瀧口修造と作家たち ― 私のコレクションより ―
清家克久
第2回「駒井哲郎の銅版画」
図版1.
駒井哲郎 エッチング
「腐刻画」
27×16.4cm
1966年作
図版2.
「同上」
エディション№
詩人安東次男との二度目の詩画集「人それを呼んで反歌という」(エスパース画廊1966年刊)中の1点。駒井哲郎の評伝「束の間の幻影―銅版画家駒井哲郎の生涯」(新潮社1991年11月刊)の著者中村稔は「集中おそらくもっとも注目すべき作品は「腐刻画」であろう。これは安東の詩に付して作ったものだが、駒井の絵を見て安東は詩を作り直したのである。「腐刻画」は「樹」の系列につらなるものだが、この樹は魔性を帯びているようにみえる。」と評し、美術プロデューサーで駒井の版画集を出版した白倉敬彦は「腐刻画というブレダン風(ルドンの師にあたるロドルフ・ブレダン)の作品は、それ以降の駒井作品の一傾向を示すものとしても重要であった。」(「夢の漂流物」みすず書房2006年8月刊)と述べるなど、傑作との評価が高い。
私は駒井の作品が欲しくて東京の知人に頼んで探して貰い、1991年の12月頃に東京銀座のギャラリー「ぼくの空想美術館」(画廊主の肥後静江さんはかつて洲之内徹の助手を務め共に暮らしたことのある方だそうである。)に作品があるという情報を得たが、それがこの「腐刻画」だった。ただし、刷りの状態が良くep.d’Artiste5/7の記入はあるが署名は無いという。西武百貨店の会長だった堤清二(詩人辻井喬の筆名を持つ)旧蔵とも聞いていた。作品との出会いは一期一会かも知れないし名作ならサインの有無は関係ないかも知れないが、詩画集の中の1点だけで50万円はさすがに高いと思った。しかし、作品を見てそれだけの値打ちがあると納得した。
駒井はこの作品について「黒の美しさを出来るだけ出したいと思った。(中略)特製本につけた別刷の作品は殆ど自分で刷った。」(「白と黒の造形」小沢書店1977年5月刊)と書いている。安東によると「二度目は製作の期間も四年ほどかけて、昭和四十一年の秋に『人それを呼んで反歌という』という題で作った。この方は、収録詩篇九つに対して銅版画十五葉、部数は六十部とした。前回と違って本格的な詩画集にしたい気持ちが双方にあったから、その内七部には別刷銅版画各一組を添え、使用した銅版も、駒井から私に贈られた「詩人の肖像」なる一枚を除いて、いずれも刷了後刻線を以って消去した。ほかに非売八部(別刷各一組付属)を作ったが、このときの作品は刷り増しをしたくても刷ることができない。」(「古美術拾遺亦楽」新潮社1974年6月刊)とある。
この詩画集の正確なエディションは駒井版画の研究者でもある綿貫不二夫さんが当ブログ「駒井哲郎を追いかけて 第12回」で紹介しているが、それによると本作品は「非売8部(銅版画別刷1組付属)・内7部(1~7)」の1点ということになる。
なお、「腐刻画」という題はエッチングそのものを意味するが、おそらく安東が付けたものと思われる。この樹は水の中から立ち上がるように描かれており、駒井は「洪水」と名付けている。
瀧口修造と駒井哲郎の出会いについては、駒井美子夫人が「1950年代の瀧口修造と駒井哲郎」と題して第17回オマージュ瀧口修造「駒井哲郎展」カタログ(佐谷画廊1997年7月刊)に寄稿している。最近発見されたという駒井の書簡(1950年―1951年)の中で瀧口が会いに来て作品を見せたこと、作品推薦のことや瀧口から詩の挿絵にしたいとの話があったことなどが引用され、瀧口が結婚式の祝辞を行ったことも夫人は書いており貴重な証言となっている。瀧口と画家の岡鹿之助は共に駒井の仕事を高く評価し支援していた。1951年4月には春陽会会員に推挙され、10月には「束の間の幻影」が第1回サンパウロ・ビエンナーレで受賞し、日本人では戦後初の国際賞を獲得している。
図版3.
「第17回オマージュ瀧口修造 駒井哲郎展」カタログより
駒井の第1回の個展は1953年1月に資生堂画廊で開催された。その展評で瀧口は「駒井哲郎は、腐蝕銅版、殊にアクアチントなどを好んで併用して、深い陰影のなかに幻想図形を刻みつけた仕事によって、戦後注目された新人である。小さな銅版を、網膜のように親密な表現手段としている彼の態度は、純粋なヴィジョンをまもる芸術家の本質的な態度であって、古くからの銅版画の領域を若返らせる一つの希望でもある。」(「美術批評」1953年3月刊)と書いているが、オディロン・ルドンのような存在とも成りうる我が国の銅版画のパイオニアとして期待を寄せていたのだろう。瀧口は1955年1月から芸術新潮に連載を始めた「異色作家列伝」(後に「幻想画家論」として1959年1月に新潮社より刊行)でルドンを取り上げ本格的に紹介している。駒井も「ルドン素描と版画」(岩崎美術社1974年1月刊)や「銅版画のマチエール」(美術出版社1976年12月刊)でルドンの影響や作品について紹介している。
図版4.
「幻想画家論」(新潮社1959年刊)
図版5.
「ルドン素描と版画」(岩崎美術社1974年刊)
シュルレアリスムを通して海外の詩画集に憧れ、戦前に「妖精の距離」を刊行するなど早くから詩と絵画のコラボレーションに強い関心を抱いていた瀧口は、駒井との共作を望んでいたが結局実現しなかった。「骰子一擲」におけるマラルメとルドンの場合がそうであったように。
(せいけ かつひさ)
■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。
・清家克久さんの連載エッセイ「瀧口修造と作家たち―私のコレクションより―」は毎月23日の更新です。
清家克久さんの「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか。
あわせてお読みください。
●本日のお勧めは瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"Ⅴ- 44"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:14.5×11.2cm
シートサイズ:26.1×19.4cm
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.207と対
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●「生誕100年 駒井哲郎展 Part 2 駒井哲郎と瀧口修造」
会期=2022年2月8日(火)~26日(土) 11:00-19:00 ※日・月・祝日は休廊
2月9日ブログに出品全作品の画像、データ、価格を掲載しました。


「生誕100年 駒井哲郎展」カタログ
1,540円(税込み)+送料250円
A5変形、56ページ、
出品/駒井哲郎、瀧口修造、恩地孝四郎、長谷川潔、オディロン・ルドン、パウル・クレー
執筆/栗田秀法、土渕信彦
編集・デザイン/柴田卓
発行/ときの忘れもの
2020年に銅版画の詩人と謳われた駒井哲郎(1920-1976)の生誕100年の記念展「Part1 若き日の作家とパトロン」を開催しました。
今回の「Part2 駒井哲郎と瀧口修造」では詩人・安東次男との詩画集『人それを呼んで反歌という』全点を展示するほか、その才能にいち早く注目した詩人・評論家の瀧口修造など駒井が影響を受けた作家たちの作品も合わせてご覧いただきます。
清家克久
第2回「駒井哲郎の銅版画」
図版1.駒井哲郎 エッチング
「腐刻画」
27×16.4cm
1966年作
図版2.「同上」
エディション№
詩人安東次男との二度目の詩画集「人それを呼んで反歌という」(エスパース画廊1966年刊)中の1点。駒井哲郎の評伝「束の間の幻影―銅版画家駒井哲郎の生涯」(新潮社1991年11月刊)の著者中村稔は「集中おそらくもっとも注目すべき作品は「腐刻画」であろう。これは安東の詩に付して作ったものだが、駒井の絵を見て安東は詩を作り直したのである。「腐刻画」は「樹」の系列につらなるものだが、この樹は魔性を帯びているようにみえる。」と評し、美術プロデューサーで駒井の版画集を出版した白倉敬彦は「腐刻画というブレダン風(ルドンの師にあたるロドルフ・ブレダン)の作品は、それ以降の駒井作品の一傾向を示すものとしても重要であった。」(「夢の漂流物」みすず書房2006年8月刊)と述べるなど、傑作との評価が高い。
私は駒井の作品が欲しくて東京の知人に頼んで探して貰い、1991年の12月頃に東京銀座のギャラリー「ぼくの空想美術館」(画廊主の肥後静江さんはかつて洲之内徹の助手を務め共に暮らしたことのある方だそうである。)に作品があるという情報を得たが、それがこの「腐刻画」だった。ただし、刷りの状態が良くep.d’Artiste5/7の記入はあるが署名は無いという。西武百貨店の会長だった堤清二(詩人辻井喬の筆名を持つ)旧蔵とも聞いていた。作品との出会いは一期一会かも知れないし名作ならサインの有無は関係ないかも知れないが、詩画集の中の1点だけで50万円はさすがに高いと思った。しかし、作品を見てそれだけの値打ちがあると納得した。
駒井はこの作品について「黒の美しさを出来るだけ出したいと思った。(中略)特製本につけた別刷の作品は殆ど自分で刷った。」(「白と黒の造形」小沢書店1977年5月刊)と書いている。安東によると「二度目は製作の期間も四年ほどかけて、昭和四十一年の秋に『人それを呼んで反歌という』という題で作った。この方は、収録詩篇九つに対して銅版画十五葉、部数は六十部とした。前回と違って本格的な詩画集にしたい気持ちが双方にあったから、その内七部には別刷銅版画各一組を添え、使用した銅版も、駒井から私に贈られた「詩人の肖像」なる一枚を除いて、いずれも刷了後刻線を以って消去した。ほかに非売八部(別刷各一組付属)を作ったが、このときの作品は刷り増しをしたくても刷ることができない。」(「古美術拾遺亦楽」新潮社1974年6月刊)とある。
この詩画集の正確なエディションは駒井版画の研究者でもある綿貫不二夫さんが当ブログ「駒井哲郎を追いかけて 第12回」で紹介しているが、それによると本作品は「非売8部(銅版画別刷1組付属)・内7部(1~7)」の1点ということになる。
なお、「腐刻画」という題はエッチングそのものを意味するが、おそらく安東が付けたものと思われる。この樹は水の中から立ち上がるように描かれており、駒井は「洪水」と名付けている。
☆
瀧口修造と駒井哲郎の出会いについては、駒井美子夫人が「1950年代の瀧口修造と駒井哲郎」と題して第17回オマージュ瀧口修造「駒井哲郎展」カタログ(佐谷画廊1997年7月刊)に寄稿している。最近発見されたという駒井の書簡(1950年―1951年)の中で瀧口が会いに来て作品を見せたこと、作品推薦のことや瀧口から詩の挿絵にしたいとの話があったことなどが引用され、瀧口が結婚式の祝辞を行ったことも夫人は書いており貴重な証言となっている。瀧口と画家の岡鹿之助は共に駒井の仕事を高く評価し支援していた。1951年4月には春陽会会員に推挙され、10月には「束の間の幻影」が第1回サンパウロ・ビエンナーレで受賞し、日本人では戦後初の国際賞を獲得している。
図版3.「第17回オマージュ瀧口修造 駒井哲郎展」カタログより
駒井の第1回の個展は1953年1月に資生堂画廊で開催された。その展評で瀧口は「駒井哲郎は、腐蝕銅版、殊にアクアチントなどを好んで併用して、深い陰影のなかに幻想図形を刻みつけた仕事によって、戦後注目された新人である。小さな銅版を、網膜のように親密な表現手段としている彼の態度は、純粋なヴィジョンをまもる芸術家の本質的な態度であって、古くからの銅版画の領域を若返らせる一つの希望でもある。」(「美術批評」1953年3月刊)と書いているが、オディロン・ルドンのような存在とも成りうる我が国の銅版画のパイオニアとして期待を寄せていたのだろう。瀧口は1955年1月から芸術新潮に連載を始めた「異色作家列伝」(後に「幻想画家論」として1959年1月に新潮社より刊行)でルドンを取り上げ本格的に紹介している。駒井も「ルドン素描と版画」(岩崎美術社1974年1月刊)や「銅版画のマチエール」(美術出版社1976年12月刊)でルドンの影響や作品について紹介している。
図版4.「幻想画家論」(新潮社1959年刊)
図版5.「ルドン素描と版画」(岩崎美術社1974年刊)
シュルレアリスムを通して海外の詩画集に憧れ、戦前に「妖精の距離」を刊行するなど早くから詩と絵画のコラボレーションに強い関心を抱いていた瀧口は、駒井との共作を望んでいたが結局実現しなかった。「骰子一擲」におけるマラルメとルドンの場合がそうであったように。
(せいけ かつひさ)
■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。
・清家克久さんの連載エッセイ「瀧口修造と作家たち―私のコレクションより―」は毎月23日の更新です。
清家克久さんの「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか。
あわせてお読みください。
●本日のお勧めは瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI"Ⅴ- 44"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:14.5×11.2cm
シートサイズ:26.1×19.4cm
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.207と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●「生誕100年 駒井哲郎展 Part 2 駒井哲郎と瀧口修造」
会期=2022年2月8日(火)~26日(土) 11:00-19:00 ※日・月・祝日は休廊
2月9日ブログに出品全作品の画像、データ、価格を掲載しました。


「生誕100年 駒井哲郎展」カタログ
1,540円(税込み)+送料250円
A5変形、56ページ、
出品/駒井哲郎、瀧口修造、恩地孝四郎、長谷川潔、オディロン・ルドン、パウル・クレー
執筆/栗田秀法、土渕信彦
編集・デザイン/柴田卓
発行/ときの忘れもの
2020年に銅版画の詩人と謳われた駒井哲郎(1920-1976)の生誕100年の記念展「Part1 若き日の作家とパトロン」を開催しました。
今回の「Part2 駒井哲郎と瀧口修造」では詩人・安東次男との詩画集『人それを呼んで反歌という』全点を展示するほか、その才能にいち早く注目した詩人・評論家の瀧口修造など駒井が影響を受けた作家たちの作品も合わせてご覧いただきます。
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