松本竣介研究ノート 第27回
情報官鈴木庫三について 中
小松﨑拓男
戦中期の軍人に対してどうやら我々は、ある種のステレオタイプ化した像を抱いているようだ。暴力的で粗野、無教養、差別的、強圧的な言動、恫喝などなど。こうした軍人=悪役的なイメージを作り上げた言葉の数々は、全く根拠がないものだとは言えないが、個別のケースについては注意して調べてみなければ、こうした先入観や思い込みの故に、その実態や実際を見誤ることがある。そのことを明瞭に教えてくれるのが前回取り上げた佐藤卓己の著書『言論統制』である。
佐藤はその「あとがき」でこう書いている。「そもそも、彼(鈴木庫三:筆者注)を批判する人で本当に『鈴木庫三が何者か』を知っていたものはいたのだろうか。たとえば、彼が日本大学を首席で卒業して、吉田静致教授の下で大学院倫理教育学専攻の助手を務めていたという事実。『英文日記』を書き、カントを原書で講義する陸軍将校。こうした鈴木庫三の実像を知っていた人はほとんどいなかった」(注1)と。そして「実際、『日本の小ヒムラー』『内乱の教唆者』『札付きの武断派』・・・」(注2)といった「対象をラベリングするだけ」(注2)で、実相を見ることなく、スケープゴートとして「別の政治目的に利用された可能性」(注2)を危惧している。つまり、それは軍人(=ファシスト)への協力と抵抗といったような二項対立の中で戦中期を捉えようとしたり、藤田嗣治をフランスへと追いやり、鶴田吾郎を戦犯画家として糾弾したりした戦争責任論の戦後のイデオロギーや、そのドグマ的な争いの中に、戦中期の事実を溶解させてしまうことになりはしないだろうか、ということでもあるだろう。
図1 宮本百合子(左から2人目 和服)らと座談会での鈴木庫三(中央 白のジャケット)佐藤卓己『言論統制』より
ヨーロッパ文化に対しても一定の理解や教養があっただろうはずの鈴木庫三(図1)が、なに故に粗暴な軍人と世間が思い込むことになったのだろうか。佐藤によれば、そこには石川達三の戦後に書かれた小説『風にそよぐ葦』が関係しているという。これは、戦時中の1942年に起こった特高警察による出版社改造社と中央公論に対するでっち上げの言論弾圧事件、横浜事件などを題材にした「軍部の言論弾圧に抗したインテリ群像を描く社会小説」(注3)で、毎日新聞に前編後編合わせて1949年から1951年の3年にもわたる異例の長期連載(図2)となり、さらに東映によって映画化(図3)をされた当時の人気小説であった。
図2 石川達三『風にそよぐ葦』新聞連載 佐藤卓己『言論統制』より
図3 映画『風にそよぐ葦』ポスター 佐藤卓己『言論統制』より
この小説に描かれた情報部の将校が鈴木庫三をモデルにしたものであり、居丈高に出版社の幹部を恫喝する粗暴で傲慢な軍人として登場する。この姿が、実際の言論弾圧を受けた実在する編集者や関係者たちの当時の記憶や言動に重ね合わされ、実名で登場する人物もいたことから、全てが鈴木庫三によって実際に行われていたことのように、喧伝され誤認されていった、というのが真相であるだろう。
「当時、雷おやじとまで出版界から恐れられてゐたせいか、大分事実と違つて悪者にされてゐる」(注4)「敗戦の結果、自由主義者の天下になったので、勝手な自分達のみに都合のよいことを遠慮もなく記述してゐる。之に対して誰れ一人抗議する人もない」(注4)この佐藤の紹介する鈴木の戦後の日記の記述には、世間から誤解される自身の姿に、忸怩たる思いを感じながらも軍人が反論するなどということが許されない戦後の当時の状況に、沈黙するしかなかった鈴木の様子を見て取ることができる。
松本竣介が「抵抗の画家」とラベリングされてしまった経緯も、この鈴木庫三とは真逆だったとは言え、美術界に起こった戦中の出来事に対しての、戦争への協力と抵抗といった二項対立的で短絡的な仕分けや、戦後の政治イデオロギーの対立の中で繰り広げられた戦犯探しのような安直な責任論によって引き起こされた事態だったようにも思える。あるいは、軍国主義一色となってしまった当時の状況に、拒否や抵抗といった理想型を何とかして見出し、自分達もそうした思想の側にいたのだという、一種のアリバイ作りの結果だったのかもしれない。なぜなら菊畑茂久馬の文章を引用する形で、佐藤も指摘するように、あの「国防と美術」の座談会の司会者であった美術批評家荒城季夫すら、まるで自己の言動を忘れたかのように、戦犯追及の側に立っていた事実もあるからだ。(注5)
こうした節操のなさを批判することは容易い。だが、この変わり身の早さゆえにこそ、我々は注意しなくてはならない。それは歴史的事実と、あるいはそれまで巷間に事実とされてきた事柄と、オーラルヒストリーや公になっていなかった日記などに潜む陥穽に、実際に起こっていた出来事を誤認する可能性があるということでもあるだろう。それは美術や美術史の研究においては、作品に対する鋭い感覚や感受性も確かに重要であろうが、また一方で、資料に対する実証的で、証拠に基づいた冷徹な分析もまた必要だということを示している。(続く)
注1 佐藤卓己『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』中公新書1759 中央公論社 2004年 p420
注2 同上 p421
注3 同上 p15
注4 同上 p20
注5 同上 p395
(こまつざき たくお)
●小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。
■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め作品は松本竣介です。

松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《作品》
紙に鉛筆
イメージサイズ:22.5x25.2cm
シートサイズ: 28.5x37.5cm
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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佐藤はその「あとがき」でこう書いている。「そもそも、彼(鈴木庫三:筆者注)を批判する人で本当に『鈴木庫三が何者か』を知っていたものはいたのだろうか。たとえば、彼が日本大学を首席で卒業して、吉田静致教授の下で大学院倫理教育学専攻の助手を務めていたという事実。『英文日記』を書き、カントを原書で講義する陸軍将校。こうした鈴木庫三の実像を知っていた人はほとんどいなかった」(注1)と。そして「実際、『日本の小ヒムラー』『内乱の教唆者』『札付きの武断派』・・・」(注2)といった「対象をラベリングするだけ」(注2)で、実相を見ることなく、スケープゴートとして「別の政治目的に利用された可能性」(注2)を危惧している。つまり、それは軍人(=ファシスト)への協力と抵抗といったような二項対立の中で戦中期を捉えようとしたり、藤田嗣治をフランスへと追いやり、鶴田吾郎を戦犯画家として糾弾したりした戦争責任論の戦後のイデオロギーや、そのドグマ的な争いの中に、戦中期の事実を溶解させてしまうことになりはしないだろうか、ということでもあるだろう。
図1 宮本百合子(左から2人目 和服)らと座談会での鈴木庫三(中央 白のジャケット)佐藤卓己『言論統制』よりヨーロッパ文化に対しても一定の理解や教養があっただろうはずの鈴木庫三(図1)が、なに故に粗暴な軍人と世間が思い込むことになったのだろうか。佐藤によれば、そこには石川達三の戦後に書かれた小説『風にそよぐ葦』が関係しているという。これは、戦時中の1942年に起こった特高警察による出版社改造社と中央公論に対するでっち上げの言論弾圧事件、横浜事件などを題材にした「軍部の言論弾圧に抗したインテリ群像を描く社会小説」(注3)で、毎日新聞に前編後編合わせて1949年から1951年の3年にもわたる異例の長期連載(図2)となり、さらに東映によって映画化(図3)をされた当時の人気小説であった。
図2 石川達三『風にそよぐ葦』新聞連載 佐藤卓己『言論統制』より
図3 映画『風にそよぐ葦』ポスター 佐藤卓己『言論統制』よりこの小説に描かれた情報部の将校が鈴木庫三をモデルにしたものであり、居丈高に出版社の幹部を恫喝する粗暴で傲慢な軍人として登場する。この姿が、実際の言論弾圧を受けた実在する編集者や関係者たちの当時の記憶や言動に重ね合わされ、実名で登場する人物もいたことから、全てが鈴木庫三によって実際に行われていたことのように、喧伝され誤認されていった、というのが真相であるだろう。
「当時、雷おやじとまで出版界から恐れられてゐたせいか、大分事実と違つて悪者にされてゐる」(注4)「敗戦の結果、自由主義者の天下になったので、勝手な自分達のみに都合のよいことを遠慮もなく記述してゐる。之に対して誰れ一人抗議する人もない」(注4)この佐藤の紹介する鈴木の戦後の日記の記述には、世間から誤解される自身の姿に、忸怩たる思いを感じながらも軍人が反論するなどということが許されない戦後の当時の状況に、沈黙するしかなかった鈴木の様子を見て取ることができる。
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注1 佐藤卓己『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』中公新書1759 中央公論社 2004年 p420
注2 同上 p421
注3 同上 p15
注4 同上 p20
注5 同上 p395
(こまつざき たくお)
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千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
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主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め作品は松本竣介です。

松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO《作品》
紙に鉛筆
イメージサイズ:22.5x25.2cm
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