王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第12回
「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」を訪れて

2020年11月14日から2021年2月14日まで東京都現代美術館で「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」が開催されています。石岡瑛子は、企業広告やパッケージのグラフィックデザイン、映画やパフォーマンスの衣装デザイン、音源のアートワーク、舞台美術など、2012年に73歳で亡くなる直前まで世にインパクトを与えた作品を遺したデザイナーで、本展覧会は彼女の多岐にわたる仕事を展観する回顧展でした。展覧会場内でインタビューの音声が流れているのですが、その中で彼女はグラフィック、衣装、建築などの各種デザインの垣根に言及し、「バウンダリー(境界)は無くした方がいい」、「もっとクロスオーバーして、横断することによって、何か新しい方向性が見えてゆく・・・・・・」と述べています。生涯通じてそのことをしなやかに体現した彼女が再評価される時機が今日訪れたことは、デザイナーの職能が今後ますます予測できない新しい分野と結びついてゆくことへの期待につながるのではと感じています。
本展覧会で紹介された完成作品や制作過程の副産物である資料を鑑賞し、石岡瑛子の圧倒的な熱量と引き続きの強さを感じた鑑賞者は少なくないのではないでしょうか。83年に撮られたポートレイトの撮影者がロバート・メイプルソープであることや、マイルス・デイヴィスの誘いを仕事のために断ったという逸話からも、彼女が当時ニューヨークを代表する超一流の芸術家たちの世界にいたこと、仕事は徹底して妥協を許さない、リュック・ベッソン映画監督が題材として取り上げそうな凛々しく情熱的な女性だったらしい、という印象を勝手ながら受けました。とは言っても、筆者は彼女の実績の全てを崇拝しているわけではありません。パルコの一連のポスターは、ウーマンリブ運動が盛んだった時代に女性の都市生活のイメージを牽引した重要なメディアであるのですが、長沢岳夫による「あゝ原点」、「わが心のスーパースター」や、杉本英介による「西洋は東洋を着こなせるか」などの刺激的なコピーライトと併せて、自然体で自立した女性像や美の”原点”をインド半島やアフリカ大陸の先住民をもって表したり、東洋と西洋を対比させるオリエンタリズムの眼差しには、違和感を感じることを断っておきます。

さて、石岡瑛子の手掛けたデザインは、視覚に頼るところが多い(と考えられる)のですが、「みる」といっても「見る」、「視る」、「観る」など数々のニュアンスがあります。今回は、展示作品の中から「眺める」、「手に取る」、「賞でる」、「鑑賞する」4作品を取り上げたいと思います。
1、眺めるメディア 日宣美グランプリ作品「シンポジウム:現代の発見」
展示室1階の高い天井を生かした間仕切り壁のない大空間では、60~70年代のグラフィックデザインの仕事が展示されています。日宣美は、グラフィックデザイナーの職能集団である「日本宣伝美術会」が1953年に始めた公募展で、70年に学生運動の批判の対象として解散に追い込まれるまで新人の登竜門でした。石岡瑛子は63年に「バッハ オルガン曲集」のレコードジャケット、64年にミラノトリエンナーレのポスターを応募し、65年に「シンポジウム:現代の発見」でグランプリを受賞します。
本作品は、9日間の架空のシンポジウムが主題のポスターで、初日「意味:このひとつの織物は」、2日目「重い世界へとびだす音」、3日目「イメージに計器の手を」、4日目「鼓動しつつある眼」、5日目「意欲し、降立つスペース」、6日目「原質はつねに息吹く」、7日目「陽にかけ昇る技術思想」、8日目「中にいない美学」、9日目「道具性との対話」から成ります。石岡は「極めて社会的な発現のテーマ」とコメントしているようで、これら9つのシンポジウム副題を幾何学形態の組み合わせで抽象的に表現しています。作品は幾何学立体のデッサンのような、モノクロで諧調豊かなオフセット印刷ですが、版下は用紙に出力した黒色の文字とベージュ色の図形を切り貼りしたものでした。
気になったのは、この架空のシンポジウムが40年9月13日~10月5日に京都国立国際会館で開催され、5日目には、丹下健三、菊竹清訓、黒川紀章、大谷幸夫、磯村英一、磯崎新さんが登壇する想定であることでした。昭和40年つまり1965年は大谷幸夫設計の国立京都国際会館が完成した前年です。国立京都国際会館は、京都市の北側、静かな宝ヶ池のほとりに位置し、「国際文化観光都市 京都の新しいシンボルとして、世界に誇る」建築として建てられました。近代建築の記録・調査・保存活動を行うドコモモに選出されています。建設中当時、一般的にどのくらい話題になっていたのでしょうか。少なくとも1963年に行われた設計競技は、国家施設の公開設計競技として建築界では注目されており、審査経緯と応募案が公開されました。落選でありながら優秀賞だった菊竹清訓案、大高正人案、芦原義信案なども注目を浴びました。学生運動の時代に在学していた当時の建築学生たちは、公開された応募案から卒業後の所属先を探した、なんて話も聴いたことがありますが、60年代が政治言論、経済成長でも熱量の高かったことを想像すると、白熱したシンポジウムが想定されていたのではないでしょうか。
それらを踏まえ、もう一度「シンポジウム:現代の発見」を見ると、大小の幾何学形態で挑んだ平面構成と力強いテキストに、石岡瑛子自身と開催される場所の出発点を感じさせるように感じました。
2、手に取るメディア 角川書店の仕事
71年~75年の文庫本カバー、73年~75年の角川文庫フェスティバルのポスターは、文庫本ブームの先駆けとなった作品群ですが、文庫本と共にある新しいライフスタイルが提案されています。当時は、テレビ時代劇(か映画)のワンシーンや風景など、カラー写真を用いたカバーは目新しく、ファッショナブルな印象をもたらしたようです。そしてポスターでは、「旅にでる一冊 くるりと丸めポケットに押しこんで旅にでよう」、「すり切れるまで読みたい本だってあるんだ」などのコピーライトが掲げられ、山、砂漠、海や街といったいずれも屋外のロケーションで、カバーを外して折ってシワクチャにした文庫本がモデルと一緒に写っています。
70年代は、公共図書館の建設と利用者数が増加していった時期と重なります。65年の日野市立図書館(初代館長 前川恒雄、設計 鬼頭梓)が「中小都市における公共図書館の運営」を具現化して以降、図書館があらゆる人々への資料の無料提供をすること、住民の資料要求に応えること、住民サービスを充実することが全国的に広がってゆきました。
文庫本のキャンペーンや図書館の利用者の増加は、大雑把な言い方をすると、文学が軽くなりより身近になった、あるいは、書斎や本棚にある重い文学から、自由な場所で手元で消費する文学になっていったのではないでしょうか。文庫本のサイズは幅10.5cm高さ15cmですので、本当に丸めてポッケに入れたかどうかは分かりませんが、文庫本は家の外に持ち出し、汚れたり折れたりタフに扱っていい、というイメージが浸透した立役者として石岡瑛子の仕事があり、その後の文庫本カバーの意匠の発展につながったことにも興奮しました。
3、賞でるメディア マイルス・デイヴィス「TUTU」
大空間の展示室に続き、ニューヨーク渡航後の80年代の仕事を紹介する展示室は、作品毎に小部屋が区切られ対流できる構成になっています。マイルス・デイヴィス「TUTU」の部屋では、LPレコードがレコードプレイヤーの上で周っており、針が中央まで来ると音楽が止まるので、監視員がまた針を外周に戻します。
マイルス・デイヴィスは、言わずと知れた美術界でいうピカソのような、次々と新しいジャズを発明/発展させたトランペット奏者で、『TUTU』は1975~81年の沈黙期を経てレコード会社移籍後の1986年に発表した作品です。音源はプロデューサーでベーシストのマーカス・ミラーがシンセサイザーや電子ドラムを用いた多重録音で作ったベーシックトラックに、マイルスがトランペットをのせた言われています。
レコードジャケット用にマイルスを撮影したのはアーヴィング・ペンです。ローライフレックスで撮影されたのでしょうか、展示資料によると、8×10(インチ)の印画紙に6×6フォーマットの顔写真がプリントされ、その上にトレーシングペーパーが重ねられて、石岡瑛子によるトリミングや焼き込みの指示が書かれたことがわかります。当時のマイルスは耳が隠れるくらいの長髪でしたが、かくしてオリジナルに写っていた髪、肩、余白は削ぎ落とされました。筆者はペンが撮ったカポーティやマーク・ロスコ、ロバート・ラウシェンバーグ、ジェシー・ノーマン、サンローランのような、被写体の輪郭や身体の軸線、顔の陰影/凹凸、余白が絶妙な構図をもたらすポートレイトに心酔していたので、マイルスのジャケットはペンが初めに判断した構図ではなかったことを知り納得しました。しかし、約31.5cm角のレコードジャケットに顔面がプリントされると実際の顔の大きさよりも引き伸ばされますから、表裏に最小限のテキスト情報しかないことに加え、この思い切ったトリミングこそが強い視覚効果を生んだ、ということに同時に気づきました。展覧会フライヤーや端末画面だけを見ていては意識が及ばなかったことです。他に驚いたのは、当初はジャケット案が9案存在し、中には泳いでいるマイルスが水面で息継ぎする顔写真の案、日本で弓道の指導を受けてポーズする写真の案があったこと、更に採用された案の撮影者はアーヴィング・ペン以外にデニス・ピール(ファッション写真家)が候補だったことです。
4、鑑賞するメディア グレイス・ジョーンズ「ハリケーン」ツアー
展示室は地階に続いており、作品毎に独立した各室では壁一面に編集された映像が映されるなど、1階以上にエンターテイメント性の高い空間になっています。2009年に石岡瑛子はグレイス・ジョーンズの「ハリケーン」ツアーの仮面や衣装のデザインを手掛けました。グレイス・ジョーンズはトップモデルでもあり、1977-82年にディスコ、ニューウェイブの歌手として活躍後、19年を経てこの「ハリケーン」で歌手として再出発したそうです。展示室では9点の衣装ドローイング、ステージ写真のスライドショウ、ドキュメンタリー映画『GRACE JONES:BLOODLIGHT AND BAMI』(2018)ハイライト映像などが展示されています。ポップミュージックのアーティストが歌唱技術以上に視覚芸術としての衣装/身体表現を求められ始めたのがいつ頃からなのか疑問ですが、筆者は初めて観たグレイス・ジョーンズのスチルとショウの映像に見入ってしまいました。
石岡瑛子の複数の衣装に関わる仕事から察するに、空間と衣装、衣装と人体を等しく考えていたのではないでしょうか。それは映画「ザ・セル」に顕著に表れていると思います。そして、群像として演じられる舞台や映画の仕事が登場人物のキャラクターを強調してゆくデザインや装飾だとすれば、本作品群は、アーティスト自身の個を際立たせるための、色彩も飾りも限定したストイックな造形という点で特徴があり、人体がキャンバスとしてとらえられていることを最も感じた作品でした。
終始視覚と聴覚に同時に作用してくる展示構成により、鑑賞者の感度のバロメーターと脳が長時間休む間なくピーク状態にあるような体験をしました。もしこの展覧会をこれからご覧になるという方がおられましたら、時間と体力に余裕をもって行かれることをお勧めします。
(おう せいび)
「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」
会期:2020年11月14日(土)- 2021年2月14日(日)※会期が変更になりました。
休館日:月曜日(11月23日、2021年1月11日は開館)、11月24日、12月28日-2021年1月1日、1月12日
開館時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
観覧料:一般 1,800円 / 大学生・専門学校生・65歳以上 1,300円 / 中高生 700円 / 小学生以下無料
会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F/地下2F
スタッフ
アドバイザリー・ボード|石岡怜子、佐藤卓、永井裕明
企画・構成|藪前知子(東京都現代美術館)
会場デザイン|中原崇志、阿部真理子
グラフィックデザイン|N.G.inc.
映像エンジニアリング|岸本智也
音響デザイン|WHITELIGHT
照明|MGS照明設計事務所
衣装監修|桜井久美
コスチュームインストール|桜井麗、金子里華、前森明恵(アトリエHINODE)
着付け|アトリエ後藤
マネキン監修|七彩
施工|スーパーファクトリー
コーディネーション|黒岩朋子
翻訳|ベンジャー桂
年表編纂|碓井麻央、望月由衣(富山県美術館)
学芸スタッフ|西川美穂子、新畑清恵(東京都現代美術館)
広報|工藤千愛子、中島三保子、岡本真理子(東京都現代美術館)
~~~~~~~~~~~~
*画廊亭主敬白
石岡さんは亭主より七つ年上、同じ蟹座。生前幾度かお目にかかる機会があり、原稿もいただいた。
あらためて凄い人を失ったのだと痛感します。
石岡瑛子さん(右)
1983年6月7日現代版画センター企画「アンディ・ウォーホル全国展」オープニング、
於:東京渋谷 パルコPART3
●本日のお勧め作品は磯崎新です。
磯崎新 Arata ISOZAKI
「影 2」
1999年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35 サインあり
*「磯崎新版画集 影」(ティーム・ディズニー・ビルディング)の中の1点。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●11月28日ブログで新連載・塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」が始まりました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」は毎月28日掲載です。
連載に合わせて作品も特別頒布させていただきます。お気軽にお問い合わせください。
●『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』が刊行されました。
執筆:ジョナス・メカス、井戸沼紀美、吉増剛造、井上春生、飯村隆彦、飯村昭子、正津勉、綿貫不二夫、原將人、木下哲夫、髙嶺剛、金子遊、石原海、村山匡一郎、越後谷卓司、菊井崇史、佐々木友輔、吉田悠樹彦、齊藤路蘭、井上二郎、川野太郎、柴垣萌子、若林良
*ときの忘れもので扱っています。メール・fax等でお申し込みください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」を訪れて

2020年11月14日から2021年2月14日まで東京都現代美術館で「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」が開催されています。石岡瑛子は、企業広告やパッケージのグラフィックデザイン、映画やパフォーマンスの衣装デザイン、音源のアートワーク、舞台美術など、2012年に73歳で亡くなる直前まで世にインパクトを与えた作品を遺したデザイナーで、本展覧会は彼女の多岐にわたる仕事を展観する回顧展でした。展覧会場内でインタビューの音声が流れているのですが、その中で彼女はグラフィック、衣装、建築などの各種デザインの垣根に言及し、「バウンダリー(境界)は無くした方がいい」、「もっとクロスオーバーして、横断することによって、何か新しい方向性が見えてゆく・・・・・・」と述べています。生涯通じてそのことをしなやかに体現した彼女が再評価される時機が今日訪れたことは、デザイナーの職能が今後ますます予測できない新しい分野と結びついてゆくことへの期待につながるのではと感じています。
本展覧会で紹介された完成作品や制作過程の副産物である資料を鑑賞し、石岡瑛子の圧倒的な熱量と引き続きの強さを感じた鑑賞者は少なくないのではないでしょうか。83年に撮られたポートレイトの撮影者がロバート・メイプルソープであることや、マイルス・デイヴィスの誘いを仕事のために断ったという逸話からも、彼女が当時ニューヨークを代表する超一流の芸術家たちの世界にいたこと、仕事は徹底して妥協を許さない、リュック・ベッソン映画監督が題材として取り上げそうな凛々しく情熱的な女性だったらしい、という印象を勝手ながら受けました。とは言っても、筆者は彼女の実績の全てを崇拝しているわけではありません。パルコの一連のポスターは、ウーマンリブ運動が盛んだった時代に女性の都市生活のイメージを牽引した重要なメディアであるのですが、長沢岳夫による「あゝ原点」、「わが心のスーパースター」や、杉本英介による「西洋は東洋を着こなせるか」などの刺激的なコピーライトと併せて、自然体で自立した女性像や美の”原点”をインド半島やアフリカ大陸の先住民をもって表したり、東洋と西洋を対比させるオリエンタリズムの眼差しには、違和感を感じることを断っておきます。

さて、石岡瑛子の手掛けたデザインは、視覚に頼るところが多い(と考えられる)のですが、「みる」といっても「見る」、「視る」、「観る」など数々のニュアンスがあります。今回は、展示作品の中から「眺める」、「手に取る」、「賞でる」、「鑑賞する」4作品を取り上げたいと思います。
1、眺めるメディア 日宣美グランプリ作品「シンポジウム:現代の発見」
展示室1階の高い天井を生かした間仕切り壁のない大空間では、60~70年代のグラフィックデザインの仕事が展示されています。日宣美は、グラフィックデザイナーの職能集団である「日本宣伝美術会」が1953年に始めた公募展で、70年に学生運動の批判の対象として解散に追い込まれるまで新人の登竜門でした。石岡瑛子は63年に「バッハ オルガン曲集」のレコードジャケット、64年にミラノトリエンナーレのポスターを応募し、65年に「シンポジウム:現代の発見」でグランプリを受賞します。
本作品は、9日間の架空のシンポジウムが主題のポスターで、初日「意味:このひとつの織物は」、2日目「重い世界へとびだす音」、3日目「イメージに計器の手を」、4日目「鼓動しつつある眼」、5日目「意欲し、降立つスペース」、6日目「原質はつねに息吹く」、7日目「陽にかけ昇る技術思想」、8日目「中にいない美学」、9日目「道具性との対話」から成ります。石岡は「極めて社会的な発現のテーマ」とコメントしているようで、これら9つのシンポジウム副題を幾何学形態の組み合わせで抽象的に表現しています。作品は幾何学立体のデッサンのような、モノクロで諧調豊かなオフセット印刷ですが、版下は用紙に出力した黒色の文字とベージュ色の図形を切り貼りしたものでした。
気になったのは、この架空のシンポジウムが40年9月13日~10月5日に京都国立国際会館で開催され、5日目には、丹下健三、菊竹清訓、黒川紀章、大谷幸夫、磯村英一、磯崎新さんが登壇する想定であることでした。昭和40年つまり1965年は大谷幸夫設計の国立京都国際会館が完成した前年です。国立京都国際会館は、京都市の北側、静かな宝ヶ池のほとりに位置し、「国際文化観光都市 京都の新しいシンボルとして、世界に誇る」建築として建てられました。近代建築の記録・調査・保存活動を行うドコモモに選出されています。建設中当時、一般的にどのくらい話題になっていたのでしょうか。少なくとも1963年に行われた設計競技は、国家施設の公開設計競技として建築界では注目されており、審査経緯と応募案が公開されました。落選でありながら優秀賞だった菊竹清訓案、大高正人案、芦原義信案なども注目を浴びました。学生運動の時代に在学していた当時の建築学生たちは、公開された応募案から卒業後の所属先を探した、なんて話も聴いたことがありますが、60年代が政治言論、経済成長でも熱量の高かったことを想像すると、白熱したシンポジウムが想定されていたのではないでしょうか。
それらを踏まえ、もう一度「シンポジウム:現代の発見」を見ると、大小の幾何学形態で挑んだ平面構成と力強いテキストに、石岡瑛子自身と開催される場所の出発点を感じさせるように感じました。
2、手に取るメディア 角川書店の仕事
71年~75年の文庫本カバー、73年~75年の角川文庫フェスティバルのポスターは、文庫本ブームの先駆けとなった作品群ですが、文庫本と共にある新しいライフスタイルが提案されています。当時は、テレビ時代劇(か映画)のワンシーンや風景など、カラー写真を用いたカバーは目新しく、ファッショナブルな印象をもたらしたようです。そしてポスターでは、「旅にでる一冊 くるりと丸めポケットに押しこんで旅にでよう」、「すり切れるまで読みたい本だってあるんだ」などのコピーライトが掲げられ、山、砂漠、海や街といったいずれも屋外のロケーションで、カバーを外して折ってシワクチャにした文庫本がモデルと一緒に写っています。
70年代は、公共図書館の建設と利用者数が増加していった時期と重なります。65年の日野市立図書館(初代館長 前川恒雄、設計 鬼頭梓)が「中小都市における公共図書館の運営」を具現化して以降、図書館があらゆる人々への資料の無料提供をすること、住民の資料要求に応えること、住民サービスを充実することが全国的に広がってゆきました。
文庫本のキャンペーンや図書館の利用者の増加は、大雑把な言い方をすると、文学が軽くなりより身近になった、あるいは、書斎や本棚にある重い文学から、自由な場所で手元で消費する文学になっていったのではないでしょうか。文庫本のサイズは幅10.5cm高さ15cmですので、本当に丸めてポッケに入れたかどうかは分かりませんが、文庫本は家の外に持ち出し、汚れたり折れたりタフに扱っていい、というイメージが浸透した立役者として石岡瑛子の仕事があり、その後の文庫本カバーの意匠の発展につながったことにも興奮しました。
3、賞でるメディア マイルス・デイヴィス「TUTU」
大空間の展示室に続き、ニューヨーク渡航後の80年代の仕事を紹介する展示室は、作品毎に小部屋が区切られ対流できる構成になっています。マイルス・デイヴィス「TUTU」の部屋では、LPレコードがレコードプレイヤーの上で周っており、針が中央まで来ると音楽が止まるので、監視員がまた針を外周に戻します。
マイルス・デイヴィスは、言わずと知れた美術界でいうピカソのような、次々と新しいジャズを発明/発展させたトランペット奏者で、『TUTU』は1975~81年の沈黙期を経てレコード会社移籍後の1986年に発表した作品です。音源はプロデューサーでベーシストのマーカス・ミラーがシンセサイザーや電子ドラムを用いた多重録音で作ったベーシックトラックに、マイルスがトランペットをのせた言われています。
レコードジャケット用にマイルスを撮影したのはアーヴィング・ペンです。ローライフレックスで撮影されたのでしょうか、展示資料によると、8×10(インチ)の印画紙に6×6フォーマットの顔写真がプリントされ、その上にトレーシングペーパーが重ねられて、石岡瑛子によるトリミングや焼き込みの指示が書かれたことがわかります。当時のマイルスは耳が隠れるくらいの長髪でしたが、かくしてオリジナルに写っていた髪、肩、余白は削ぎ落とされました。筆者はペンが撮ったカポーティやマーク・ロスコ、ロバート・ラウシェンバーグ、ジェシー・ノーマン、サンローランのような、被写体の輪郭や身体の軸線、顔の陰影/凹凸、余白が絶妙な構図をもたらすポートレイトに心酔していたので、マイルスのジャケットはペンが初めに判断した構図ではなかったことを知り納得しました。しかし、約31.5cm角のレコードジャケットに顔面がプリントされると実際の顔の大きさよりも引き伸ばされますから、表裏に最小限のテキスト情報しかないことに加え、この思い切ったトリミングこそが強い視覚効果を生んだ、ということに同時に気づきました。展覧会フライヤーや端末画面だけを見ていては意識が及ばなかったことです。他に驚いたのは、当初はジャケット案が9案存在し、中には泳いでいるマイルスが水面で息継ぎする顔写真の案、日本で弓道の指導を受けてポーズする写真の案があったこと、更に採用された案の撮影者はアーヴィング・ペン以外にデニス・ピール(ファッション写真家)が候補だったことです。
4、鑑賞するメディア グレイス・ジョーンズ「ハリケーン」ツアー
展示室は地階に続いており、作品毎に独立した各室では壁一面に編集された映像が映されるなど、1階以上にエンターテイメント性の高い空間になっています。2009年に石岡瑛子はグレイス・ジョーンズの「ハリケーン」ツアーの仮面や衣装のデザインを手掛けました。グレイス・ジョーンズはトップモデルでもあり、1977-82年にディスコ、ニューウェイブの歌手として活躍後、19年を経てこの「ハリケーン」で歌手として再出発したそうです。展示室では9点の衣装ドローイング、ステージ写真のスライドショウ、ドキュメンタリー映画『GRACE JONES:BLOODLIGHT AND BAMI』(2018)ハイライト映像などが展示されています。ポップミュージックのアーティストが歌唱技術以上に視覚芸術としての衣装/身体表現を求められ始めたのがいつ頃からなのか疑問ですが、筆者は初めて観たグレイス・ジョーンズのスチルとショウの映像に見入ってしまいました。
石岡瑛子の複数の衣装に関わる仕事から察するに、空間と衣装、衣装と人体を等しく考えていたのではないでしょうか。それは映画「ザ・セル」に顕著に表れていると思います。そして、群像として演じられる舞台や映画の仕事が登場人物のキャラクターを強調してゆくデザインや装飾だとすれば、本作品群は、アーティスト自身の個を際立たせるための、色彩も飾りも限定したストイックな造形という点で特徴があり、人体がキャンバスとしてとらえられていることを最も感じた作品でした。
終始視覚と聴覚に同時に作用してくる展示構成により、鑑賞者の感度のバロメーターと脳が長時間休む間なくピーク状態にあるような体験をしました。もしこの展覧会をこれからご覧になるという方がおられましたら、時間と体力に余裕をもって行かれることをお勧めします。
(おう せいび)
「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」
会期:2020年11月14日(土)- 2021年2月14日(日)※会期が変更になりました。
休館日:月曜日(11月23日、2021年1月11日は開館)、11月24日、12月28日-2021年1月1日、1月12日
開館時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
観覧料:一般 1,800円 / 大学生・専門学校生・65歳以上 1,300円 / 中高生 700円 / 小学生以下無料
会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F/地下2F
スタッフ
アドバイザリー・ボード|石岡怜子、佐藤卓、永井裕明
企画・構成|藪前知子(東京都現代美術館)
会場デザイン|中原崇志、阿部真理子
グラフィックデザイン|N.G.inc.
映像エンジニアリング|岸本智也
音響デザイン|WHITELIGHT
照明|MGS照明設計事務所
衣装監修|桜井久美
コスチュームインストール|桜井麗、金子里華、前森明恵(アトリエHINODE)
着付け|アトリエ後藤
マネキン監修|七彩
施工|スーパーファクトリー
コーディネーション|黒岩朋子
翻訳|ベンジャー桂
年表編纂|碓井麻央、望月由衣(富山県美術館)
学芸スタッフ|西川美穂子、新畑清恵(東京都現代美術館)
広報|工藤千愛子、中島三保子、岡本真理子(東京都現代美術館)
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*画廊亭主敬白
石岡さんは亭主より七つ年上、同じ蟹座。生前幾度かお目にかかる機会があり、原稿もいただいた。
あらためて凄い人を失ったのだと痛感します。
石岡瑛子さん(右)1983年6月7日現代版画センター企画「アンディ・ウォーホル全国展」オープニング、
於:東京渋谷 パルコPART3
●本日のお勧め作品は磯崎新です。
磯崎新 Arata ISOZAKI「影 2」
1999年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35 サインあり
*「磯崎新版画集 影」(ティーム・ディズニー・ビルディング)の中の1点。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●11月28日ブログで新連載・塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」が始まりました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」は毎月28日掲載です。連載に合わせて作品も特別頒布させていただきます。お気軽にお問い合わせください。
●『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』が刊行されました。
執筆:ジョナス・メカス、井戸沼紀美、吉増剛造、井上春生、飯村隆彦、飯村昭子、正津勉、綿貫不二夫、原將人、木下哲夫、髙嶺剛、金子遊、石原海、村山匡一郎、越後谷卓司、菊井崇史、佐々木友輔、吉田悠樹彦、齊藤路蘭、井上二郎、川野太郎、柴垣萌子、若林良*ときの忘れもので扱っています。メール・fax等でお申し込みください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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