佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第63回

空洞について


20220407佐藤研吾画像1(photo: comuramai)

今回の制作で主題とした空洞。これはピンホールカメラ制作の在り方から思いついた形式だが、実は、いくつか経験した建築プロジェクトに通底していたイメージでもある。そんなことをカメラを作りながら思いついた。この推察をすぐにでも新しいプロジェクト実践してみたい。これは個展をやっての明らかな収穫である。
空洞とは何か。空間ではない。数年前、しばしば荒れ地という言葉を使っていた。時間を超えていくつかの痕跡(未来の痕跡、カケラも含む)がザラザラと刻み込まれ、ゴロゴロと何かが横たわっている場所。誰かがやってきては、その気配の余韻を残しつつ、また立ち去っていく場所。荒れ地という曖昧なイメージを形容する言葉としてはひとまずこのようなものである。そしてその荒れ地を折り畳むように、荒れ地というイメージに対して、建築の意思、とも言うべきものを与えた形として浮かび上がってきた言葉が、空洞。自分としてはそんな思考の流れがある。
20220407佐藤研吾画像2(photo: comuramai)

そんな何かの形式、場の在り方を表す概念を探す一方で、日頃忙殺されがちな建築の仕事の中で、設計と施工の関係、距離がどう在れば良いかを考えている。計画と制作の関係施工の現場で判断し、生まれたアイデアを、現れる建築のデザインに生かすことができれば、それはとても良い事だと思っている。もちろんそうした事が成立するためにはいくらかの工夫が必要であり、うまくいかないことも多い。現場の規模が大きくなれば、取り巻く周囲のシステムも頑丈で、精緻なものとなるからだ。こちらの組織の在り方も工夫が必要で、まだその突破ができてはいない。けれども、そうした大きな規模の設計の仕事をする時もなお、私は現場で考えることを止めたくないと思う。自分自身が素材に直に触れ、試行錯誤する制作の瞬間を、常に自分が生きている時間のどこかに携えておきたいのだ。

針穴写真機の制作は、そうした自分の問題意識、欲求に応えるものとしてある試みである。「カメラ作り」というひとまずの主題を設定し、針穴写真機を、かつて暗闇の部屋のスケールであったカメラオブスクラの縮小模型と捉え直し、さらに「内と外の関係」、「開口部の問題」、「方向性を持った部屋」という建築の問題として読み解き、形を考える。
クリの丸太を手に入れて、丸太に横穴=空洞を掘る。できたその空洞の姿に対して、周囲の丸太を彫刻して、空洞にいかにして物質を付帯させるかを、彫刻しながら考える。そしてクリの塊を付帯させた空洞をどのようにして宙に浮かせるかを考える。そこに今回は鉄を用いた。それは写真機本体と三脚というような、写真機という形式性を保つための一つの表れであるが、ただ単に自分自身が新たに得た溶接技術を使ってみたかったという素朴な創作の意図もある。
そして鉄とクリを組み合わせを試す中で大きな問題が発生した。クリ材に鉄が触れると、その触れた部分が黒ずんでしまうのである。その反応が一体何なのか分からなかったが、調べてみるとクリのタンニンと鉄の反応であることが分かった。であればと、クリ全体を鉄で染めてしまうことを考えた。そうすれば、鉄とクリの取り合いに余計な配慮がいらなくなる。正確には染めというよりも、変色に近い反応と思われるが、そんな制作の飛躍は、大玉村で藍染めの活動を仲間とやっていたことから来ているのは間違いない。そうして、空洞はクリの塊で囲われ、さらにその外側に分子レベルでも鉄の皮膜を纏うものとなったのである。
20220407佐藤研吾画像3

そして、その空洞体に、針穴の空いた蓋を仮面のようにマウントして、写真機となる。印画紙を内部に取り付け、穴の栓を外して撮影外の世界を取り込む。晴れた日にも40分は露光し続けなければならない素朴な道具である。けれども、できた写真は、まるで空洞の内奥から木肌を舐めながら外を覗き見るような、そのように作ることでしか見ることのできないだろう必然で切実な像を描いていたように思える。

ドローイングは、立体の制作の前後、最中に描いた。立体制作の前ではどのような立体を作るべきかを考えながら。立体制作の後には、作った立体とその中に据えられている空洞がどのような関係となっているのかを読み解くかたちでドローイングを描いた。
クリの彫刻において、自由に鑿が入らなかったり、時には節にぶつかって止まってしまったり思わぬところで割れたりとすることがある。現場で起きてしまった状況を受け入れ、全ての出来事を取り込むように形を作っていった。そうした彫刻と同様に、ドローイングにおいても、鉛筆の線と画用紙の凹凸との衝突に半ば任せるように描画は歪み、その歪んだ線にまた新たな揺らぎのある線を重ねていくように、だんだんと図形を生み出していった。
20220407佐藤研吾画像4(ドローイング)
20220407佐藤研吾画像5(ドローイングの拡大)

ドローイングと立体の関係は実は相互に包摂し合うようなものかもしれない。ドローイングは立体を作るのためにあり、立体はドローイングを描くためにある。制作をひとまず終えての感慨だ。

そしてこの一連の制作も、建築の仕事と包摂し合っているのは間違いない。建築のスケールと写真機のスケールを行ったり来たりすることが自分にとって重要であるようだ。これから、そのスケールの振れ幅が、さらにもっと大きくなるのかもしれない。ともかく、続けていきたい。
さとう けんご

佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。

●カタログのご案内
c0ab7318『佐藤研吾展 群空洞と囲い』図録
発行日:2022年3月25日
発行元:有限会社ワタヌキ/ときの忘れもの
17.1×25.6cm、24頁、図版32点
テキスト:佐藤研吾、都築響一
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:880円(税込み)+送料250円

*画廊亭主敬白
1月の杉山幸一郎さんの初個展に続き、佐藤研吾さんの二回目の個展が大盛況のうちに終了しました。一階の靴脱ぎ場に20足近い靴が並んだときはさすがに三密ではないかと恐れすらいだきました。
私たちがいわゆる建築展ではない建築家の展覧会を始めて40数年経ちましたが、いまでは普通に皆さんが画廊空間で建築家のドローイングやオブジェ、写真を楽しんでいただけるようになりました。
昔、磯崎新先生が「世界には建築ギャラリーが80もあるのに、日本では・・」と嘆いていたのが嘘のようですね。1983年11月、千駄ヶ谷のGAギャラリーのオープン記念展は磯崎新先生の版画による展覧会でした。
今回、毎日多くの方がtwitterなどで発信してくれ、それらの一部については4月2日ブログでご紹介させていただきました。その後もたくさんの投稿があったので、追加で下記にご紹介します。

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<「佐藤研吾展 群空洞と囲い」の立体作品群は、ピンホールカメラという分かりやすい役割をどれもが持っているからこそ、立体とドローイングを見比べたときに想像されるその造形の意図や縮尺がかえって固定化されなくて、なんというか居心地が良かった
(20220403/Tomiさんのtwitterより)>

<佐藤研吾/群空洞と囲い
手の痕跡が見える歪な塊。こちらが覗かれているという感覚は、ピンホールカメラという先入観か、それともドグマか。
(20220403/Rikiyasu Kazuki|りっきーさんのtwitterより)>

<ときの忘れものでの、佐藤研吾さんの展示。あくまでも人のための道具という考え方が前提にあると言っていたことが印象的でした
(20220403/wakasugirikuさんのtwitterより)>

<佐藤研吾さんの展示へ
ドローイングも印象的であった
(20220403/sakaiさんのtwitterより)>

11<建築の若い人に見て欲しかった。
この展示は佐藤研吾のドローイング。
(20220403/岡啓輔さんのtwitterより)>

<先程まで、ときの忘れもので佐藤研吾さんの個展に再び立ち寄った。じっくり長居してしまった。面白さを反芻しよう
特に、仮面の空洞という名前のドローイングが良かった。穴の空いたピンホールが仮面に似ているということなんだと思う
(20220403/金子遥洵さんのtwitterより)>

<佐藤研吾さんの展示にて、
変哲も無い空洞がピンホールカメラに化たり、少し離れてみると複数の模型が散歩してるように見えたり、スケールの引き伸ばし方や引き落とし方がとても不思議だった。全て建築の問題として捉えてみると仰っていたのが印象的だった。
(20220402/Fukuda Seiyaさんのtwitterより)>

<佐藤研吾さんの個展へ
青みのある黒は鉄の水溶液らしい。孤高な実践のように見えて、群になることの美学があった。雑部密教っておもしろい
(20220403/むつみさんのtwitterより)>

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<佐藤研吾さんの個展を観てきた。空洞は囲いがあるから空洞なのであり、だから移動させることも支えることもできる。他の方のtweetに「ピンホールカメラ」という見方があって納得した。像は距離がないと結べない。あまりに近すぎるとイメージは立ち上がらないのだ
(20220403/Mitaniさんのtwitterより)>

<佐藤研吾展 群空洞と囲い https://youtu.be/tBX4XgoH76A
@YouTube
より 良かった。強い存在感のあるオブジェ、モノづくりの精度の高さ、それを支える思考の深さ。栗の木の空洞はカメラであり、時間を収納する什器であり、世界を見る為の建築。
(20220403/萩原富士夫さんのtwitterより)>

20220402阿部勤先生右から阿部勤先生、Azuさん、佐藤研吾さん、画廊亭主
<ときの忘れものの佐藤研吾さんの個展。展示台の上に直置きされた真っ黒な木のオブジェたち。そのマッスとキュービックな幾何学性は、一見、ジャック・リプシッツの初期の作品のようなキュビスム彫刻を想起させたが、中央には四角い空洞が彫り抜かれており、ピンホールカメラを表していることが分かる
佐藤さんの作品とともに阿部勤さん設計の建築空間をじっくり味わいつつ、勤務先リニューアルやル・コルビュジエの話などをさせて頂いていたら、偶然阿部さん自身がご来廊され、ご挨拶させて頂いた。坂倉準三建築研究所出身の阿部さんからお話を伺えて本当に有意義な時間でした。
(20220403/Azuさんのtwitterより)>

isozaki_chair<佐藤研吾さんの個展にて
名作椅子に遭遇
飛び跳ねそうなかたち。
(20220403/秋彩さんのtwitterより)>

<佐藤研吾さん個展いよいよ本日が最終日!
いつ行ってもお客さんがいて佐藤さんも在廊されている。お見逃しなきよう。
(20220403/BOOKS 青いカバさんのtwitterより)>

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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊ですが、4月15日(金)~24日(日)「中村潤展 うろうろをへて こつこつのはて」は会期中無休です。