王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第16回
「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展を訪れて
東京都美術館で2021年7月22日から10月9日まで開催されている「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展に行ってきました。
東京都美術館の企画棟地下2-3階の特徴的な展示室で開かれた本展は、いずれも20世紀のほぼ同時代を別々の場所で生き、近年他界したジョナス・メカス、増山たづ子、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田、ズビニェク・セカル、東勝吉の5作家の個展アンサンブルです。
東京都美術館ニュース(*1)によると、タイトルはジョン・レノンのアルバムから取ったそうです。展覧会は、作家各々を取り巻く困難を超克する創作活動、既存の美術潮流とは積極的に交わることのなかった生きるための創作、それぞれの作家の”記憶”などが主題になっていました。
*1:https://www.tobikan.jp/media/pdf/2021/tmam_news467.pdf
昨年から続くコロナ禍による、人が集まることや移動の制約で、当たり前だった文化活動が困難になり、映画、演劇、音楽、美術各界から抗議声明や公的支援を求める動きがありました。更に、この文章を書いている現在、日々東京オリンピックパラリンピックで競技する/した選手たちの姿がインターネットやテレビで放送され、何が不要で不急なのか、一般の私たちにも突きつけられています。加えて、建築家や現代アートの若手作家の作家プロフィールに、ステイトメントや代表作・個展歴よりも、学歴・留学歴と受賞歴が長く羅列される一部の傾向に個人的には違和感がありました。それが求められている背景は一体なんなんだろう、と。
その点、本展の対象になった作家たちはそういった創作活動への政府や支援団体からのサポートの有無、美術教育を受けたかどうかや受賞歴はほとんど関係なく、それぞれが郷土や身の回りの愛するもの、或いは自身の内面と向き合った、素朴で根源的な欲求による表現とその活動の蓄積が展示されました。
パンフレットと図録表紙
***
もぎりを通って地下2階に降りると、ジョナス・メカスの「静止した映画フィルム」シリーズ24点に迎えられます。「Frozen Film Frames」という原題の通り、動く映像を止めた作品ですが、今日となっては映像が静止画の連続から成るという構造的な側面も魅力だと思います。
「ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌」によると、映画の16mmフィルムから複数コマを抜き出しプリントするこのシリーズは、1982年に綿貫さんがメカス氏に出会い、アンソロジー・フィルム・アーカイブズ(*2)の資金賛助のために、翌年制作された7点のシルクスクリーンが始まりだそうです。私がジョナスメカスの日記映画を知ったのは、イメージフォーラムの実験映画史で前衛映像作品を多数観せてもらった時のことですが、綿貫さんによって実現されたメカス氏の初来日の際にメカス氏がイメージフォーラムを訪問されたこともこの本の中に書かれており、あらためて現代版画センターとイメージフォーラムに恐れ入った次第です。
4時間48分に及ぶ長編映画《歩みつつ垣間見た美しい時の数々》は、シーンが次々と切り替わる早送りされたホームムービーにナレーションが入ったもので、鉄棒で回転した人物が回転前後で変わるなど、ユーモラスな編集も微笑ましかったです。
*2:http://anthologyfilmarchives.org/about/history
GALLERY C ジョナス・メカス作品展示風景
隣接する展示室で紹介された増山たづ子は、60歳から88歳までの28年間、郷土の岐阜県旧徳山村の暮らし、顔見知りの人々のスナップショットを撮り貯めました。デジタル写真ネイティブに伝わる表現かわかりませんが、家族の写真アルバムを開いたような大量のL版の写真がご本人の言葉とともに展示されています。被写体となった集落はダムに沈む運命を辿りました。
GALLERY C 増山たづ子作品展示風景
地下3階の吹き抜けのある展示室のシルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田は、夫の祖国である日本に移住し、育児中心の生活で、素描、彫刻、絵画に取り組みました。《地獄の門》のアイデア(シートNo.19)は、一部に額と口元をおさえた人物が描かれ、一部に新聞紙がコラージュされています。新聞記事には、1987年夏に沖縄で開かれた国体に現天皇(当時浩宮)が訪れ、その際に警察が沖縄の住民に方言を使わないよう要請した可能性が書かれていました。(*3)祖国の言葉が通じない異国での暮らしの不自由さを、同じく話す言葉の自由を奪われた沖縄の人に重ねたのかもしれません。祈りや信仰がテーマのドローイングが多く並ぶ中、絵本の中から飛び出してきたようなカラスは、羽を伸ばして生き生きしていました。
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田《地獄の門》のアイデア(シートNo.19)
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田《烏(カラス)》(シートNo.72)
*3 :切り取られている範囲では、そうした報道の一方で、名護警察は方言禁止要請を否定したとありますが、もしそのようなことがあったのだとすれば、言語の多様性を脅かしているだけでなく人権侵害だと思います。
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田の作品と併せて展示されたのは、ズビニェク・セカルの彫刻で、作家の背景を知らずとも、重みや傷、打痕、反復性、複雑さの表れるものでした。矩形のフレームが入り子状になったシリーズは箱なのか祭壇なのか、作家の抱える内面の問題を閉じ込める、或いは昇華させるために繰り返し創られる装置や儀式のように見えました。
GALLERY A ズビニェク・セカル作品展示風景
東勝吉は、83歳からの余生16年間、湯布院をはじめとする郷土の四季を対象にした水彩画を描きました。パッチワークか刺繍のようにも見える色彩とタッチで捉えた自然の風景画が並ぶ中、晩年の自画像が印象的でした。当時、特別養護老人ホームの集団生活の中で、利用者の個性を育んだり、自己表現を促す活動が継続されていたというのは簡単なことではないと思います。
東勝吉《草取り》, 1996
東勝吉《自画像》, 2006
***
過去に「ダイアリー」をテーマにした恵比寿映像祭や金沢21世紀美術館のコレクション展で、日記的作品から見えてくるパブリック性が指摘されたように、本展の私的な作品群からは、便利な暮らしのインフラために失われる自然、移住先で自立して暮らすこと、孤独、ライフワークの再発見や地域共生など、現代社会をとりまく普遍的な状況を指摘することもできます。
本展は、もともと2020年の年間スケジュールで発表され、その年の夏に開催される予定だった展覧会で、コロナ禍以前に企画・準備されていたものですが、日々大切なものは何かを問いかけられている現在、より切実に向き合いたい内容になっていたのではないでしょうか。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。
■王 聖美 Seibi OH
WHAT MUSEUM 学芸員(建築)。1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody -“超移動社会”がもたらす新たな変容-」(2018)、「UNBUILT : Lost or Suspended」(2018)など。
●展覧会のお知らせ
「Walls&Bridges 世界にふれる、世界を生きる」
会期:2021年7月22日(木・祝)~10月9日(土)
時間:9:30~17:30
会場:東京都美術館 ギャラリーA・B・C(東京都台東区上野公園8-36)
観覧料:一般 800円、65歳以上 500円
※学生以下、80歳以上、外国籍は無料。
「Walls&Bridges 世界にふれる、世界を生きる」は、自らを取り巻く“障壁”を展望を可能にする橋へと変え、芸術活動の糧へと昇華させた5人の作り手にフォーカスする企画展。絵画、彫刻、写真、映像といったそれぞれ異なる分野のアーティストである5名の、不思議な親和性のある作品を一堂に集める。
●本日のお勧めはジョナス・メカスです。
ジョナス・メカス Jonas MEKAS
「写真を撮るウーナ、ニューヨーク、1977(いまだ失われざる楽園)」
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
signed
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「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展を訪れて
東京都美術館で2021年7月22日から10月9日まで開催されている「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展に行ってきました。
東京都美術館の企画棟地下2-3階の特徴的な展示室で開かれた本展は、いずれも20世紀のほぼ同時代を別々の場所で生き、近年他界したジョナス・メカス、増山たづ子、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田、ズビニェク・セカル、東勝吉の5作家の個展アンサンブルです。
東京都美術館ニュース(*1)によると、タイトルはジョン・レノンのアルバムから取ったそうです。展覧会は、作家各々を取り巻く困難を超克する創作活動、既存の美術潮流とは積極的に交わることのなかった生きるための創作、それぞれの作家の”記憶”などが主題になっていました。
*1:https://www.tobikan.jp/media/pdf/2021/tmam_news467.pdf
昨年から続くコロナ禍による、人が集まることや移動の制約で、当たり前だった文化活動が困難になり、映画、演劇、音楽、美術各界から抗議声明や公的支援を求める動きがありました。更に、この文章を書いている現在、日々東京オリンピックパラリンピックで競技する/した選手たちの姿がインターネットやテレビで放送され、何が不要で不急なのか、一般の私たちにも突きつけられています。加えて、建築家や現代アートの若手作家の作家プロフィールに、ステイトメントや代表作・個展歴よりも、学歴・留学歴と受賞歴が長く羅列される一部の傾向に個人的には違和感がありました。それが求められている背景は一体なんなんだろう、と。
その点、本展の対象になった作家たちはそういった創作活動への政府や支援団体からのサポートの有無、美術教育を受けたかどうかや受賞歴はほとんど関係なく、それぞれが郷土や身の回りの愛するもの、或いは自身の内面と向き合った、素朴で根源的な欲求による表現とその活動の蓄積が展示されました。
パンフレットと図録表紙***
もぎりを通って地下2階に降りると、ジョナス・メカスの「静止した映画フィルム」シリーズ24点に迎えられます。「Frozen Film Frames」という原題の通り、動く映像を止めた作品ですが、今日となっては映像が静止画の連続から成るという構造的な側面も魅力だと思います。
「ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌」によると、映画の16mmフィルムから複数コマを抜き出しプリントするこのシリーズは、1982年に綿貫さんがメカス氏に出会い、アンソロジー・フィルム・アーカイブズ(*2)の資金賛助のために、翌年制作された7点のシルクスクリーンが始まりだそうです。私がジョナスメカスの日記映画を知ったのは、イメージフォーラムの実験映画史で前衛映像作品を多数観せてもらった時のことですが、綿貫さんによって実現されたメカス氏の初来日の際にメカス氏がイメージフォーラムを訪問されたこともこの本の中に書かれており、あらためて現代版画センターとイメージフォーラムに恐れ入った次第です。
4時間48分に及ぶ長編映画《歩みつつ垣間見た美しい時の数々》は、シーンが次々と切り替わる早送りされたホームムービーにナレーションが入ったもので、鉄棒で回転した人物が回転前後で変わるなど、ユーモラスな編集も微笑ましかったです。
*2:http://anthologyfilmarchives.org/about/history
GALLERY C ジョナス・メカス作品展示風景隣接する展示室で紹介された増山たづ子は、60歳から88歳までの28年間、郷土の岐阜県旧徳山村の暮らし、顔見知りの人々のスナップショットを撮り貯めました。デジタル写真ネイティブに伝わる表現かわかりませんが、家族の写真アルバムを開いたような大量のL版の写真がご本人の言葉とともに展示されています。被写体となった集落はダムに沈む運命を辿りました。
GALLERY C 増山たづ子作品展示風景地下3階の吹き抜けのある展示室のシルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田は、夫の祖国である日本に移住し、育児中心の生活で、素描、彫刻、絵画に取り組みました。《地獄の門》のアイデア(シートNo.19)は、一部に額と口元をおさえた人物が描かれ、一部に新聞紙がコラージュされています。新聞記事には、1987年夏に沖縄で開かれた国体に現天皇(当時浩宮)が訪れ、その際に警察が沖縄の住民に方言を使わないよう要請した可能性が書かれていました。(*3)祖国の言葉が通じない異国での暮らしの不自由さを、同じく話す言葉の自由を奪われた沖縄の人に重ねたのかもしれません。祈りや信仰がテーマのドローイングが多く並ぶ中、絵本の中から飛び出してきたようなカラスは、羽を伸ばして生き生きしていました。
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田《地獄の門》のアイデア(シートNo.19)
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田《烏(カラス)》(シートNo.72)*3 :切り取られている範囲では、そうした報道の一方で、名護警察は方言禁止要請を否定したとありますが、もしそのようなことがあったのだとすれば、言語の多様性を脅かしているだけでなく人権侵害だと思います。
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田の作品と併せて展示されたのは、ズビニェク・セカルの彫刻で、作家の背景を知らずとも、重みや傷、打痕、反復性、複雑さの表れるものでした。矩形のフレームが入り子状になったシリーズは箱なのか祭壇なのか、作家の抱える内面の問題を閉じ込める、或いは昇華させるために繰り返し創られる装置や儀式のように見えました。
GALLERY A ズビニェク・セカル作品展示風景東勝吉は、83歳からの余生16年間、湯布院をはじめとする郷土の四季を対象にした水彩画を描きました。パッチワークか刺繍のようにも見える色彩とタッチで捉えた自然の風景画が並ぶ中、晩年の自画像が印象的でした。当時、特別養護老人ホームの集団生活の中で、利用者の個性を育んだり、自己表現を促す活動が継続されていたというのは簡単なことではないと思います。
東勝吉《草取り》, 1996
東勝吉《自画像》, 2006***
過去に「ダイアリー」をテーマにした恵比寿映像祭や金沢21世紀美術館のコレクション展で、日記的作品から見えてくるパブリック性が指摘されたように、本展の私的な作品群からは、便利な暮らしのインフラために失われる自然、移住先で自立して暮らすこと、孤独、ライフワークの再発見や地域共生など、現代社会をとりまく普遍的な状況を指摘することもできます。
本展は、もともと2020年の年間スケジュールで発表され、その年の夏に開催される予定だった展覧会で、コロナ禍以前に企画・準備されていたものですが、日々大切なものは何かを問いかけられている現在、より切実に向き合いたい内容になっていたのではないでしょうか。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。
■王 聖美 Seibi OH
WHAT MUSEUM 学芸員(建築)。1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody -“超移動社会”がもたらす新たな変容-」(2018)、「UNBUILT : Lost or Suspended」(2018)など。
●展覧会のお知らせ
「Walls&Bridges 世界にふれる、世界を生きる」会期:2021年7月22日(木・祝)~10月9日(土)
時間:9:30~17:30
会場:東京都美術館 ギャラリーA・B・C(東京都台東区上野公園8-36)
観覧料:一般 800円、65歳以上 500円
※学生以下、80歳以上、外国籍は無料。
「Walls&Bridges 世界にふれる、世界を生きる」は、自らを取り巻く“障壁”を展望を可能にする橋へと変え、芸術活動の糧へと昇華させた5人の作り手にフォーカスする企画展。絵画、彫刻、写真、映像といったそれぞれ異なる分野のアーティストである5名の、不思議な親和性のある作品を一堂に集める。
●本日のお勧めはジョナス・メカスです。
ジョナス・メカス Jonas MEKAS「写真を撮るウーナ、ニューヨーク、1977(いまだ失われざる楽園)」
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
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