佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第44回
シャンティニケタンを想う
かれこれ半年にもなるのか、3月に福島に拠点を移してからそのままほとんど移動をしていない。こんなにも移動せず、山と田んぼの狭間で文字通りジーっと潜沈した生活を今までしたことがなかった。これまで何かと用事を見つけ、やるべきことを思いついて、移動を繰り返していた。そして建築をはじめとする諸々の自分の活動について、そうした移動の体験、経験を紐付ける形で自分なりにいくらかの論理と活動の根拠を組み立てもしていた。頭だけで言葉を捏ねる宙ぶらりんの論ではなく、感覚的とも言えるが抽象ではない確かな具体として、自分が今どこにいるのか、どこからどこへと移動したのか、を考えることが必要だった。
あるいは、移動することは、自分のセルフメンテナンスとしても重要だったようにも思える。動き続けることで、自分の考えも感覚も絶えず更新することができた、のかもしれない。突然昔のどこかの景色を思い起こさせる匂い、一人で歩いていると必ず気になってしまうあの町の音、ザワザワとした目まぐるしい風景の変化。そして、ある町を訪れるたびに何かどことなく変化したように見えてくる、不連続の時間。町から町へと移動すると、微細で小さな驚きをもって自分に語りかけてくるこんな感受の出来事が、自分自身の表面に固まった古い角質めいたものを剥がし落としてくれていたように思うのだ。
一方で、今も東京の人たちは半ば以前と変わらずに電車に乗ったり集まったりをしているようで、時折こちらへやって来ることもある。この小さな集落に住み始めた自分はどうもそんな移動をする気になれない。東京の人を羨ましくも思ったりする。しかし、一体この状況はあとどれくらい続くのだろうか。昨今の社会状況、国際情勢がどのようになるかはとりあえず置いておいても、どうやら自分自身の気持ちというか、リスクというものを常に意識してしまう心理状態はなかなか元通りにはならない気もしている。ましてやこれが海外への渡航ともなると、それに向けて自分のメンタルを修復させるのはさらに容易なことではない。
そんな状況であるから、より一層、いつにも増してインドのシャンティニケタンを想う。これまではおよそ1年に1度か2度の滞在日程を、おおよそ毎年春に設定してやってきた。果たして来春にはあり得るのだろうか。
そんなだからこそ考える、自分はなぜシャンティニケタンに行こうとするのか、を。ラビンドラナート・タゴールの思想、人物に惹かれているのだろうか。確かに彼の思想や場作りの実践には大きく学ぶ部分がとても多い。それを現地の空気を吸って得ようとしているのかもしれない。インドで学校を作ろう、と数年前自分が思い至ったのもシャンティニケタンを訪れたことが一つのきっかけとなっている。
ちなみにシャンティニケタンは彼の存在によって日本人の間ではかなりの人気な場所である。もちろん横山大観や菱方春草といった岡倉天心門下の来訪をきっかけとして、その後も研究者に取っては欠かせない場所となり、著名なところでは山口昌男や、秋野不矩も滞在している。(秋野不矩はヴィスヴァ・バロティ大学に留学もしている)現在でも、現地で日本人に会うことも多いし、シャンティニケタンに馴染みのある日本人の集まりもある。現地のベンガルの人々もタゴールのことは大好きだ。人々はみなタゴールのことは素晴らしいと言い、彼が残した数々の詩を詠い、詩という創作にとても共感している。(最近、佐々木美佳監督による映画「タゴール・ソングス」が全国で公開されている。表題の”song”が複数形になっているのが、ベンガルの人々がタゴールの詩を広く共有していることを表している。)そしてまだベンガルでタゴールを批判する人間に出会ったことがない。私はそうしたタゴール礼賛一辺倒に少しばかりの不安と物足りなさを感じもするが、ともかくシャンティニケタンは清々しい空気感に満ち満ちているのである。
しかしながら、タゴールがシャンティニケタンで学校を始めた頃は「金持ちの道楽だ」などと評され、決して礼賛ばかりではなかったようである。(※1)(建築史家ジョン・ラングもシャンティニケタンに建てられた数々の建築デザインについてをそのように評した。)実際彼は当時特権的階級の名家に生まれ、領主として地方に赴任したことから自然に囲まれた都市の外での生活に目を向けるようになる。都市カルカッタ、シライドホ(現・バングラデシュ)、そしてシャンティニケタンを行き来しながらの生活の中で綴られた数々の手紙には、そうした自然、大地の中で思索する彼の生な息遣いが感じられる。
・・
おまえのハーブ・ガーデンは、今、多いに茂っているが、あまり窮屈に植わっているので、上に伸びる余裕がない。ほかのものといっしょに、おまえのハーブをいくらか送ってあげよう。ずいぶん、かぼちゃの収穫があった。ニトゥが送ってよこしたバラの木は満開の花をつけているが、その多くは匂いのない種類のものだ。彼は、全く一杯食わされたんだね。オランダ水仙や、くちなしや、マラティや、トケイソウや、メエディの花が今が盛りとばかりに咲きほこっている。夜の貴婦人も花を咲かせているが、これは匂いのある花ではない。思うに、花々は雨季の間にその香りを失ってしまうのではなかろうか。
貯水池は、その縁までなみなみと水がある。その前のトウキビはよく茂っている。辺りの畑は、その境界線までびっしりトウモロコシが植わっていて、一面緑だ。「いつ、お母さんはいらっしゃるの」と、皆がたずねているよ。
1901年6月 シライドホにて
(「妻への手紙」『タゴール著作集 第 11 巻 日記・書簡集』 第三文明社、212頁。)
(シライダホのタゴール家の邸宅:Rabindra Bhavana Archiveより)
遠く離れた人を想いながら、手紙を出し、目の前にある自然を言葉で綴る。彼の想像力は風景とともに各地を移動していた。
次稿は、さらに、タゴールの手紙のいくつかから言葉を集めてみたいと思う。
(※1)また、タゴールが来日した時も、彼の詩は日本の詩人・作家ら(具体的には岩野泡鳴や井上哲次郎など)には牧歌的だと評され、物質文明の発展に邁進する当時の日本の状況にはそぐわず、全面的な受容とは行かなかったようであった。
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
現在、福島県大玉村教育委員会地域おこし協力隊。
◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
ジョナス・メカス
WALDEN #11"I can sit so for hours she said listening to the distant sound of the City"
2005年
ラムダプリント
30.0x20.0cm
Ed.10 signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「ジョナス・メカス展」(予約制/WEB展)の会期も残り5日となりました。観覧ご希望の方はお早めにご予約ください。
会期=2020年8月28日[金]―9月12日[土]*日・月・祝日休廊

昨2019年1月23日に96歳で亡くなったジョナス・メカスさんが1980年代から精力的に取り組んだ<フローズン・フィルム・フレームズ=静止した映画>シリーズに焦点をあて写真、版画など25点を展観します。出品作品の詳細は8月27日ブログに掲載しました。
※予約制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。
※観覧をご希望の方は前日までにメール、電話にてご予約ください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
シャンティニケタンを想う
かれこれ半年にもなるのか、3月に福島に拠点を移してからそのままほとんど移動をしていない。こんなにも移動せず、山と田んぼの狭間で文字通りジーっと潜沈した生活を今までしたことがなかった。これまで何かと用事を見つけ、やるべきことを思いついて、移動を繰り返していた。そして建築をはじめとする諸々の自分の活動について、そうした移動の体験、経験を紐付ける形で自分なりにいくらかの論理と活動の根拠を組み立てもしていた。頭だけで言葉を捏ねる宙ぶらりんの論ではなく、感覚的とも言えるが抽象ではない確かな具体として、自分が今どこにいるのか、どこからどこへと移動したのか、を考えることが必要だった。
あるいは、移動することは、自分のセルフメンテナンスとしても重要だったようにも思える。動き続けることで、自分の考えも感覚も絶えず更新することができた、のかもしれない。突然昔のどこかの景色を思い起こさせる匂い、一人で歩いていると必ず気になってしまうあの町の音、ザワザワとした目まぐるしい風景の変化。そして、ある町を訪れるたびに何かどことなく変化したように見えてくる、不連続の時間。町から町へと移動すると、微細で小さな驚きをもって自分に語りかけてくるこんな感受の出来事が、自分自身の表面に固まった古い角質めいたものを剥がし落としてくれていたように思うのだ。
一方で、今も東京の人たちは半ば以前と変わらずに電車に乗ったり集まったりをしているようで、時折こちらへやって来ることもある。この小さな集落に住み始めた自分はどうもそんな移動をする気になれない。東京の人を羨ましくも思ったりする。しかし、一体この状況はあとどれくらい続くのだろうか。昨今の社会状況、国際情勢がどのようになるかはとりあえず置いておいても、どうやら自分自身の気持ちというか、リスクというものを常に意識してしまう心理状態はなかなか元通りにはならない気もしている。ましてやこれが海外への渡航ともなると、それに向けて自分のメンタルを修復させるのはさらに容易なことではない。
そんな状況であるから、より一層、いつにも増してインドのシャンティニケタンを想う。これまではおよそ1年に1度か2度の滞在日程を、おおよそ毎年春に設定してやってきた。果たして来春にはあり得るのだろうか。
そんなだからこそ考える、自分はなぜシャンティニケタンに行こうとするのか、を。ラビンドラナート・タゴールの思想、人物に惹かれているのだろうか。確かに彼の思想や場作りの実践には大きく学ぶ部分がとても多い。それを現地の空気を吸って得ようとしているのかもしれない。インドで学校を作ろう、と数年前自分が思い至ったのもシャンティニケタンを訪れたことが一つのきっかけとなっている。
ちなみにシャンティニケタンは彼の存在によって日本人の間ではかなりの人気な場所である。もちろん横山大観や菱方春草といった岡倉天心門下の来訪をきっかけとして、その後も研究者に取っては欠かせない場所となり、著名なところでは山口昌男や、秋野不矩も滞在している。(秋野不矩はヴィスヴァ・バロティ大学に留学もしている)現在でも、現地で日本人に会うことも多いし、シャンティニケタンに馴染みのある日本人の集まりもある。現地のベンガルの人々もタゴールのことは大好きだ。人々はみなタゴールのことは素晴らしいと言い、彼が残した数々の詩を詠い、詩という創作にとても共感している。(最近、佐々木美佳監督による映画「タゴール・ソングス」が全国で公開されている。表題の”song”が複数形になっているのが、ベンガルの人々がタゴールの詩を広く共有していることを表している。)そしてまだベンガルでタゴールを批判する人間に出会ったことがない。私はそうしたタゴール礼賛一辺倒に少しばかりの不安と物足りなさを感じもするが、ともかくシャンティニケタンは清々しい空気感に満ち満ちているのである。
しかしながら、タゴールがシャンティニケタンで学校を始めた頃は「金持ちの道楽だ」などと評され、決して礼賛ばかりではなかったようである。(※1)(建築史家ジョン・ラングもシャンティニケタンに建てられた数々の建築デザインについてをそのように評した。)実際彼は当時特権的階級の名家に生まれ、領主として地方に赴任したことから自然に囲まれた都市の外での生活に目を向けるようになる。都市カルカッタ、シライドホ(現・バングラデシュ)、そしてシャンティニケタンを行き来しながらの生活の中で綴られた数々の手紙には、そうした自然、大地の中で思索する彼の生な息遣いが感じられる。
・・
おまえのハーブ・ガーデンは、今、多いに茂っているが、あまり窮屈に植わっているので、上に伸びる余裕がない。ほかのものといっしょに、おまえのハーブをいくらか送ってあげよう。ずいぶん、かぼちゃの収穫があった。ニトゥが送ってよこしたバラの木は満開の花をつけているが、その多くは匂いのない種類のものだ。彼は、全く一杯食わされたんだね。オランダ水仙や、くちなしや、マラティや、トケイソウや、メエディの花が今が盛りとばかりに咲きほこっている。夜の貴婦人も花を咲かせているが、これは匂いのある花ではない。思うに、花々は雨季の間にその香りを失ってしまうのではなかろうか。
貯水池は、その縁までなみなみと水がある。その前のトウキビはよく茂っている。辺りの畑は、その境界線までびっしりトウモロコシが植わっていて、一面緑だ。「いつ、お母さんはいらっしゃるの」と、皆がたずねているよ。
1901年6月 シライドホにて
(「妻への手紙」『タゴール著作集 第 11 巻 日記・書簡集』 第三文明社、212頁。)
(シライダホのタゴール家の邸宅:Rabindra Bhavana Archiveより)
遠く離れた人を想いながら、手紙を出し、目の前にある自然を言葉で綴る。彼の想像力は風景とともに各地を移動していた。
次稿は、さらに、タゴールの手紙のいくつかから言葉を集めてみたいと思う。
(※1)また、タゴールが来日した時も、彼の詩は日本の詩人・作家ら(具体的には岩野泡鳴や井上哲次郎など)には牧歌的だと評され、物質文明の発展に邁進する当時の日本の状況にはそぐわず、全面的な受容とは行かなかったようであった。
(さとう けんご)■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
現在、福島県大玉村教育委員会地域おこし協力隊。
◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
ジョナス・メカスWALDEN #11"I can sit so for hours she said listening to the distant sound of the City"
2005年
ラムダプリント
30.0x20.0cm
Ed.10 signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「ジョナス・メカス展」(予約制/WEB展)の会期も残り5日となりました。観覧ご希望の方はお早めにご予約ください。
会期=2020年8月28日[金]―9月12日[土]*日・月・祝日休廊

昨2019年1月23日に96歳で亡くなったジョナス・メカスさんが1980年代から精力的に取り組んだ<フローズン・フィルム・フレームズ=静止した映画>シリーズに焦点をあて写真、版画など25点を展観します。出品作品の詳細は8月27日ブログに掲載しました。
※予約制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。
※観覧をご希望の方は前日までにメール、電話にてご予約ください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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