明日4月28日はわが愛する瑛九(1911年4月28日 - 1960年3月10日)の誕生日です。
今年は生誕110年になります。

昨年10月29日のブログで「名作は旅をする~瀧口修造の場合」と題して、瀧口修造先生の1962年の水彩の名品が遠くパリまで渡り(1986年)、その後30数年を経て、駒込・ときの忘れものに取り合えず旅装を解いたことをご報告しました。少なくとも約2万kmの旅でした。
それがわかるのは、作品の裏に記された文言、額の裏に貼られたシール等に記された情報があるからです。
今回は太平洋を往復した珍しい瑛九のフォトデッサン「Kiss」をご紹介しましょう。

瑛九キス瑛九「kiss
フォトデッサン
28.0x22.5cm サインあり

瑛九KISS裏面同作品の裏、スタンプが捺され、シールが添付されている。

作品の画面中央下にペンによるサインがされ、裏面にはご覧のようにスタンプが捺され、シールが添付されています。

P.I.P. PHOTO BY
PLEASE CREDIT
ORION

QE-63 Kiss, Photo Dessin, by Kyu Ei (1950 )

THIS PHOTO IS SOLD WITH
ONE TIME PUBLICATION RIGHTS ONLY
P.I.P. 173 WEST 81 ST. NEW YORK 24. N.Y.


これらの英文は何を意味するのでしょうか。
宮崎で生まれ育ち、浦和で亡くなった(死んだのは東京の病院で)瑛九は生涯ただの一度も日本を出たことはありませんでした。中学校すら出ていない(つまり小学校卒)。
しかし瑛九はエスペラント語を学び、海外の雑誌や画集を取り寄せ、海外の動向にも敏感でした。思考は常に世界的な視野を失いませんでした。
その瑛九の夢は自分の作品(ことにフォトデッサン)が世界の舞台で評価されることでした。
海外での作品発表の機会がただ一度ありました。

1953年1月、PIP(Photographic International Publicity)という雑誌から、オリオン商事という版権の専門会社を通じてニューヨークで個展を開催しないかという話が持ち込まれ、瑛九は自分のフォトデッサンが国際的なレベルでも評価されることを確信して、小判15点、大判25点の計40点のフォトデッサンをアメリカに送りました。

さらに(1953年1月~3月)「米国と欧州でも展覧会を」という話が急浮上し、故郷の宮崎の新聞に大大的に報道されるような出来事がありました。
瑛九はPIPからの追加要求に応え、再び多数の作品(四つ切サイズ40点とも言われる)をアメリカに送りました。

僕も遂に米国から大きな申込みがやってきました。多分父上からそのことに就てはお聞き下さったでしょう。家内が父上へ手紙を書きましたから僕からは詳しく申上げません。
僕は今度こそ僕にとって絶好のチャンスだと思ってゐます。おそらく、僕の一生のうちで最も大きな事件となるでしょう。
・・・
  (1953年3月9日 兄の杉田正臣宛 瑛九書簡より)>

瑛九の高揚した気持ちが伝わってきますが、残念なことに個展は実現せず、同年3月にアメリカの有力写真展「トップス・イン・フォトグラフィー展」5点が出品されただけで、のちに(3年も経ってから)二つの写真雑誌「フォトグラフィ」と「アート・フォトグラフィ」に紹介されただけで終わりました。
計2回にわけて送ったフォトデッサンは紆余曲折のすえ、日本に戻されました。
*この間の事情については、山田光春さんの著書『瑛九 評伝と作品』(1976年 青龍洞)及びその元となった瑛九の会機関誌『眠りの理由』第9.10号合併号(1969年7月)に従って書いているのですが、アメリカでの写真展「トップス・イン・フォトグラフィー展」の詳しい会期もいまだ未調査です。

2012年の「第22回瑛九展」に出品した上掲の「Kiss」は、一度はアメリカに渡り、返送されてきたうちの1点です。

瑛九「KISS」の旅は、
1950年  制作 
1953年  浦和の瑛九アトリエからアメリカへ
同年末頃 アメリカから、浦和の瑛九アトリエに帰国。
1960年  瑛九死去
 ・・・・・・(経路不明)
2012年  東京の某機関から青山・ときの忘れものへ
2012年  青山時代のときの忘れもの企画展「第22回瑛九展」に出品展示される
2015年  東京から福岡へ、九州のH氏が購入

東京~ニューヨーク間は凡そ10,840kmらしいので往復約22,000km、東京~福岡が片道約1000km、合わせて23,000kmの旅をして九州へ。その先の旅はどうなっているのでしょうか。

瑛九没後60年の時を経て「アートバーゼル香港2019」にて史上初めて海外で瑛九の個展が実現しました。
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右壁面には1930年代から1950年代のフォトデッサンを展示しました。瑛九の夢は叶いました。これらの作品も多くの旅をしてきた名作です。

第28回カタログ表『第28回 瑛九展』(アートバーゼル香港)図録
2019年 ときの忘れもの
B5版 36頁 作品17点、参考図版27点掲載
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館)
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:Polly Barton、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:880円(税込み) *送料250円

●瑛九の資料・カタログ等については2019年1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
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*画廊亭主敬白
コロナウイルス感染がやまず、遂に三度目の緊急事態宣言が出されました。ときの忘れものは4月29日(木曜、祝日)から5月11日(火曜)まで臨時休廊いたします。
4月29日(木曜、祝日)から、5月5日(水曜、祝日)まで、長い人では7連休になります。
以前ならゴールデンウィークに海外や国内の観光地へ旅する人は多かったでしょう。
今回ばかりは ステイホーム!
どうぞ皆さん、連休中はこのブログを一日一回はのぞいてください。
連載陣のエッセイはもちろん、連休中は毎日「一日限定! 破格の掘り出し物/写真特集」を開催します。
出品予定は、濱谷浩、深瀬昌久、五味彬、風間健介、赤瀬川源平、ホンマタカシ、澤田知子、ジョック・スタージス、細江英公、ウィン・バロック、尾形一郎 尾形優 など、29日から5月5日まで一日限りの特別価格にてご案内します。明日28日に最終第6回が発表される塩見允枝子先生の特別頒布会と合わせ、どうぞお楽しみください。

塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第5回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
AAA_0898塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。3月28日には第5回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。

埼玉県立近代美術館で5月16日まで「コレクション 4つの水紋」が開催中。倉俣史郎の名作「ミス・ブランチ」が出品されているほか、ときの忘れものが寄贈した瑛九(コラージュ)や靉嘔の版画も展示されています。4月17日ブログにスタッフMの観覧レポートを掲載しました。


宮崎県立美術館で6月22日まで「第1期コレクション展」が開催中。今年生誕110年を迎えた瑛九の油彩、水彩、版画、フォトデッサンなど32点が展示されています。

大分市美術館で7月11日まで「第1期コレクション展/生誕110年 糸園和三郎と"自由美術"」が開催中。瑛九のリトグラフ3点が展示されています。

●中国の上海と広東省仏山市で安藤忠雄展
church of water上海の復星芸術センター(Fosun Foundation)で6月6日まで「安藤忠雄:挑戦」が、広東省仏山市の安藤忠雄設計による和美術館(He Art Museum)で8月1日まで「BEYOND:ANDO TADAO and ART」が開催中。4月26日ブログでスタッフSが二つの安藤展を紹介しています。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。