松本竣介研究ノート 第35回

画家が影響を受けるということ


小松﨑拓男


 松本竣介が兄彬とともに編集に携わっていた生長の家の機関紙『生命の藝術』の中にルオーに触れた文章がある。「ピカソ、マチス等の作品を見て」と題され1934年3月に発行された第二巻第三号に掲載されている。少し長いが全文を抜き出してみよう。

 「次にルオーがある。僕が初めてルオーの絵を知つた時、ひどく尊大なむづかしい面構へをしてゐる人だと思つた。余りに尊大で親しめない絵だと思つてゐたが、その多数の絵に接して見ると全然反対であつた。しつかりと腹の出来てゐるやさしいおぢいさんといふ様な感じがした。何十年といふながい間たゝきこまれた腕で率直に引かれてゐる線は驚く程強い。」(注1)

20220226161405_00004『GEORGES ROUAULT』
著:Raymond Cogniat
Les Editions G. Cres & Cie, 1930

 長いといってもこれだけである。福島コレクションの展覧会で実際にルオーの作品を見た時の感想だが、ルオー以外にも展示されていたブラック、ユトリロ、スーチンやドランの記述量と大差ない。最も言及の多かったピカソの1/4程度の文章量でしかない。
 文章量もそうなのだが、触れている内容に関してはどうだろうか。展示の最後に掛かっていたというモジリアニに関する文章もあり、これも比較のために抜き書きしてみよう。

 「終わりにモヂリアニが一点かゝつてゐる。驕児モヂリアニ程最近の若い画家の間に好まれたのはない。モヂはデカダンでいけないと言つて批難しながらも画集を手にしてゐたのがあつた程である。また古い画家の批難は、自然の形を自己の信念のまゝに強烈に変形して了つた事に対してなされる。だがデフォルマション(変形)の画にとつて常に重大であるといふ事をこれ程画面に決定させた画家は少い。又、一面の批難は、その多くの裸婦の画に表現されてゐる性感に対してなされる。だが私は言ふ、人の生活から性慾を否定するのならばそれでいゝが、そうでなかつたならモヂリアニの絵に於ける如くこれだけ純化され混濁のない素直な感情の現れに対しては他の無数な俗悪なものゝ公然と横行する今日むしろ賞すべきである。(以下略)」(注2)

20220226161405_00003『アメデオ・モヂリアニ』
著:外山卯三郎
金星堂/昭和6年2月発行

 さて、この記述は前述のルオーの文章と比較してどうであろうか。明らかにモジリアニの記述の方が、絵の内容や特徴、すなわち、この場合はモジリアニの人物のデフォルメを取り上げて、ルオーよりは一歩踏み込んだ形で評価をしている。ここから読み取れるのは、松本竣介が同世代の若い画家と同様に、確かにモジリアニを好み、その研究の成果を自身の絵画制作に反映させていたことが想像できるということだろう。つまり、この時点で、この感想を読む限りにおいては、ルオーへの関心よりはモジリアニへの傾倒の方がより強いと言わざるを得ない気がする。また裸婦表現に対する社会的な批判についても、公然と公娼制度や妾といった存在が社会的に許容されていた当時の封建的倫理観の下であったとしても、芸術における裸婦表現に対する今なお変わらない不寛容さがあったのだということを知ると同時に、これを決然と擁護する松本竣介の感覚は、ルオーのキリスト教的な倫理観との距離を感じない訳にはいかない。ルオーと松本竣介の世界観はどうも違うのではないかと。
 当時、ルオーは現役の現代作家であった。福島繁太郎のコレクションの展観が行われた時にはまだ62歳で、今で言うなら、ダミアン・ハーストやアンゼルム・キーファーといった現代美術の大御所のような存在だったのではなかろうか。しかも、このコレクションの持ち主であった福島繁太郎とは家族ぐるみの交流があり、福島夫人の療養先のスイスで共同生活をするほどの間柄であったという(注3)。

01松本竣介『婦人像』
1936年2月
油彩・板に紙
33.0×24.0㎝
第7回NOVA展(1937年1月)出品

 こうした事柄から、今、考えなくてはならないのは、私たちがルオーであれ、モジリアニであれ、フランスの近代美術に足跡を残した既に歴史上の名のある画家であり、とうの昔に亡くなってしまった画家だとみなしている感覚と、1934年に福島コレクションに際会した折の松本竣介の作品や画家たちに抱いていただろう感覚とは、異なったものであったのではないかということである。つまり、この時、松本竣介にとってモジリアニは既に10年以上前に亡くなっていた物故作家であったのに対して、ルオーは日本人のコレクターと親しく交わる現役の大御所の作家であったのだ。
 さらに、冒頭のルオーに対する感想の文章に戻れば、そこには決定的に魅了されたといった、作家に心酔したり、熱狂したりするような感情は読み取れない。冷静な観察者の目であるだろう。例えそれが、画風を変える何がしかのきっかけを与えた存在であったとしても、黒田清輝のラファエル・コラン、あるいは佐伯祐三にとってのブラマンクのような存在とは別種の関係性であるように思う。

02松本竣介『少女』1935年6月松本竣介『少女』
1935年6月
油彩・板に紙
29.4×21.0㎝

 考えてみれば松本竣介は常に醒めている。よく言えば理性的なのだ。画風を真似しようというよりは、ルオーにしても客観的にその作品の在り方を考察しているように見える。つまり対象に対して分析的で、その試みは実験的である。これは松本竣介の生来の気質である。油絵の道具を初めて手にした時に、色彩の見本を作ったり、皿の絵を写真に撮り、実際の皿と比べたりするような、理系の科学者のような行動をしていたことを思い出す(注4)。
 ということで、松本竣介にとってルオーへの近接は、画家への熱狂や心酔ではなく、またモジリアニに対した感情とも異なる、初入選を目指した戦略的で実験的な試みであったのではないかと思うのだ。松本竣介は私たちが思うよりも戦略家であったかもしれない。

03松本竣介『少年像』1936年 岩手県立美術館蔵松本竣介『少年像』
1936年
油彩・板
41.0×32.0㎝
岩手県立美術館蔵

注1 松本竣介「ピカソ、マチス等の作品を見て」『人間風景』(新装・増補版)中央公論美術出版 1990年 p46
注2 同上
注3 金澤清恵「日本におけるジョルジュ・ルオーの紹介、あるいはその受容について」『成城美学美術史』第17号 2012年 pp.57~58
注4 朝日晃『松本竣介』日動出版 1977年 pp.68~70
こまつざき たくお

小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。

小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

●書籍のご紹介
2月16日に小松﨑拓男先生の新著が刊行されました。
598257『TOKYO POPから始まる|日本現代美術1996-2021|』
出版社:平凡社
小松崎拓男 著
出版年月 2022/02
ISBN 9784582206494
Cコード 0070
判型・ページ数 4-6 304ページ
価格:2,860円(本体2,600円+税)
※送料360円(銀行振り込み、2冊以下の場合)
90年代以降、キュレーターとして現代美術の現場を並走してきた著者が語る、日本現代美術の四半世紀。村上隆から奈良美智まで、日本のアート・シーンの現在についての貴重なドキュメント。
ときの忘れもので、著者サイン入り本を扱っています。

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