アーカイブや美術館のコレクションについて考える
中村惠一(『文芸誌がいこつ亭』128号より再録)
コロナの影響もあるのだろうか、近日、公立美術館の開館周年記念展を連続して見た。その初めは、栃木県立美術館の「題名のない展覧会 50年のキセキ」であり、栃木県立美術館の五〇年の軌跡を辿るものであった。それを奇跡としても考えたのだろう。当然、展示の中心は五〇年間にアーカイブされ、収蔵されたコレクションであった。カタログがわりに発行された小冊子には、「栃木県立美術館は、公立の近代美術館の先駆けとして1972年11月3日に開館し、今年で開館50周年を迎えます」とあった。この一文に興味をもったのだった。そうか、近代美術をコレクションし、展示する美術館は七〇年代まではほとんどなかったのかと、その事実に実のところ驚くとともに、とても意外な思いがしたのだった。
次に埼玉県立近代美術館の開館四〇周年記念「扉は開いているか一美術館とコレクショ ン1982-2022」を見た。第一章は「近代美術館の原点一コレクションの始り」である。この美術館は「印象派からエコール・ド・パリ展」で開館した。しかし、そのタイトルとは異なり、展示の中心にはかかわりのあった埼玉出身の画家たちが置かれた。第二章は「建築と空間」で、美術館を設計した黒川紀章がクローズアップされる。第三章の「美術館の織糸」では、一九七〇年代の美術の検証、ジャンルを越えた活動をした瑛九、大衆文化や複製芸術に軸足をおいた小村雪岱という三つの視点による企画展覧会を起点に発展していったコレクションを紹介。こうした明確な視点をもった織糸があるために、コレクションにぶれが生じることがなかったことを実感できる展示である。とくにモノ派の展示は単に美術館がコレクションするということではなく、行為自体、行為総体をアーカイブしてゆくにはどうすべきかとの視点も興味深かった。そして、最終章である第四章では「同時代の作家とともに」で締めくくられた。この章が現在のこの美術館の立ち位置を明確に物語っており、コンテンポラリーな作家との共同制作、協働作業を美術館と作家で行うという宣言になっていた。こうした取り組みの結果が3,700点を越えるコレクションであることがしっかりと理解できた。その象徴的な作品はコインロッカーに常設展示されている宮島達男の作品であると理解した。
続いて、うらわ美術館開館二二周年「芸術家たちの住むところ」を見た。本来は二〇周年記念展として企画されたが、コロナで延期されたために二二周年という中途半端な周年企画になったものという。題名の通り、合併前の浦和市が昭和初期において一種の芸術家村の様相を呈した事実、それを起点にコレクションが始ったこと、調査や資料アーカイブを改めて検証した展覧会であった。うらわ美術館といえばアーティストブックやリーブルオブジェの収集に特徴があると思っていたので、意外にも感じたが、総体的に良い展示であった。
埼玉県立近代美術館は開館四〇周年、そうか一九八二年といえば東北新幹線の開業もあった。なにより私は大学を卒業した年であり、結婚した年である。そう考えると、美術館開館周年記念展も身近に感じられた。改めて振り返れば、今年は沖縄返還五〇周年である。美術館、博物館関係では、東京国立近代美術館の開館は一九五二年であり、今年は開館七〇年の節目である。そして東京国立博物館は開館一五〇周年なのであった。
栃木県立美術館50年のキセキ冊子
埼玉県立近代美術館開館40周年展図録
北海道立美術館が設立されたのは一九六七年であるが、北海道立近代美術館が開館したのは一九七七年七月二〇日のこと。そうか、北海道立近代美術館も四五周年ではないか。そして五年後には半世紀のアニバーサリーを迎える。既にそのための企画や準備は進んでいるのかもしれない。コレクションは5,660点を数える。この一度に展示することは絶対にかなわない収蔵点数をいかに活用、見せてゆくことできるのか、収蔵の文脈、周辺資料を含めたアーカイブが整理された状態でできているのかどうか、とても気になるところだ。特に地元作家の資料は当該自治体の美術館がアーカイブしない限りは永久に失われてゆく運命を辿る可能性が高いだろう。従い、公立の近代美術館の使命は重要で、かつ大きい。従い、それぞれの美術館がどのような主旨と経緯をもって設立され、作品のコレクションやアーカイブを行ってきたのか、更には今後どのような考えをもってコレクションを充実、拡大し、それらをどのように活用していこうとしているのかは大きな課題であり、時には問題となる。そんなことを考えさせる展覧会が続いたのだった。
一方では、無制限には拡大できない作品収蔵庫はいっぱいになり、美術館に寄贈すれば一安心という状況はもはやありえない。かえって特定の美術館に集中的にコレクションされたために忘れられてしまった画家、写真家はいなかっただろうか。市中のギャラリーでの展示やコレクターが購入し、マーケットに流通するという行為の大切さを思い知ることもあった。
うらわ美術館開館22周年図録
まだ訪問できていないが、今年は目黒区立美術館が三五周年を迎え、記念展である「美術館はおもちゃ箱・道具箱」という展覧会が開催される。ここでも美術館としての原点への回帰が表現されそうである。
私は、今年が大学卒業四〇周年と最初から意識して気付いていたわけではない。実は一冊の本をきっかけにして気付いたのであった。それは、MEIが三月二五日に刊行した『武満徹、世界の・札幌の』を読んだことによる。この一冊はCD「1982武満徹世界初演曲集」に収録された講演を書籍化したいという港千尋をはじめとするこの本の共著者たちの思いに端を発している。弁護士で二〇〇三年から一五年の期間、札幌市長であった上田文雄、FM北海道のアナウンサーであった高山秀毅、さっぽろ芸術文化研究所代表の伊藤佐紀に港を加えた座談会が本には収録されており、そこでCD化にいたる経緯が語られていた。もともとの音源はFM北海道の開局記念のための音源だったのだそうだ。FM北海道は三九年前に開局した。全国で六番目に開局したFM局であった。その三五周年として公演の録音、武満の講演の録音、それに新たに指揮者である尾高忠明のインタビューとで構成された番組を放送した。この事実を知った港が「ちょうど二〇二二年は、開局四〇周年、演奏会からも四〇年になるわけですね」とコメントしている。この一文を読んで、そうだ、私が札幌を離れて四〇年の節目にあたるのだと改めて気付いたのだった。これに対する上田の発言が興味深い。「やっぱりレコードですよ。レコードは記録という意味です。レコードってことの意味がよくわかるなという気がしますね。歴史的な意味ですね。」とコメントしている。

最近みた展覧会で、資料アーカイブの重要性を感じさせられたのは国立市にあるZEIT-FOTO kunitachiで4月2日から5月14日に開催された「石原悦郎への手紙 Part II -AIRMAIL-」であった。ツァイトフォトサロンの石原にあてて送られた写真家、画家たちからの手紙である。それと作品とを組み合わせた展示は、それぞれに物語を想起させ、貴重な経験であった。文学資料としてはあれだけ展示される手紙なのに、美術分野においてはあまり展示されてこなかったように思う。美術館での今後の資料アーカイブにおける手紙の位置づけは極めて難しく、それだけにとても興味深い。
また、最近読んだ資料で大変感銘を受けたのは「アーカイブと美術史」であった。東京大学AMESEA2018のアーカイブ・ゼミが『資生堂ギャラリー七十五年史』を編集執筆したギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」の綿貫不二夫にインタビューした素晴らしい冊子である。責任編集は粟生田弓であり、ここでもツァイトの石原の影を感じることになった。すべてを一次資料にあたりながらおさえていった綿貫の執念の結実が『資生堂ギャラリー七十五年史』であったことがとても良く理解できる編集は素晴らしかった。そして、資料アーカイブの大切さと事実の探求、物語の構築の大切さを思い知ることになった冊子であり、身近においている一冊でもある。この冊子により『資生堂ギャラリー七十五年史』の内容を確かめたくなり、古書店から入手したのだが、送りもとは釧路であった。帯文には「近現代美術史の貴重な資料として、興味深い読物として、厚い熱い一冊」とある。まさにとも思ったが、一方では、読み物として気軽には手にとれないなとも思った。なにせ七三五ページというボリュームである。
『アーカイブと美術史』2020年3月31日発行
『資生堂ギャラリー七十五年史』を編集した綿貫をはじめとするスタッフの熱気とそれをアーカイブする粟生田をはじめとするメンバーの熱気を同時に感じることができた。
その綿貫に紹介されたのが岩手の萬鉄五郎記念美術館で2021年12月11日から2022年4月17日にわたり開催された「cafe モンタン」展のカタログであった。盛岡の1960年代を文化レベルでリードしたcafe モンタンでの文化的な活動の全て(だされたメニューやプロモーションの広告含めて)を展示された作品とアーカイブ資料によって構成した展示であり、それによって結実した一冊である。あまりの素晴らしさに一気に読んでしまったし、無理してでも展覧会に伺わなかったことを後悔したのだった。

よくぞここまでと思うほど、一次資料が集められ、掲載され、豊富な写真が文章をフォロー、検証されている紙面が見事である。私にとっては、雑誌『VOU』の同人である清水俊彦、高橋昭八郎、伊藤元之が掲載されており、とてもうれしかった。地方で多かれ少なかれ展開されたであろう、こうした文化活動は一次資料をアーカイブし、誰かがまとめておかないと消えてしまう。萬鐵五郎記念美術館のこの企画に感謝するとともに、敬意を払いたいと思う。素晴らしい企画であった。
最後に今年であればこそ、ふれないわけにはいかない展覧会が修了した。それは町田市立国際版画美術館で開催された「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展である。これもまた、そのまま放っておけば消えてしまっただろう木版画運動の新たな視点での読み返し、再評価しようという試みであった。また、同時に膨大な資料のアーカイブの活用であり、コレクションの文脈の新たな読み変えにもなっていたように思った。特に学生の共同制作による作品は良く残っていたなとも思うし、愛着をもってアーカイブした心ある人がいたからこその展覧会の実現だったのだろう。しかし、この企画の実現には苦労したであろうとも思うし、これからも沢山の新事実の発見につながってゆくのだろうと感じた。私も下丸子文化集団を、その実態を最初は何も知らないままに追いかけた経験がある。1950年代ならばと思ったのがいけなかった。本当に発掘は大変だった。個別におこなわれていたであろうアーカイブがまとまり、違う文脈として組み合わされることで新たな価値となる。それを実感した展覧会であった。そこまで徹底した、そして熱をもった企画の勝利であったのだと思う。
カタログ書影
(なかむら けいいち)
*画廊亭主敬白
ときの忘れもののなお客様には現代版画センター時代からお付き合いのある方も少なくありません。学生時代から渋谷のセンター事務局に来ていたという中村惠一さんは今も日本各地の美術館やギャラリーを精力的にまわっています。
いつも送ってくださる『文芸誌がいこつ亭』(札幌の三神恵爾さん発行)128号に掲載されていたのが上掲エッセイです。著者のお許しを得て再録させていただきました。
*埼玉県立近代美術館の開館四〇周年記念展については王聖美さんのエッセイ「開館40周年記念展 扉は開いているか―美術館とコレクション 1982-2022」をお読みください。
*ツァイトフォトサロンの故・石原悦郎さんについては1978年の開廊時に私たちがインタビューした記事「オリジナルプリントの魅力-石原悦郎氏に聞くー」を、そして飯沢耕太郎さんの追悼文「石原悦郎——写真をアートにした希代のギャラリスト」をお読みください。
*「アーカイブと美術史」については、編者の粟生田弓さんのエッセイ「アーカイブと美術史」をお読みください。同誌については粟生田さんのご厚意でご希望の方には無料で進呈しています。お申込みはメールにてどうぞ。
*萬鉄五郎記念美術館のCAFE モンタン展につては同館館長の平澤広さんのエッセイ「《CAFE モンタン》 小瀬川了平が注いだ最上級の芸術エッセンス」をお読みください。カタログはときの忘れもので扱っています。お申込みはメールにてどうぞ。
*町田市立国際版画美術館の「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展については、王聖美さんのエッセイ「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」を訪れて、をお読みください。
中村惠一(『文芸誌がいこつ亭』128号より再録)
コロナの影響もあるのだろうか、近日、公立美術館の開館周年記念展を連続して見た。その初めは、栃木県立美術館の「題名のない展覧会 50年のキセキ」であり、栃木県立美術館の五〇年の軌跡を辿るものであった。それを奇跡としても考えたのだろう。当然、展示の中心は五〇年間にアーカイブされ、収蔵されたコレクションであった。カタログがわりに発行された小冊子には、「栃木県立美術館は、公立の近代美術館の先駆けとして1972年11月3日に開館し、今年で開館50周年を迎えます」とあった。この一文に興味をもったのだった。そうか、近代美術をコレクションし、展示する美術館は七〇年代まではほとんどなかったのかと、その事実に実のところ驚くとともに、とても意外な思いがしたのだった。
次に埼玉県立近代美術館の開館四〇周年記念「扉は開いているか一美術館とコレクショ ン1982-2022」を見た。第一章は「近代美術館の原点一コレクションの始り」である。この美術館は「印象派からエコール・ド・パリ展」で開館した。しかし、そのタイトルとは異なり、展示の中心にはかかわりのあった埼玉出身の画家たちが置かれた。第二章は「建築と空間」で、美術館を設計した黒川紀章がクローズアップされる。第三章の「美術館の織糸」では、一九七〇年代の美術の検証、ジャンルを越えた活動をした瑛九、大衆文化や複製芸術に軸足をおいた小村雪岱という三つの視点による企画展覧会を起点に発展していったコレクションを紹介。こうした明確な視点をもった織糸があるために、コレクションにぶれが生じることがなかったことを実感できる展示である。とくにモノ派の展示は単に美術館がコレクションするということではなく、行為自体、行為総体をアーカイブしてゆくにはどうすべきかとの視点も興味深かった。そして、最終章である第四章では「同時代の作家とともに」で締めくくられた。この章が現在のこの美術館の立ち位置を明確に物語っており、コンテンポラリーな作家との共同制作、協働作業を美術館と作家で行うという宣言になっていた。こうした取り組みの結果が3,700点を越えるコレクションであることがしっかりと理解できた。その象徴的な作品はコインロッカーに常設展示されている宮島達男の作品であると理解した。
続いて、うらわ美術館開館二二周年「芸術家たちの住むところ」を見た。本来は二〇周年記念展として企画されたが、コロナで延期されたために二二周年という中途半端な周年企画になったものという。題名の通り、合併前の浦和市が昭和初期において一種の芸術家村の様相を呈した事実、それを起点にコレクションが始ったこと、調査や資料アーカイブを改めて検証した展覧会であった。うらわ美術館といえばアーティストブックやリーブルオブジェの収集に特徴があると思っていたので、意外にも感じたが、総体的に良い展示であった。
埼玉県立近代美術館は開館四〇周年、そうか一九八二年といえば東北新幹線の開業もあった。なにより私は大学を卒業した年であり、結婚した年である。そう考えると、美術館開館周年記念展も身近に感じられた。改めて振り返れば、今年は沖縄返還五〇周年である。美術館、博物館関係では、東京国立近代美術館の開館は一九五二年であり、今年は開館七〇年の節目である。そして東京国立博物館は開館一五〇周年なのであった。
栃木県立美術館50年のキセキ冊子
埼玉県立近代美術館開館40周年展図録北海道立美術館が設立されたのは一九六七年であるが、北海道立近代美術館が開館したのは一九七七年七月二〇日のこと。そうか、北海道立近代美術館も四五周年ではないか。そして五年後には半世紀のアニバーサリーを迎える。既にそのための企画や準備は進んでいるのかもしれない。コレクションは5,660点を数える。この一度に展示することは絶対にかなわない収蔵点数をいかに活用、見せてゆくことできるのか、収蔵の文脈、周辺資料を含めたアーカイブが整理された状態でできているのかどうか、とても気になるところだ。特に地元作家の資料は当該自治体の美術館がアーカイブしない限りは永久に失われてゆく運命を辿る可能性が高いだろう。従い、公立の近代美術館の使命は重要で、かつ大きい。従い、それぞれの美術館がどのような主旨と経緯をもって設立され、作品のコレクションやアーカイブを行ってきたのか、更には今後どのような考えをもってコレクションを充実、拡大し、それらをどのように活用していこうとしているのかは大きな課題であり、時には問題となる。そんなことを考えさせる展覧会が続いたのだった。
一方では、無制限には拡大できない作品収蔵庫はいっぱいになり、美術館に寄贈すれば一安心という状況はもはやありえない。かえって特定の美術館に集中的にコレクションされたために忘れられてしまった画家、写真家はいなかっただろうか。市中のギャラリーでの展示やコレクターが購入し、マーケットに流通するという行為の大切さを思い知ることもあった。
うらわ美術館開館22周年図録まだ訪問できていないが、今年は目黒区立美術館が三五周年を迎え、記念展である「美術館はおもちゃ箱・道具箱」という展覧会が開催される。ここでも美術館としての原点への回帰が表現されそうである。
私は、今年が大学卒業四〇周年と最初から意識して気付いていたわけではない。実は一冊の本をきっかけにして気付いたのであった。それは、MEIが三月二五日に刊行した『武満徹、世界の・札幌の』を読んだことによる。この一冊はCD「1982武満徹世界初演曲集」に収録された講演を書籍化したいという港千尋をはじめとするこの本の共著者たちの思いに端を発している。弁護士で二〇〇三年から一五年の期間、札幌市長であった上田文雄、FM北海道のアナウンサーであった高山秀毅、さっぽろ芸術文化研究所代表の伊藤佐紀に港を加えた座談会が本には収録されており、そこでCD化にいたる経緯が語られていた。もともとの音源はFM北海道の開局記念のための音源だったのだそうだ。FM北海道は三九年前に開局した。全国で六番目に開局したFM局であった。その三五周年として公演の録音、武満の講演の録音、それに新たに指揮者である尾高忠明のインタビューとで構成された番組を放送した。この事実を知った港が「ちょうど二〇二二年は、開局四〇周年、演奏会からも四〇年になるわけですね」とコメントしている。この一文を読んで、そうだ、私が札幌を離れて四〇年の節目にあたるのだと改めて気付いたのだった。これに対する上田の発言が興味深い。「やっぱりレコードですよ。レコードは記録という意味です。レコードってことの意味がよくわかるなという気がしますね。歴史的な意味ですね。」とコメントしている。

最近みた展覧会で、資料アーカイブの重要性を感じさせられたのは国立市にあるZEIT-FOTO kunitachiで4月2日から5月14日に開催された「石原悦郎への手紙 Part II -AIRMAIL-」であった。ツァイトフォトサロンの石原にあてて送られた写真家、画家たちからの手紙である。それと作品とを組み合わせた展示は、それぞれに物語を想起させ、貴重な経験であった。文学資料としてはあれだけ展示される手紙なのに、美術分野においてはあまり展示されてこなかったように思う。美術館での今後の資料アーカイブにおける手紙の位置づけは極めて難しく、それだけにとても興味深い。
また、最近読んだ資料で大変感銘を受けたのは「アーカイブと美術史」であった。東京大学AMESEA2018のアーカイブ・ゼミが『資生堂ギャラリー七十五年史』を編集執筆したギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」の綿貫不二夫にインタビューした素晴らしい冊子である。責任編集は粟生田弓であり、ここでもツァイトの石原の影を感じることになった。すべてを一次資料にあたりながらおさえていった綿貫の執念の結実が『資生堂ギャラリー七十五年史』であったことがとても良く理解できる編集は素晴らしかった。そして、資料アーカイブの大切さと事実の探求、物語の構築の大切さを思い知ることになった冊子であり、身近においている一冊でもある。この冊子により『資生堂ギャラリー七十五年史』の内容を確かめたくなり、古書店から入手したのだが、送りもとは釧路であった。帯文には「近現代美術史の貴重な資料として、興味深い読物として、厚い熱い一冊」とある。まさにとも思ったが、一方では、読み物として気軽には手にとれないなとも思った。なにせ七三五ページというボリュームである。
『アーカイブと美術史』2020年3月31日発行『資生堂ギャラリー七十五年史』を編集した綿貫をはじめとするスタッフの熱気とそれをアーカイブする粟生田をはじめとするメンバーの熱気を同時に感じることができた。
その綿貫に紹介されたのが岩手の萬鉄五郎記念美術館で2021年12月11日から2022年4月17日にわたり開催された「cafe モンタン」展のカタログであった。盛岡の1960年代を文化レベルでリードしたcafe モンタンでの文化的な活動の全て(だされたメニューやプロモーションの広告含めて)を展示された作品とアーカイブ資料によって構成した展示であり、それによって結実した一冊である。あまりの素晴らしさに一気に読んでしまったし、無理してでも展覧会に伺わなかったことを後悔したのだった。

よくぞここまでと思うほど、一次資料が集められ、掲載され、豊富な写真が文章をフォロー、検証されている紙面が見事である。私にとっては、雑誌『VOU』の同人である清水俊彦、高橋昭八郎、伊藤元之が掲載されており、とてもうれしかった。地方で多かれ少なかれ展開されたであろう、こうした文化活動は一次資料をアーカイブし、誰かがまとめておかないと消えてしまう。萬鐵五郎記念美術館のこの企画に感謝するとともに、敬意を払いたいと思う。素晴らしい企画であった。
最後に今年であればこそ、ふれないわけにはいかない展覧会が修了した。それは町田市立国際版画美術館で開催された「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展である。これもまた、そのまま放っておけば消えてしまっただろう木版画運動の新たな視点での読み返し、再評価しようという試みであった。また、同時に膨大な資料のアーカイブの活用であり、コレクションの文脈の新たな読み変えにもなっていたように思った。特に学生の共同制作による作品は良く残っていたなとも思うし、愛着をもってアーカイブした心ある人がいたからこその展覧会の実現だったのだろう。しかし、この企画の実現には苦労したであろうとも思うし、これからも沢山の新事実の発見につながってゆくのだろうと感じた。私も下丸子文化集団を、その実態を最初は何も知らないままに追いかけた経験がある。1950年代ならばと思ったのがいけなかった。本当に発掘は大変だった。個別におこなわれていたであろうアーカイブがまとまり、違う文脈として組み合わされることで新たな価値となる。それを実感した展覧会であった。そこまで徹底した、そして熱をもった企画の勝利であったのだと思う。
カタログ書影(なかむら けいいち)
*画廊亭主敬白
ときの忘れもののなお客様には現代版画センター時代からお付き合いのある方も少なくありません。学生時代から渋谷のセンター事務局に来ていたという中村惠一さんは今も日本各地の美術館やギャラリーを精力的にまわっています。
いつも送ってくださる『文芸誌がいこつ亭』(札幌の三神恵爾さん発行)128号に掲載されていたのが上掲エッセイです。著者のお許しを得て再録させていただきました。
*埼玉県立近代美術館の開館四〇周年記念展については王聖美さんのエッセイ「開館40周年記念展 扉は開いているか―美術館とコレクション 1982-2022」をお読みください。
*ツァイトフォトサロンの故・石原悦郎さんについては1978年の開廊時に私たちがインタビューした記事「オリジナルプリントの魅力-石原悦郎氏に聞くー」を、そして飯沢耕太郎さんの追悼文「石原悦郎——写真をアートにした希代のギャラリスト」をお読みください。
*「アーカイブと美術史」については、編者の粟生田弓さんのエッセイ「アーカイブと美術史」をお読みください。同誌については粟生田さんのご厚意でご希望の方には無料で進呈しています。お申込みはメールにてどうぞ。
*萬鉄五郎記念美術館のCAFE モンタン展につては同館館長の平澤広さんのエッセイ「《CAFE モンタン》 小瀬川了平が注いだ最上級の芸術エッセンス」をお読みください。カタログはときの忘れもので扱っています。お申込みはメールにてどうぞ。
*町田市立国際版画美術館の「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展については、王聖美さんのエッセイ「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」を訪れて、をお読みください。
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