尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」第9回

『会津旅行記② We ♡ 近代建築』

前回のあらすじ。
 念願叶って飯盛山を取材することができた尾崎森平。次なる取材地を飯盛山から約4キロ先の会津街道「七日町通り」に定めるも、刻々と沈みゆく太陽は飯盛山にしぶしぶ付き合わされてブーブー文句を垂れる軟弱な同志達の気持ちを温泉宿へと向かわせる。果たして尾崎森平は「七日町通り」に辿り着けるのか⁈

 結論からいうと、すぐ辿り着けました。

 僕の熱意が通じたのか、なんだかんだいって飯盛山を同志達も気に入ってくれたようだった。まぁ、どちらかというと、ポンペイの古代遺跡よりも円通三匝堂(さざえ堂)と、チケット売り場の美しい受付嬢に見惚れて舞い上がっていたようだが。まったくどうしよもない奴らだ。かく言う僕もだが(テヘ)

「ほらね、僕が自信をもって案内する会津若松の観光地は面白かったでしょ。さざえ堂、実に奇妙奇天烈で見事な建築だったでしょ。さぁ次に目指す観光地は、なんと近代建築が立ち並ぶ珍しい通りなんだ!」というTEDにでたらスタンディング・オベーションもののプレゼンを展開し、同志の士気を高め、ひと仕事終えたぞさぁ風呂だという温泉宿への意欲を七日町通りに向けることに成功した。

 七日町通りは会津若松市の街の中心である大町四ッ角(札の辻)から西にJR七日町駅までの約800mの通りである。藩政時代には札の辻を起点とする会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、城下の西の玄関口として栄えた。明治時代以降も重要な通りとして繁栄を極め、昭和30年頃まで会津一の繁華街として賑わいを見せた。一度は衰退したものの、現在は大正浪漫を感じられる通りとして甦り、人気の観光通りとなっている。ドーナツ化による市街地の衰退が近代化を遅らせたことが幸いし、歴史的な建造物がそのままに残ったのだ。

 さぁ、では是非ご覧頂きたい!見事な近代建築を。
202005_004尾崎森平郡山商業銀行 若松支店(現・会津西洋館)
竣工年:1921(大正10年)

202005_001尾崎森平旧第四銀行会津支店(現・滝谷建設)
竣工年:1927年(昭和2年)
七日町通りの僕の一押し建築です。設計は明治生命館や大阪市中央公会堂の岡田信一郎。
イオニア式の6本の太い列柱に合理的な機能の意味はなく、あくまで新古典主義らしさの為だけにある。贅沢だなぁ、シンメトリーで美しい。

202005_002尾崎森平202005_003尾崎森平白木屋漆器店/資料館
設計:山岸清助
竣工年:1914年(大正3年)
約300余年前の慶安年間に創業、享保年間から現在の場所で累代漆器の製造販売業を継続している。ルネサンス様式を取り入れ、構造は木造で土蔵造の工法で建てられている。七日町通りを代表する建築。

202005_005尾崎森平旧洋品店~レオ氏郷南蛮館 (現在は閉館)
竣工年:大正中期
色ガラスがとても美しいです。

202005_006尾崎森平第二塚原呉服店
設計:池田豊作
竣工年:1927年(昭和2年)
右横書きの旧字と左横書きの英字のレリーフが、戦前のモダンな香りを放っている。

202005_007尾崎森平旧鈴木洋装店(現・尚伸株式会社)
竣工年:1928年(昭和3年)

202005_008尾崎森平塚原商店
竣工年:1926年(昭和元年)

202005_009尾崎森平池田種苗店
竣工年 : 不明
2つのアーチにカブ?苗?のレリーフ。かわいいですねぇ♡

 また、会津若松は近代建築だけではなく、酒蔵や立派な木造建築も現存しており、日本建築の移り変わりが交差する大変見所満載なのです!!

202005_010尾崎森平92464渋川問屋
竣工年 : 明治
渋川問屋は会津随一の豪商として発展し、日本海側の海産物は渋川問屋から会津藩内へと運ばれた。主屋は木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、桁行8間。袖蔵は木造2階建、切妻、妻入、塗屋造、黒漆喰仕上げ、2階の手摺や窓の桟の意匠、1階開口部上部のファンライト(半円形欄間)など洋風建築の要素が取り入れられている。

 今回ご紹介したのは、七日町通りとその界隈のほんの一部の建物です。もうあちこちに格好がよろしい建物が建っていて、建築好きは一日中目を輝かせていられます。
 さぁこの勢いで東へと歩み進め、会津若松の代表的な近代建築「会津若松市役所 本庁舎」へいざ行かん!!というとき、無情にも太陽と空腹の同志たちのテンションは沈んでいったのであった、、。

 今度また会津若松リベンジを果たそう。その時は会津若松市役所 本庁舎 を写真に収め、更には郡山市まで足を伸ばして郡山市群山公会堂や福島県郡山合同庁舎も写真に収めよう。そう自らに誓い、我々は二本松市の宿まで車を走らせるのであった(完)

202005_011尾崎森平あぁ、本物を生で見たいぜーー!!
「会津若松市役所 本庁舎」
参照 : 会津若松市WEBサイト

202005_012尾崎森平ほぼ全員二日酔い。

【あとがき】
 前回のブログにコメントをくださった方がいらっしゃいまして、飯盛山のポンペイの古代遺跡の柱の台座に刻まれた文字は、普通にイタリア語のようです。Uが見当たらなくVばかりでてくるからラテン語かな?と思いましたが違うようです。ちゃんと勉強せにゃあかんです
 コメント、ありがとうございました
おざき しんぺい

尾崎森平 Shinpey OZAKI
1987年仙台市生まれ 。岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒業。現代の東北の景色から立ち現れる神話や歴史的事象との共振を描く。2016年「VOCA 2016 現代美術の展望ー新しい平面の作家たち 」大原美術館賞 。平成27年度 岩手県美術選奨。2019年4月ときの忘れもの「Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展」に出品。
ホームページ https://shinpeywarhol.wixsite.com/ozaki-shinpey

●尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」は毎月25日の更新です。

●本日のお勧め作品は植田実です。
ueda_96_dojun_daikanyama_05植田実 Makoto UYEDA
《同潤会アパートメント 代官山》(5)
(2014年プリント)
ラムダプリント  24.4×16.3cm
Ed.7  サインあり
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2014年10月19日|沖縄県立博物館・美術館についての激烈なTwitter
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*画廊亭主敬白
臨時休廊(予約制)59日目

ブログのアクセスが増えて嬉しいのですが、反面皆さんの逼塞状態を思うと複雑な思いです。
アクセス解析でどの記事が読まれたかわかるのですが、アトランダムに選んで「昨日読まれたブログ」で紹介しています。上掲<沖縄県立博物館・美術館についての激烈なTwitter>は読み返してちょっと笑ってしまいましたが、実情はかなり深刻です。
先日ご紹介した岡崎乾二郎さんの『抽象の力』に収録されている画期的な論考・内間安瑆論は実は2014年の沖縄の「色彩のシンフォニー 内間安瑆の世界」展図録に掲載されたものです。しかし、どなたも読んでいない。
私たちが空路駆け付けた展覧会に図録はなく、刊行されたのはなんと半年後でした。
亭主、電話をかける:内間先生の図録が出たようなので50冊ほど注文したいのですが。
沖縄の美術館:販売用は100冊しかないので、お一人2冊しか買えません
絶句した亭主は社員に現金渡して2冊づつ注文、20冊を確保しました。
これじゃあ、遺族から作品を寄贈させるアリバイ作りと思われても仕方ないでしょう。
図録に謝辞を掲げられている画廊沖縄の上原誠勇さん(沖縄初の内間展を開催された貢献者)にはオープニング(開会式)の招待状すら送られなかった。土屋誠一先生(お会いしたことはありません)のお怒りはもっともです。

没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)では初めて動画を制作し、第一部第二部をYouTubeで公開しています。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もあわせてお読みください。
今まで研究者やコレクターの皆さんが執筆して下さったエッセイや、亭主が発信した瑛九情報は2020年5月18日のブログ81日間<瑛九情報!>総目次(増補再録)にまとめて紹介しています。

◆ブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。皆さんのプロフィールは奇数日の執筆者は4月21日に、偶数日の執筆者は4月24日にご紹介しています。

◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。