井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第5回
『ビーチ・バム』
映画監督 / 作家として知られるハーモニー・コリンについて書かれたテキストを読むとき、かなり頻繁に「“恐るべき子供”として知られ……」とか「若き天才としてデビューし……」といった前置きを目にする。一般的にコリンを説明するとき、19歳で脚本を執筆した『KIDS』や初監督作『ガンモ』の話をするのが最もわかりやすく、そこを避けて通れないということには納得するし、「へえ、そうなんだ!」と惹きつけられる読者も実際に沢山いるのだろう。けれどわたしはコリンを「恐るべき子供」や「若き天才」と認識したことはこれまでに一度もなかった。
じゃあどんな印象だったのか。友達がレンタルしてくれた『KIDS』のVHS(?)を観て「えっ、倫理的にひどくない……?」と素直に動揺してしまったとか、『スプリング・ブレイカーズ』を興奮気味に鑑賞したものの、当時のメモには「あずきバー食べながら観たらめちゃナイスになった!」としか書いていなかったとかそういう、自分の知識や理解が追いついていなかっただけの時期については割愛するとして、わたしがハーモニー・コリンをはっきりと認識したのはジョナス・メカスの映画『Sleepless Nights Stories』においてのことだった。
この映画にはメカスの友人として、ビョークやパティ・スミス、ルイ・ガレル、オノ・ヨーコなど錚々たる面々が登場するのだけれど、ハーモニー・コリンもそのうちの一人として、出演をしていた。映画の中で、メカスに再会したコリンが最初に話すのはこんな内容だ。
「ミスター・メカス! 2~3年ぶりかな? ダンス以来……。間違えた、ダンスしたのは5~6年前だよね。いや違う、3年半くらい前? もっと昔だったことにしたいんだよね、俺が荒れてた頃のことを。」
冗談っぽく笑いながら、当時80歳を超えるメカスとの会話をダンスの思い出で始めたり、メカスの映画の撮り方について嬉しそうに褒めたたえるコリンの姿を見て「なんて優しそうな、イケてる大人なんだろう!」と感じたのを覚えている。そう、わたしの中のハーモニー・コリンの第一印象は(ポジティブな意味では同じだけれど)「恐るべき子供」ではなく、むしろ「優しい大人」だったのだ。『Sleepless Nights Stories』の中でハーモニーのパートナーであるレイチェルの妊娠が報告され、生まれたての娘・レフティが映し出されることも、「優しい大人」のイメージを強くした理由のひとつかもしれない。
そしてその印象が変わらぬままに年月が経ち、レフティが自分のアクセサリーブランド(※1)を立ち上げるまでに成長した現在、ハーモニー・コリンの新作『ビーチ・バム』(2019)が日本で公開されている。主人公のムーンドッグは「かつて天才と讃えられた」詩人だが、日焼けした金髪で、だらっとした薄いアロハのセットアップを着用し、酒を飲みながら水辺をさまよう、一見「関わりたくない」感じの人物だ。
しかし映画を観終えたあとではその印象は一変し、ムーンドッグにもハーモニー・コリンを初めて認知したときと同じ気持ち(「なんて優しそうな、イケてる大人なんだろう!」)を抱くようになる。道端で出会った白い猫や、パートナーのミニー、女たち、海。ムーンドッグが愛する対象に向き合うシーンでは、まるで天国みたいに幸せな気分が画面から溢れ出し、なみなみとこちらにまで届いてくるからだ。
一方で『ビーチ・バム』の劇中、『KIDS』を初めて観たときのような倫理的な不安を1ミリも抱かない訳ではなかった。そんなときには、作者であるハーモニー・コリンの言葉をふと思い出す。
「道徳的に曖昧なものや曖昧な美しさを持っているもの、何かひっかかるものを見たら、自分を検閲しません。常に光に向かって走るんです。」(※2)
わたしには日々、自分を検閲しているような感覚がある。その感覚は、なくてはならないものだとも感じる。しかし検閲の目的は何だったのだろう? 「誰かに嫌われないように」とか「誰かに怒られないように」といった、周囲の視線にあわせた基準で物事を判断するようになっていたのではないか。そんなことを、この映画に思い知らされた気がした。そしてここで思い出すのは、ムーンドッグとハーモニー・コリンは単に「優しい大人」というだけでなく、共に詩人だということ。
詩は「一人の芸術」だからこそ、詩人は常にみずからの美意識を問い、みずからの意志で判断を下す(※3)。その姿は、ふだん周囲の視線を気にした選択をし続けている人にこそ輝いて見えるのではないだろうか。人に囲まれている場面の多いムーンドッグだけれど、詩人が一番多くの時間を過ごしているのは(当たり前かもしれないけれど)自分だ。客に全くウケていない昔の自分の朗読ビデオに対峙し「いいぞ」「最高だよ」と励ましながら微笑む場面では、その画面の外から、ハーモニー・コリンもまたムーンドッグを同じように観察し、鼓舞し、微笑んでいるのではないかと妄想してしまう。
そう考えていくうち、ハーモニー・コリンやムーンドッグを語る場合に「恐るべき子供」や「かつての天才」、「優しい大人」というような補足はもはや自分には必要がなく、ただただ「詩人」ということだけがわかれば、それで十分なのではないかと思い至った。『ビーチ・バム』の劇中で流れるThe Cureの楽曲は、またしても詩人であるジョナス・メカスがかつて撮影した映像(※4)の中でも流れていて、ハーモニー・コリン、ムーンドッグ、ジョナス・メカス、そしてあらゆる詩人たちが、それぞれの場所で音楽に身を委ねる美しい時間を想像せずにはいられない。
『ビーチ・バム』の上映館はコロナウイルスの感染拡大やそれにともなう政策、その他の事情によってあまり多くはないようだけれど、自らの意思で「光に向かって走る人」の姿は、そんな状況でこそ輝きを増すのかもしれない。
※1 https://www.instagram.com/byleftyofficial/
※2 https://www.lecinemaclub.com/archives/a-selection-of-three-short-films/
※3 「詩は何百という口を持つ。詩人はバラの花を歌い上げることも、王者や神に怒りをぶちまけることもできる。しかし、たとえどちらを行なうにしろ、詩人はみずからの意志でそれを行なう。(中略)読者よ、あなた方の大統領を射殺せよ、もしそうしなければならぬと感じるなら。だが、長靴をはいたまま無意識の花畑に踏み入ってはならない。」(『メカスの映画日記』より)
※4 ジョナス・メカス『My Mars Bar Movie』(2011)
おまけ:
このブログの執筆途中に、ハーモニー・コリンがジョナス・メカスとAnthology Film Archivesに捧げた短編『Curb Dance』(2011)がアップされているのを発見。コリン自らが出演し、踊り、ナレーションする様子を観て「さすが詩人から詩人への贈り物だ……」と勝手に胸が熱くなってしまいました。
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2021年5月22日掲載予定です。
●こちらのブログもお読みください
2019年02月19日『追悼 ジョナス・メカス~井戸沼紀美「東京と京都で Sleepless Nights Stories 上映会」』
●本日のお勧め作品は百瀬寿です。
百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"Square lame' - G, Y, R, V around White"
2009年
シルクスクリーン
42.5x42.5cm
Ed.90
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」全6回の連載が完結しました。
塩見允枝子先生には昨秋11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。4月28日ブログには第6回目となる特別頒布作品を掲載しました。フルクサスの稀少作品をぜひこの機会にコレクションしてください。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『ビーチ・バム』
映画監督 / 作家として知られるハーモニー・コリンについて書かれたテキストを読むとき、かなり頻繁に「“恐るべき子供”として知られ……」とか「若き天才としてデビューし……」といった前置きを目にする。一般的にコリンを説明するとき、19歳で脚本を執筆した『KIDS』や初監督作『ガンモ』の話をするのが最もわかりやすく、そこを避けて通れないということには納得するし、「へえ、そうなんだ!」と惹きつけられる読者も実際に沢山いるのだろう。けれどわたしはコリンを「恐るべき子供」や「若き天才」と認識したことはこれまでに一度もなかった。
じゃあどんな印象だったのか。友達がレンタルしてくれた『KIDS』のVHS(?)を観て「えっ、倫理的にひどくない……?」と素直に動揺してしまったとか、『スプリング・ブレイカーズ』を興奮気味に鑑賞したものの、当時のメモには「あずきバー食べながら観たらめちゃナイスになった!」としか書いていなかったとかそういう、自分の知識や理解が追いついていなかっただけの時期については割愛するとして、わたしがハーモニー・コリンをはっきりと認識したのはジョナス・メカスの映画『Sleepless Nights Stories』においてのことだった。
この映画にはメカスの友人として、ビョークやパティ・スミス、ルイ・ガレル、オノ・ヨーコなど錚々たる面々が登場するのだけれど、ハーモニー・コリンもそのうちの一人として、出演をしていた。映画の中で、メカスに再会したコリンが最初に話すのはこんな内容だ。
「ミスター・メカス! 2~3年ぶりかな? ダンス以来……。間違えた、ダンスしたのは5~6年前だよね。いや違う、3年半くらい前? もっと昔だったことにしたいんだよね、俺が荒れてた頃のことを。」
冗談っぽく笑いながら、当時80歳を超えるメカスとの会話をダンスの思い出で始めたり、メカスの映画の撮り方について嬉しそうに褒めたたえるコリンの姿を見て「なんて優しそうな、イケてる大人なんだろう!」と感じたのを覚えている。そう、わたしの中のハーモニー・コリンの第一印象は(ポジティブな意味では同じだけれど)「恐るべき子供」ではなく、むしろ「優しい大人」だったのだ。『Sleepless Nights Stories』の中でハーモニーのパートナーであるレイチェルの妊娠が報告され、生まれたての娘・レフティが映し出されることも、「優しい大人」のイメージを強くした理由のひとつかもしれない。
そしてその印象が変わらぬままに年月が経ち、レフティが自分のアクセサリーブランド(※1)を立ち上げるまでに成長した現在、ハーモニー・コリンの新作『ビーチ・バム』(2019)が日本で公開されている。主人公のムーンドッグは「かつて天才と讃えられた」詩人だが、日焼けした金髪で、だらっとした薄いアロハのセットアップを着用し、酒を飲みながら水辺をさまよう、一見「関わりたくない」感じの人物だ。
©2019 BEACH BUM FILM HOLDINGS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
しかし映画を観終えたあとではその印象は一変し、ムーンドッグにもハーモニー・コリンを初めて認知したときと同じ気持ち(「なんて優しそうな、イケてる大人なんだろう!」)を抱くようになる。道端で出会った白い猫や、パートナーのミニー、女たち、海。ムーンドッグが愛する対象に向き合うシーンでは、まるで天国みたいに幸せな気分が画面から溢れ出し、なみなみとこちらにまで届いてくるからだ。
一方で『ビーチ・バム』の劇中、『KIDS』を初めて観たときのような倫理的な不安を1ミリも抱かない訳ではなかった。そんなときには、作者であるハーモニー・コリンの言葉をふと思い出す。
「道徳的に曖昧なものや曖昧な美しさを持っているもの、何かひっかかるものを見たら、自分を検閲しません。常に光に向かって走るんです。」(※2)
わたしには日々、自分を検閲しているような感覚がある。その感覚は、なくてはならないものだとも感じる。しかし検閲の目的は何だったのだろう? 「誰かに嫌われないように」とか「誰かに怒られないように」といった、周囲の視線にあわせた基準で物事を判断するようになっていたのではないか。そんなことを、この映画に思い知らされた気がした。そしてここで思い出すのは、ムーンドッグとハーモニー・コリンは単に「優しい大人」というだけでなく、共に詩人だということ。
詩は「一人の芸術」だからこそ、詩人は常にみずからの美意識を問い、みずからの意志で判断を下す(※3)。その姿は、ふだん周囲の視線を気にした選択をし続けている人にこそ輝いて見えるのではないだろうか。人に囲まれている場面の多いムーンドッグだけれど、詩人が一番多くの時間を過ごしているのは(当たり前かもしれないけれど)自分だ。客に全くウケていない昔の自分の朗読ビデオに対峙し「いいぞ」「最高だよ」と励ましながら微笑む場面では、その画面の外から、ハーモニー・コリンもまたムーンドッグを同じように観察し、鼓舞し、微笑んでいるのではないかと妄想してしまう。
©2019 BEACH BUM FILM HOLDINGS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
そう考えていくうち、ハーモニー・コリンやムーンドッグを語る場合に「恐るべき子供」や「かつての天才」、「優しい大人」というような補足はもはや自分には必要がなく、ただただ「詩人」ということだけがわかれば、それで十分なのではないかと思い至った。『ビーチ・バム』の劇中で流れるThe Cureの楽曲は、またしても詩人であるジョナス・メカスがかつて撮影した映像(※4)の中でも流れていて、ハーモニー・コリン、ムーンドッグ、ジョナス・メカス、そしてあらゆる詩人たちが、それぞれの場所で音楽に身を委ねる美しい時間を想像せずにはいられない。
『ビーチ・バム』の上映館はコロナウイルスの感染拡大やそれにともなう政策、その他の事情によってあまり多くはないようだけれど、自らの意思で「光に向かって走る人」の姿は、そんな状況でこそ輝きを増すのかもしれない。
※1 https://www.instagram.com/byleftyofficial/
※2 https://www.lecinemaclub.com/archives/a-selection-of-three-short-films/
※3 「詩は何百という口を持つ。詩人はバラの花を歌い上げることも、王者や神に怒りをぶちまけることもできる。しかし、たとえどちらを行なうにしろ、詩人はみずからの意志でそれを行なう。(中略)読者よ、あなた方の大統領を射殺せよ、もしそうしなければならぬと感じるなら。だが、長靴をはいたまま無意識の花畑に踏み入ってはならない。」(『メカスの映画日記』より)
※4 ジョナス・メカス『My Mars Bar Movie』(2011)
おまけ:
このブログの執筆途中に、ハーモニー・コリンがジョナス・メカスとAnthology Film Archivesに捧げた短編『Curb Dance』(2011)がアップされているのを発見。コリン自らが出演し、踊り、ナレーションする様子を観て「さすが詩人から詩人への贈り物だ……」と勝手に胸が熱くなってしまいました。
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2021年5月22日掲載予定です。
●こちらのブログもお読みください
2019年02月19日『追悼 ジョナス・メカス~井戸沼紀美「東京と京都で Sleepless Nights Stories 上映会」』
●本日のお勧め作品は百瀬寿です。
百瀬寿 Hisashi MOMOSE"Square lame' - G, Y, R, V around White"
2009年
シルクスクリーン
42.5x42.5cm
Ed.90
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」全6回の連載が完結しました。
塩見允枝子先生には昨秋11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。4月28日ブログには第6回目となる特別頒布作品を掲載しました。フルクサスの稀少作品をぜひこの機会にコレクションしてください。●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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