中尾美穂「ときの忘れものの本棚から」第1回
『’77現代と声 版画の現在』
(現代版画センター刊、1978年)
紹介するのは現代版画センターによる1977年の企画「現代と声」である。ここで示された当時の版画状況を、版画界の寵児だった池田満寿夫の活動とともに振りかえりたい。
このイベントは同年10月から翌年2月まで開催され、出品作家9名(靉嘔、磯崎新、一原有徳、小野具定、オノサト・トシノブ、加山又造、関根伸夫、野田哲也、元永定正)の版画制作と全国展、パネルディスカッションや連続シンポジウムなどが行われた(*1)。背景については「現代美術のかなり深刻な陥没状況という思い」「現代美術をうけいれる層の薄さ」「版画ブーム」とカタログにある。
現代美術の陥没と版画ブームとは相反するようだが、版画は国内外での日本人作家の活躍、メディアの注目などによって手の届きやすいコレクションとして注目され、70年代にはサラリーマン・コレクターが増えた。また現代美術の観念的な手法が流れこみ、あらためて版画の定義が問われる。こうした状況を示して普及の可能性を探ったのが「現代と声」だ。
カタログには池田満寿夫の名が二度、登場する。
ひとつは座談会「版画の現在」。出席者は針生一郎、粟津潔、野田哲也、北川フラム、菅井汲、磯崎新(*2)。席上で大量印刷と版画との曖昧な線引きが論点になったとき、評論家の針生一郎が池田満寿夫を例に挙げている。さらに彼と同じく“(歴史に)残りたい”という横尾忠則も、そんなポーズをとりながら大衆に訴えると述べた。実のところ池田満寿夫はポスターのような大量印刷と一線を引く版画家、横尾忠則は当時グラフィック・デザイナーでポスター・デザインを手がけて当然なのだが、共通するイメージを強調したのだろう。ちなみにこの線引き問題を含む“版画の定義”は、作家それぞれの解釈でいいのでは?との見解になった。
もうひとつは彫刻家、飯田善國の対談での発言である。
「ともかく靉嘔があれだけ大衆化していったのには研究に値すると思いますね。それは池田満寿夫の版画が最初から大衆性があるというのと根本的に違います」
ここでも別格な存在の版画家として語られている。
ところが、1977年は池田満寿夫が版画から最も遠ざかった年である。芥川賞受賞で忙殺され、2点しか制作していない。そもそも60年代末からメゾチントを含む銅版画の混合技法を始め、それも最先端のファッション・リバイバルをとりこんだ優美な作品で、現代版画の動向に逆らっていた。前年にはリトグラフで作風を一新して版画界を驚かせた。こうした転換は芸術的発想と制作環境、私的・偶発的事情から生じるもので、大衆志向に合わせるどころか全くといっていいほど意識していない。それでも大衆性を持ちえたところに特色がある。もっといえば大衆性と専門性のはざまにあると思っている。とくに当時は美術論や後進の版画家のための技法解説を連載していて、ごく一般の観客よりもむしろ学生やマスコミの支持を受けた作家だろう。それでいながら美術館などアカデミックな場の理解が及ばないほど、美術的思考からはずれている。
ところで、池田満寿夫は現代美術についてこう書いている。
「いくつもの美術館が“観念芸術”に場所を与えた時から、すでに衰退が現れていたとみるべきだろう。アンダーグラウンドであるべきものがグラウンドへ出てしまっては話にならない。自らアンダーグラウンドの神話を破壊させるだけである」(*3)
拠点を置くニューヨークで書かれた1971年のアメリカ美術状況である。多少のタイムラグがあったにせよ、アメリカと日本の推移を鋭く、冷静に見つめていた。さらに作家個人の資質を重んじる70年代の方が、自身にとって都合がいいとも語っている。
「現代と声」も同じで、出品作品に次の時代への自由な眼差しを感じた。同時に、作家が同じ倫理観で版画の優位性や概念、社会との関わりを語るテキストに安心感を覚えた。
(*1)全国の画廊やサロンの巡回日程は「版画の景色―現代版画センターの軌跡」(埼玉県立近代美術館、2018年)カタログのアトラスに掲載された、ときの忘れもの作成の年表に詳しい。
(*2)氏名は掲載順。副題に「版画の歴史と今日的意味―メディアとしての版画―版画の発想―版画と共同性―版画の在り方―版画の定義―版画とグラフィズム―建築空間と絵画―まとめ」とあり、前掲カタログと照合すると1977年7月23日に開催された「「現代と声」にむけて“今日の版画”を語る」座談会か。参加者については1977年の「第14回サンパウロ・ビエンナーレ」日本作家4名に建築家の磯崎新とグラフィック・デザイナーの粟津潔が選ばれ、粟津は版画を出品した。日本コミッショナーは評論家の針生一郎。菅井汲については現代版画センターで前年に会員から作品制作の資金を募って「菅井汲全国展」を開催している。北川フラムは「現代と声」実行委員長。また、同年10月21日のパネルディスカッション「“今日の版画”をめぐって」には、針生一郎、一原有徳、オノサト・トシノブ、関根伸夫、野田哲也、元永定正、飯田善國、北川フラム、尾崎正教が出席している。
(*3)池田満寿夫『思考する魚』(番町画廊、1974年)
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの新連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。
次回は7月19日の予定です。
●『版画の景色 現代版画センターの軌跡』展カタログのご案内

『版画の景色 現代版画センターの軌跡』
ケース表紙:26.0×18.5cm
発行:埼玉県立近代美術館 Ⓒ2018
編集:梅津元、五味良子、鴫原悠(埼玉県立近代美術館)
資料提供:ときの忘れもの
デザイン:刈谷悠三+角田奈央+平川響子/neucitora
ケースを開くとサイズや仕様の異なるA~Bの3冊が収められています。Dのケースにも当時の写真や資料が収録されているので4分冊ともいえます。詳しい内容はコチラをお読みください。
価格:2,500円+税 ときの忘れもので扱っています。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
佐藤研吾 Kengo SATO
《遠くの距離を見る》
2018年 印画紙
23.5×23.5cm Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2016年06月20日|南画廊のカタログ
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◆没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)開催中
会期=2020年5月8日[金]―5月30日[土]
皆様がご自宅で楽しんでいただけるよう初めて動画を制作し、第一部と第二部をYouTubeで公開しています。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もぜひお読みください。
※アポイント制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。前日までにメールでご予約ください。日・月・祝日休廊。

没後60年を記念して第29回瑛九展を開催し、1958~59年の点描を中心に、油彩、フォトデッサン、版画など15点を展示しています。
今まで研究者やコレクターの皆さんが執筆して下さったエッセイや、亭主が発信した瑛九情報は2020年5月18日のブログ「81日間<瑛九情報!>総目次(増補再録)」にまとめて紹介しています。
ときの忘れものは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、スッタフは在宅勤務しています。メールでのお問合せ、ご注文には通常通り対応しています。
◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
皆さんのプロフィールは奇数日の執筆者は4月21日に、偶数日の執筆者は4月24日にご紹介しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『’77現代と声 版画の現在』(現代版画センター刊、1978年)
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カタログには池田満寿夫の名が二度、登場する。
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もうひとつは彫刻家、飯田善國の対談での発言である。
「ともかく靉嘔があれだけ大衆化していったのには研究に値すると思いますね。それは池田満寿夫の版画が最初から大衆性があるというのと根本的に違います」
ここでも別格な存在の版画家として語られている。
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ところで、池田満寿夫は現代美術についてこう書いている。
「いくつもの美術館が“観念芸術”に場所を与えた時から、すでに衰退が現れていたとみるべきだろう。アンダーグラウンドであるべきものがグラウンドへ出てしまっては話にならない。自らアンダーグラウンドの神話を破壊させるだけである」(*3)
拠点を置くニューヨークで書かれた1971年のアメリカ美術状況である。多少のタイムラグがあったにせよ、アメリカと日本の推移を鋭く、冷静に見つめていた。さらに作家個人の資質を重んじる70年代の方が、自身にとって都合がいいとも語っている。
「現代と声」も同じで、出品作品に次の時代への自由な眼差しを感じた。同時に、作家が同じ倫理観で版画の優位性や概念、社会との関わりを語るテキストに安心感を覚えた。
(*1)全国の画廊やサロンの巡回日程は「版画の景色―現代版画センターの軌跡」(埼玉県立近代美術館、2018年)カタログのアトラスに掲載された、ときの忘れもの作成の年表に詳しい。
(*2)氏名は掲載順。副題に「版画の歴史と今日的意味―メディアとしての版画―版画の発想―版画と共同性―版画の在り方―版画の定義―版画とグラフィズム―建築空間と絵画―まとめ」とあり、前掲カタログと照合すると1977年7月23日に開催された「「現代と声」にむけて“今日の版画”を語る」座談会か。参加者については1977年の「第14回サンパウロ・ビエンナーレ」日本作家4名に建築家の磯崎新とグラフィック・デザイナーの粟津潔が選ばれ、粟津は版画を出品した。日本コミッショナーは評論家の針生一郎。菅井汲については現代版画センターで前年に会員から作品制作の資金を募って「菅井汲全国展」を開催している。北川フラムは「現代と声」実行委員長。また、同年10月21日のパネルディスカッション「“今日の版画”をめぐって」には、針生一郎、一原有徳、オノサト・トシノブ、関根伸夫、野田哲也、元永定正、飯田善國、北川フラム、尾崎正教が出席している。
(*3)池田満寿夫『思考する魚』(番町画廊、1974年)
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの新連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。次回は7月19日の予定です。
●『版画の景色 現代版画センターの軌跡』展カタログのご案内

『版画の景色 現代版画センターの軌跡』
ケース表紙:26.0×18.5cm
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資料提供:ときの忘れもの
デザイン:刈谷悠三+角田奈央+平川響子/neucitora
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価格:2,500円+税 ときの忘れもので扱っています。
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会期=2020年5月8日[金]―5月30日[土]
皆様がご自宅で楽しんでいただけるよう初めて動画を制作し、第一部と第二部をYouTubeで公開しています。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もぜひお読みください。
※アポイント制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。前日までにメールでご予約ください。日・月・祝日休廊。

没後60年を記念して第29回瑛九展を開催し、1958~59年の点描を中心に、油彩、フォトデッサン、版画など15点を展示しています。
今まで研究者やコレクターの皆さんが執筆して下さったエッセイや、亭主が発信した瑛九情報は2020年5月18日のブログ「81日間<瑛九情報!>総目次(増補再録)」にまとめて紹介しています。
ときの忘れものは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、スッタフは在宅勤務しています。メールでのお問合せ、ご注文には通常通り対応しています。
◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
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