佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第45回
タゴールの手紙から風景をみる
ラビンドラナート・タゴールはとてつもない量のテクストを残していた。生涯書き続けていた、と言うべきかもしれない。詩、歌、小説、戯曲、エッセーなど、表現の形式もさまざまである。ビスヴァ・バラティ大学出版によって、タゴール全集の編集と刊行が彼の生存中から続けられているが、英文著作や講演記録なども含めて未だ収録されていないテキストもかなりある。
その他にもタゴールは家族や友人に送った手紙を書いている。その数もまた膨大で、同出版から『Chithipatra』(書簡集)として現在18巻が出されており、こちらもいまだ編集・発刊作業が続けられている。
前回の投稿でも触れたように、彼はベンガル地方ではシャンティニケタン(ボルプール)、シライドホ、首都カルカッタを絶えず往還し、また海外諸国への旅行も数多い遊動する生活の中で手紙を書いた。遠くの地にいる人へ送られた手紙の数々からは、彼の目の前に広がる風景を精緻に描き、手紙の向こうの相手と相手がいる遠くの地を夢想した。
ここでは、シャンティニケタンが描かれた手紙のいくつかを紹介したい。
たったいま、お手紙を拝受しました。「たったいま」の意味を説明させてください。昼食が終わり、私は自分のおきまりの場所でクッションに凭れていました。空は重苦しい雲に灰いろに蔽われ、ときおり、嵐の気配を孕んだ突風が西から吹きつけています。インドラ神の象アイラヴァタの子どもたちさながらの太った黒雲が空を彷徨しています。その雲のとどろきがときどき聞こえてきます。雨の日には、私の正面のみどりの野のひろがりが暗く翳を帯び、私の目は深い平穏の中に没してしまいます。
あなたにお便りしているいま、雨が降ってきました。ほんのわずかな夕立となってこのヴェランダを打つ音が始終聞こえています。ブーヴァンダンガの方向に堤防近く、遥か彼方にみえている木々の深いみどりの線が、雨のなかですっかりかすんでいます。まるで、森の女神が顔に面紗を垂らしてしまったかのようです。
・・・
わずかな夕立のあと、雨は止みました。微風も止みました。けれども、東のほうには紺青色の険しい雲がまだ立っていて、嵐が近いと思われます。アシュラムには新たに何本もの樹木を植えました。だから雨が強くなれば、そのほうがいいのです。でも、この数日はずっと秋みたいで、太陽と雨とがかくれんぼをしています。
あなたが歌と音楽の勉強をはじめられたことを知って、うれしく思っています。もうこれで時間も便箋もありませんし、私の授業がはじまります!
季節がうつろうシャンティニケタンの自然の風景と、それに囲まれて生活するタゴールが肩肘張らずに自由に筆を走らせているその姿が浮かび上がってくる。この手紙は1910年代後半頃ラヌーという一人の少女に宛てられたものである。ラヌーへの手紙は書簡集『バヌシンハー・パトラヴァリー』にまとめられ1930年に刊行されている。「バヌシンハー」とはタゴールが詩を発表する際にしばしば用いられた名前で、ラビンドラナートの「ラビ」と同じく「バヌ」は太陽の意味である。
A scene of Santiniketan (Photo by Raymond Burnier。Rabindra Bhavana Archiveより)
ミルへ
お手紙をうれしく受け取りました。こちらに到着して以来、私は町から町へと講演でかけまわっています。それで、なかなか家のほうに手紙を出すことができずにいたのです。私の人生行路は、いまやホテルからホテルへ、町から町へと流れています。国に帰るまで、ある意味では、もはや自分の時間は存在しません。私の魂は、ここの嵐のような環境のなかで窒息してしまいそうで、もはや一瞬たりともここにいたくはないのです。
・・・
ロティ(筆者註:息子のラティンドラナート)に電報を打ち、スラル・ハウスにあなたを住まわせるように言いました。私はそこに、持ち物をきちんと整理し、家事をてきぱきと進めているあなたを見たいのです。貯水池でとれる魚や、田畑からの収穫や、果樹園からの果物や、私たちの飼っている乳牛からとれるミルクで、毎日必要なものは容易に補えるでしょう。三階の部屋を私のためにとっておいてください。家に帰ったら、あなたとそこに落ち着き、あなたの小さなむすこや娘と私の日々を過ごそうと考えています。私のような年ともなると、あなたの娘の愛を通して、再び叙情という深遠なる水に飛び込まなければならないということが、はっきりと感じられるのです。
タゴール は1913年にアジア人で初となるノーベル賞(文学賞)を受賞し、それからまもなくして世界各国を巡遊する旅に出た。その旅はシャンティニケタンの学園の運営資金を集めることも目的の一つであったともされている。上の手紙は同年1916年に来日した後に渡ったアメリカ・シカゴから故郷に宛てられたものである。手紙の宛先はタゴールの3女ミラ・デヴィ(1893-1966)。彼女を半ば説得するかのように、強烈にシャンティニケタンとその隣町スラルで送る生活の構想を書き綴っている。
タゴールは彼よりも12歳若いムリナリニ・デビと結婚し2男3女の子どもを授かった。しかしその妻を1902年に亡くしてしまう。さらに、次女のレスカは1903年に亡くなり、次男のショミンドロは1907年に亡くなっている。さらに長女のマドゥリロタも1918年にこの世を去った。彼の遺された家族らへの愛情、情熱を、綴られた手紙の筆致からどうしても感じてしまうのである。シャンティニケタンでの学園構想は、単にインド社会や世界に向けた革新的な教育システムの提示にとどまらない。タゴール自身の身近な人々のために—それはシャンティニケタン周辺の村で暮らす人々も入ってくる—、取り組んだ局所な実践であった。
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
現在、福島県大玉村教育委員会地域おこし協力隊。
◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
佐藤研吾 Kengo SATO
《遠くの距離を見る》
2018年 印画紙
23.5×23.5cm Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
タゴールの手紙から風景をみる
ラビンドラナート・タゴールはとてつもない量のテクストを残していた。生涯書き続けていた、と言うべきかもしれない。詩、歌、小説、戯曲、エッセーなど、表現の形式もさまざまである。ビスヴァ・バラティ大学出版によって、タゴール全集の編集と刊行が彼の生存中から続けられているが、英文著作や講演記録なども含めて未だ収録されていないテキストもかなりある。
その他にもタゴールは家族や友人に送った手紙を書いている。その数もまた膨大で、同出版から『Chithipatra』(書簡集)として現在18巻が出されており、こちらもいまだ編集・発刊作業が続けられている。
前回の投稿でも触れたように、彼はベンガル地方ではシャンティニケタン(ボルプール)、シライドホ、首都カルカッタを絶えず往還し、また海外諸国への旅行も数多い遊動する生活の中で手紙を書いた。遠くの地にいる人へ送られた手紙の数々からは、彼の目の前に広がる風景を精緻に描き、手紙の向こうの相手と相手がいる遠くの地を夢想した。
ここでは、シャンティニケタンが描かれた手紙のいくつかを紹介したい。
たったいま、お手紙を拝受しました。「たったいま」の意味を説明させてください。昼食が終わり、私は自分のおきまりの場所でクッションに凭れていました。空は重苦しい雲に灰いろに蔽われ、ときおり、嵐の気配を孕んだ突風が西から吹きつけています。インドラ神の象アイラヴァタの子どもたちさながらの太った黒雲が空を彷徨しています。その雲のとどろきがときどき聞こえてきます。雨の日には、私の正面のみどりの野のひろがりが暗く翳を帯び、私の目は深い平穏の中に没してしまいます。
あなたにお便りしているいま、雨が降ってきました。ほんのわずかな夕立となってこのヴェランダを打つ音が始終聞こえています。ブーヴァンダンガの方向に堤防近く、遥か彼方にみえている木々の深いみどりの線が、雨のなかですっかりかすんでいます。まるで、森の女神が顔に面紗を垂らしてしまったかのようです。
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わずかな夕立のあと、雨は止みました。微風も止みました。けれども、東のほうには紺青色の険しい雲がまだ立っていて、嵐が近いと思われます。アシュラムには新たに何本もの樹木を植えました。だから雨が強くなれば、そのほうがいいのです。でも、この数日はずっと秋みたいで、太陽と雨とがかくれんぼをしています。
あなたが歌と音楽の勉強をはじめられたことを知って、うれしく思っています。もうこれで時間も便箋もありませんし、私の授業がはじまります!
(「手紙10(シャンティニケタン) バヌシンホからの手紙」『タゴール著作集 第 11 巻 日記・書簡集』 263-4頁。)
季節がうつろうシャンティニケタンの自然の風景と、それに囲まれて生活するタゴールが肩肘張らずに自由に筆を走らせているその姿が浮かび上がってくる。この手紙は1910年代後半頃ラヌーという一人の少女に宛てられたものである。ラヌーへの手紙は書簡集『バヌシンハー・パトラヴァリー』にまとめられ1930年に刊行されている。「バヌシンハー」とはタゴールが詩を発表する際にしばしば用いられた名前で、ラビンドラナートの「ラビ」と同じく「バヌ」は太陽の意味である。
A scene of Santiniketan (Photo by Raymond Burnier。Rabindra Bhavana Archiveより)ミルへ
お手紙をうれしく受け取りました。こちらに到着して以来、私は町から町へと講演でかけまわっています。それで、なかなか家のほうに手紙を出すことができずにいたのです。私の人生行路は、いまやホテルからホテルへ、町から町へと流れています。国に帰るまで、ある意味では、もはや自分の時間は存在しません。私の魂は、ここの嵐のような環境のなかで窒息してしまいそうで、もはや一瞬たりともここにいたくはないのです。
・・・
ロティ(筆者註:息子のラティンドラナート)に電報を打ち、スラル・ハウスにあなたを住まわせるように言いました。私はそこに、持ち物をきちんと整理し、家事をてきぱきと進めているあなたを見たいのです。貯水池でとれる魚や、田畑からの収穫や、果樹園からの果物や、私たちの飼っている乳牛からとれるミルクで、毎日必要なものは容易に補えるでしょう。三階の部屋を私のためにとっておいてください。家に帰ったら、あなたとそこに落ち着き、あなたの小さなむすこや娘と私の日々を過ごそうと考えています。私のような年ともなると、あなたの娘の愛を通して、再び叙情という深遠なる水に飛び込まなければならないということが、はっきりと感じられるのです。
(「M11 [1916年10月22日シカゴにて]」(「娘たちへの手紙」『タゴール著作集 第 11 巻 日記・書簡集』 236-7頁。)
タゴール は1913年にアジア人で初となるノーベル賞(文学賞)を受賞し、それからまもなくして世界各国を巡遊する旅に出た。その旅はシャンティニケタンの学園の運営資金を集めることも目的の一つであったともされている。上の手紙は同年1916年に来日した後に渡ったアメリカ・シカゴから故郷に宛てられたものである。手紙の宛先はタゴールの3女ミラ・デヴィ(1893-1966)。彼女を半ば説得するかのように、強烈にシャンティニケタンとその隣町スラルで送る生活の構想を書き綴っている。
タゴールは彼よりも12歳若いムリナリニ・デビと結婚し2男3女の子どもを授かった。しかしその妻を1902年に亡くしてしまう。さらに、次女のレスカは1903年に亡くなり、次男のショミンドロは1907年に亡くなっている。さらに長女のマドゥリロタも1918年にこの世を去った。彼の遺された家族らへの愛情、情熱を、綴られた手紙の筆致からどうしても感じてしまうのである。シャンティニケタンでの学園構想は、単にインド社会や世界に向けた革新的な教育システムの提示にとどまらない。タゴール自身の身近な人々のために—それはシャンティニケタン周辺の村で暮らす人々も入ってくる—、取り組んだ局所な実践であった。
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
現在、福島県大玉村教育委員会地域おこし協力隊。
◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
佐藤研吾 Kengo SATO《遠くの距離を見る》
2018年 印画紙
23.5×23.5cm Signed
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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