石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」─10

『小さなカタログ、見上げる建築』


展覧会 展覧会 モダン建築の京都 ─ 前編
    京都市京セラ美術館新館東山キューブ
    2021年9月25日(土)~12月26日(日)

BP10-01 2021.8 東華菜館 鴨川右岸

 小生、京都に移り住んで49年7ヶ月。桂、山科、梅津を経て鉾町まで徒歩25分あまり、現在は新選組の屯所があった八木邸の近くに住んでいる。最初の頃は神社仏閣を訪ねたが、勤務先の先輩にソワレやフランソアに連れられ、いわゆるオルグを受けた。もっとも、名古屋時代にはする側だったので、これには免疫があり、内装やステンドグラス越しの光、ウィンナーコーヒーの味などを楽しんだ。そんな時代を思い出させてくれる展覧会が京都市京セラ美術館で催されている。今回はこれを報告したい。題して『モダン建築の京都』。非常事態宣言が解除され、街に人が溢れ始めている。

BP10-02 東山キューブ会場

 エントランスの大看板(?)は広角レンズでも収めきれない迫力で、街へ誘う仕掛けだろうか、展示部材がチープで、ちょっと違和感ありますな。展示は「古都の再生と近代」をフォーカスしたSection1から「様式の精華」「和と洋を紡ぐ」「ミッショナリー・アーキテクトの夢」「都市文化とモダン」「住まいとモダン・コミュニティ」「モダニズム建築の京都」の7テーマ、36プロジェクトに分かれ、会場にぎっしり様々な資料(図面や模型、写真や家具、映像など約400点)が壁面と展示台から溢れている。テーマ毎に色分けしているが、Section表示と資料パネルが紛らわしく、観客の動線も確保されていなくて、美術館で行われる建築展の難しさを実感した。
 迷路状態で袋構造、いくつか設けられた撮影可能スペースへの違和感、「椅子に座って笑顔でパチリ」SNS仕様の広報意図は、展覧会テーマパーク化の顕著な例と言えるだろう。

BP10-03 撮影コーナー

BP10-04 撮影コーナー

 美術館の展示面には油彩が適すると思うが、今回は西川純による島津製作所を描いた『昭和初期の本社および木屋町』(1951年)と後藤慶二『辰野博士作物集図』(1916年)の2点。青焼やインキングなどの建築図面から三次元を想像出来ない身には、歪があるとはいえ慣れ親しんだ透視図法が好ましい。雑多に展開するSectionの括りは、いわゆる文化祭のテイストなのだが、実際の建築では見上げることしかできない装飾飾りなどを展示台で間近に見るのは、驚きと発見があって楽しい。木彫原型とはいえ京都国立博物館の『菊花紋メダリオン』、迫力ありますな。
 金沢21世紀美術館で観た『建築の忘れがたみ』(一木努コレクション)のような、愛溢れる展示表現とは程遠い研究者目線、物が語らずテキストが前面。それでも、『昇降機階段表示板』が示す各階を想起したい。武田五一らが残した建築標本から建物の襞にも触れ、今回の展覧会が100年を超える科学発展の過程で培い、現時点で切り取ってくれた地層の断面である感を持った。
 一般での見学が難しい建築などについては映像で紹介し、設計者の画帳や当初の姿を捉えた写真、置かれていた調度品や建屋内での業務に関連した「現物」なども配して、鑑賞への心配りも随所に窺えられる(前述したように、過剰であるのだが)。筆者の好みから椅子やテーブルよりも、伊東忠太が祗園閣設計の参考にした月鉾を捉えた写真、同志社普通学校生と写る新島八重の写真、そしてもちろんフランソア喫茶室の立野留志子を囲んだ写真などに関心を持った。撮り鉄ですから、同志社クラーク記念館の『建物の構造補強に用いられた鉄道レール』(1877年)の現物は別格ですな。
 東山キューブの会場は、蜜な展示品たちから逃れた為か最終Section7「モダニズム建築の京都」の空間から散漫な印象を受けるのは皮肉です。どうにも俯瞰しにくく、カタログでの確認を求めたが会場には展示品リストを含め用意されていない、解説パネルでの勉強を薦められているのですな。そんな訳で一旦、外に出て購入し再入場。機械化された無人ゲートは、人に優しくないなと思うのです。

BP10-05 展覧会の副読本兼まち歩きガイド、二冊組 21×14.8cm

 嘆いてばかりもいられない。用意されていたのはまち歩きガイドにも使える「フィールド編」と資料情報や近現代史年表などを纏めた「アーカイブス編」の二冊。前者で担当学芸員で一級建築士でもある前田尚武は「建築展は建物そのものを展示することができない。しかし、本展では、モダン建築が多数現存する地域特性を生かし、展示室と都市を繋ぐ様々な取り組みを通して、実物を観てもらえる建築展を成立させてみようと考えた。従来の展覧会のあり方を拡張し、京都市域を展示室に、即ち『生きた建築博物館』に見立てたのである」と述べている。筆者の嘆きは充分に予測されていた訳で、ここからは過去も含めたまち歩きの一部を写真で報告したい。
 

10-1 天井のない美術館巡り

Section1「古都の再生と近代」

 水力発電で路面電車や映画産業を支えた琵琶湖疏水事業の成果を偲ぶ場所は南禅寺とインクラインの辺り、今回の「フィールド編」を読むまでは京都御所への防火用水供給の貯水池や地中鉄管については知らなかった(勉強になります)。そして、殖産興業を担う人材育成に貢献する町衆の危機意識がもたらした番組小学校。祇園祭の山鉾への資金捻出よりも、こちらを重視する地域も多かったと聞く。

BP10-06 2018.6 蹴上インクライン(南禅寺船溜り) 年号表記は撮影年月と竣工年度(原則)、以下同。

BP10-07 2018.11 南禅寺水路閣(1888年)

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BP10-08 2017.9 京都市明倫尋常小学校(現・京都芸術センター) (1931年)


Section2「様式の精華」

 松室重光設計による京都府庁旧本館は、ルネサンス様式の煉瓦造り2階建て。老朽化による屋根の全面葺替工事(1997~99年)等を経て美しく蘇った。中庭には容保桜があり春には特に魅力を発揮。現在では一般公開や展覧会施設としても開放され、府民の憩いの場となっている。自転車でブラリ立ち寄る事が多いですな。大丸ヴィラの方は烏丸通り側から背伸びして拝見するのみ。ヴォーリズの設計になるから室内など拝見したいのだけど。

BP10-09 2020.10 京都府庁旧本館中庭(1904年)

 BP10-10 2020.10 同・南側階段吹抜け

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BP10-11 2015.4 下村正太郎邸・中道軒(現・大丸ヴィラ) 外塀飾り(1932年)


Section3「和と洋を紡ぐ」

 龍谷ミュージアムは訪ねるのだが、東側の通りには疎かった。今展に刺激され改めて西本願寺の正門前通りを歩き、伊東忠太設計の日本とアジアを繋ぐ八角ドームを見上げ、大谷探検隊の調査ルートを思い浮かべた。砂漠のさまよえる都市物語は子供の頃、愛読書だったのです。それで繋がるのか、京都市美術館(こちらの方が親しい)リニューアール工事での発掘調査の現場写真を掲げておきたい。

BP10-12 2021.9 真宗信徒生命保険株式会社本館(現・本願寺伝道院) (1911年)

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BP10-13 2015.11 大礼記念京都美術館(現・京都市京セラ美術館) (1933年)

BP10-14 2020.6 同・南面車寄せと平安神宮大鳥居


Section4「ミッショナリー・アーキテクトの夢」

 宗教的使命感をもってキリスト教建築に臨んだ異国の建築家たち、煉瓦造りのゴシック様式教会堂が御所の周辺にあるのは不思議なれど、国民の安寧を祈る人と親しいのは自然でもあるのだろう。中学生が毎朝礼拝した場は70年代の全共闘運動に耐え、クラーク記念館などと共に近年の保存修理を経て重厚さを増し佇む。聖アグネス教会聖堂の薔薇窓も美しい。光に色が着くのは西洋の文化と改めて思う。

BP10-15 2009.3 同志社礼拝堂(1886年)

BP10-16 2009.3 同志社クラーク記念館2階講堂(1894年)

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BP10-17 2011.11 日本聖公会 聖アグネス教会聖堂(1898年)

BP10-18jpg 同・礼拝堂


Section5「都市文化とモダン」

 文博別館とフランソア喫茶室については、この連載前々回で触れた。進々堂へは毎秋催される知恩寺での古本まつりの折に友人らと立ち寄るが、黒田辰秋によるテーブルではなく奥の一角に通される事が多い。古本猛者は店の品位を下げるのかしら。七条通りに面した富士ラビットについては、市電の車窓から自動車整備の様子を垣間見た記憶。セセッション風のデザインと言われればなるほど、今回は見上げております。

BP10-19 2017.12 日本銀行京都支店(現・京都文化博物館別館)(1906年)

BP10-20 2021.6 同・旧営業室、カウンター仕切りなど

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BP10-21 2021.9 進々堂(進々堂京大北門前)(1930年)

BP10-22 2020.10 同・中庭

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BP10-23 2021.9 日光社七条営業所(現・富士ラビット)(1923年)

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BP10-24 2021.9 フランソア喫茶室(1934年)

BP10-25 2017.7 同・客室


Section6「住まいとモダン・コミュニティ」

 市内西南部の築不詳極小住宅に住む身としては、下鴨や北白川に居を構えるのは憧れですな。疎水の水を引き込み、東山を借景にした静かな生活。大文字送り火の日を迎えつつ祖先を偲び、年を重ねる、良いではありませんか。吉田山の東斜面で炎を見送ったのは、ずいぶん昔の事だが、近年では大手資本の無理難題で周辺環境も変貌を余儀なくされる。100年の発展を200年へと続けるには、文化に価値を見出さなければ、当たり前だけど。

BP10-26jpg 2018.11 無鄰菴(旧・山縣有朋京都別荘)(1895年頃)

BP10-27 2018.11 同・七代目小川治兵衛造園による庭園

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BP10-28 2021.10 吉田神楽岡旧谷川住宅群(1921~1930年頃)

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BP10-29 2018.4 木島櫻谷旧邸洋館(1913年)

BP10-30 2018.4 同・2階


Section7「モダニズム建築の京都」

 見学に堀川中立売まで出掛けたが旧電話局は補修工事の足場が組まれた状態、隙間からモルタル装飾とライオン像を見上げてパチリ。展覧会では交換手たちが写った写真が展示されていたので、往時を偲ぶ。そして、東へ。正直、これまで百万遍で立ち寄ったのは古書店、西部講堂、日仏会館(現・アンスティチュ・フランセ関西)など。今回は体育館横の京大生協で書籍の品揃えを確認。吉田寮を越え楽友会館を意識したのは始めてだった。

BP10-31 2021.10 京都中央電話局西陣分局舎(現・西陣産業創造會館)(1921年)塔屋壁面

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BP10-32 2021.10 京都帝国大学(現・京都大学)楽友会舘(1925年)

BP10-33 2021.10 同・1階照明器具

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BP10-34 2021.10 京都大学総合体育館(1972年)

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 各Sectionの概要、取り上げた建築の見どころについては「フィールド編」を参照するとして、小生、50年弱にわたって魅力的な天井のない「生きた建築博物館」を巡ってきたと言える。通行者目線に歴史軸を与えられた、ありがたい事であり、改めて都市の景観を考えさせてくれた展覧会関係者の見識に感謝申し上げる。


10-2 ファサード保存

BP10-35 2021.10 四条烏丸交差点 三井銀行(現・京都三井ビルディング) (1914年)、三菱銀行(現・京都ダイヤビル) (1925年)

 さて、四条烏丸を抜けて自宅に戻る。2本の巨大オーダーで知られた交差点北西角の住友銀行京都支店はすでに無く(2007年解体)、北東角の三井住友銀行は三井時代のイオニア式オーダーを含む壁が瘡蓋のように貼り付いた賃貸オフィスビルに変身(1984年)、南東角の三菱UFJ銀行は、歩く者には違和感をそれほど与えない配慮で往時の雰囲気をとどめ建替えられた(2007年)。小生、現役時代の取引銀行だった関係で、内部の様子を見聞きしており雑談の折に景観保全と経済合理性の妥協点が話題となった記憶がある。見上げなければ良いのですな。  
 中京郵便局の外壁保存やみずほ銀行京都中央支店の「同じ場所で同じ形で新築する」などの奇妙な折衷案が、保存壁面割合の大小として成否が論議される論争になったとも聞く。小生、一階ロビーに煉瓦外壁や軒下飾り金具、建築上棟時に納めた棟札や木槌などを展示しているみずほ銀行(旧・第一銀行京都支店)も現役時代にお世話になったのです。旧さくら銀行(現・三井住友銀行)も含め、どの金融機関でも新年祝賀に伺った折には旨い日本酒のご相伴に預かった。建築よりもほろ酔い気分を懐かしむとは、修行が足らないと反省。尚、本稿冒頭写真に挙げた東華菜館などのヴォーリズ建築については、次回、報告したい。

つづく


(いしはら てるお)

●石原輝雄さんのエッセイ「美術館でブラパチ」は隔月・奇数月の18日に更新します。今月は特別に本日16日(前編)と明後日18日(後編)の2本立てです。次回は新春1月18日です、どうぞお楽しみに

*画廊亭主敬白
石原さんの展覧会レビューますます独自色溢れる連載になりました。前回の京近美の「長谷川潔の版画」といい、今回の「モダン建築の京都」も展覧会紹介を枕にして(出汁にして)、実は石原さんの記憶、記録資料、ご自身が撮影してきた写真の膨大な蓄積を駆使したコレクター人生の語りになっています。亭主は幾度も立ち止まり、出てくる固有名詞に慌てふためき、グーグルで検索し、行きつ戻りつしながら読み終えました。明後日18日に掲載する後編が楽しみです。
このブログでは石原さんはじめ、いろいろな方に展覧会レビューを執筆していただいていますが、「モダン建築の京都」展には他の方からも立候補がありました。将来は一つの展覧会を材料に異なる方のレビューも読んでみたいものです。

●本日のお勧めは北郷悟です。
kitago_sorakara_rain_2008北郷悟 Satoru KITAGO
「空から-rain」
2008年
テラコッタ
H33.0×8.5×10.5cm
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
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