松本竣介研究ノート 第19回

「モダニティ」と「ヒューマニティ」


小松﨑拓男


 1985年、綜合工房から『松本竣介手帖』(図1)という松本竣介手作りのスケッチ帖の複製画集が刊行されている。表紙にアルファベットのスタンプで『TATEMONO』『KOZU』(図2)などタイトルが押されたもので、街の中を彼がポケットに忍ばせ歩き回り、さまざまな場所で描き留めていた愛らしいスケッチ帖全6冊である。スケッチだけではなく、気に入った本からの抜き書きやメモも散見される。(図3)そこには彼らしい几帳面な文字が並ぶ。

202011小松崎拓男 図1
 『松本竣介手帖』

202011小松崎拓男02 図2
 『TATEMONO』『KOZU』(『松本竣介手帖』より)

202011小松崎拓男03 図3
 松本竣介による抜き書き(『ZATU』より)

 さて、今回の話題は、そのスケッチ帖自体の話題ではない。この画集には別冊がついており、そこにエッセイと評論として、それぞれ作家中野孝次が「人間愛の画家」(図4)、松本竣介の研究家朝日晃が「松本竣介における線の内質」と題した文章を寄せている。
 朝日晃は相変わらずの朝日節の評論である。

202011小松崎拓男04 図4
 中野孝次「人間愛の画家」表紙ページ(『別冊 エッセイ・評論』より)

 今回話題にしたいのは、この朝日晃の方ではなく、中野孝次の文章である。この一文は、晩年の『清貧の思想』などの著作で知られたドイツ文学者であり作家である中野が、松本竣介とその作品を丁寧に読み解く質の高いエッセイである。
 中野は「松本竣介の絵やデッサンを見ているとヒューマニズムの画家という言葉が頭に浮かぶ」と冒頭に述べると、松本を「人間愛の画家」と呼ぶ。松本の人間に対する思いを、単に作品からだけではなく、『雑記帳』などの数々の文章をあげ、その言葉からも人間に対する信頼と肯定を読み取る。
 さらに都会風景に人物をモンタージュさせた松本の絵画作品に「西洋」への憧憬を見る。戦前の日本の都会風景から、西洋的な建物だけを、ニコライ堂、石造りの眼鏡橋などと、巧みに選び出し描き、また人物たちもどこか西洋人を感じさせるのだと言う。
 そして「西洋風の建物群をもつ街(それ自体が日本に存在しない夢みられた風景である)を背景に、彼の愛する人物達(略)が、夢の中を浮遊するように浮かびあがっている彼の都会風景。(略)まさに『都会』としかいいようのない風景。あれをなんと呼ぶのか、(略)あの『序説』『街』(図5)『都会』を見ていると、一九三〇年頃の東京にまだあったある気分が懐かしく浮かび上がってくる。彼が画面にそのような構図と色彩で(略)またその形でしか表現しえなかった都会の雰囲気が、僕のなかにある感情を呼びさます。」(注)と、言い、そこに「知的な、洗練された、自由に解放された何か」を感得し、rural(田舎)なものの対比としてのurban(都会)的な世界への夢と愛が描かれていると読み解くのだ。

図1「街」 図5『街』
 1938年8月
 油彩・板
 131.0×163.0cm
 第25回二科展出品
 (公財)大川美術館
 
 この松本に対するこの二つの、つまり、人間愛としての「ヒューマニズム」と西洋=都会風景、urbanなるもの、という要素は松本竣介の人と作品世界の本質を表す言葉であるだろう。後者は、これは実は「モダーン」すなわち「近代」と読み替えてもいい。
 ヨーロッパにおける近代は、産業革命と市民革命とによって新興のブルジョワジーが、王権や教会権力から政治的な権力を奪い、封建社会を打倒し、新たな資本主義という経済構造の担い手として登場するところから始まる。資本家(ブルジョワジー)と労働者(プロレタリアート)という対立的な階級の誕生と、さらに生産力の進展に従い、中産階級(ホワイト・カラー)が出現し、彼ら三者の都市を中心とした生活の中から、つまり経済活動と、労働と余暇の中から新しい文化が生まれてくる。まさに都会とは近代であり、モダーンそのものなのだ。
 また、近代とは、神との決別と言い換えることができる。人が神の摂理やルールによって世界を知り、その教えを真理としていた時代から、科学的思考とその実証、実験によって、やがてデカルトや、スピノザやライプニッツらの手によって、客観的な宇宙や自然界の法則と存在が明らかになり、その世界構造の中心から神を追い払い、代わって人間がその座につく時代でもあった。すなわちそれが神に代わって人間が主人公となる「ヒューマニズム」の時代でもある。基本的人権、自由、平等といった人間の諸権利が主張され、自我の存在、理性の存在が高らかに謳われたとも言える。主人公たる人、その人間同士の信頼と互恵による、民主的な社会というものが近代の理想となったのであった。
 松本竣介は透徹した近代の人なのである。彼の描く世界が、バタ臭く西洋的であり、都会の風景であり、その中にある建物であるのは、それがモダーン=modern、すなわち「近代」であるからなのだ。たとえ彼が、田舎の風景や建物を好ましく思っても、決して作品として描くことはないのではないか。何故なら、そこには「近代」がないからだ。因習や古い共同体が支配する土地や人の暮す、近代からはかけ離れた、前近代的な田舎=ruralにはきっと興味を持つことはないに違いない。
 そして、この都会風景の中に暮らす人々こそが、近代社会の生んだ、神の存在と決別し、主権を主張し、自由を希求する「人間」ということになる。そして松本竣介自身もまたその近代人の一人なのだ。
 だから、作家中野孝次が、松本竣介の人と作品のうちに見ていたもの、すなわち、作品や言説の中に現れる「モダニティ」と「ヒューマニティー」こそが、松本竣介の本質と言えるのだ。

 中野孝次「人間愛の画家」『松本竣介手帖 別冊 エッセイ・評論』 綜合工房 1985年 p16(本冊子にはノンブルがないので筆者が仮振りをした)
こまつざき たくお

小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。

小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

●本日のお勧め作品は野口琢郎です。
noguchi-40_landscape45野口琢郎 Takuro NOGUCHI
"Landscape #45"
2018年
箔画/木パネル、漆、金・銀・プラチナ箔、石炭、樹脂、アクリル絵具
137.3×112.1cm Signed
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