磯崎新の住宅建築と勝山の二作品
                     
稲川 直樹

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 貝島邸と林邸の工事が続いていた1977年5月、青木邸の設計が始まる。メタルワークの工房を営む青木秀憲は、磯崎の鉛レリーフ宮脇愛子の彫金作品の制作を担当する、仕事上の仲間だった。東京の元麻布に敷地を得た青木は、ギャラリーと工房を備えた自邸の建設を磯崎に依頼した。江戸時代に遡る東京の歴史的中心地区の狭小な敷地に、建蔽率と容積率いっぱいに建てることが求められ、これまでの三つの住宅とは全く異なる空間構成と形式が予想された。
 敷地周辺は当時すでに高密化していた。そのため地下1階から2階までをショールームと工房にあて、貝島邸とは逆に、眺望と採光の確保できる最上階に居間を、その下の3階に寝室がまとめられた。各階に間口5メートル、奥行き9メートルのフレキシブルな内部空間を確保するため、両側の壁の間に無梁のヴォイドスラブを架け、これを4層積み上げた。階段は耐力壁の外に張り付く。これまでの住宅のヴォールトは寝室に見合った3.6メートル幅だったのに対し、青木邸の居間には直径5.4メートルの半円ヴォールトが、ファサードに平行に架けられた。頂点も床から5.4メートルに設定され、垂直性の強い独特の空間が生まれた。西側の半円壁には上下にひき伸ばされた楕円窓が開けられ、宮脇愛子デザインのステンドグラスが嵌められた。南側には2.7メートルの小ヴォールトを交差させてダイニング空間の天蓋を構成し、ヴォールトの切断面の浴場窓から採光した。

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左から:《ヴィッラAo》シルクスクリーン、青木邸 外観(『新建築』1981年1月)

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左から:青木邸 断面図、青木邸 居間内観(Ken Tadashi Oshima, Arata Isozaki, Phaidon 2009)

 磯崎はこの建物の仕上げを検討するうちに、並外れた素材感覚によって、青木が生み出す金属作品を谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の「闇の空間」と結び付けた。
 「キラキラ光るこれらの金属製の生活器具は、谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」において嫌悪した素材であった。日本の伝統的な「闇」が支配する、木と紙と藁で構成されたほのかなグラデュエーションする空間に、金属製品は違和感だけを生みだす、と谷崎は考えていた。もし、傲慢ないいかたが許されるならば、私は、この嫌悪された素材だけで、同質の「闇の空間」をつくってみせようと考えたことだ。」(『GA HOUSES 14』, 1983)
 着想の発端は1階のギャラリーだった。青木の作りだす、磨いた真鍮やステンレスのピカピカした硬質の輝きの背景として、白い塗装の壁はあまりに弱い。磯崎は、金属作品の強度に見合う背景としてコンクリートこそ相応しいと判断し、限界まで絞った構造体を内外とも打ち放し仕上げとした。同じ理由から、床には墨黒の玄昌石貼りを選んだ。
 建築材料による空間の彫琢のさらなる場は、最上階のヴォールト空間に見出された。
 「法規的な制限内を要領的に最大限利用するため、最上階の居間に大きいヴォールトが用いられた。この空間は家具に至るまでほぼ黒一色である。そこで、手さぐりをするような闇がたちこめるわけだが、閉ざされたように見えるこの内部に、ときに月光がさしこむことがある。そんな時、みがかれた金属面はにぶくひかりはじめる。闇が深まり、わらんじ屋のロウソクに輝らされた厚い闇よりも、いっそうなまめかしく感じるはずである。」(同上)
 通りからは、ヴォールトの存在が感知されることはない。それはもはや外観に象徴性を与える要素ではなく、都心の隠れ家であり人工洞窟でもある、密かで静謐な闇の空間を抱え込む器として実現された。
 青木邸に続いて設計された大分の辛島邸(1978)と北九州の伊良原邸(1980)は、青木邸と同じく、それ以前の住宅より大きな径のヴォールトや半円筒壁を特徴としている。
 辛島邸の依頼主は開業医で、幼少期の磯崎のかかりつけ医だった。大分市街地中心部の通りに面したあまり大きくない敷地の条件から、住宅は中山邸に似た閉鎖的で防御的なシェルターとして構想された。一辺10.56メートルの正方形平面の2階から成り、形態上の表現は平面の南半分に集中した。打ち放しコンクリートのファサードは完全な左右対称であり、閉鎖的な1階には玄関扉と左右の格子窓が並び、2階には矢野邸の居間より一回り大きな、直径8.64メートルのガラスブロックの半円筒が載る。半円筒の内部は2層吹抜けのホールで、道路の喧騒からの緩衝帯となるとともに、諸室をつなぐ屋内化された中庭である。生活に必要な諸室は1階にまとめられ、非対称平面ながらモニュメンタルな階段で導かれる2階は天井高2.7メートルの広間だけが占めることから、この広間には半公共的な使用が想定されただろう。内観は、半円筒を支える象徴的な2本の円柱が打ち放しコンクリートである以外、塗装で仕上げられた。

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左から:《ヴィッラKr》シルクスクリーン、辛島邸 外観(『建築文化』1981年12月)

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左から:辛島邸 2階平面図と断面図、辛島邸 ホール内観見上げ(『建築文化』1981年12月)

 一方の伊良原邸は磯崎の行きつけの、和食をベースとした創作料理店・万玉の店舗と作業場を併設した住居である。幾何学的な形式は、二つの立方体に径の異なる二つのヴォールトを交差させて被せた複合体である。一辺9メートルの二つの立方体は、縦に置かれたのち左右にずらされた。内部は1階が店舗に、2階が作業場と倉庫にあてられ、外階段で昇った3階に住居と離れの応接室が設けられた。ファサード側の立方体の3階の居間に、青木邸と同じ直径5.4メートルのヴォールトが平入りで架けられ、これに1.8メートルのヴォールトが直交する。小ヴォールトは奥の立方体3階の離れとをつなぎ、両端で切断されてファサードに円形窓を現出した。ファサード側の立方体は黒い磁器タイル張り、奥の立方体は打ち放しとして対比づけられた。他にも玄昌石の床や漆喰壁、アルミ平板の犬矢来、アルミパイプの玉すだれ、角パイプの連子格子、型材による障子などモノクロームの硬質な素材で、和様を超えた飲食空間を演出した。

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左から:伊良原邸 アクソノメトリク図、伊良原邸 外観(『建築文化』1981年12月)

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左から:伊良原邸 3階平面図、伊良原邸 玄関内観(『建築文化』1981年12月)

 矢野邸と貝島邸、林邸は、寝室や書斎に3.6メートル幅のヴォールトを架け、内外とも白の塗装で仕上げられ、磯崎がヴィラと呼んだひとつの類型を形成した。これにたいし青木邸と辛島邸、伊良原邸は、より大きな径のヴォールトと半円筒の採用や、打ち放しコンクリートの多用、職住併設の複合住居といった特徴によって第一の類型の建築言語を拡張し、第二の都市住宅のグループを形成した。

(いながわ なおき)

■稲川直樹
中部大学教授。1980年から2003年まで磯崎新アトリエ勤務。

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