佐藤圭多のエッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」第7回

言葉をスケッチする

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ポルトガルに来て一年が経った。僕のポルトガル語学力にあまり進展は見られないが、現地小学校に通い始めた娘の語学の上達は目覚ましい。子どもが言葉を習得するプロセスは、驚異的だし謎だらけに見える。赤ちゃんの時は意思疎通がままならないので本人に説明してもらうわけにもいかないのだが、今回は日本語は普通に喋れる我が子である。そばで観察してみる事にした。

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まず気づいたのは、言葉より先にジェスチャーを覚え始めた事だ。「怒った時は両手を上に向けて、手の甲で腿を叩いてる」「額に手を当ててから離す、という動きをよくやってる」娘が再現する様子を見ると確かにポルトガル人の同じ振る舞いを日常的に見ていることに気づく。僕はジェスチャーを軽視していたと反省した。会話の添え物、あくまで脇役にしか思っていなかったが、ジェスチャーはそれそのものが身体が喋る言葉なのだ。この時点で彼女は日本語にポルトガルジェスチャーを交えて喋る状態で、今思えばすでに大人と違いが生まれていた。

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しばらくすると彼女は不機嫌の塊になった。友達ができはじめて一緒に遊べるようになったが、ずっと黙って遊んでいるわけにはいかない。誤解があった時に説明できない。けんかになった時に言い返せない。我が家に台風のようなストレスの渦がやってきた。家が壊れるのではないかと思われたその台風が徐々に去っていくに従って、彼女はポツポツとポルトガル語を喋り始めた。語数は決して多くはないが、驚くのは最初から完全な現地の発音で喋りはじめたことだ。隣家のおじいちゃんに娘のポルトガル語を聞かせると「ポルトガル人そのままの発音だ」と感心していた。

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なぜ僕ら大人は初めから正しい発音で喋れないのだろう。日本語発音に舌が慣れすぎているからというのは、今回のケースを見ると言い訳にすぎない気がする。子供が高熱で寝込んだ後に回復すると、少し成長したような顔つきになったと感じることがある。困難に正面から飛び込んだ結果引き起こされた台風が、おそらく鍵を握っているのだ。大人にその飛躍ができないのは、正面衝突を回避する術を心得ているからではないか。今までの人生で身につけてきた、効率化の知恵が言語習得の邪魔をしている、そんな気がした。

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プロダクトデザインのプロセスにも似たものがある事に思い当たる。アイデアを製品として形にしていく過程は、今までの経験がものをいう。技術や素材、生産に関する知識と経験がなければ、アイデアは空想の領域から出られない。けれど、はじめのアイデアが生まれる瞬間は、自分の積み上げてきたものの延長線上を探してもたいてい見つからない。予測の範囲内は、アイデアにはなり得ないのだ。その結果、経験とは無縁な飛躍を、アイデアが永遠にあらわれないかもしれない不安の中で待つ事になる。それは、自分の予測の外にあるものを探しに行く時間だ。難しい事のようだけれど、実は誰にでもできる簡単な方法がある。スケッチだ。

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スケッチは紙とペンだけあればできる。ペンを使うのは難しくてどうも…という人は少ないだろう。スケッチするための技術的な障壁はほとんどない。それなのにスケッチは、軽々と自分の予測の外側に出ていく。ペンを持つ手の動きは、必ずしも自分の意図どおりにはならないから。時に考えてもみなかった線の交錯が目の前に現れる。それを発見して、自分の考えにフィードバックする。そんなふうに自分の外側と会話しているうちに、形のきっかけを掴む事ができる。大学で授業をしていると、学生から「どうやって新しいデザインを発想するのか」とよく質問される。発想に必要なのは、創造する力というより発見する力だと、僕は思う。

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言葉の習得に話を戻せば、ジェスチャーはさしずめスケッチだろうか。ジェスチャーを覚えれば、それは言葉に近づくための羅針盤となるのかもしれない。にしても、その航海は果てしなく思える。ローマ時代の俗ラテン語をルーツとするポルトガル語との距離に絶望的な気分になる一方で、「語感」という観点からするとポルトガル語と日本語は遠くないと感じる事はよくある。例えば「じゃ、あとで」と言う雰囲気で、ポルトガル語でも「Até já」(アテジャ)と言う。ありがとう、と「Obrigado」も音が似ているし、呼びかける時に「おい(oi)」と言ったり「おりゃ!(olha!)」なんて叫んでいるときもある。英語にはカタカナふうの洒落た響きを感じるのに対して、ポルトガル語にはひらがなが持つ柔らかさを感じるのである。

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スペルを説明しようとすると、いつも混乱が生じる。例えば自分の名前であれば、Kは「ケー」で伝わるが、Eを「イー」、Iを「アイ」と言ったあたりでたいていポルトガル人の顔は??となる。毎回同じことが起こるので、どう発音するのが正しいのか調べてみるとEは「エ」、Iは「イ」と読むらしい。ん?と思ってさらに調べれば何のことはない、「A」「I」「U」「E」「O」の発音は「あ」「い」「う」「え」「お」なのである。ナイフとフォークのテーブルマナーを覚えて行ったのに、お箸が出てきたような感覚。そういえば日本語を表記するのに使うABCは「英字」ではなく「ローマ字」だものなあ、と変に感心した。

(さとう けいた)