「瀧口修造と作家たち ― 私のコレクションより ―」

第5回「フォートリエ」

清家克久


図版1.「鶺鴒(Bergeronnette)」1942年図版1.
「鶺鴒(Bergeronnette)」
エッチング・アクアチント
11.5×13.5cm 1942年
(クチュリエ版1962-64年)
限定50部の19番

 ジャン・フォートリエ(1898―1964)の銅版画。何故か鳥の名前が付けられているが、描かれているのは裸婦のトルソであろう。裸婦は初期の頃からの主要なテーマで、この作品は第二次世界大戦下に制作され、後年に刷られたものと思われる。
 2014年5月から12月にかけてフォートリエ没後50年を記念した回顧展が日本で初めて開催された。東京、名古屋、大阪の3会場を巡回する大規模な展覧会である。当時、国立国際美術館副館長を務めていた島敦彦さんからご案内をいただき、10月の初旬に地元のフォートリエ好きの画家と美術愛好家の三人で愛媛~大阪間の往復フェリー(船中泊)を利用して見に行った。受付で島さんへ面会を請うと、来客中にも拘わらず、わざわざ挨拶に来られて立派なカタログまで頂戴した。フォートリエは現代美術史上に揺るぎない位置を占めているが、一般に馴染みのある画家とは言えない。私もそれまでほとんど実物を見たことがなく、戦前から戦後に至る代表的な作品を集めた本格的な展覧会はわが国ではもう二度と出来ないだろうと思った。


図版2.ジャン・フォートリエ展)チラシ図版2.
ジャン・フォートリエ展
(2014年9月~12月国立国際美術館)
チラシ

図版3.同上カタログ表紙図版3.
同上カタログ表紙

 その後インターネットでフォートリエの作品を検索していると、東京の「ギャラリーかわまつ」のホームページに本作品が9万円で出品されていたので早速注文した。展覧会カタログにも載っている版画である。フォートリエといえばマチエールに注目されがちだが、本人は「デッサンが感動を固定し、マチエールや色はその後にやって来る」と述べ、デッサンの重要性を強調している。この作品からもそれを伺うことができる。





 瀧口修造が初めてフォートリエについて言及したのは1956年11月に東京・日本橋髙島屋百貨店で開催された「世界・今日の美術展」(朝日新聞社主催)目録の解説である。

図版4.<br />「世界・今日の美術展」目録表紙(1956年11月朝日新聞社刊図版4.「世界・今日の美術展」目録表紙
(1956年11月朝日新聞社刊)

 この展覧会がわが国の画家たちに「アンフォルメル旋風」と呼ばれるほどの多大な影響を与えた。翌年の読売アンデパンダン展にもそれが顕著に見られたが、瀧口は展評で手放しの模倣もあるとしながらも、鬱積した表現意欲の表れとして肯定的に捉えている。同年に刊行された小冊子の論集「アンフォルメルとは何か」(座右宝刊行会1957年10月刊)の中で、瀧口は「未知のコミュニケーションの冒険であり、造形言語の革命である」と評している。


図版5.「アンフォルメルとは何か」図版5.
「アンフォルメルとは何か」
(1957年10月座右宝刊行会刊)
表紙

 アンフォルメル旋風の余韻冷めやらぬ1959年11月に日本初のフォートリエ展が南画廊で開催された。新進の画廊が外国の巨匠を招いて新作展を行うのは画期的な出来事として連日観覧者が殺到し、新聞・雑誌などの反響も大きかったと伝えられている。カタログも出色の出来で、薄冊ながらフォートリエのマチエールを模した皺のある加工紙をカバーに用いた大判の装幀で、テキストはジャン・ポーラン、アンドレ・マルロー、東野芳明、富永惣一、そしてフォートリエの言葉(翻訳は大岡信)が収録されている。この時展示された「雨」と題する作品は大原美術館に収蔵されているが、これを見た現代美術のコレクター佐藤忠雄は次のように語っている。「日本橋のある画廊の二階でフォートリエの雨という題の絵を見て、異常な感動を覚えました。(中略)ただ一面に緑がぬりたくってあり、斜めにキズがつけてあるだけです。しかし、本当にそれは雨の感じがでているのです。緑の山の樹々に雨のふる感じが、身ぶるいするほど強くこちらの胸に響いてくるのです。物を借りなくとも、私達の感覚に直接強く訴えてくるものがあれば、それは美といって差支えない、とその時始めて思ったのです。」(「ABSTRACT ART IN THE SATO COLLECTION」私家版1970年1月刊)作家が雨をイメージしてこの絵を描いたかどうかはさておき、抽象画の見方の一つとして参考になる言葉ではないだろうか。

図版6.「フォートリエ展」表紙(1959年11月南画廊刊)図版6.「フォートリエ展」表紙
(1959年11月南画廊刊)

図版7.「雨(Rain)」大原美術館蔵図版7.
「雨(Rain)」グワッシュ、石膏、紙80.8×129.7cm
大原美術館蔵
(国立国際美術館「ジャン・フォートリエ展」カタログより)


 瀧口は南画廊の展評(「絵画のABC」読売新聞1959年11月27日、評論集「点」(みすず書房1963年刊に収録)に続き、美術雑誌「みづゑ」(1960年2月号)の特集で「フォートリエの沈黙の部分」(「画家の沈黙の部分」1969年10月みすず書房刊に収録)と題して本格的に論じている。ここでは珍しく作家の制作過程が写真入りで紹介され、「フォートリエの絵は、妙に3つの要素からなっている。カンバスに厚地の紙をはって何かの塗料を流した細心なバックと、それから漆喰様の材料をコテで押しつけるようにして塗った部分と、その上にうすい絵具でかるく描かれた線、この3つの部分からである。画家は独自の仕方で、絵というものの根本の構造を、この3つの部分によって一度根っから解体してしまい、それをさりげなく組立てているように思われて仕方がない。その組立がおそるべき優雅な技術なのである。なぜなら解体は当然、絵画の歴史を一挙に無に帰するほどの操作を伴うからである。」と展評の文章を再録しながら解説している。そして、フォートリエの作品に見られる「繰返し」について「繰返しはすべての芸術家の宿命のようなものではないのか」と問う。また、フォートリエが試みた複数原作については、「原作の複製ではなく一つ一つが原作としての質を具えていなければならず、社会もそうした認識をもつことが必要だ。」とのフォートリエの言葉を紹介している。

図版8.「フォートリエの沈黙の部分」より)図版8.
「フォートリエの沈黙の部分」より
(「みづゑ」1960年2月号美術出版社刊)

 この「繰返し」と「複数原作」の問題に結論が出ている訳ではないが、その後大衆メディアによる象徴的なイメージの反復とシルクスクリーン版画を量産したアンディ・ウォーホルの出現によって一つの答えが示されたと言えるかもしれない。
(せいけ かつひさ)

清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

・清家克久さんの連載エッセイ瀧口修造と作家たち―私のコレクションより―は毎月23日の更新です。

清家克久さんの「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか。
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