磯崎新先生が制作し続けた版画作品を順を追ってご紹介するつもりでこの連載を始めたのですが、諸々の事情で(大半は亭主の怠慢、記憶力の減退、資料探索の困難)そうもいかなくなりました。
今回取り上げる「空洞としての美術館Ⅰ Ⅱ」はもう少し後でと考えていたのですが、群馬県立近代美術館から4月22日~6月18日に常設展示で寄託中の「空洞としての美術館Ⅰ」を展示するという知らせをいただいたので、会期に間に合うよう今回ご紹介します。

(磯崎新)「空洞としての美術館 I」
1977年 シルクスクリーン、ドローイング、カンヴァス、パネル、木(刷り:石田了一)
110.0×480.0cm
Ed.5(実際に制作したのは2部、うち1部は第14回サンパウロ・ビエンナーレに出品後破棄されたと思われる。現存は1部のみ)
*現代版画センターエディション


第1回で取り上げた「ヴィッラ」シリーズと並行して制作が進行したのですが(刷り:石田了一)、作品のモチーフはⅠが群馬県立近代美術館、Ⅱが秀巧社。
現代版画センターのエディションの中で最も大きなサイズでしたが、磯崎先生が後に回顧している通り、サンパウロ・ビエンナーレ出品のために制作されました。
版画作品は複数あるのが普通ですが、この「空洞としての美術館Ⅰ Ⅱ」は模型が取り付けられ、さらに磯崎先生のドローイングが描かれたのは限定5部のうち各2部のみ、しかも後述するようにサンパウロに送られた1部は破棄または行方知れずで、実作は日本に各1部しかありません。
<はじめて版画をつくったのは1977年で、もちろん版画センターのすすめによるものだ。建築家の私に版画をつくらせるなど、どこで思いついたのか、つい聞きそびれてしまったが、それ以来深入りしてしまいつつある。
有難かったのは、サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に突然えらばれながら、どういうメディアで表現しようか、と迷っていたときのことだ。綿貫さんが、それも版画でやったらどうですか、とすすめてくれた。だが、大きい展覧会だから作品も大きくなりますよ、というと、いいですよ、世界最大の版画にしたらいい、と平然たるものだった。必ずしも彼に成算あってのことだったとも見うけなかったが、その気迫にたよって、立体と組合わさった版画ができた。とにかくばかでかく、こんなあほらしく手のかかる仕事はめったに手がける人はいないだろう。(以下略)
*『堀内正和・磯崎新展ー西田画廊開廊記念展図録』より(1982年 奈良・西田画廊刊)>

左)「空洞としての美術館Ⅰ」
1977年 シルクスクリーン(10色17版)+ドローイング+立体(キャンバス) 119×480cm Ed.5
右)「空洞としての美術館Ⅱ」
1977年 シルクスクリーン(9色15版)+ドローイング+立体(キャンバス) 119×360cm Ed.5
刷りは2点ともに石田了一
*現代版画センター・エディション
当時の石田版画工房にはアパートの一室で、こんな巨大な作品を刷るだけのスペースはなく、神楽坂にあった磯崎新アトリエを一時的に休みにし、製図台その他を窓際に押しやり、刷り台を急造して徹夜に次ぐ徹夜で制作しました。特殊キャンバス地に刷られたのは限定各5部、そのうち磯崎先生のドローイングと立体(模型)が取り付けられたのは各2部しかありません。
上掲の写真はサンパウロビエンナーレに出展する直前に「今日の造型 建築+美術」展でお披露目した折のもの。
●東京セントラルアネックス開館記念「今日の造型 建築+美術」
会期:1977年9月6日~
会場:東京セントラル・アネックス
主催:東京セントラル美術館
東京セントラル・アネックスでの展示後、巨大なパネル張りのまま航空便でサンパウロに送られました。
●「第14回サンパウロ・ビエンナーレ」
会期:1977年10月1日~11月30日
XIV BIENAL DE SAO PAULO
1 October - 30 November 1977
第14回サンパウロ・ビエンナーレの日本人作家の参加は磯崎新、粟津潔、工藤哲巳、松澤宥の4人でコミッショナーは針生一郎先生でした。
実は国際交流基金はこんな巨大な作品だとは想定外だったらしく、サンパウロまでの航空運賃は負担できないとなり、磯崎先生は用意されていたサンパウロへの招待のチケットをキャンセルして運賃にあててくれました。ビエンナーレが終わり、今度は復路の航空運賃を誰が負担するかとなったのですが、国際交流基金はもちろん、版元の現代版画センターも余力はなく(涙)、磯崎先生の決断で「現地で破棄」ということになりました。
今考えると痛恨の極みですが、サンパウロに送った2点が実際に破棄されてしまったのか、それともどこかに眠っているのか、いまとなっては謎です。
●磯崎新の版画制作
第1回「ヴィッラ」(1977年)
第2回「磯崎新版画集 ヴィッラ」(1978年)
第3回「内部風景 シリーズ」(1979年)
第4回「TSUKUBA シリーズ」(1983~1985年)
◆「特集展示/ル・コルビュジエ」
会期:2023年5月25日(木)~27日(土) 11:00-19:00

●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
今回取り上げる「空洞としての美術館Ⅰ Ⅱ」はもう少し後でと考えていたのですが、群馬県立近代美術館から4月22日~6月18日に常設展示で寄託中の「空洞としての美術館Ⅰ」を展示するという知らせをいただいたので、会期に間に合うよう今回ご紹介します。

(磯崎新)「空洞としての美術館 I」
1977年 シルクスクリーン、ドローイング、カンヴァス、パネル、木(刷り:石田了一)
110.0×480.0cm
Ed.5(実際に制作したのは2部、うち1部は第14回サンパウロ・ビエンナーレに出品後破棄されたと思われる。現存は1部のみ)
*現代版画センターエディション


第1回で取り上げた「ヴィッラ」シリーズと並行して制作が進行したのですが(刷り:石田了一)、作品のモチーフはⅠが群馬県立近代美術館、Ⅱが秀巧社。
現代版画センターのエディションの中で最も大きなサイズでしたが、磯崎先生が後に回顧している通り、サンパウロ・ビエンナーレ出品のために制作されました。
版画作品は複数あるのが普通ですが、この「空洞としての美術館Ⅰ Ⅱ」は模型が取り付けられ、さらに磯崎先生のドローイングが描かれたのは限定5部のうち各2部のみ、しかも後述するようにサンパウロに送られた1部は破棄または行方知れずで、実作は日本に各1部しかありません。
<はじめて版画をつくったのは1977年で、もちろん版画センターのすすめによるものだ。建築家の私に版画をつくらせるなど、どこで思いついたのか、つい聞きそびれてしまったが、それ以来深入りしてしまいつつある。
有難かったのは、サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に突然えらばれながら、どういうメディアで表現しようか、と迷っていたときのことだ。綿貫さんが、それも版画でやったらどうですか、とすすめてくれた。だが、大きい展覧会だから作品も大きくなりますよ、というと、いいですよ、世界最大の版画にしたらいい、と平然たるものだった。必ずしも彼に成算あってのことだったとも見うけなかったが、その気迫にたよって、立体と組合わさった版画ができた。とにかくばかでかく、こんなあほらしく手のかかる仕事はめったに手がける人はいないだろう。(以下略)
*『堀内正和・磯崎新展ー西田画廊開廊記念展図録』より(1982年 奈良・西田画廊刊)>

左)「空洞としての美術館Ⅰ」
1977年 シルクスクリーン(10色17版)+ドローイング+立体(キャンバス) 119×480cm Ed.5
右)「空洞としての美術館Ⅱ」
1977年 シルクスクリーン(9色15版)+ドローイング+立体(キャンバス) 119×360cm Ed.5
刷りは2点ともに石田了一
*現代版画センター・エディション
当時の石田版画工房にはアパートの一室で、こんな巨大な作品を刷るだけのスペースはなく、神楽坂にあった磯崎新アトリエを一時的に休みにし、製図台その他を窓際に押しやり、刷り台を急造して徹夜に次ぐ徹夜で制作しました。特殊キャンバス地に刷られたのは限定各5部、そのうち磯崎先生のドローイングと立体(模型)が取り付けられたのは各2部しかありません。
上掲の写真はサンパウロビエンナーレに出展する直前に「今日の造型 建築+美術」展でお披露目した折のもの。
●東京セントラルアネックス開館記念「今日の造型 建築+美術」
会期:1977年9月6日~
会場:東京セントラル・アネックス
主催:東京セントラル美術館
東京セントラル・アネックスでの展示後、巨大なパネル張りのまま航空便でサンパウロに送られました。
●「第14回サンパウロ・ビエンナーレ」
会期:1977年10月1日~11月30日
XIV BIENAL DE SAO PAULO
1 October - 30 November 1977
第14回サンパウロ・ビエンナーレの日本人作家の参加は磯崎新、粟津潔、工藤哲巳、松澤宥の4人でコミッショナーは針生一郎先生でした。
実は国際交流基金はこんな巨大な作品だとは想定外だったらしく、サンパウロまでの航空運賃は負担できないとなり、磯崎先生は用意されていたサンパウロへの招待のチケットをキャンセルして運賃にあててくれました。ビエンナーレが終わり、今度は復路の航空運賃を誰が負担するかとなったのですが、国際交流基金はもちろん、版元の現代版画センターも余力はなく(涙)、磯崎先生の決断で「現地で破棄」ということになりました。
今考えると痛恨の極みですが、サンパウロに送った2点が実際に破棄されてしまったのか、それともどこかに眠っているのか、いまとなっては謎です。
●磯崎新の版画制作
第1回「ヴィッラ」(1977年)
第2回「磯崎新版画集 ヴィッラ」(1978年)
第3回「内部風景 シリーズ」(1979年)
第4回「TSUKUBA シリーズ」(1983~1985年)
◆「特集展示/ル・コルビュジエ」
会期:2023年5月25日(木)~27日(土) 11:00-19:00

●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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