佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第80回

沖縄の町並みについて


先月のお盆明けころ、数日間家族で沖縄に行っていた。沖縄を拠点に活動する建築家・五十嵐敏恭さんのところを訪れるのが目的である。今月の21日から東京・浅草橋にある+BASEというスペースで、五十嵐さんと「二人展」を催すことになっていて、その準備である。BASEは建築家の畝森泰行さんと金野千恵さんそれぞれの設計事務所が入っているビルであり、その二つの事務所が共同で運営をしているギャラリーである。「二人展」は数年前に彼らが共同で展示会を開催したことから始まり、今年の春にKASA(佐藤敬さんとアレクサンドラ・コヴァレヴァさん)と湯浅良介さんの展示が開かれた。
今回の五十嵐さんと私佐藤の展示は3回目の「二人展」となる。タイトルは「グルグル広がって上がっていく」と決まった。少し抽象的なタイトルだが、身の丈にしっかりと即した言葉だとも思う。準備をしてきて改めて思うが、二人で一つの展示を組み立てるというのはかなり難しい。考えたことを勝手に推し進めることができる個展の方がずっと楽なのは間違いない。二人展ではそれぞれバラバラに勝手に作れば良いということではなく、やはり展示として共通する何かの主題が必要となるが、その設定によってそれぞれの差異が浮き出てこなければならない。その共通と差異のバランスを探っていくことがどうやら二人展の肝であり、もっとも慎重さを要する部分であるらしい。(まだ準備の段階ではあるが、そんなことを察した)

五十嵐さんの活動や建築についての所感は、来たる展示の会場で販売する予定の冊子にも小文を書かせて頂いたので、この投稿では特に、沖縄の小旅で考えたことを綴っておきたい。
お盆明けで、台風明けでもある沖縄の風景は実はとても奇妙なもののように感じられたのである。道には枯葉が積もり溜まり、生えている植物はほとんどの葉っぱが落ちてしまっているが上の方には新芽や新緑が茂り始めている。冬から夏へと、一気に時間が突き進んでしまったような加速めいた景色。死ぬと生きるを同時に並べ立てたような植物の振る舞い。植物からしてもけっこう大変な状況なのだとは思うが、やはりどこか瑞々しい空気が沖縄には漂っていた。
沖縄には大きな山は無いようである。ただし道にはアップダウンがいくらかあり、丘のような地形の斜面に家々がへばり付くように建っている場所もあった。沖縄の家やビルのほとんどが鉄筋コンクリート造でできている。それはどうやら第二次大戦後から沖縄復帰までの期間に特に蓄積された産業構造によるものでもあるらしい。当然ながら鉄筋コンクリート造は本州の一般的な木造よりも格段に重いので、沖縄の地盤が比較的しっかりしていることが伺える。古い建物だと壁はコンクリートブロックで作られ、仕上げはだいたい白系のペンキ塗りである。時々、ピンクや水色といった彩度のある色が差し込まれる(それらのペンキが経年で取れかかかっている姿もまたとても良いものだった)。そして多くの家には受水槽が載っていて、なんとなく街並みの輪郭を作り出している。(なお五十嵐さん曰く、昔は断水の頻度が多かったため受水槽を設置しているが、最近はダムができ断水することも稀なので受水槽を設置しないことが多いそうだ。)
その沖縄の典型的な住宅街を歩いたとき、私は思わず勝手な親近感を抱いた。おそらく、インドの町並みにとてもよく似ているのである。よく行くシャンティニケタンの町か、あるいはコルカタの海沿いの郊外か。隣のバングラデシュやカンボジアにもこんな風景があった気がする。あるいはインド西部のアーメダバード郊外もだいたい同じような風景だった。そんな大陸での記憶が思い起こされて、とても感動してしまった。もしかするとそれは世界が均質化していることを意味しているのかもしれない。あるいは地球全体が均されることは無いが、ある地域圏、東アジア・東南アジア・そして沖縄あたりまでを含んだ、熱帯アジアの領域において何か共通する風景が生まれているのかもしれない。文化や伝統、国といったさまざまな境界を飛び越え、地理気候によって改めて新たな領域が浮かび上がってくる。近代化の先に生まれたのはそうした地理、あるいは地勢的力学による領域再編なのではないか。そんな思い付きを得たことがとても感慨深かった。
沖縄とインドの町並みに違いがあるとすれば、沖縄の家の壁の多くがコンクリートブロックで作られているのに対し、インドの家の壁はだいたいがレンガでできている。またインドの道には牛やら犬、そして人がうじゃうじゃ歩いているが、沖縄の道路はしっかりと舗装されて秩序めいている。この辺りも、道路というそれぞれの国土計画がしっかりと表れている一方で、ウワモノは地理気候に即した形となっていて、その差が興味深い。けれども、建物の堅牢性によって生まれる生活の余裕か、あるいは気候の大らかさによるものだろうか、風雨と埃に晒された沖縄と東アジアどちらの家々も、自転車やバケツやらの日用品が家から溢れ出し、周囲の植物の中に紛れ込み、表情としてその陰翳を深めているようだ。沖縄ではおそらく、沖縄復帰直後に建てられたコンクリート造が耐久的な限界を迎え、建て替えるかどうにか引き継ぐかの選択に迫られている。従っておそらく向こう10年かそのくらいで町の風景は大きく変化するかもしれない。
ともかく、沖縄という熱帯アジアの一片(片隅)を体験できたことは貴重だった。インドに関心を持ち続ける中で、こうした中継地点をどのように経由しながら思考の展開を図っていけるか、考えてみたい。

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(沖縄の町並み(沖縄市で撮影))

(さとう けんご)

佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。

・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。

●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
sato-48
空洞を背負う》  
2022年
画用紙に鉛筆、顔彩
20.0×21.0cm/36.0×36.0cm
サインあり

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
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建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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