井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第10回
『ベルリン国際映画祭』
2022年2月は、とにかく映画を観た月だった。とあるきっかけで『ベルリン国際映画祭』に出品された作品群をオンライン視聴できる機会を得たのだ。これまで全く知り得なかった遠い国の事情、時に不条理の中で生き抜くことの厳しさや苦しさに直面せざるを得ない約10日間は、気力や体力を要するものでもあったけれど、同時に自分の元にまで作品が届けられた事実に、これまで以上に深い感慨を覚えた期間だった。今回のブログでは、期間中に視聴した32本(長編24本+短編8本)の中から特に印象に残った映画6作について書いてみようと思う。全て英語字幕で鑑賞したため、意味が理解しきれていない可能性があることをご了承いただきつつ、日本における作品や監督の認知の向上に少しでも役立てたのなら幸いである。
▼Jet Lag
Zheng Lu Xinyuan監督、スイス・オーストリア、2022年、111分
モノクロ映像で綴られた個人エッセイ。オーストリアのグラーツ、中国、ミャンマーなど、異なる時間や場所を移動するコロナ禍の旅を映している。かなり大雑把な言い方かもしれないけれど、私はこの映画を、愛と生産性を結びつける人たちや、戦争を合理的だと考える人たちに、100万回ずつ観て欲しいと思った。個人が持ちうる歴史の複雑さを、どうか無視しないで欲しい。止められない愛や病のこと、人間以外の生き物たちのこと、たどたどしく読む詩やデモの記録。愛しい人や花の映像を映しながら何度も「This is a political film」と繰り返したジョナス・メカスや、「個人的なことは政治的なこと」のスローガンが脳裏によぎった。監督はきっと「自分をどう良くみせるか」よりも「どうしたらみんなで幸せになれるか」を考えている人なのだと思う。
『Jet Lag』予告編
▼We, Students!
Rafiki Fariala監督、アフリカ・フランス・コンゴ・サウジアラビア、2022年、82分
監督のラフィキが、中央アフリカ共和国の首都、バンギで大学に通う身近な友人たちの姿を映したドキュメンタリー。荒んだ地で、若い世代がどのようにして未来を描けるかというテーマが考察される。この映画を観て感じたのは、冒頭から結末まで、とにかく一瞬も飽きる時間がないということ。一台のバイクに動物3匹と人間4人が乗って走る姿や、大学での、もはや暴動のような熱気が溢れるテストの提出シーンなど、監督たちにとっては何気ない生活風景の一部にいちいち目を奪われ、自分がアフリカの映画に触れてきた経験がいかに少なかったかを思い知らされた。
監督が元々関係性を築き上げているからか、この映画の被写体たちはとても豊かな表情を見せる。男たちはキャメラを気にせずくよくよと泣き、対照的に女たちは自信に満ちて堂々としている。嘘っぽさやわざとらしさがないから、じっと見惚れてしまう。その上で、明らかに女性の姿が少ない大学の様子や、ガールフレンドが十代で母親になる様子をどう捉えるか。色々な人の意見を聞いてみたいなと思った。中盤まで自然にふるまっていた友人が、試験落第(?)でナーバスになり「俺は映画のキャラクターじゃないんだ」と撮る/撮られるの関係に疑問を呈し始める展開もスリリング。
▼Somewhere Over the Chemtrails
Adam Koloman Rybanský監督、チェコ、2022年、85分
97年生まれの監督が祖父に向けて、友人たちと共に制作したという同作。小さな村でボランティアの消防活動をするスタンダとボローニャが、とある事件に巻き込まれながら奔走する姿が描かれている。キャラクターたちの性格やビジュアル、舞台である村の雰囲気がとても愛おしく、『ベルリン』期間に視聴した作品群のなかで唯一、ほっこりとした気持ちにしてくれた作品。しかし空気が緩みすぎない絶妙な塩気/毒気もある。エンドロールの音楽のチョイスが好みドンピシャで、10代の頃から作品を作り続けているという監督に強い興味を抱いた。
『Somewhere Over the Chemtrails』予告編
▼Until Tomorrow
Ali Asgari監督、イラン・フランス・カタール、2022年、86分
イラン版『17歳の瞳に映る世界』とでも言うべき傑作。主人公の学生・フェレシュテが、両親から子供の存在を隠そうと奔走する物語。付焼刃の知識だけれど、イランでは法律婚をしていない相手との間に子を授かることが禁止されているようだ(間違えていたらごめんなさい)。厳しい現実にじっと耐えながらも、友人のアテフェと手を組み、未来を信じることを止めないフェレシュテの強い瞳に胸を打たれた。映画の後半、この映画を忘れがたいものにする素晴らしい長回しがある。女性たちに降りかかる生きづらさを捉えつつも、男/女と雑に分けて役割を与えるのではなく、登場人物たちを一人ひとりの人間として描こうとする姿勢を感じた。シンプルなあらすじで音楽に頼らず、ここまで豊かに感情を描き切れるのかと驚いたし、フェレシュテの行く先を固唾を飲んで見守る撮影も素晴らしい。
▼Rewind & Play
Alain Gomis監督、フランス・ドイツ、2022年、65分
1969年にコンサートのためパリに到着したピアニストのセロニアス・モンク。それに際して収録されたテレビ番組のラッシュ映像を、『第67回ベルリン国際映画祭』で銀熊賞を受賞したアラン・ゴミス監督が作品化したもの。モンクについて、名前しか知らない程度の自分が観ても落涙してしまうほどに彼の表情が良く捉えられていた。くだらないやりとりにモンクを何度も何度も付き合わせる地獄のような(白人男性だらけの)テレビ収録現場で、口数少ないモンクが徐々に追い詰められ、怒り、汗をだらだら流しながら弾くピアノの、あまりの美しさ。演奏が止んだとき、画面の前で一人立ち上がって拍手しそうになった。セロニアス・モンク没後40年の2022年、ぜひ日本でも公開されて欲しい一作。
▼Klondike
Maryna Er Gorbach監督、ウクライナ・トルコ、2022年、100分
ロシアとウクライナの境界線に位置する村・グラボベの上空で、マレーシア航空17便が撃墜され、乗員・乗客298人全員が死亡した実際の事故をベースに描かれる物語。普段だったら自分から積極的に選んで観るタイプの映画ではなかったかもしれないけれど、今この時期においては、どうしても見逃せない作品だった。ウクライナのドネツィク州(映画の舞台であるグラボベはこの州に位置する)とルハーンシク州では2014年からドンバス戦争(ロシア・ウクライナ戦争の一環となる武力衝突)が起きているということを、この映画をきっかけに初めて知った。「戦争のないところに行こう」という夫や、同じく村を離れさせようとする兄弟に対して「本当に戦争が起きているの?」と嘆きながらも、自分の家を離れようとしない農家・妊婦のIrkaの意地が胸に迫る。たまたま住処が国境付近に位置してしまったために、なぜ唐突に家が壊され、生活を手放さなければならないのか? 動物たちを置きざりにして? 男たちがピストル一発打ち込むだけであっけなく失われる命(やそれに伴う怒り、悲しみ)と、Irkaが獣のように叫びながら産むたった一人の命の、壮絶なコントラストが心にこびりつく。カットを割らずにじっくりと映される地続きの風景も印象的だった。
この映画の最後に出る「女性たちに捧ぐ」というクレジットをみて、先日鑑賞したNetflix映画『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』で、ヘルメット代わりに鍋を頭にかぶり、可愛い花をつけてデモに参加していたおばあちゃんの姿を思い出した。『Klondike』も『ウィンター・オン~』も2014年頃のウクライナを舞台にしている作品だけれど、ウクライナの人々は、こんな風にずっとずっと厳しい社会情勢と戦いつづけてきたのだと思うと、現在の状況を照らし合わせて心が締め付けられる。私もこの時代に生まれた一人として、死ぬまでずっと、戦争に反対します。
『Klondike』予告編

(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2022年5月22日掲載予定です。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
『ベルリン国際映画祭』
2022年2月は、とにかく映画を観た月だった。とあるきっかけで『ベルリン国際映画祭』に出品された作品群をオンライン視聴できる機会を得たのだ。これまで全く知り得なかった遠い国の事情、時に不条理の中で生き抜くことの厳しさや苦しさに直面せざるを得ない約10日間は、気力や体力を要するものでもあったけれど、同時に自分の元にまで作品が届けられた事実に、これまで以上に深い感慨を覚えた期間だった。今回のブログでは、期間中に視聴した32本(長編24本+短編8本)の中から特に印象に残った映画6作について書いてみようと思う。全て英語字幕で鑑賞したため、意味が理解しきれていない可能性があることをご了承いただきつつ、日本における作品や監督の認知の向上に少しでも役立てたのなら幸いである。
▼Jet Lag
Zheng Lu Xinyuan監督、スイス・オーストリア、2022年、111分
モノクロ映像で綴られた個人エッセイ。オーストリアのグラーツ、中国、ミャンマーなど、異なる時間や場所を移動するコロナ禍の旅を映している。かなり大雑把な言い方かもしれないけれど、私はこの映画を、愛と生産性を結びつける人たちや、戦争を合理的だと考える人たちに、100万回ずつ観て欲しいと思った。個人が持ちうる歴史の複雑さを、どうか無視しないで欲しい。止められない愛や病のこと、人間以外の生き物たちのこと、たどたどしく読む詩やデモの記録。愛しい人や花の映像を映しながら何度も「This is a political film」と繰り返したジョナス・メカスや、「個人的なことは政治的なこと」のスローガンが脳裏によぎった。監督はきっと「自分をどう良くみせるか」よりも「どうしたらみんなで幸せになれるか」を考えている人なのだと思う。
『Jet Lag』予告編
▼We, Students!
Rafiki Fariala監督、アフリカ・フランス・コンゴ・サウジアラビア、2022年、82分
監督のラフィキが、中央アフリカ共和国の首都、バンギで大学に通う身近な友人たちの姿を映したドキュメンタリー。荒んだ地で、若い世代がどのようにして未来を描けるかというテーマが考察される。この映画を観て感じたのは、冒頭から結末まで、とにかく一瞬も飽きる時間がないということ。一台のバイクに動物3匹と人間4人が乗って走る姿や、大学での、もはや暴動のような熱気が溢れるテストの提出シーンなど、監督たちにとっては何気ない生活風景の一部にいちいち目を奪われ、自分がアフリカの映画に触れてきた経験がいかに少なかったかを思い知らされた。
監督が元々関係性を築き上げているからか、この映画の被写体たちはとても豊かな表情を見せる。男たちはキャメラを気にせずくよくよと泣き、対照的に女たちは自信に満ちて堂々としている。嘘っぽさやわざとらしさがないから、じっと見惚れてしまう。その上で、明らかに女性の姿が少ない大学の様子や、ガールフレンドが十代で母親になる様子をどう捉えるか。色々な人の意見を聞いてみたいなと思った。中盤まで自然にふるまっていた友人が、試験落第(?)でナーバスになり「俺は映画のキャラクターじゃないんだ」と撮る/撮られるの関係に疑問を呈し始める展開もスリリング。
▼Somewhere Over the Chemtrails
Adam Koloman Rybanský監督、チェコ、2022年、85分
97年生まれの監督が祖父に向けて、友人たちと共に制作したという同作。小さな村でボランティアの消防活動をするスタンダとボローニャが、とある事件に巻き込まれながら奔走する姿が描かれている。キャラクターたちの性格やビジュアル、舞台である村の雰囲気がとても愛おしく、『ベルリン』期間に視聴した作品群のなかで唯一、ほっこりとした気持ちにしてくれた作品。しかし空気が緩みすぎない絶妙な塩気/毒気もある。エンドロールの音楽のチョイスが好みドンピシャで、10代の頃から作品を作り続けているという監督に強い興味を抱いた。
『Somewhere Over the Chemtrails』予告編
▼Until Tomorrow
Ali Asgari監督、イラン・フランス・カタール、2022年、86分
イラン版『17歳の瞳に映る世界』とでも言うべき傑作。主人公の学生・フェレシュテが、両親から子供の存在を隠そうと奔走する物語。付焼刃の知識だけれど、イランでは法律婚をしていない相手との間に子を授かることが禁止されているようだ(間違えていたらごめんなさい)。厳しい現実にじっと耐えながらも、友人のアテフェと手を組み、未来を信じることを止めないフェレシュテの強い瞳に胸を打たれた。映画の後半、この映画を忘れがたいものにする素晴らしい長回しがある。女性たちに降りかかる生きづらさを捉えつつも、男/女と雑に分けて役割を与えるのではなく、登場人物たちを一人ひとりの人間として描こうとする姿勢を感じた。シンプルなあらすじで音楽に頼らず、ここまで豊かに感情を描き切れるのかと驚いたし、フェレシュテの行く先を固唾を飲んで見守る撮影も素晴らしい。
▼Rewind & Play
Alain Gomis監督、フランス・ドイツ、2022年、65分
1969年にコンサートのためパリに到着したピアニストのセロニアス・モンク。それに際して収録されたテレビ番組のラッシュ映像を、『第67回ベルリン国際映画祭』で銀熊賞を受賞したアラン・ゴミス監督が作品化したもの。モンクについて、名前しか知らない程度の自分が観ても落涙してしまうほどに彼の表情が良く捉えられていた。くだらないやりとりにモンクを何度も何度も付き合わせる地獄のような(白人男性だらけの)テレビ収録現場で、口数少ないモンクが徐々に追い詰められ、怒り、汗をだらだら流しながら弾くピアノの、あまりの美しさ。演奏が止んだとき、画面の前で一人立ち上がって拍手しそうになった。セロニアス・モンク没後40年の2022年、ぜひ日本でも公開されて欲しい一作。
▼Klondike
Maryna Er Gorbach監督、ウクライナ・トルコ、2022年、100分
ロシアとウクライナの境界線に位置する村・グラボベの上空で、マレーシア航空17便が撃墜され、乗員・乗客298人全員が死亡した実際の事故をベースに描かれる物語。普段だったら自分から積極的に選んで観るタイプの映画ではなかったかもしれないけれど、今この時期においては、どうしても見逃せない作品だった。ウクライナのドネツィク州(映画の舞台であるグラボベはこの州に位置する)とルハーンシク州では2014年からドンバス戦争(ロシア・ウクライナ戦争の一環となる武力衝突)が起きているということを、この映画をきっかけに初めて知った。「戦争のないところに行こう」という夫や、同じく村を離れさせようとする兄弟に対して「本当に戦争が起きているの?」と嘆きながらも、自分の家を離れようとしない農家・妊婦のIrkaの意地が胸に迫る。たまたま住処が国境付近に位置してしまったために、なぜ唐突に家が壊され、生活を手放さなければならないのか? 動物たちを置きざりにして? 男たちがピストル一発打ち込むだけであっけなく失われる命(やそれに伴う怒り、悲しみ)と、Irkaが獣のように叫びながら産むたった一人の命の、壮絶なコントラストが心にこびりつく。カットを割らずにじっくりと映される地続きの風景も印象的だった。
この映画の最後に出る「女性たちに捧ぐ」というクレジットをみて、先日鑑賞したNetflix映画『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』で、ヘルメット代わりに鍋を頭にかぶり、可愛い花をつけてデモに参加していたおばあちゃんの姿を思い出した。『Klondike』も『ウィンター・オン~』も2014年頃のウクライナを舞台にしている作品だけれど、ウクライナの人々は、こんな風にずっとずっと厳しい社会情勢と戦いつづけてきたのだと思うと、現在の状況を照らし合わせて心が締め付けられる。私もこの時代に生まれた一人として、死ぬまでずっと、戦争に反対します。
『Klondike』予告編

(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2022年5月22日掲載予定です。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
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