土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
21.『星と砂と 日録抄』~前編
『星と砂と 日録抄』草子1、書肆山田、1973年2月。四六判15頁、アンカット無綴じ、紙スリーブ。裁断前の折り丁のひとつをそのまま茶色の紙スリーブで巻いたもの(図1,2)。
図1
図2
奥付の記載事項
草子1 瀧口修造星と砂と 昭和四十八年二月二十五日発行 発行編集人山田耕一 発行所山田書店=東京都台東区浅草一ノ二一ノ五 印刷所=蓬莱屋印刷所 定価三〇〇円
刊行の4か月後に限定特装版が刊行されています。
『星と砂と 日録抄』草子1(限定特装版35部署名入り)、書肆山田、1973年6月。変型判(27.8×18.0)15頁、アンカット、袋。和紙(蔵王紙雪晒し)の折り丁ひとつ(16頁)をさらに同じ和紙の表紙・扉・奥付頁の折り丁(4頁)で挟んで本文頁とし、出雲民芸紙雁皮の遊び紙でくるみ、裏にマーブル紙を貼ったインド・ゴート革表紙で挟み込んだ上、同革紐で中綴じしたもの(図3,4)。
図3
図4
奥付の記載事項
草子 1
昭和四十八年六月三十日発行
星と砂と 日録抄
著者=瀧口修造
発行者=山田耕一
発行所=書肆山田 東京都台東区浅草一ノ二十一ノ五
電話/東京(841)八〇八七 振替口座/東京一六八九九五
印刷=株式会社蓬莱屋印刷所
製本=岸田製本
定価弐萬円
星と砂と
限定35部ノ内
[赤インクにより記番]
奥付頁の2頁後に次のような記載があります。
表紙インド・ゴート革/小林栄商事 マーブル紙制作/福井一 出雲民芸紙雁皮/阿部栄四郎 蔵王紙雪晒し/遠藤忠雄
解題
『星と砂と 日録抄』は、書肆山田の「草子」シリーズの「1」として刊行された短篇集です。「日録抄」という副題からすると、日々の記録ないし備忘録である「日録」から、11篇の随想・詩・断章などを選んで収録した本のようですが、11篇の各篇には、『寸秒夢』(第18回)所収の「夢三度」で付されていた日付が見当たりません。その代わり11の(すなわち全体の)末尾に、「夏から冬へ。1972」という記載が置かれています。本書とは別に、瀧口には「日録」と題された1篇があります(日本読書新聞1969年3月17日号に掲載。「本の手帖」特集瀧口修造、1969年8月に再録。図5)。こちらは「1月某日」で始まる記述6節、「2月某日」で始まる記述1節の、計7節から成り、本書よりも「日録」に相応しい形です。ということからすると、本書は1972年夏から冬にかけての「日録」に加除修正が行われ、編集されたものかもしれません。浄書稿が残されています(図6)。
図5
図6
本書でまず注目されるのは、装幀の斬新さでしょう。製本用の折り丁ひとつを、アンカットのままスリープ紙でくるむというもので、繙読するにはペーパーナイフでカットする必要があります(図7)。もちろん、原形を損ないたくないという向きは、折り丁を拡げてノンブルに従って頁を追うことも可能ですが(図8)、やはりカットするのが本来の姿と思われます。読み進めるに応じて1枚ごとに頁をカットしていくというのは、読者だけが味わうことができる贅沢な特権ともいえるでしょう。
図7
図8
限定特装版では本文用紙は和紙となりますが、アンカットの形は踏襲されています。インド・ゴート革表紙で挟み込んだ上、同革紐によって中綴じした形は、できるだけ素材の物質感を活かした瀧口の装幀の特色がよく示されており、手づくり本のような趣も感じられます(図9)。つくりは簡素ですが、吟味された素材が用いられていますから、製作費は嵩んだことでしょう。刊行された1973年は第1次オイルショックに伴ういわゆる「狂乱物価」の直前で、当時の2万円は今日の水準で7~8万円程度のようです。35部を売り切ったとしても70万円(今日の250~300万円程度)。おそらく瀧口の意向に沿ってリーズナブルな水準に抑えたのでしょうが、これで採算を取るのはなかなか厳しかったかもしれません。発行所の奮闘・苦闘ぶりが偲ばれます。
図9
刊行時のスリープ裏面には「草子刊行案内」として、本書以下、「2吉増剛造 近刊 3飯島耕一 4大岡信 5吉岡実」と記されていますが(図10)、実際に刊行されたのは、以下のラインナップです(図11,12)。
2 天沢退二郎 「評伝オルフェ」の試み
3 吉岡実 異霊祭
4 飯島耕一 ゴヤを見るまで
5 三好豊一郎 老練な医師
6 岩成達也+風倉匠 レッスン・プログラム
7 高橋睦郎 巨人伝説
8 谷川俊太郎 質問集
図10
図11
図12
8のスリープ裏面には、さらに佐々木幹郎、吉増剛造、澁澤孝輔、大岡信などの刊行が予告されていますが、未刊のようです(図13)。
図13
続いて本書の内容を見ることにします。通常なら目次を転載するところですが、本書には目次がありません。表紙・裏表紙(奥付頁を兼ねる)も加えて、折り丁ひとつの16頁、本文のみでは14頁ですから、それも当然と思われます。そこで、以下に11篇の冒頭の1句を記すことにします。
1 なぜ夜にむかって心がたかぶる
2 石器時代が絵地図化す。
3 小指の、小指のさきの妖精が殺された。
4 久々に訪れた一夜の浅草で道に迷う。
5 自然は隠れることを好む。
6 星にも一生があると謂う
7 地上近くに、いつも群れている鳥たちの死骸を見ることは稀れだ、とふと思う。
8 一定の空間内でみずからに問う。
9 「破壊が創造であるかどうか、私は知らぬ。私が知っているのは、創造が破壊である、ということだ。」 オクタヴィオ・パス
10 私はどちらかといえば、あまり旅行をしないたちの人間であるらしい。
11 なぜ人は星を追いつづけるのか。
句読点の有無でお判りと思いますが、1と6は詩で、特に6は「星または石 巖谷國士に」と題されています。4は夢の記録のようです。そのほかは随想(ないし断想)や断章といえるでしょう。「日録抄」なのですから、本書に一貫した筋だてがあるわけではありませんが、タイトルからして、「星」および「砂」に関するものが多いのは当然で、「星」に言及のあるものが1,6,10,11の4篇、また「砂」(や石・土・地面など)に言及されたものが、1,2,3,6,7,10,11の7篇あります。なかでも10は与論島のスター・サンド(星砂)をめぐるエピソードの報告で、これを受けて11では、星、砂および言葉をめぐる随想が展開されています。本書のタイトル「星と砂と」はこの2篇に由来すると見ることができるかもしれません。頁数からいっても、10と11で本文14頁のうち6頁を占めています。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●本日のお勧めは瑛九です。
瑛九 Q Ei
《二人》
1951年 フォト・デッサン
27.5x21.5cm サインと年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
21.『星と砂と 日録抄』~前編
『星と砂と 日録抄』草子1、書肆山田、1973年2月。四六判15頁、アンカット無綴じ、紙スリーブ。裁断前の折り丁のひとつをそのまま茶色の紙スリーブで巻いたもの(図1,2)。
図1
図2奥付の記載事項
草子1 瀧口修造星と砂と 昭和四十八年二月二十五日発行 発行編集人山田耕一 発行所山田書店=東京都台東区浅草一ノ二一ノ五 印刷所=蓬莱屋印刷所 定価三〇〇円
刊行の4か月後に限定特装版が刊行されています。
『星と砂と 日録抄』草子1(限定特装版35部署名入り)、書肆山田、1973年6月。変型判(27.8×18.0)15頁、アンカット、袋。和紙(蔵王紙雪晒し)の折り丁ひとつ(16頁)をさらに同じ和紙の表紙・扉・奥付頁の折り丁(4頁)で挟んで本文頁とし、出雲民芸紙雁皮の遊び紙でくるみ、裏にマーブル紙を貼ったインド・ゴート革表紙で挟み込んだ上、同革紐で中綴じしたもの(図3,4)。
図3
図4奥付の記載事項
草子 1
昭和四十八年六月三十日発行
星と砂と 日録抄
著者=瀧口修造
発行者=山田耕一
発行所=書肆山田 東京都台東区浅草一ノ二十一ノ五
電話/東京(841)八〇八七 振替口座/東京一六八九九五
印刷=株式会社蓬莱屋印刷所
製本=岸田製本
定価弐萬円
星と砂と
限定35部ノ内
[赤インクにより記番]
奥付頁の2頁後に次のような記載があります。
表紙インド・ゴート革/小林栄商事 マーブル紙制作/福井一 出雲民芸紙雁皮/阿部栄四郎 蔵王紙雪晒し/遠藤忠雄
解題
『星と砂と 日録抄』は、書肆山田の「草子」シリーズの「1」として刊行された短篇集です。「日録抄」という副題からすると、日々の記録ないし備忘録である「日録」から、11篇の随想・詩・断章などを選んで収録した本のようですが、11篇の各篇には、『寸秒夢』(第18回)所収の「夢三度」で付されていた日付が見当たりません。その代わり11の(すなわち全体の)末尾に、「夏から冬へ。1972」という記載が置かれています。本書とは別に、瀧口には「日録」と題された1篇があります(日本読書新聞1969年3月17日号に掲載。「本の手帖」特集瀧口修造、1969年8月に再録。図5)。こちらは「1月某日」で始まる記述6節、「2月某日」で始まる記述1節の、計7節から成り、本書よりも「日録」に相応しい形です。ということからすると、本書は1972年夏から冬にかけての「日録」に加除修正が行われ、編集されたものかもしれません。浄書稿が残されています(図6)。
図5
図6本書でまず注目されるのは、装幀の斬新さでしょう。製本用の折り丁ひとつを、アンカットのままスリープ紙でくるむというもので、繙読するにはペーパーナイフでカットする必要があります(図7)。もちろん、原形を損ないたくないという向きは、折り丁を拡げてノンブルに従って頁を追うことも可能ですが(図8)、やはりカットするのが本来の姿と思われます。読み進めるに応じて1枚ごとに頁をカットしていくというのは、読者だけが味わうことができる贅沢な特権ともいえるでしょう。
図7
図8限定特装版では本文用紙は和紙となりますが、アンカットの形は踏襲されています。インド・ゴート革表紙で挟み込んだ上、同革紐によって中綴じした形は、できるだけ素材の物質感を活かした瀧口の装幀の特色がよく示されており、手づくり本のような趣も感じられます(図9)。つくりは簡素ですが、吟味された素材が用いられていますから、製作費は嵩んだことでしょう。刊行された1973年は第1次オイルショックに伴ういわゆる「狂乱物価」の直前で、当時の2万円は今日の水準で7~8万円程度のようです。35部を売り切ったとしても70万円(今日の250~300万円程度)。おそらく瀧口の意向に沿ってリーズナブルな水準に抑えたのでしょうが、これで採算を取るのはなかなか厳しかったかもしれません。発行所の奮闘・苦闘ぶりが偲ばれます。
図9
刊行時のスリープ裏面には「草子刊行案内」として、本書以下、「2吉増剛造 近刊 3飯島耕一 4大岡信 5吉岡実」と記されていますが(図10)、実際に刊行されたのは、以下のラインナップです(図11,12)。
2 天沢退二郎 「評伝オルフェ」の試み
3 吉岡実 異霊祭
4 飯島耕一 ゴヤを見るまで
5 三好豊一郎 老練な医師
6 岩成達也+風倉匠 レッスン・プログラム
7 高橋睦郎 巨人伝説
8 谷川俊太郎 質問集
図10
図11
図128のスリープ裏面には、さらに佐々木幹郎、吉増剛造、澁澤孝輔、大岡信などの刊行が予告されていますが、未刊のようです(図13)。
図13続いて本書の内容を見ることにします。通常なら目次を転載するところですが、本書には目次がありません。表紙・裏表紙(奥付頁を兼ねる)も加えて、折り丁ひとつの16頁、本文のみでは14頁ですから、それも当然と思われます。そこで、以下に11篇の冒頭の1句を記すことにします。
1 なぜ夜にむかって心がたかぶる
2 石器時代が絵地図化す。
3 小指の、小指のさきの妖精が殺された。
4 久々に訪れた一夜の浅草で道に迷う。
5 自然は隠れることを好む。
6 星にも一生があると謂う
7 地上近くに、いつも群れている鳥たちの死骸を見ることは稀れだ、とふと思う。
8 一定の空間内でみずからに問う。
9 「破壊が創造であるかどうか、私は知らぬ。私が知っているのは、創造が破壊である、ということだ。」 オクタヴィオ・パス
10 私はどちらかといえば、あまり旅行をしないたちの人間であるらしい。
11 なぜ人は星を追いつづけるのか。
句読点の有無でお判りと思いますが、1と6は詩で、特に6は「星または石 巖谷國士に」と題されています。4は夢の記録のようです。そのほかは随想(ないし断想)や断章といえるでしょう。「日録抄」なのですから、本書に一貫した筋だてがあるわけではありませんが、タイトルからして、「星」および「砂」に関するものが多いのは当然で、「星」に言及のあるものが1,6,10,11の4篇、また「砂」(や石・土・地面など)に言及されたものが、1,2,3,6,7,10,11の7篇あります。なかでも10は与論島のスター・サンド(星砂)をめぐるエピソードの報告で、これを受けて11では、星、砂および言葉をめぐる随想が展開されています。本書のタイトル「星と砂と」はこの2篇に由来すると見ることができるかもしれません。頁数からいっても、10と11で本文14頁のうち6頁を占めています。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●本日のお勧めは瑛九です。
瑛九 Q Ei《二人》
1951年 フォト・デッサン
27.5x21.5cm サインと年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
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ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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