)から3月15日(日)まで、臨時休館
会場:国立国際美術館
監修:五十嵐太郎

建築の歴史を振り返ると、完成に至らなかった素晴らしい構想や、あえて提案に留めた刺激的なアイディアが数多く存在しています。未来に向けて夢想した建築、技術的には可能であったにもかかわらず社会的な条件や制約によって実施できなかった建築、実現よりも既存の制度に対して批評精神を打ち出す点に主眼を置いた提案など、いわゆるアンビルト/未完の建築には、作者の夢や思考がより直接的に表現されているはずです。この展覧会は、20世紀以降の国外、国内のアンビルトの建築に焦点をあて、それらを仮に「インポッシブル・アーキテクチャー」と称しています。ここでの「インポッシブル」という言葉は、単に建築構想がラディカルで無理難題であるがゆえの「不可能」を意味しません。言うまでもなく、不可能に眼を向ければ、同時に可能性の境界を問うことにも繋がります。建築の不可能性に焦点をあてることによって、逆説的にも建築における極限の可能性や豊饒な潜在力が浮かび上がってくる――それこそが、この展覧会のねらいです。
約40人の建築家・美術家による「インポッシブル・アーキテクチャー」を、図面、模型、関連資料などを通して読み解きながら、未だ見ぬ新たな建築の姿を展望します。(同館ホームページより)
・埼玉県立近代美術館 2019年2月2日 - 3月24日
ブログ2019年3月2日 富安玲子のエッセイ「インポッシブル・アーキテクチャー」
・新潟市美術館 2019年4月13日~7月15日
・広島市現代美術館 2019年9月18日~12月8日
・国立国際美術館 2020年1月7日~2月28日
ブログ2020年1月30日 新連載・石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」第1回
*画廊亭主敬白
<駒込の「ときの忘れもの」に銀塩写真の魅力 Ⅵ展を観に行ってきました。
菅原一剛さんの作品目当てに行きましたが、奈良原一高、アジェ等、有名な作家さんの銀塩プリントが観れて大満足。
図書室で写真集も観ることができて、気づけば一時間以上居座ってもた。3月14日まで。
(20200311/Ippei Asakuraさんのtwitterより)>
美術館や画廊の休館が続く中、ときの忘れものは本日も営業しています。来廊される皆さんが安心して鑑賞できるよう(阿部勤先生の設計だけあって建物は窓だらけですので)換気をよくしています。
残念なことに、今村さんにレポートしていただいた大阪の国立国際美術館の「
無観客の大相撲、無観客の演奏会(群馬交響楽団の556回定期演奏会)、いったいこの異常事態はいつ収束するのでしょうか・・・・・
●本日のお勧め作品は、倉俣史朗です。
倉俣史朗 Shiro KURAMATAEphemera(Flower Vase)
1989(1989-2019)
アクリル、アルミパイプ カラーアルマイト、ガラス管
D18.0xH140.0cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2010年05月30日|番頭おだちの東奔西走[山口文象邸見学会の報告]
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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