王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥 第26回」

京都工芸繊維大学美術工芸資料館
「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」展を訪れて


 京都工芸繊維大学美術工芸資料館(京都市左京区)で開催されている「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」展に行ってきた。

 美術工芸資料館は、同大学の前身にあたる京都高等工芸学校が創立以来、教材として収集していた美術・工芸を保存、継承するため、図書館から独立する形で1981年に開館(設計は船越暉由名誉教授)した。ポスターコレクション約2万点のほか、美術・工芸作品を所蔵し、建築分野では村野藤吾の建築設計資料を約5万5千点所蔵している。
 村野藤吾建築設計資料については、1994年に受贈を前提として資料館に資料が搬入され、図面のフラットニングを経て、同館助教授(当時)竹内次男の下で1997年から資料整理が進められ、1999年に同学教授(当時)西村征一郎を初代委員長として「村野藤吾の設計研究会」が発足した。整理された資料、それらを活用した学内研究、意匠設計を志す学生による模型製作を柱に、「村野藤吾建築設計図面展」として1999年度から現在まで15回、研究成果の公開を積み重ねてきた活動が知られている。

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京都工芸繊維大学美術工芸資料館外観

1. 
 「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」展は、長谷川尭旧蔵村野藤吾関連資料の公開ということで、村野藤吾の設計研究会によって企画された。長谷川尭旧蔵資料が同館に移った経緯については、2019年に他界した建築評論家であり武蔵野美術大学名誉教授であられた長谷川尭が生前、ご子息にご自身の書斎の資料を信頼を寄せる松隈洋(当時美術工芸資料館教授)に託すよう伝えていたことが、先日3月25日に行われた京都工芸繊維大学松隈洋教授最終講義で明かされた。
 同展は、資料館1階の展示室1室とエントランスホールという限られたスペースで開催されていた。東京の書斎からはるばる資料館に引っ越してきた多種多様な形態の資料を今後の有用化と保存のために、分類・整理し、同時に展覧会をどういう流れで編むか議論し、資料のデジタル画像化を経て、こうして個々の展示ケースに収めた足取りを推察すると、関わった方々の実直さが伝わってくるように思う。大きな図面や模型はなく面積こそコンパクトな展示だが、研究者の資料という特性に忠実な展示だった。

2.
 展示室には、2010年9月に武蔵野美術大学新宿サテライトで行われた長谷川による講演「私の《モダニズム》批評、その後」の記録映像、1970年代後半~2000年代(推定)に撮影したと解説されている35mmのポジフィルムとネガフィルムのスリーブ、スライドファイル21箱とそれらに保管されていたスライドの一部が展示されている。2000年代にパワーポイントが普及するまでは、ポジの像をマウントしたスライドを投影機器のドーナツ状のカセットに挟んで一枚一枚送りながら授業や講演が行われていたわけだが、低温低湿の保存環境が求められ、かつ、裏面から光を当てて示したいスライドを展示する方法として施された壁面展示ケースの工夫に感心した。写真フィルムからは、長谷川がカメラを携えてレンズの画角に収まらない建築をなんとか記録しながら、村野の建築を吸収していった姿が想像できる。

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京都工芸繊維大学美術工芸資料館「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」展会場風景 ©笠原一人(京都工芸繊維大学 デザイン・建築学系 助教)

3.
 エントランスホールには平置きの覗きケースが並んでいる。「長谷川尭が論じた村野藤吾」、「村野藤吾が読んだ長谷川尭」と小題が置かれ、長谷川の著作とその一つ一つの解説や、村野によりメモが書き込まれた『神殿か獄舎か』(相模書房、1972)もある。続く「長谷川旧蔵資料」では、研究ノート・年表、村野の著作コピー・書簡、村野の作品ファイル、村野のノートコピー・竣工アルバム、大正期の建築や建築家に関する資料、インタビューノート、講演会事前準備資料、シンポジウム・講演・展覧会の記録資料、長谷川の自筆原稿・新聞連載切り抜きなどが紹介されている。
 これら資料を通じて、長谷川があらゆる村野のアウトプット ーつまり、書誌に掲載された村野作品に関する図版やテキスト、手紙・インタビューを通じた村野との直接のやりとり、前述のカメラを携えた実作の訪問などー から、村野を探求し分析した姿勢が読み取れる。そして、そこから長谷川の村野を追う執念と敬意が感じられた。

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京都工芸繊維大学美術工芸資料館「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」展会場風景 ©笠原一人(京都工芸繊維大学 デザイン・建築学系 助教)

4.
 ところで、やはり少し異質だったのは、二人の信頼関係を表し、同展を総括するような働きをしていた展覧会冒頭の展示ケースの内容だ。ここには、展覧会ポスターのメインビジュアルに採用された46歳差の村野と長谷川が並んで唐津の海岸を並んで歩く写真、地図、後日受け取った手紙が紹介されている。この写真は、1980年4月に、村野が少年時代のことを話しておきたいということから、12歳まで過ごした生まれ故郷の唐津に新建築社と長谷川を呼び寄せた時に撮られたものだ。
 長谷川は、その時に村野が語った幼少期のことと、後日受け取った手紙について、取材から約10年後の『村野藤吾作品集 3 1975-1988』(新建築社、1991)の解説に記し、更に20年近く経ってから、『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会、2011)の最終章で振り返り、行きつ戻りつ考察している。そして、同書の最後に、村野が唐津で伝えようとしたのは、八幡とは対照的な美しい自然がもたらしたデザインの源泉といったことではなく、唐津の原風景に刻まれた幼少期の不安(「孤児性」)を克服するように育まれた自立性(「自己性」)が、生涯の村野の精神を支えた、と結論付け、晩年の村野からの宿題におおよそ30年かけて応えた。

 展覧会は6月10日まで開催され、希望者には、資料の解説や長谷川尭へのインタビューなどが掲載された図録が配布されている。

(おう せいび)

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。次回は2023年6月18日の予定です。

王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。

●展覧会紹介
村野藤吾と長谷川尭ーその交友と対話の軌跡」展
Togo Murano and Takashi Hasegawa: Traces of Their Friendship and Dialogue
会期:2023年3月22日(水)から6月10日(土)
   日曜日・祝日休館
主催:京都工芸繊維大学美術工芸資料館、村野藤吾の設計研究会
入館料:一般200円、大学生150円、高校生以下無料
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