土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

19.『畧説 虐殺された詩人』~前編

『畧説 虐殺された詩人』、湯川書房 叢書溶ける魚No.3、1972年9月(図1)。限定300部署名入り。変型判(23.8×14.0㎝) 29頁、並製(アンカット)、ボール紙スリーブ函(図2)。ギヨーム・アポリネール「暗殺された詩人」の抄訳、鈴木(瀧口)綾子の口絵(図3)。

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奥付の記載事項
畧説者瀧口修造*挿絵瀧口綾子*編集鶴岡善久・政田岑生*刊行湯川成一*印刷鈴木美術印刷*製本片岡紙工*発行湯川書房*昭和四十七年九月十日発行

解題
本書はアポリネールの「虐殺された詩人」の抄訳で、湯川書房の叢書「溶ける魚」のNo.3として刊行されました。初出は雑誌「セルパン」(春山行夫編集、第一書房発行)1935年9月号(図4)に掲載された「暗殺された詩人」です(図5)。装丁者については特に記載がありませんが、表紙および本文にアンカットの別漉局紙、スリーブ函にはボール紙を用いるなど、素材の質感を生かしているところなどからすると、瀧口による自装かもしれません。「後書」には次のように記されています。

「畧説・アポリネール作「虐殺された詩人」は昭和十年九月号の「セルパン」(第一書房、春山行夫編集)に「暗殺された詩人」という題名で掲載された。長く記憶からすら失われていたのを、ヨシダ・ヨシエ氏から古本屋で見附けたといって贈られたのである。これは今日のいわゆるダイジェストであろうが、再録することになり、久しぶりに原作を再読してみて、とりわけ興味深い詩に関する細部などを素通りして、こんな早や口の語り物にしてしまった無謀ぶりにはただあきれ、赤面するばかりである。」

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瀧口らしい謙遜した書きぶりですが、実際には、詩人クロニアマンタルの望まれざる生誕から悲惨な最期を遂げるまでの生涯を、恋人トリストゥウズとの関係を軸として簡潔にまとめた、見事な抄訳と思われます。窪田般彌氏による全訳が白水社「小説のシュルレアリスム」シリーズの『暗殺された詩人』(1980年。図6)の巻頭に収録されています。同書の巖谷國士氏による解説によると、窪田訳の原書は1916年刊行のLe poéte assassiné, Éd. Bibliothéque des Curieux, Parisで、1914年に書かれていた中編「虐殺された詩人」を巻頭に、1911年頃から発表された計14篇の独立した短篇を配し、最後に「仮面の砲兵伍長奇談すなわち蘇生した詩人」によって、全巻を一挙に関連づけながらしめくくるという、変則的な小説集の形をとったものとされています。

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物語に登場する「ペナンの鳥」はアポリネールの友人だったピカソを想わせ、そのためか、初出ではピカソの筆による、大僧正の服を着たアポリネールの有名な肖像(図6)も掲載されています。初出末尾の瀧口による付記には、ピカソがアポリネールの記念像を制作中であるというフランスの記事に言及されており、どんなものになるか「無限の興味を抱かずにいられない」と記されています。

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本書ではこのアポリネールの肖像図版は割愛されていますが、初出の付記は「註」として再録され、さらに続けて「註」の「附記」として、次のような後日談が加えられています。すなわち、ピカソによるアポリネールの記念像の制作は第二次大戦後、パリ市議会の承認をえたが、物語で描かれたような、内部に空間をもった虚ろな空間に設置する構想が委員会により否決されたため、ピカソも半ば投げた形になり、アポリネール像ではなく、ピカソの愛人だった写真家ドーラ・マールをモデルにしたらしい女の頭部がサンジェルマン・デ・プレの教会裏に設置された、と。「アポリネールも地下で苦笑していることであろう」と締めくくられています。

なお、「セルパン」誌の本号はこの年6月にパリで開催された、文化擁護のための「国際作家会議報告」の特集を組んでおり(図8)、アンドレ・ジイド「文化の擁護」、ジュリアン・バンダ「文学とコンミュニスム」、レオン・ピエールカン「国際作家会議の状況」、アンドレ・マルロオ「『閉会の辞』より」、松井雄次郎「大会とソヴエト作家」などが掲載されています。なお、翻訳4編には訳者の表記がなく、ジイドおよびバンダは「抄訳」とされています。

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この会議での発表をより広範に集めて紹介した報告書として、小松清編『文化の擁護』(第一書房、1935年10月。図9)があり、ここに瀧口は上記のジュリアン・バンダ「文学とコンミュニスム」、レオン・ピエール=カン「大会初見」を訳出しています。「セルパン」誌の訳文とは若干異なるようですので、「セルパン」誌の訳者は瀧口とは別の人物と思われますが、うえで述べたように、「セルパン」誌の記事は「抄訳」とされていますので、断定はできません。

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「セルパン」誌の特集号にも『文化の擁護』にも、アンドレ・ブルトンの講演は含まれていませんが、おそらくこれは、参照されたフランスの新聞・雑誌などに掲載されていなかったためでしょう。ブルトンはこの会議の直前に、「労働を拒否」する「腐った肉」などとシュルレアリストを侮辱していたソヴィエト連邦の代表イリヤ・エレンブルグを殴打する事件を起こし、出席を認められませんでした。ブルトンが用意していた講演原稿は、ポール・エリュアールが代読する形となり、しかもすでに深夜となっており途中で打ち切られてしまったそうです。「『世界を変革する』とマルクスは言い、『生命を変える』とランボオは言った。この二つの命題は吾吾にとって一つのものにほかならないのである」(瀧口訳)という有名なスローガンで締めくくられたこの講演原稿は、ブルトンから瀧口の許に直送され、山中散生編『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』(「超現実主義の交流」、ボン書店。1936年10月。図10)に訳出・掲載されました。ただ、伏せ字の箇所が随所に見られ、瀧口としては不本意だったことでしょう。

202104土渕信彦_図9図10

本書がシリーズの1冊として収録された湯川書房の叢書「溶ける魚」は、全5冊からなります。本書以外の4冊は以下のとおりで、函のデザインは各巻で異なっています。ちなみに、叢書名の「溶ける魚」はブルトンの物語集の名称で、1924年に『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』として「宣言」部分の後半に収録される形で刊行されました。自動記述によって書かれ、文学におけるシュルレアリスムの代表的な作品のひとつとされています。「溶ける魚」が叢書の名として用いられた経緯や命名者、各巻の装丁者は、特に記されていません。

No.1 大岡信『彼女の薫る肉体』、1971年5月
No.2 吉岡実『液体』、1971年9月
No.4 土方巽『犬の静脈に嫉妬することから』、1976年2月
No.5 飯島耕一『一九五四・五年詩集』、1976年9月
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

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AAA_0898塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。3月28日には第5回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。


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板橋区美さまよえる絵筆5月23日(日)まで「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」展が開催中。松本竣介難波田龍起福沢一郎オノサト・トシノブらの戦前・戦中期の作品が展示されています。担当学芸員の弘中智子さんによる展覧会紹介は4月22日ブログに掲載予定です。招待券が若干あります、ご希望の方はメールにてときの忘れものまでお申込みください。

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WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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