土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

20.『地球創造説』~前編

『地球創造説』、限定300部。著者本50部(1~50)。上製本230部(51~280)、変型判(28.3×23.1)38頁、カバー、帙(図1,2)。特製本20部(281~300)、変型判(30.5×26.6)38頁・瀧口修造オリジナル・デッサン1葉挿入、皮装上製、箱、身蓋箱、段ボール身蓋外箱(図3~5)。なお、著者本50部は、番号の続きからすると、上製本だったものと思われます。上製本の帙は、平たく薄い黒色の皮紐で縛る方式ですが、脆く切れやすいので、取扱には十分注意が必要です。

図1図1

図2図2

図3図3

図4図4

図5図5

本文と奥付の間に次のように記された頁が挿入されています。

「「地球創造説」は一九二八年の夏に書かれ、同年十一月號の『山繭』に發表、翌一九二九年九月刊行の『詩と詩論』(第五冊)にそのまま再録された。その後『瀧口修造の詩的實驗1927~1937』(初版一九六七年、思潮社刊)に、収めるにあたり、『詩と詩論』に據り、假名遣いを今日風に改めたほか本文にも僅かながら手が加えられた。この刊本は、『山繭』に據り、誤植と誤記二、三を改訂したのみで原文を再現するよう心がけた。」

奥付の記載事項
昭和四十七年十一月三十日發行
瀧口修造
地球創造説
發行者 山田耕一
發行所 株式會社山田書店
東京都臺東區浅草一ノ二十一ノ五
印刷所 株式會社蓬莱屋印刷所
東京都中央區八丁堀四ノ十二ノ八
製本所 岸田製本紙工業株式會社

刊行の翌1973年、書肆山田より現代詩叢書3として縮刷版が刊行されています。変型判(11.4×12.7)38頁 並製 カバー・帯(図6)。

図6図6

奥付の記載事項
昭和四十八年九月十日発行
著者 瀧口修造
地球創造説
発行者 山田耕一
発行所 書肆山田
東京都台東区浅草一ノ二十一ノ五
発売元 牧神社
印刷所 蓬莱屋印刷所
製本所 岸田製本
割付安利麻慎
定価 1000円

解題
『地球創造説』は、同人誌「山繭」第3巻第10号(山繭発行所、1928年11月。図7,8)に発表された同名の長詩を、44年後に単行本化したもので、山田書店から刊行されました。造形作家と共作の詩画集を除けば、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(思潮社、1967年12月。図9)に続く2冊目の詩集ということになります。上製本、特装本、縮刷版とも、黒色の洋紙に墨インクで本文を印刷するという特異な装丁が採用され、光の反射を調節しないと判読することができません。特製本20部に付された瀧口修造オリジナル・デッサンは、黒紙に黒鉛筆で描かれたロトデッサン(図10)で、これも本書同様、視る角度を変えて光線の具合を調節しないと、図柄を視認することができません。逆に、ロトデッサンと同様の視覚的効果を印刷によって実現するために、本書の装丁が案出されたのかもしれません。

図7図7

図8図8

図9図9

図10図10

なお、ロトデッサンは、ターンテーブル上に固定した紙をモーターで回転させ、そこに鉛筆などを押し当てて描くという、瀧口が開拓した手法による線描作品で、線の形態は、初期には螺旋状でしたが、機械の更新・高度化とともに図10のような同心円状に変化しました。マルセル・デュシャンの「回転半球」やロト・レリーフ、ジャン・ティンゲリーのメタマティック・デッサン(機械を動かして自動的に描いたドローイング)などの作品を念頭に置いたものと思われ、1964年3月29日付けのデュシャンに宛てた書簡にも、ロトデッサン作品が1葉添えられていました。

同人誌「山繭」は、小学館『日本百科大全書』の千葉俊二の記述によれば、「1924年(大正13)12月創刊。29年(昭和4)2月終刊。全36冊。石丸重治が中心となり、小林秀雄、永井龍男、富永太郎、河上徹太郎らを初期の同人とし、のち堀辰雄、瀧口修造を加え、中原中也らが寄稿。昭和文学における芸術派の文学者たちの文学的出発を飾った記念碑的な雑誌」とされています。表紙絵は富本憲吉によるものだったことも、付け加えておきます。1974年に日本近代文学館から復刻版が刊行されました(図7,8,11,12,16,17は、すべて復刻版)。

中心人物の石丸重治(1902~68)は、柳宗悦の甥にあたる英国ゴシック建築・工芸の研究者で、夫人の石丸かよ(旧姓中島)は柳夫人(声楽家の柳兼子)の妹でしたから、柳とは義兄弟でもあったことになります。府立一中から慶應義塾大学に進学し、1927年に英文科を卒業しています。瀧口より1歳年長で、卒業年次は4年早い先輩でした。石丸に対して瀧口は、「地球創造説」発表の約1年前の「山繭」第2巻第12号(1927年10月。図11,12)に「秋の雑記帳―ゴチックの愛慕家石丸重治兄に」を寄せています。68年12月に胃癌のため没した石丸の追悼文集『回想の石丸重治』(佐藤朔編、三田文学ライブラリー、1969年11月。図13)が刊行され、編者の佐藤朔はもちろん、西脇順三郎、石坂洋次郎、永井龍男、田辺茂一、上田保、厨川文夫、池田弥三郎らが寄稿しています。瀧口の名は、69年2月に脳血栓で倒れて入院中だったためか、見当たりませんが、上述の日本近代文学館による復刻版付録小冊子「解説」(図14)に「追想」を寄せ、次のように回想しています。

「石丸重治氏は塾では先輩であり、よく世話になった。同人費などは出した覚えもない。同人の集まりにはいつも夕食の御馳走になった。そんなとき私は制服を嫌い、着た切り雀の浴衣などを着て出かけたことがあったためか、おそらく同人には内緒で石丸氏からお父さんの形見らしい英国地の上等の夏服を貰ったことがある。[中略]「山繭」の編集と経営の責任者であった石丸氏は民芸や英国のゴシック建築に深い関心を抱いていたが、その人の趣味がしだいに誌上にもつよまって行ったと思われる。」

図11図11

図12図12

図13図13

図14図14

また、「山繭」誌への参加の経緯や同人との交友については、次のように記しています。

「永井龍男と再会、すすめられて同人誌「山繭」に加わる。当時はすでに詩作らしいものからも離れて、メモ風の断片を書いているのみで、最初は東京の文学志望の仲間に加わることも躊躇された。貧しい学生として会費を納めた記憶なく、いつも同人石丸重治宅に集り、その世話になる。富永太郎の死の直後で、小林秀雄とは、同人の集まりで数度会ったが、平素の交友はほとんどなかった。よく話を交わしたのは永井龍男と堀辰雄などであった。」(「自筆年譜」1926年の項)

「僕の二度目の上京の時、彼[永井龍男]は僕の下宿から手帖に書きつけた詩とも手記ともつかない断片を持ってゆき、『山繭』に載せたのが抑々の機縁だったと記憶している。」(「ある時代 詩人詩生活物語草紙<七>」、「蝋人形」、1939年10月。図15)

図15図15

最初の引用で「永井龍男と再会」とされているのは、最初の上京(1921年)後に通っていた日進英語学校で出会い、すでに友人となっていたからです。「山繭」に最初に掲載された「雨」および「月」(第11号、1926年6月。図16,17)は、2番目の引用にあるとおり、瀧口の手帖から永井が選定したものです。掲載と同時期の1926年頃に執筆されたと考える向きもありますが(例えば鶴岡善久「瀧口修造論―日本シュルレアリスム詩運動の流れのなかで」、『シュルレアリスムの発見』、湯川書房、1979年3月)、実際にはそれよりかなり遡った、最初の上京(21年)から慶應義塾大学文学部予科への入学(23年)の頃に執筆されていたのではないでしょうか。手帖に書き溜められていた旧作から永井が選定したものと思われます。この点は「初期詩篇の再検討―「雨」「月」「冬」は、いつ執筆されたか」(瀧口修造研究会会報「橄欖」第1号、2009年7月。図18)で論じましたので、どうぞご参照ください。

図16図16

図17図17

図18図18
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●本日のお勧めは瀧口修造です。
takiguchi2014_II_02瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"Ⅱ-2"
デカルコマニー、水彩、紙
イメージサイズ:13.6×9.9cm
シートサイズ :13.6×9.9cm
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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