平嶋彰彦の「私の駒込名所図会」総集編 その2

駒込は「ときの忘れもの」がある<私たちの町>です。その魅力を平嶋の撮りおろした写真と文章で紹介するとともに、散策に便宜をはかり、案内地図(国土地理院のマップ使用)を用意しました。皆さまも「ときの忘れもの」にご来館されるさいには、ぜひとも足をのばし、駒込の街歩きを楽しんでみることをお薦めいたします。

⑦駒込富士神社 → ⑧ときの忘れもの → ⑨東洋文庫ミュージアム → ➉六義園 → 次回に続く

地図 (差し替え)

⑦駒込富士神社
文京区本駒込5-7-2
7c45a7da-s駒込富士神社の富士塚。山腹に富士講の記念碑がならぶ。2020.3.25。

境内の正面奥に富士山に擬えた富士塚を築き、その上に社殿をかまえる。祭神は木花咲耶姫命。富士講は富士山信仰の講社で、各所に富士塚を築いた。駒込富士神社(富士権現)は、もと本郷にあったが、寛永年間(1624~44)、旧社地が加賀藩上屋敷の敷地となり、現在の社地に移転した。
やがて、江戸名所のひとつとして有名になり、とりわけ毎年5月晦日から6月1日にかけて執り行われる山開きは多くの参詣客でにぎわった。境内には茶屋や床店が出て、厄除けの麦藁の蛇、軍配団扇や果物をいれた五色の網袋、駒込名産の茄子などが売られたという。
1854(嘉永7)年刊行の『江戸切絵図』「東都駒込辺絵図」に「本郷真光寺」とあるのが駒込の富士権現。鳥居の奥に社殿が建ち、「富士」と記されている。真光寺(天台宗)は、富士権現の別当寺。現在「ときの忘れもの」のあるあたりには、「此辺富士ウラト云」「百姓地」「植木屋多シ」の書き込みがある(註)。
註 〔江戸切絵図〕. 駒込絵図 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

⑧ときの忘れもの
文京区本駒込5-4-1 LAS CSSAS
ecf1e0cf-sときの忘れもの。駒込富士のすぐ北側で、本郷通りの東側一つ目の通り。2020.11.26。

ときの忘れものは、1995年に綿貫不二夫・令子夫妻の設立した画廊で、現在地に移る前は青山にあった。綿貫不二夫は、『プリンツ21』(2002年2 月62号)のエッセイ「連戦連敗」で、「前衛をサポートするドン・キホーテ」と韜晦しつつ、こう書いている。「敬愛する同時代の作家と、とき(歴史)の彼方に忘れ去られた作家を発掘し後世に伝えたい」、そのために「夫婦ふたりで『ときの忘れもの』という小さな画廊を始めた」。
このエッセイによれば、その前身は、1974年に創立した「現代版画センター」だった。日本初の本格的な版画の版元で、そのころはまだ無名に近かった草間彌生をはじめ、80作家七百点のエディションをつくった。1983年には、アンディ・ウォーホルの[KIKU][LOVE]シリーズを企画し、東京都の渋谷パルコや宇都宮市大谷の地下空間で大規模な展覧会をひらいた。しかし、「時代が早すぎたのか、私(綿貫)の無能ゆえか、『現代版画センター』は、85年にあえなく倒産した」。
その後の苦難の時代のなかで、綿貫夫妻が6年を費やし、「ひたすら歴史の波間に消えていった作家たちの足跡を追い続け」、結実させた渾身の1冊が、『資生堂ギャラリー七十五年史』(求龍堂、1995)だった。この社史の調査と編集に携わった体験が転機となり、「ときの忘れもの」が誕生することになった、という。
綿貫不二夫と私は、毎日新聞社の同期生で、1969年4月の新人研修で知り合った。たまたま、その期間中に、『つげ義春作品集』が発売された。私が昼休みを利用して、神保町にあった版元の青林堂まで買いに行こうとすると、綿貫はつげ義春を知らなかったが、どういうわけか、俺も一緒に行こうというので、二人して出かけることになった。
研修中の忘れられない思い出がもうひとつある。綿貫の配属先は東京本社の販売部で、私は西部本社(北九州市)の写真部だった。配属に先立ち、彼から餞別代わりに『お前はただの現在にすぎない』(萩元晴彦・村木良彦・今野勉、田端書店)という新刊書をもらった。書名の副題は「テレビになにが可能か」だった。私にとっては、新聞または写真に何が可能かということになる。この本はいまでも本棚に置いている。

⑨東洋文庫ミュージアム
文京区本駒込2-28-21
6V7A6970-c東洋文庫。東洋学の蔵書約100万冊。世界でも指折りの研究図書館。2021.02.26。

東洋文庫ミュージアムは東洋の言語・文学・歴史・宗教・哲学・芸術などを対象にする東洋学専門の研究図書館。1917(大正6)年、岩崎久弥が中国関係の書籍約2万4000冊を、中華民国大総統顧問(『ロンドン・タイムズ』の前北京特派員)のジョージ・アーネスト・モリソンから購入した。その後、さらに収集範囲を全アジアに拡大し、1924年にその研究図書館として発足したのが東洋文庫である。
岩崎久弥は岩崎弥太郎の長男で、三菱財閥三代目の当主。わが国最初の文化村ともいうべき高級住宅地「大和郷」を構想すると、三菱財閥の払い下げた駒込の大名屋敷跡を整備し、これを住宅地として分譲した。図書館もその文化村構想のひとつであったといわれる。
東洋文庫ミュージアムの現在の蔵書数は、国宝5点・重要文化財7点を含む約100万冊。アジア研究に関する世界屈指の図書館として知られる。館内には閉架式の閲覧室が設けられていて、貸し出しはしていないが、無料で閲覧することができる。

➉六義園
文京区本駒込6-16-3
d0625c88-s六義園。つつじ茶屋からみた山陰橋あたりの紅葉。2020.12.10。

六義園は江戸時代を代表する大名の回遊式庭園として知られる。5代将軍徳川綱吉から側要人として重用された柳沢吉保が、駒込に与えられた拝領地に、別邸と庭園を7年の歳月を費やし、1702(元禄15)年に完成させた。
「六義」とは、中国の漢詩集にある「詩の六義」という分類法を、平安時代に紀貫之が和歌に転用した「六体」に由来するという。庭園の中央に中の島を浮かべた大泉水が設けられ、南側には広々とした芝庭が、北側には渓流沿いに樹林がひろがる。
『江戸切絵図』「染井王子巣鴨辺絵図」に「松平時之助」の下屋敷と記されるのが六義園である。松平時之助は柳沢吉保の子孫で、大和郡山藩15万石の最後の藩主だった(註)。
明治維新になると、大名屋敷は新政府により収公された。1878(明治11)年、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎が、大名がいなくなり、荒れたままになっていた六義園を払い下げた。岩崎弥太郎は六義園の復興と修復に力を注ぎ、この地に別宅を構えた。それより60年後の1938(昭和13)年、三菱財閥三代目の岩崎久弥から、六義園は東京都に寄贈され、それ以来、一般に公開されることになった。
註 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)


⟹平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その10(前編)(後編)

●主な参考文献
『日本歴史地名体系13 東京都の地名』/『江戸切絵図』「東都駒込辺絵図」(尾張屋版、1854・嘉永7年)および「染井王子巣鴨辺絵図」(同) / ときの忘れもの エッセイ 連戦連敗 (tokinowasuremono.com) / web『公益財団法人東洋文庫』「沿革・略史」 / web『The Watch』「知られざる東京の住宅街 大和郷(やまとむら)岩崎(弥太郎)一家、首相も住んだ街」(三菱地所リアルエステートサービス) /『東京の原風景』(川添登、ちくま学芸文庫)
ひらしま あきひこ

平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき は毎月14日に更新します。平嶋彰彦の「私の駒込名所図会」総集編 は毎月27日に掲載します。

平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月現在で100回を数える。
2020年11月ときの忘れもので「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催。

●本日のお勧めは平嶋彰彦です。
hirashima-07平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
平嶋彰彦ポートフォリオ『東京ラビリンス』より《東十条一丁目 トタンの家》
1985.9-1986.2(Printed in 2020)
ゼラチンシルバープリント
シートサイズ:25.4x30.2cm
Ed.10
サインあり
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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