ガウディの街バルセロナより

その4 モデルニスモとの出会い

丹下敏明


ガウディについては先に書いたように1971年に卒論として『ガウディの研究』と題した350ページの論文を出した。当時は参考文献を入手することすら大変だったが、何よりも海外渡航がそれほど簡単に出来なかった時代なので、卒論を書く時には実はガウディを実際に見ることができなかった。スペイン行が実現したのは卒業後で、現地に着いてやっと待望のガウディに触れることができた。ガウディの作品は、ほとんど市内に散らばっているわけだけれども、実は地下鉄に乗るのはまれだった。貧乏旅行とはいえ当時の地下鉄の料金は3ペセタ(当時の換算で15円)と、ひどく安かったので払えたのだが、理由はガウディ建築を見るために目的地を目指すなか、途中の街路で次々とこれは何なのだというような不思議な建物に出会ったからだった。その発見が楽しくて、ガウディを見に来たはずなのに、ひたすら徒歩で碁盤の目に区切られた街を見て回った。その発見が楽しかったのか、乗らなければならない地下鉄の駅も通り越して歩いたことがよくあった。当時のフィルム・カメラはフィルムがやたらと高く、スペイン製のNEGRAとかいうフイルムもあったが、Agfaの50mの長尺フィルムを見つけた。これは夜にペンションに帰ってから、現像所でもらったパトローネに手で巻くというものだった。当時はまだフランコ将軍が健在であり、知り合った人は、ほぼ全員が反フランコの人ばかりであったのと、その連中はこぞって反アメリカだった。その影響もあってKodakではなく、Agfaがぴったりだった。その後も白黒フィルムはIlfordを使ったものだった。
カテドラル向かいにある建築家協会の図書館は当時は公共図書館だったので会員以外でも自由に入ることができた。ここではガウディがジョアン・マルトレイ(Joan Martorell i Montells, 1833~1906年)の事務所で働いていた頃、ドラフトマンとして描いたカテドラル正面ファサードのコンペ案のオリジナル・ドローイングが無造作に壁にかかっていて衝撃を得たのを覚えている。そして、この図書館ではボイーガスが書いた『モデルニスモ建築』という大著に感動した。(文:Oriol Bohigas, 写真:Leopordo Pomes, 原題:Arquitectura Modernista, 出版社: Lumen, Barcelona, 1968年) この本は大判で総330ページという大著であった。前文はブルーノ・ゼヴィ、最初の章はモデルニスモの流れがよく分かる年表。その次はポメスの写真によるドキュメント。そして本文、最後にモデルニスモ建築家の主だった作品が羅列されるという構成だ。ポメス(1931 ~2019年) はこの本の後、コマーシャルの分野で大成するのだが、この時代はストリートカメラマンとして面白い仕事を残している。

1. Architectura modernista
1. ボイーガスのモデルニスモの建築表紙

2. カテドラルコンペ案
2. 建築家協会図書館にかかっていたガウディのオリジナル・ドローイング

その後この本はカメラマンのポメスとの版権の問題からだろうか、イタリア語版はそのままの形で出たが、スペインでは再版されることは無かった。その後ボイーガスはボメスの写真を外し、題名を変更し再版し、その後も版を重ねたが、これは数多く残したボイーガス(1925~2021年)の著作の中でも名著の一つとなったが、何よりもモデルニスモの決定的な著作として現在もそのポジションを譲っていない。(改訂版のタイトルはResena y catalogo de la Arquitectura Modernista, 1973年以降版を重ねた。日本では稲川直樹訳で、みすず書房から2011年に出版) 
図書館で見られるガウディのオリジナル・ドローイングは、こんな近くで見れるという嬉しさあったけれども、ボイーガスの本の写真を見ているうちに、街を歩く時と同じような感銘を受けた。つまり、日本にいて一口に言えばガウディというのは孤立した作風とされ、さらに写真ではわざと異様に映したとしか思えないガウディしか日本では見ていなかった。ところが、バルセロナの街の中を歩いてみるとこれは全く違うのだという事が分かった。異様でも、もちろん珍奇でもなく、街に何とも馴染んでいるように見えた。今から思えば、当時の日本でのガウディの評価は怪奇、幻想、異様、不可思議というようなレッテルを貼られていたのが普通だったが、実際に街を歩いてみると私の眼にはバルセロナの街自体が全くの予想外であった。そこではガウディの特異さなどは目に入らなかった。日本ではガウディに関連して若干アール・ヌーヴォーも勉強していたが、これだけの大きな街でいわゆる世紀末建築が所狭しと建ち並んでいるのは他に例がないと気づいた。

3. Casa Batllo 1972.03
3. 1972年3月のカサ・バトリョ

4. La Pedrera 1973.11
4. 1973年11月のカサ・ミラ屋上

5. La Pedrera 1972.03
5. 1973年3月のカサ・ミラメイン・エントランス

6. Casa Fuster1972.03
6. 1972年3月のカサ・フステール(ドメネク作)

7. Casa Amatller
7. 1972年3月のカサ・アマトリェ(プーチ作)

しかし、70年代のバルセロナはモデルニスモの評価、ガウディの評価さえ地元の人には全く忘れられたものとなっていた。例えばカサ・ミラのファサードは真っ黒、さほど有名でないモデルニスモ時代の建築家の作品は古臭いということでどんどん解体されていた。

8. Concepcion
8. 現存しないコンセプシオのパン屋さん

9. Figueras1972
9. 1972年のお菓子屋さんフィゲーラス

10. Flare Blanc 1972.03
10. 1972年3月のフラーレ・ブランク

この状態が続いていてボイーガスの大作も一般市民からは忘れられていたが、1990年、92年バルセロナ・オリンピックの準備が進む中、関連事業として文化オリンピックと題した大展覧会が行われた。展覧会のタイトルはEl Quadrat d’ Or (黄金の四角)で、セルダのグリッド状の市街区を指し、その発展とそこに建ち並ぶモデルミスモの建築群に焦点を合わせている。会場は全面改修が終わったばかりのカサ・ミラが充てられた。そのほぼ同時期に近代美術館(その後、現在のカタルーニャ国立美術館に統合される)ではずばりEl Modernismoというタイトルで、絵画、彫刻、建築、内装、家具だけではなく詩、文学、音楽、演劇、宝石デザイン、写真、グラフィックなどが一堂に展示された。こでだけではなかった、カサ・ミラはオーナーが替わって地元の銀行の所有になったために磨き上げられたが、市役所はそれから遡る1985年からPosa’t Guapa (きれいになりましょう)というキャンペーンを展開していた。これは私が71年にバルセロナに着いて驚愕した建物群、しかし、百年を経過しようという建物は真っ黒で、その顔を洗い直して評価しようというものだった。市役所は修復工事の手続きに便宜を図り、工事資金の融資の相談、技術的な相談も受け、真っ黒だったエイシャンプレの建物を補修して、街中を奇麗にしようという政策だった。更にその時期に建築品質委員会を設立し、市内に新たに建設される建築はこの委員会の承認を得ねばならないという仕組みを作った。

11. El modernismo
11. 文化オリンピック時のモデルニスモ展覧会のカタログ(全2巻)

11bis.  近代美術館でのモデルニスモ展、入場を待つ行列
11bis. 近代美術館でのモデルニスモ展、入場を待つ行列

12. Quadrat d' Or
12. 黄金の四角展カタログ

13. Posat Guapa
13. ポサット・グアパがサポートした工事用シート

14.La Pedrera 1994.05.26
14. 1994年全面改装中のカサ・ミラ

*写真はすべて筆者撮影
たんげ としあき

丹下敏明(たんげとしあき)
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作(カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984年以降 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blans計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画(現在進行中)などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画(全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展(バルセロナ・アパレハドール協会展示会場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展(サン・ジョアン・デスピ)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加

主な著書
『スペインの旅』実業之日本社(1976年)、『ガウディの生涯』彰国社(1978年)、『スペイン建築史』相模書房(1979年)、『ポルトガル』実業之日本社(1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社(1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会(1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版(1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社(1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社(2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社(2022年)など

・丹下敏明のエッセイ「ガウディの街バルセロナより」は隔月・奇数月16日の更新です。次回は11月16日です。どうぞお楽しみに。

中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会
20220827182501_000019月11日ブログで「中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会」を開催しています。
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