井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第7回

『愛のように感じた』『17歳の瞳に映る世界』

※文中、『17歳の瞳に映る世界』の重要なシーンにまつわる記載がございます。

8月6日、小田急線の車内で20歳の女が36歳の男に刺された。犯行の動機が「幸せそうな女性を殺したかった」というものだと知って、どん底まで気分が落ちた。SNSでひたすら「#StopFeminicides」のタグを追う。タイムラインでおすすめされていた『説教したがる男たち』と『女が死ぬ』をKindleで買って一気に読み、自分の感情の正体を明確にせねばと焦っていた。

そんな時、エリザ・ヒットマン監督の映画に出会った。監督の映画『愛のように感じた』と『17歳の瞳に映る世界』は、どちらも静かな作品だけれど、自分が「女」として感じてきた後悔や危うさ、現在の憤り、そして信じるべき未来について、自分の分まで雄弁に語ってくれるような気がした。

第一長編『愛のように感じた』は、14歳の主人公・ライラが、ビキニを着こなす経験豊富な友人・キアラに触発されて「性」に気付きはじめる物語。観進めるうち、心の奥から、ざわざわとした記憶が呼び起こされた。



それは中学校の研修で、1週間ほど海外に行ったときのこと。宿泊先の1室に同級生の男女が集まって、王様ゲームをした。番号を引いてしまうと、10代の性欲がそのまま反映されたような指令を受けなければならず、地獄だった。グラビア写真のようなポーズで椅子に座らされる友人。自然と頭が痛くなり、引きあげて自分の部屋に戻ったけれど、当時の自分はその不快感を、本当の大きさでは理解できていなかったように思う。

自分の身に、親しくもない男と数十秒間、同じベッドに潜らなければいけないという指令が下されたとき。男は布団の中から、周囲に聞こえるような声の大きさで、わたしたちのあいだに何かが起こったような演技をした。思い返すと言語道断で気持ち悪いが、当時、異常に地味で自分に自信のなかったわたしは「この状況をなんとか盛り上げようと気遣ってくれているのだな」と相手の男にうっすら感謝を覚えた記憶がある。そんな布団、そもそも潜らなくて良かったのに。

だから『愛のように感じた』のライラが「誰とでも寝る男」に惹かれ、ズルズルと危険な場所に足を踏み入れてしまう危うさを、わたしはとても生々しく、恐ろしく感じた。10代の前半、愛のように、気遣いのように感じてしまう罠が、どこにでも蔓延っている。自発的に「目覚める」のではなく、閉じていた瞼をこじあけられるようにして、不快感や焦りとともに性を認識し始めたとき、霞んだ瞳で世界を正しく判別できるはずがない。コーヒーカップに乗せられた時のように、好奇心と吐き気とともにめまぐるしい景色を眺めるしかないのだ。

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一度こじあけられた瞼は、簡単に閉じられない。『17歳の瞳に映る世界』の主人公・オータムは劇中、ずっと目を開いている。なぜか。ステージで歌っていれば客席から「淫乱女」と叫ばれ、予期せぬ妊娠をして不安で眠れず(妊娠させた相手は不在)、バスに乗れば友人が見知らぬ男から声をかけられるし、クタクタで乗った電車にも変質者がいるからだ。なぜ女には安心して目を閉じる権利すら与えられないのだろうと、怒りがこみ上げてくる。



しかし、ヒットマン作品の女たちはそんな怒りや悲しみをその身で感じながらも、「悲劇のヒロイン」としては描かれない。ライラもオータムも、オータムの友人・スカイラーも、自分の体の決定権を持つのは自分だけだと気がついているのだ。

たとえばオータムと共にバスでニューヨークにやってきたスカイラーは、中絶費用と交通費を確保するため、ナンパ男とキスをする。「好意のない男とキスしないと家に帰れないなんて」。そのシーンを見た時、初めは悲しさが胸に込み上げた。しかし次にスカイラーの表情が映されたとき、これは可哀想なシーンではないと気づく。スカイラーは辛そうな表情をしているどころか、一瞬、恍惚とした表情さえ覗かせているように見えたからだ。男の言いなりになっているのではなく、スカイラーのほうが意思を持って男を利用している。主導権を渡していない。だからこそ、その様子を発見したオータムは、相手の男を殴るのではなく、手を伸ばしてスカイラーと小指を繋いだのだ。まるで自分たちの未来を約束するように。

ヒットマン監督は、女の人権が踏みにじられる現実を厳しいまなざしで見つめると同時に、いつまでも女が「可哀想な存在」でいる訳がないということをわかって、映画を撮っている。分かりやすいハッピーエンドやスカッとする逆転劇はないけれど、地道に、着実に、未来を見据える監督の姿勢に励まされた。すぐに言葉に出来ずとも、自分が見たもの、感じたことは、いつか証言になる。

▼書ききれなかったこと

・『17歳の瞳に映る世界』主演のシドニー・フラニガンによるプレイリスト『The Future Is Femme』がパワフルでいい感じ

・同じくシドニー・フラニガンのバンド・Starjuiceのライブ映像

『17歳の瞳に映る世界』の脚本が、全編ダウンロード可能になっている…!(一番下のYou can also download a copy of the screenplay HERE.の箇所から。)

・『愛のように感じた』は「イーニッド・フィルム」による初の自主配給作品。ありがたい

・朝帰りの主人公が横目で見る太極拳、男が車を運転しながらアカペラで口ずさむラップ、劇中「コーヒー」と呼ばれる犬の名前はナゲット、オルゴールで回る女、産婦人科で見せられるビデオ、待合室の手品、女子トイレ、手を舐めてくる店長キモすぎ
いどぬま きみ

井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。

井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2021年11月22日掲載予定です。

*画廊亭主敬白
締切厳守の井戸沼さんから今月の連載原稿をいただいたのは10日前の9月12日でした。
いまネットで炎上している上智大学教授の元教え子さんへのセクハラ、アカハラ問題の影も形もなかった。
<林さんは「対等な自由恋愛」「2人の関係が対等であった」と主張されているようですが、教員と学生の立場で、その関係が対等であるわけがない美術手帖の記事、そして美術評論家連盟からどのような声明が出るのか、注視したいです。(20210920/小田原のどかさんのtwitterより)>
こういう声が美術界の権威に対してすかさず出てくる、時代は大きく変わった。

臨時ニュース
クリスト! ジャンヌ=クロード!「包まれた凱旋門、パリ、1961-2021」・・・観に来たよ!
柳正彦さんが昨日パリに飛びました。明日のブログで第一報をお届けします。

クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード展(予約は不要です)
会期=2021年10月8日[金]―10月30日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝休
christo and jeanne-claude DM (1&2)


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フォト・デッサン
25.2×18.9cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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