「さまよえる絵筆—東京・京都戦時下の前衛画家たち」展をめぐって
弘中智子(板橋区立美術館)
2020年の展覧会準備
2021年3月27日より板橋区立美術館で「さまよえる絵筆—東京・京都戦時下の前衛画家たち」展が始まった。当初は2月26日からオープンする予定であったが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う、緊急事態宣言のために1ヶ月遅れで開催する運びとなった。
この企画は京都府京都文化博物館との共同企画だが、学芸員の清水智世さんと実際に会って調査をしたのは2度きり。いくつか調査に行く予定だった遠方の美術館もあったが、東京と京都でそれぞれのできる範囲で調べ、オンラインで情報をシェアし、話し合いながら進めてきた。
このような状況の中、作品の調査やお貸出しなどをお許しくださった皆さまに心から感謝したい。
企画の経緯
この展覧会では、1937年の日中戦争の開戦から終戦の頃までの戦時下の前衛絵画を検証した。板橋区立美術館では開館当時から寺田政明、古沢岩美をはじめとする地域ゆかりの作家で戦前からアヴァンギャルドに関心を寄せた東京の「池袋モンパルナス」界隈に集った画家たちの作品を中心に収集、展示してきた。彼らの仲間である京都在住の画家、小牧源太郎の作品も早くからコレクションに加えている。今回紹介する画家たちのうち何人かが暮らす京都の街は伝統的な絵画、日本画などの印象が強いが、油彩画、アヴァンギャルドに関心を抱く画家もいた。小牧と北脇昇は京都の洋画をリードしてきた津田青楓、須田国太郎に学んだのち、東京の福沢一郎が率いる美術文化協会に参加した。美術文化協会の画家、吉井忠の日記を読むと北脇、小牧が会合に足繁く通い、議論に積極的に関わっていたことが分かる。東京、そして京都の前衛画家たちが戦時下に何を描き、伝えようとしたのかを作品や資料を通じて考察することが本展の目的である。

展示構成と内容
展覧会は5つの章で構成した。
第1章の「西洋古典絵画への関心」では日本のシュルレアリスムの主導者として知られる福沢一郎から始まる。彼に師事した東京美術学校に学びシュルレアリスムに関心を持っていた小川原脩、杉全直らも西洋の古典絵画のモチーフや構図を引用した作品を描いていたことを紹介する。
第2章は「新人画会とそれぞれのリアリズム」と題し、1943年に靉光、麻生三郎、寺田政明や松本竣介が結成した「新人画会」の画家たちを紹介。彼らの身近な風景や人物を描いた作品からは、戦時下にそれぞれのリアリズムを追求していたことが分かる。
「古代芸術への憧憬」と題した第3章では、1937年に結成された自由美術家協会に参加した長谷川三郎、難波田龍起、小野里利信(オノサト・トシノブ)、山口薫の作品を展示した。なかでも難波田は、《ヴィナスと少年》(1936年、板橋区立美術館蔵)に代表される、1930年代後半の古代ギリシアの彫刻や建物をモチーフにした作品。そして太平洋戦争開戦後の1943年頃から古代ギリシアのモチーフが日本の仏像や埴輪に置き換わっていく様子も紹介した。
第4章では「『地方』の発見」と題してかつてシュルレアリスムも試みた画家の吉井忠が1941年以降、戦時下に東北の農村・漁村を訪ね歩き記した紀行文『東北記』とそれにまつわるスケッチと一部の油彩画を紹介した。
最後の第5章では「京都の『伝統』と『前衛』」と題して北脇、小牧の作品を中心に展示した。北脇は龍安寺の石庭に加え、自身が暮らした廣誠院にある伝統的な窓や障子を描いた作品を描いた。ここで目を惹くのは14人の画家たちが参加した集団制作「浦島物語」(1937年、京都市美術館蔵)。京都の日本海側の地域にルーツがあるとも言われている浦島太郎の物語をシュルレアリスムの「優美な屍骸」(妙屍体)と俳諧の連句の手法に着想を得て描いた「浦島物語」は、発表時を再現すべく14点を横一列に並べて展示した。
コロナウイルスの影響で調査、拝借が難しかった作品もあるが、画家のご家族、個人、美術館や団体にご協力いただき、展示室は作品や資料でいっぱいになった。展示作業を終え、強く感じたのはわざわざ書くまでもないことだが、1、2章と5章の色の違いである。福沢や靉光、松本、麻生らの作品は青や黒などを多用し、重厚な印象がある。一方の5章の北脇、小牧らの作品は朱色や黄色、桃色など伝統的で色鮮やかな作品が多い。

2人のリーダーと古典
この展覧会のカタログ兼書籍の論文でも書いたが、戦時下に前衛画家たちが古典を振り返るきっかけとなったのは福沢一郎、長谷川三郎という日本のシュルレアリスムとアブストラクトのリーダーが文章と作品で古典の重要性を訴えていたことが挙げられる。西洋のアヴァンギャルド画家たち、シュルレアリスムの先駆者とされるジョルジョ・デ・キリコにしても、マックス・エルンストやサルバドール・ダリも彼らが身近な歴史として学んだ古典絵画を引用していたことは知られている。一方で日本では、近代化と共に油彩画の歴史が始まる。そのため1920年代以降、フォービスムやシュルレアリスム、アブストラクトなどのアヴァンギャルドな傾向は日本に油彩画が広まり始めた頃にどっと押し寄せてきたのだ。福沢と長谷川は自らのヨーロッパ体験を経て西洋の伝統的、古典的な絵画に圧倒され、日本の洋画に欠けているものを補うと同時に日本の新たな伝統を作る必要を感じていた。それは福沢がマザッチオの「楽園追放」から人物の姿を引用したと考えられる《女》(1937年、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵)、長谷川が中国大陸や京都、奈良に見られるような条里制都市を毛糸や小豆を使って表現したと考えられる《都制》(1937年、学校法人甲南学園 長谷川三郎記念ギャラリー蔵)などの作品にも表れている。彼らは日本の前衛絵画のパイオニアであったが、その根底には伝統、古典的な絵画やモチーフがあった。福沢が『シュールレアリズム』、長谷川が『アブストラクトアート』をアトリヱ社から刊行したのは1937年、日中戦争開戦の年であった。

時局と絵画
1937年の日中戦争開戦以降、日本の美術界も時局とともに変わっていく。よく知られているようにシュルレアリスムは共産主義と結びつけて考えられるようになる。そして1941年に福沢と美術評論家の瀧口修造がシュルレアリスムと共産主義思想との関係を疑われ、逮捕された頃から日本のシュルレアリスム絵画は影を潜めるようになった。このようなシュルレアリスムに対する弾圧が行われる一方でもてはやされていたのはイタリアのルネサンス絵画であった。
本展では戦時下のイタリア絵画、特にルネサンス絵画が盛んに紹介されるようになったことに着目した。1937年に日独伊三国防共協定が締結された頃から、ドイツやイタリアの美術が盛んに紹介される。なかでもイタリアのルネサンス絵画は展覧会が開かれ、美術雑誌で特集が組まれるなど優遇されていた。1942年に上野の池ノ端産業館で開かれた「アジア復興 アジア復興 レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会」はレオナルド・ダ・ヴィンチが設計した道具の模型、作品の複製などを集めた、注目の展覧会だったようだ。吉井もこの展覧会に何度も足を運んでいたことが日記から判明している。この少し前から吉井はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」として知られる肖像画に似た構図の作品を描いた。しかし、吉井はレオナルド・ダ・ヴィンチを単純に模倣しようと考えていたわけではない。中央の人物や背景を日本のものに置き換え、本展では紹介できなかったが1940年の《女》(宮城県美術館)では、卵を唐突に描きこむなどシュルレアリスムの残滓が確認できる。古典を引用しつつも、彼らには新たな絵画、新たな伝統を作ろうとする意欲があった。
新人画会、前衛画家たちとリアリズム
筆者は2008年、靉光、麻生三郎、寺田政明や松本竣介が結成した「新人画会」についての展覧会を行った。1943年に結成され、翌年までの間に3回の展覧会を行った同会に関する資料は少ない。それでも、戦争画一色の時代に先に触れたように身近な風景、人物を描いた小さな作品を銀座の画廊で紹介した彼らの活動は戦争末期に画家が画家らしく活動できた最後のものとして語り継がれている。寺田がインタビューの中でこの当時のことを「絵があるから生きていた」と語っていたように、彼らは絵を生きる支えとするほどに追い詰められていたのである。
麻生は戦後の回想の中で、当時のことを次のように振り返っている。
一九三〇年以後敗戦までの時期はたいへんな時代であったが、合理的なレアリズムの目でこの嘘をひんむいて真実のフォルムをつくることであった。
麻生三郎「『赤い空』から『燃える人』へ(私の戦後美術)」『現代の眼』207号、1972年2月。
事実、麻生が新人画会展で発表し、本展でも紹介する《一子像》(1944年、板橋区立美術館蔵)は自身の娘を凝視した濃密な時間までもが描き込まれた、独自なリアリズムの作品である。
本展で紹介した画家たちの作品は、西洋古典絵画、日本の伝統的な庭園や仏像、埴輪、農村などをモチーフとしながら、戦時下に画家たちが見て、感じたリアルな感覚を伝えようと絵筆を止めなかったことにおいて共通している。激動の時代を冷静に見つめ、描いた彼らの生きざまに、今を生きる我々も学ぶところがあるのではないだろうか。
(ひろなか さとこ)
■弘中智子
一橋大学大学院言語社会研究科博士課程単位取得退学。板橋区立美術館学芸員。「新人画会展」(2008年)、「福沢一郎絵画研究所展 進め!日本のシュルレアリスム」(2010年)、「池袋モンパルナス展」(2011年)、「東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村展」(2018年)などを担当。2018年、一橋大学より博士号(学術)取得。共著『超現実主義の1937年――福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』(みすず書房、2019年)。
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●展覧会のお知らせ
『さまよえる絵筆ー東京・京都 戦時下の前衛画家たち』
会期:2021年3月27日(土曜日)~5月23日(日曜日)※会期を変更しました
開催時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(ただし5月3日は祝日のため開館し、5月6日休館)
会場:板橋区立美術館 (〒175-0092 東京都板橋区赤塚 5-34-27)
主催:板橋区立美術館・東京新聞
協力:京都府京都文化博物館
助成:公益財団法人ポーラ美術振興財団
※コロナウイルス感染症拡大防止のため、会期を変更する可能性があります。
出品リスト (PDF 2.5MB)
展覧会チラシ (PDF 2.0MB)
展覧会は京都府京都文化博物館へ一部巡回します(2021年6月5日(土) - 2021年7月25日(日))。
●図録のご紹介
『さまよえる絵筆ー東京・京都 戦時下の前衛画家たち』展図録
編著:弘中智子、清水智世
判型:B5判 タテ257mm×ヨコ188mm
頁数:216頁
発行日:2021年2月25日
出版社:みすず書房
~~~~~~~~~~~~~
*画廊亭主敬白
都内で一番古い(1979開館、歴史のある)区立美術館でありながら、都内屈指の便の悪さ(どの駅からも歩いては遠すぎるし、バスは一時間に2本くらいしかない)、なかなか行く機会がない。最後に行ったのは2018年春の「東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展でした。
もともとこの美術館は池袋モンパルナスの作家たちを中心に収蔵しており、正直言って暗い絵が多い。建物も暗かった。あのときも暗い雰囲気の会場をあとに、帰りのバスがなかなか来なくてとぼとぼ歩きだしたら道に迷ってしまい、散々でした(笑)。
というのは昔の話で、いやあ、素晴らしい美術館に生まれ変わりました。
どのくらい素晴らしいかは2021.04.03 板橋経済新聞「板橋区立美術館がBELCA賞受賞 区立美術館としては初の快挙」という記事をお読みください。
入り口からして、これが同じ建物かというくらいに明るく開放的になり、ベストリフォームと評されただけのことはあります。ぜひ騙されたと思って行ってください。
招待券を少しいただきました。ご希望の方はメールにてお申込みください。
●本日のお勧め作品は松本竣介です。
松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《人物(W)》
1942年
紙に鉛筆
イメージサイズ:23.5x20.5cm
シートサイズ: 27.5x22.5cm
*この作品は両面に描かれている
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
弘中智子(板橋区立美術館)
2020年の展覧会準備
2021年3月27日より板橋区立美術館で「さまよえる絵筆—東京・京都戦時下の前衛画家たち」展が始まった。当初は2月26日からオープンする予定であったが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う、緊急事態宣言のために1ヶ月遅れで開催する運びとなった。
この企画は京都府京都文化博物館との共同企画だが、学芸員の清水智世さんと実際に会って調査をしたのは2度きり。いくつか調査に行く予定だった遠方の美術館もあったが、東京と京都でそれぞれのできる範囲で調べ、オンラインで情報をシェアし、話し合いながら進めてきた。
このような状況の中、作品の調査やお貸出しなどをお許しくださった皆さまに心から感謝したい。
企画の経緯
この展覧会では、1937年の日中戦争の開戦から終戦の頃までの戦時下の前衛絵画を検証した。板橋区立美術館では開館当時から寺田政明、古沢岩美をはじめとする地域ゆかりの作家で戦前からアヴァンギャルドに関心を寄せた東京の「池袋モンパルナス」界隈に集った画家たちの作品を中心に収集、展示してきた。彼らの仲間である京都在住の画家、小牧源太郎の作品も早くからコレクションに加えている。今回紹介する画家たちのうち何人かが暮らす京都の街は伝統的な絵画、日本画などの印象が強いが、油彩画、アヴァンギャルドに関心を抱く画家もいた。小牧と北脇昇は京都の洋画をリードしてきた津田青楓、須田国太郎に学んだのち、東京の福沢一郎が率いる美術文化協会に参加した。美術文化協会の画家、吉井忠の日記を読むと北脇、小牧が会合に足繁く通い、議論に積極的に関わっていたことが分かる。東京、そして京都の前衛画家たちが戦時下に何を描き、伝えようとしたのかを作品や資料を通じて考察することが本展の目的である。

展示構成と内容
展覧会は5つの章で構成した。
第1章の「西洋古典絵画への関心」では日本のシュルレアリスムの主導者として知られる福沢一郎から始まる。彼に師事した東京美術学校に学びシュルレアリスムに関心を持っていた小川原脩、杉全直らも西洋の古典絵画のモチーフや構図を引用した作品を描いていたことを紹介する。
第2章は「新人画会とそれぞれのリアリズム」と題し、1943年に靉光、麻生三郎、寺田政明や松本竣介が結成した「新人画会」の画家たちを紹介。彼らの身近な風景や人物を描いた作品からは、戦時下にそれぞれのリアリズムを追求していたことが分かる。
「古代芸術への憧憬」と題した第3章では、1937年に結成された自由美術家協会に参加した長谷川三郎、難波田龍起、小野里利信(オノサト・トシノブ)、山口薫の作品を展示した。なかでも難波田は、《ヴィナスと少年》(1936年、板橋区立美術館蔵)に代表される、1930年代後半の古代ギリシアの彫刻や建物をモチーフにした作品。そして太平洋戦争開戦後の1943年頃から古代ギリシアのモチーフが日本の仏像や埴輪に置き換わっていく様子も紹介した。
第4章では「『地方』の発見」と題してかつてシュルレアリスムも試みた画家の吉井忠が1941年以降、戦時下に東北の農村・漁村を訪ね歩き記した紀行文『東北記』とそれにまつわるスケッチと一部の油彩画を紹介した。
最後の第5章では「京都の『伝統』と『前衛』」と題して北脇、小牧の作品を中心に展示した。北脇は龍安寺の石庭に加え、自身が暮らした廣誠院にある伝統的な窓や障子を描いた作品を描いた。ここで目を惹くのは14人の画家たちが参加した集団制作「浦島物語」(1937年、京都市美術館蔵)。京都の日本海側の地域にルーツがあるとも言われている浦島太郎の物語をシュルレアリスムの「優美な屍骸」(妙屍体)と俳諧の連句の手法に着想を得て描いた「浦島物語」は、発表時を再現すべく14点を横一列に並べて展示した。
コロナウイルスの影響で調査、拝借が難しかった作品もあるが、画家のご家族、個人、美術館や団体にご協力いただき、展示室は作品や資料でいっぱいになった。展示作業を終え、強く感じたのはわざわざ書くまでもないことだが、1、2章と5章の色の違いである。福沢や靉光、松本、麻生らの作品は青や黒などを多用し、重厚な印象がある。一方の5章の北脇、小牧らの作品は朱色や黄色、桃色など伝統的で色鮮やかな作品が多い。

2人のリーダーと古典
この展覧会のカタログ兼書籍の論文でも書いたが、戦時下に前衛画家たちが古典を振り返るきっかけとなったのは福沢一郎、長谷川三郎という日本のシュルレアリスムとアブストラクトのリーダーが文章と作品で古典の重要性を訴えていたことが挙げられる。西洋のアヴァンギャルド画家たち、シュルレアリスムの先駆者とされるジョルジョ・デ・キリコにしても、マックス・エルンストやサルバドール・ダリも彼らが身近な歴史として学んだ古典絵画を引用していたことは知られている。一方で日本では、近代化と共に油彩画の歴史が始まる。そのため1920年代以降、フォービスムやシュルレアリスム、アブストラクトなどのアヴァンギャルドな傾向は日本に油彩画が広まり始めた頃にどっと押し寄せてきたのだ。福沢と長谷川は自らのヨーロッパ体験を経て西洋の伝統的、古典的な絵画に圧倒され、日本の洋画に欠けているものを補うと同時に日本の新たな伝統を作る必要を感じていた。それは福沢がマザッチオの「楽園追放」から人物の姿を引用したと考えられる《女》(1937年、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵)、長谷川が中国大陸や京都、奈良に見られるような条里制都市を毛糸や小豆を使って表現したと考えられる《都制》(1937年、学校法人甲南学園 長谷川三郎記念ギャラリー蔵)などの作品にも表れている。彼らは日本の前衛絵画のパイオニアであったが、その根底には伝統、古典的な絵画やモチーフがあった。福沢が『シュールレアリズム』、長谷川が『アブストラクトアート』をアトリヱ社から刊行したのは1937年、日中戦争開戦の年であった。

時局と絵画
1937年の日中戦争開戦以降、日本の美術界も時局とともに変わっていく。よく知られているようにシュルレアリスムは共産主義と結びつけて考えられるようになる。そして1941年に福沢と美術評論家の瀧口修造がシュルレアリスムと共産主義思想との関係を疑われ、逮捕された頃から日本のシュルレアリスム絵画は影を潜めるようになった。このようなシュルレアリスムに対する弾圧が行われる一方でもてはやされていたのはイタリアのルネサンス絵画であった。
本展では戦時下のイタリア絵画、特にルネサンス絵画が盛んに紹介されるようになったことに着目した。1937年に日独伊三国防共協定が締結された頃から、ドイツやイタリアの美術が盛んに紹介される。なかでもイタリアのルネサンス絵画は展覧会が開かれ、美術雑誌で特集が組まれるなど優遇されていた。1942年に上野の池ノ端産業館で開かれた「アジア復興 アジア復興 レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会」はレオナルド・ダ・ヴィンチが設計した道具の模型、作品の複製などを集めた、注目の展覧会だったようだ。吉井もこの展覧会に何度も足を運んでいたことが日記から判明している。この少し前から吉井はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」として知られる肖像画に似た構図の作品を描いた。しかし、吉井はレオナルド・ダ・ヴィンチを単純に模倣しようと考えていたわけではない。中央の人物や背景を日本のものに置き換え、本展では紹介できなかったが1940年の《女》(宮城県美術館)では、卵を唐突に描きこむなどシュルレアリスムの残滓が確認できる。古典を引用しつつも、彼らには新たな絵画、新たな伝統を作ろうとする意欲があった。
新人画会、前衛画家たちとリアリズム
筆者は2008年、靉光、麻生三郎、寺田政明や松本竣介が結成した「新人画会」についての展覧会を行った。1943年に結成され、翌年までの間に3回の展覧会を行った同会に関する資料は少ない。それでも、戦争画一色の時代に先に触れたように身近な風景、人物を描いた小さな作品を銀座の画廊で紹介した彼らの活動は戦争末期に画家が画家らしく活動できた最後のものとして語り継がれている。寺田がインタビューの中でこの当時のことを「絵があるから生きていた」と語っていたように、彼らは絵を生きる支えとするほどに追い詰められていたのである。
麻生は戦後の回想の中で、当時のことを次のように振り返っている。
一九三〇年以後敗戦までの時期はたいへんな時代であったが、合理的なレアリズムの目でこの嘘をひんむいて真実のフォルムをつくることであった。
麻生三郎「『赤い空』から『燃える人』へ(私の戦後美術)」『現代の眼』207号、1972年2月。
事実、麻生が新人画会展で発表し、本展でも紹介する《一子像》(1944年、板橋区立美術館蔵)は自身の娘を凝視した濃密な時間までもが描き込まれた、独自なリアリズムの作品である。
本展で紹介した画家たちの作品は、西洋古典絵画、日本の伝統的な庭園や仏像、埴輪、農村などをモチーフとしながら、戦時下に画家たちが見て、感じたリアルな感覚を伝えようと絵筆を止めなかったことにおいて共通している。激動の時代を冷静に見つめ、描いた彼らの生きざまに、今を生きる我々も学ぶところがあるのではないだろうか。
(ひろなか さとこ)
■弘中智子
一橋大学大学院言語社会研究科博士課程単位取得退学。板橋区立美術館学芸員。「新人画会展」(2008年)、「福沢一郎絵画研究所展 進め!日本のシュルレアリスム」(2010年)、「池袋モンパルナス展」(2011年)、「東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村展」(2018年)などを担当。2018年、一橋大学より博士号(学術)取得。共著『超現実主義の1937年――福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』(みすず書房、2019年)。
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●展覧会のお知らせ
『さまよえる絵筆ー東京・京都 戦時下の前衛画家たち』
会期:2021年3月27日(土曜日)~5月23日(日曜日)※会期を変更しました開催時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(ただし5月3日は祝日のため開館し、5月6日休館)
会場:板橋区立美術館 (〒175-0092 東京都板橋区赤塚 5-34-27)
主催:板橋区立美術館・東京新聞
協力:京都府京都文化博物館
助成:公益財団法人ポーラ美術振興財団
※コロナウイルス感染症拡大防止のため、会期を変更する可能性があります。
出品リスト (PDF 2.5MB)
展覧会チラシ (PDF 2.0MB)
展覧会は京都府京都文化博物館へ一部巡回します(2021年6月5日(土) - 2021年7月25日(日))。
●図録のご紹介
『さまよえる絵筆ー東京・京都 戦時下の前衛画家たち』展図録編著:弘中智子、清水智世
判型:B5判 タテ257mm×ヨコ188mm
頁数:216頁
発行日:2021年2月25日
出版社:みすず書房
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*画廊亭主敬白
都内で一番古い(1979開館、歴史のある)区立美術館でありながら、都内屈指の便の悪さ(どの駅からも歩いては遠すぎるし、バスは一時間に2本くらいしかない)、なかなか行く機会がない。最後に行ったのは2018年春の「東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展でした。
もともとこの美術館は池袋モンパルナスの作家たちを中心に収蔵しており、正直言って暗い絵が多い。建物も暗かった。あのときも暗い雰囲気の会場をあとに、帰りのバスがなかなか来なくてとぼとぼ歩きだしたら道に迷ってしまい、散々でした(笑)。
というのは昔の話で、いやあ、素晴らしい美術館に生まれ変わりました。
どのくらい素晴らしいかは2021.04.03 板橋経済新聞「板橋区立美術館がBELCA賞受賞 区立美術館としては初の快挙」という記事をお読みください。
入り口からして、これが同じ建物かというくらいに明るく開放的になり、ベストリフォームと評されただけのことはあります。ぜひ騙されたと思って行ってください。
招待券を少しいただきました。ご希望の方はメールにてお申込みください。
●本日のお勧め作品は松本竣介です。
松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO《人物(W)》
1942年
紙に鉛筆
イメージサイズ:23.5x20.5cm
シートサイズ: 27.5x22.5cm
*この作品は両面に描かれている
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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