リレーエッセイ「伊藤公象の世界」

第2回 小泉晋弥


 1984年4月に開館したいわき市立美術館に、筆者は駆け出しの学芸員として勤めていた。建物竣工が迫るころ、唯一南側に開けたロビーの外庭—と呼ぶには狭すぎる場所—に伊藤先生の作品《起土》が設置された。当時、美術館の南側には敷地を接して酒屋さんの倉庫が建っていた。それを視界から消しながら、同時に作品を設置してしまおうという、一石二鳥のアイデアだったのだと記憶する。だが、それは美術館に都合のいいだけで、作家にとっては随分と失礼な態度だったのではないか、と今の筆者には感じられる。

KIDO_iwaki_01_trim1984年 いわき市立美術館 開館時の《起土》の姿

 ところが、伊藤先生は飄々と悪条件を乗り越えた。《起土》は、アトリエの土捨て場の粘土が凍結し、霜柱となって立ち上がる様子から構想された作品である。土中の水分は氷となって土を起こし、やがて蒸発して空へと消えていく。美術館に設置された《起土》は、作品全体が地面から緩やかなカーブを描き、私たちの視線を空に誘導する。作品のテーマと用途と形体を見事に一致させて問題を解決したのだ。
 悪条件をひっくり返して作品に取り込んでしまう伊藤先生の柔軟性は、その年の6月から開催されたヴェネツィア・ビエンナーレでも発揮された。当時、イタリア側の事情で各国の展示館が改装の嵐だったらしく、日本館でも展示室の壁の真ん中に非常口が設置されていたことが関係者に知らされていなかったのだ。険悪な雰囲気の中、伊藤先生は、田窪恭治氏と展示の場所を交換し、非常口を開け放って《起土》を展示した。以前に笠間で企画した芸術祭の「借景領域」のアイデアが浮かんだのだと伊藤先生は回想している。この《起土》が、いわき市立美術館にも引き継がれていると筆者は考えている。

KIDO_venice_01_trim《起土;焼凍土による》1984年 第41回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展 
撮影:内田芳孝

 いわき市立美術館に設置されている《起土》は、1984年発行の所蔵品図録に掲載されていない。制作年は、1983年と開館時に設置されたプレートに表記してある。つまり、建物の竣工にあわせて前年に制作されていたことを示しているのだ。それなのに、開館時に出版した図録に写真がないのは、この作品がまだ動いていたからというべきだろう。1985年になってサイズが5㎡の《起土(新作)》が収蔵されるのだが、それは1983年の作品にあった2ヶ所の凹型の広さなのである。そこには、前年にヴェネツィアで展示された経験と、アドリア海の潮風が染み込んだピースが埋め込まれていないだろうか。
 これらの経過は、伊藤作品の性格をよく表わしている。作品が時間の経過に沿って成長するように変化していく。それは、「常設」とされる作品でも例外ではないのだ。2015年の東京都現代美術館での収蔵品展示では、《アルミナのエロス》を伊藤先生が構成し直して会期中に姿を変えた。現在進行中の広島市現代美術館の改装では、1988年の設置当初の姿に復元されるようだが、新たな姿として生まれ変るほうが伊藤作品らしかったかもしれない。このような性格を今回の画集に反映したいと考えているだが、その構成に四苦八苦しているのが現状である。
KIDO_iwaki_03_trim1985年のいわき市立美術館の《起土》の姿
こいずみ しんや

■小泉晋弥 こいずみしんや
昭和28年福島県に生まれる。昭和55年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。昭和59年いわき市立美術館学芸員。平成4 年郡山市立美術館主任学芸員。平成08年茨城大学教育学部助教授、平成13年同教授。平成14年~18年茨城大学五浦美術文化研究所所長。平成23年~26年茨城大学教育学部附属中学校長。平成26年~30年茨城大学教育学部副学部長。平成27年~30年茨城大学教育学部附属幼稚園長。現在茨城大学名誉教授。五浦美術文化研究所客員所員。

伊藤公象小泉晋弥堀江ゆうこの三人によるリレーエッセイ「伊藤公象の世界」は、2022年9月までの一年間、毎月8日に掲載します。

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