石原輝雄『マン・レイと日本』刊行記
5月にマン・レイの受容史『マン・レイと日本 1926~2022』を上梓した。昨秋、ブログ連載中の「美術館でブラパチ」を綿貫不二夫さんにお願いし「いったん終了」させていただいたのは、ゴールを目指すには時間が足らないと観念した為。今回はこのあたりを中心に報告したいと思う。

書影『受容史 1926~2022』縦書き
一般的に海外美術家の受容を扱う書物では、特定の日本人や団体に絞り、論を展開する場合が多いと思うが、筆者はあくまでもマン・レイを主人公に、彼の作品が招来し人々に影響を与えた場を特定し、積み重ね、合わせて作品集や研究書、雑誌、新聞などの流通から言説の変化、流行のポイントを勘案する方法をとった。また、個人の視点ではなく、世界の潮流を念頭に、日本での客観的な扱いを記述することに努め、物故作家の受容を未来に開くために、美術館での所蔵状況もリスト化した。日本はマン・レイ作品を多く所蔵する国である。しかし、影響を受け作品に反映させた芸術家、熱狂的なファン、鋭い問題意識を持つ研究者は少ない。受容史を纏めた者も、現時点では筆者だけだと思う。── 交流がないだけかも知れないが。

書影『所蔵品等目録 1926~2022』横書き
さて、本書の眼目は筆者所蔵の展覧会資料目録にある。当初の京大カードからファイルメーカーに移り、書籍化前提のインデザイン入力は2002年頃からと記憶する。受容史を射程としたレイアウトに基づくものは2019年だったか。コレクター人生の成果を示す長い作業であり、戦前の招来品の再来日や未見資料の登場など、最新の展覧会と過去のそれが交互に続く面白さに我を忘れる事となった。エフェメラ類の高騰に怯えつつオリジナルで揃えたいと無理をする日々、バカだと思う。しかし、珍しい一次資料を手にパズルの欠けたピースを埋める作業は、点から線、線から面へと続き広がるマン・レイ受容探求に寄与してくれた。
問題は受容史の扱い期間。スタートを1926年としたが、これは「無いことの証明」に等しい、最終は大規模な回顧展が催された関係で、計画より伸ばし2022年とした。また、独自色を出そうと展覧会の会場写真を、状況証拠のように掲載。筆者は受容100年の凡そ半分を同時代人として過ごし、マン・レイ芸術の広報に協力した当事者でもあるのだが、思い出話は極力控えつつ年末迄にはテキストの執筆を終えた。

銀座、資生堂美術部階上ギャラリー『先端的フランス映画芸術展覧会』(1930年1月) カタログ(片面刷一枚)。

渋谷、Bunkamuraザ・ミュージアム『マン・レイと友人たち展』(1991年7月) 会場写真(筆者撮影、掲載白黒)
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本造りは書容設計が楽しい。原稿量の目処がつき、装幀などを考慮しながら、細部を調整していると、マン・レイと一体化した感覚に包まれる。──「もの造りの人」になれるのです。今回の『マン・レイと日本1926~2022』では資料編が基本で、テキストは補足、別添したエフェメラ類を五感に訴えるスパイスとした。当初は三分冊を予定したが、これをするといずれ書物は泣き別れ、縦書きと横書きを合体させると居心地の悪さが残る。製本の制約から最大288頁、読み物ではなく資料とする為のコデックス装。インデザインは和文フォント、字詰めに難がある。テストを繰り返し着地点を探った。資料項目の削除は不可、最終段階での新収集品もあり苦労する。結局、エフェメラ編は別とし、一冊に収めるのはテキスト分量で調整、下段に目録番号を付し出典と関連付けた。

テキスト校正 60-61頁

所蔵品等目録頁印刷

パピヨン縢り3本
新たに油性インク対応のプリンターを購入、書籍用紙も手配、「あとがき」も楽しく書いた。4月初旬には刊行と目論んだが、第4コーナーを回って最後の5メートル、印刷段階で校正漏れに気づいたり、パピヨン縢りの糸を増やした関係で造本に時間がかかったりと遅延発生。── ここまでは想定内だったが、別添するエフェメラ・フォリオの制作で、転倒骨折ほどの状態に陥り、5月連休までの刊行が不能となった。銀紙書房刊本をもう一冊造る程の作業になったのです。
エフェメラ・フォリオ
本書ではマン・レイ展を告知したチラシや案内状に加え展示リストなどの現物をフォリオ形式で提供するアイデアを当初から持った。筆者は「物を捨てられない性分」で、特にマン・レイに関する資料となると「裏切り」のような感覚がついて回り、愛でて残してきた。50年続けると相当な量である。それで、複数あるものは「嫁に出す」ことにした。近年、展覧会に関する一次資料の重要性が認められるようになったが、これは展示された事実を時代に繋ぐ錨の役割に多くの人が気付いたためで、「物語」なくして作品は存在しないと強く思ってきたので嬉しい。もちろん、複製品では伝わらない微妙な雰囲気、経年変化の魅力については「分かる人」としか共有できない。だからこそ、筆者はオリジナルを別添したかった。

フォリオ制作 本体、カバー付、硫酸紙掛け

オリジナル仕分け
収めるために封筒やファイル、和風の帙などを検討、試作するも決定打とならない。それは、各冊で内容が異なるためで、「さり気なく上品」(笑)な銀紙書房刊本の佇まい、これが難しい。カタログの頁に挟まって舞い落ちる案内状の気安さを実現したかったのである。
決定後、大判で0.5mmの精度を全冊で維持するのは至難。プログラムと現物の突合に神経を使い、納期もあってビールが飲めない。熱中して作業を続けたが身体が悲鳴をあげた。70歳を過ぎてやる仕事ではありません。
水先案内『ひとで』
カバーデザインの仕上げに入ったのは4月初旬、平行しての作業だった。性格の異なるアプローチをシネポエム『ひとで』のイメージで纏めた。絵葉書と詩雑誌での表裏、実寸複製による上映館のプログラムの意図を分かって欲しい。戦前のマン・レイはレイヨグラフの作者としてよりも、前衛映画の監督として注目されており、渡仏していた詩人・竹中郁からの短信やフィルムを買い付けた鈴木重吉らの情宣で知られるようになった。受入側の状況と一次資料の記載事項については、本書に目を通してもらうとして、絵葉書は神戸港を出帆せんとする鹿島丸(竹中乗船時ではありません)、詩雑誌は『ひとで』のスチール写真を用いた手紙クラブ発行のもの(VOUに関係します)、プログラムは竹中がパリで鑑賞したステュディオ・デ・ユルシスリーヌ座。そして、本文中程に奥付頁を示す『ひとで』のオリジナル写真(複製)を挟んだ。若き竹中が魅了されたマン・レイの映画が、臨場感を持って再上映されている。──と、筆者は期待するのである。

表紙デザイン
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ほとんど知られていなかったマン・レイが、20世紀の巨匠として認知され、映画と写真の仕事だけでなくオブジェの作家としても紹介されるようになったのは嬉しい。しかし、大衆に知られる過程で毒がなくなり、好々爺として消費されていく。近年の質の悪い「作品」が鑑賞の初体験となる若者の不幸を思う。ワイセツ論争や贋作事件など無かったかのように高額の写真『アングルのヴァイオリン』だけが独り歩き。戦前からの「画家としては二流である」とする評価は変わらない。油彩が認められるようになれば、マン・レイの意向に沿う筆者の役割も終わるのだが。
拙著『マン・レイと日本 1926~2022』は、筆者の銀紙書房による25部に限っての刊本。5月9日に告知すると夕方には用意したすべてが手許を離れることになった。チャンスを逸した方からの残余の問い合わせも多く、感謝するとともに申し訳ない気持ちとなった。お許し願いたい。
版元としては、添付するエフェメラ現物に限りがあることの他、仕上げに不可欠な視力と指先の衰えに怯えるようになっていたことを告白せねばならない。試作品からの5部ほどは楽しいけれど、部数が増えると苦痛なんですよ。友人、知人は拙著の価値を認め普及版での商業出版を勧めてくれる、でも、在庫の山を抱えるのは怖い、まあ、経営者としては失格ですな。
最後に書誌情報を記しておきたい。
1. 石原輝雄編著『マン・レイと日本 1926~2022』 銀紙書房 2023年4月16日(5月9日)刊。

書影(表裏)

受容史 縦書き 14-15頁

所蔵品等目録 横書き (70)-(71)頁
限定25部(+著者本1) 限定番号・サイン入り 書容設計・印刷・造本: 編著者 サイズ 21 x 15 cm、288頁 パピヨン縢りによる手製本、コデックス装。本文: Aプラン・アイボリーホワイト 47.50kg 表紙: キハラ 芯ボール 表紙カバー: キュリアスIRパール 103kg 印刷: エプソン PX-049A、PX-105。
受容史目次: [戦前]1926~1945: レイヨグラフ、前衛映画、写真、油彩、リトルマガジン [戦後]1946~1976: 東京オリンピックの頃まで、パリ いそがしい皮肉屋 マン・レイ再評価 そして 訃報。1977~1995: アートとしての写真 ワイセツ論争 最初の巡回展──東京 鎌倉 瀬田 津 大阪 ロンドンでの遺産セール。1996~2020: 贋作事件 マン・レイ展『私は謎だ。』──福井 岡崎 埼玉 山梨 徳島 消費されるマン・レイ。2021~2022: 後刷と錯誤──『マン・レイと女性たち』展 日々是好物|いとしきものたち──『マン・レイのオブジェ』展 湿潤の国での収集と保存。112頁
所蔵品等目録目次: Ⅰ.展覧会情報: 個展、団体展、会場写真。 Ⅱ.文献資料等: マン・レイの本 マン・レイに触れた本、逐次刊行物、新聞、その他。 Ⅲ.コレクション: 公共機関所蔵一覧。172頁。Ⅰ. Ⅱ.については立項凡そ1330 (内、会場写真51)、Ⅲの公共機関25館。
2. 石原輝雄編著『マン・レイと日本 1926~2022 / マン・レイ展のエフェメラ』 銀紙書房 2023年4月16日(5月9日)刊。

書影

23番本内容
限定25部 限定番号・サイン入り 書容設計・印刷・造本: 編著者 サイズ 33 x 26 cm エフェメラ・オリジナル別添 表紙: キハラ 芯ボール 表紙カバー: キュリアスIRパール 103kg 印刷: エプソン PX-105。国内開催マン・レイ展(1982~2022)のチラシ、案内状、リーフレットなど58点収録(1-2番全点、3-25番適宜38点)、プログラム表記。
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刊行直後に珍しい資料をいくつか入手した。いつも思うのだがマン・レイへのオマージュが一段落すると「ご褒美が頂ける」。今回の戦前雑誌は未見でテキストに項目を追加したくなるものだった。──いずれ書きますよ、例えば「1938年のマン・レイ」。
泉下のマン・レイと筆者の絡合は、この先も楽しく展開すると思う。5月後半にニューヨークから送られてきた1927年のマン・レイ展カタログなど、諦めていた資料の随喜の登場だった訳で、個人的なエフェメラ・フォリオの扉を閉じることは出来そうにない。先日もある方の指先で揺れていたチラシを眼にしながら、自分の仕事にうっとりしてしまうのだった。

3番本のフォリオが開かれる。
本稿ではマン・レイが望む「マン・レイ像」の外側、ケースの話題ばかりに終始し、受容史の内容に触れなかった。資料目録とテキストがどのように活用されるのか、これは手にされた個々の問題意識と直結する。今後、マン・レイ研究を目指す方には基本文献として強く意識されるだろう。しかし、限定25部、番号とサインを記したある種の美術作品。幸い筆者地元の京都国立近代美術館が理解を示し貴重書として公開する道筋を準備してくださった。関係各位に心より感謝申し上げる。いずれ「蔵書閲覧」が可能になると聞く、ご興味がお有りの方には、ぜひ申し込みをしていただきたい。バカな仕事のバカな味。「愛」にこのような表現があることを、指先で味わっていただけたら筆者としては望外の喜びである。
(いしはら てるお)
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*画廊亭主敬白
マン・レイになってしまった人=石原輝雄さんがときの忘れもののブログに初登場したのは2011年5月23日でした。
マン・レイについて世界的にも高く評価されるコレクターと時代をともにできる幸せを思わずにはおられません。いままでも手作り本を何冊も刊行されてきた石原さんですが、その集大成ともいえる今回刊行の『マン・レイと日本 1926~2022』(限定25部)は発表と同時に即完売となったことは皆さんご存じでしょう。
ときの忘れものの顧客の皆さん用に希少な一冊を確保することができましたので、9月11日ブログ開催の「中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会」に特別出品します。
希望者が複数の場合は抽選で一名の方におわけします。
5月にマン・レイの受容史『マン・レイと日本 1926~2022』を上梓した。昨秋、ブログ連載中の「美術館でブラパチ」を綿貫不二夫さんにお願いし「いったん終了」させていただいたのは、ゴールを目指すには時間が足らないと観念した為。今回はこのあたりを中心に報告したいと思う。

書影『受容史 1926~2022』縦書き
一般的に海外美術家の受容を扱う書物では、特定の日本人や団体に絞り、論を展開する場合が多いと思うが、筆者はあくまでもマン・レイを主人公に、彼の作品が招来し人々に影響を与えた場を特定し、積み重ね、合わせて作品集や研究書、雑誌、新聞などの流通から言説の変化、流行のポイントを勘案する方法をとった。また、個人の視点ではなく、世界の潮流を念頭に、日本での客観的な扱いを記述することに努め、物故作家の受容を未来に開くために、美術館での所蔵状況もリスト化した。日本はマン・レイ作品を多く所蔵する国である。しかし、影響を受け作品に反映させた芸術家、熱狂的なファン、鋭い問題意識を持つ研究者は少ない。受容史を纏めた者も、現時点では筆者だけだと思う。── 交流がないだけかも知れないが。

書影『所蔵品等目録 1926~2022』横書き
さて、本書の眼目は筆者所蔵の展覧会資料目録にある。当初の京大カードからファイルメーカーに移り、書籍化前提のインデザイン入力は2002年頃からと記憶する。受容史を射程としたレイアウトに基づくものは2019年だったか。コレクター人生の成果を示す長い作業であり、戦前の招来品の再来日や未見資料の登場など、最新の展覧会と過去のそれが交互に続く面白さに我を忘れる事となった。エフェメラ類の高騰に怯えつつオリジナルで揃えたいと無理をする日々、バカだと思う。しかし、珍しい一次資料を手にパズルの欠けたピースを埋める作業は、点から線、線から面へと続き広がるマン・レイ受容探求に寄与してくれた。
問題は受容史の扱い期間。スタートを1926年としたが、これは「無いことの証明」に等しい、最終は大規模な回顧展が催された関係で、計画より伸ばし2022年とした。また、独自色を出そうと展覧会の会場写真を、状況証拠のように掲載。筆者は受容100年の凡そ半分を同時代人として過ごし、マン・レイ芸術の広報に協力した当事者でもあるのだが、思い出話は極力控えつつ年末迄にはテキストの執筆を終えた。

銀座、資生堂美術部階上ギャラリー『先端的フランス映画芸術展覧会』(1930年1月) カタログ(片面刷一枚)。

渋谷、Bunkamuraザ・ミュージアム『マン・レイと友人たち展』(1991年7月) 会場写真(筆者撮影、掲載白黒)
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本造りは書容設計が楽しい。原稿量の目処がつき、装幀などを考慮しながら、細部を調整していると、マン・レイと一体化した感覚に包まれる。──「もの造りの人」になれるのです。今回の『マン・レイと日本1926~2022』では資料編が基本で、テキストは補足、別添したエフェメラ類を五感に訴えるスパイスとした。当初は三分冊を予定したが、これをするといずれ書物は泣き別れ、縦書きと横書きを合体させると居心地の悪さが残る。製本の制約から最大288頁、読み物ではなく資料とする為のコデックス装。インデザインは和文フォント、字詰めに難がある。テストを繰り返し着地点を探った。資料項目の削除は不可、最終段階での新収集品もあり苦労する。結局、エフェメラ編は別とし、一冊に収めるのはテキスト分量で調整、下段に目録番号を付し出典と関連付けた。

テキスト校正 60-61頁

所蔵品等目録頁印刷

パピヨン縢り3本
新たに油性インク対応のプリンターを購入、書籍用紙も手配、「あとがき」も楽しく書いた。4月初旬には刊行と目論んだが、第4コーナーを回って最後の5メートル、印刷段階で校正漏れに気づいたり、パピヨン縢りの糸を増やした関係で造本に時間がかかったりと遅延発生。── ここまでは想定内だったが、別添するエフェメラ・フォリオの制作で、転倒骨折ほどの状態に陥り、5月連休までの刊行が不能となった。銀紙書房刊本をもう一冊造る程の作業になったのです。
エフェメラ・フォリオ
本書ではマン・レイ展を告知したチラシや案内状に加え展示リストなどの現物をフォリオ形式で提供するアイデアを当初から持った。筆者は「物を捨てられない性分」で、特にマン・レイに関する資料となると「裏切り」のような感覚がついて回り、愛でて残してきた。50年続けると相当な量である。それで、複数あるものは「嫁に出す」ことにした。近年、展覧会に関する一次資料の重要性が認められるようになったが、これは展示された事実を時代に繋ぐ錨の役割に多くの人が気付いたためで、「物語」なくして作品は存在しないと強く思ってきたので嬉しい。もちろん、複製品では伝わらない微妙な雰囲気、経年変化の魅力については「分かる人」としか共有できない。だからこそ、筆者はオリジナルを別添したかった。

フォリオ制作 本体、カバー付、硫酸紙掛け

オリジナル仕分け
収めるために封筒やファイル、和風の帙などを検討、試作するも決定打とならない。それは、各冊で内容が異なるためで、「さり気なく上品」(笑)な銀紙書房刊本の佇まい、これが難しい。カタログの頁に挟まって舞い落ちる案内状の気安さを実現したかったのである。
決定後、大判で0.5mmの精度を全冊で維持するのは至難。プログラムと現物の突合に神経を使い、納期もあってビールが飲めない。熱中して作業を続けたが身体が悲鳴をあげた。70歳を過ぎてやる仕事ではありません。
水先案内『ひとで』
カバーデザインの仕上げに入ったのは4月初旬、平行しての作業だった。性格の異なるアプローチをシネポエム『ひとで』のイメージで纏めた。絵葉書と詩雑誌での表裏、実寸複製による上映館のプログラムの意図を分かって欲しい。戦前のマン・レイはレイヨグラフの作者としてよりも、前衛映画の監督として注目されており、渡仏していた詩人・竹中郁からの短信やフィルムを買い付けた鈴木重吉らの情宣で知られるようになった。受入側の状況と一次資料の記載事項については、本書に目を通してもらうとして、絵葉書は神戸港を出帆せんとする鹿島丸(竹中乗船時ではありません)、詩雑誌は『ひとで』のスチール写真を用いた手紙クラブ発行のもの(VOUに関係します)、プログラムは竹中がパリで鑑賞したステュディオ・デ・ユルシスリーヌ座。そして、本文中程に奥付頁を示す『ひとで』のオリジナル写真(複製)を挟んだ。若き竹中が魅了されたマン・レイの映画が、臨場感を持って再上映されている。──と、筆者は期待するのである。

表紙デザイン
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ほとんど知られていなかったマン・レイが、20世紀の巨匠として認知され、映画と写真の仕事だけでなくオブジェの作家としても紹介されるようになったのは嬉しい。しかし、大衆に知られる過程で毒がなくなり、好々爺として消費されていく。近年の質の悪い「作品」が鑑賞の初体験となる若者の不幸を思う。ワイセツ論争や贋作事件など無かったかのように高額の写真『アングルのヴァイオリン』だけが独り歩き。戦前からの「画家としては二流である」とする評価は変わらない。油彩が認められるようになれば、マン・レイの意向に沿う筆者の役割も終わるのだが。
拙著『マン・レイと日本 1926~2022』は、筆者の銀紙書房による25部に限っての刊本。5月9日に告知すると夕方には用意したすべてが手許を離れることになった。チャンスを逸した方からの残余の問い合わせも多く、感謝するとともに申し訳ない気持ちとなった。お許し願いたい。
版元としては、添付するエフェメラ現物に限りがあることの他、仕上げに不可欠な視力と指先の衰えに怯えるようになっていたことを告白せねばならない。試作品からの5部ほどは楽しいけれど、部数が増えると苦痛なんですよ。友人、知人は拙著の価値を認め普及版での商業出版を勧めてくれる、でも、在庫の山を抱えるのは怖い、まあ、経営者としては失格ですな。
最後に書誌情報を記しておきたい。
1. 石原輝雄編著『マン・レイと日本 1926~2022』 銀紙書房 2023年4月16日(5月9日)刊。

書影(表裏)

受容史 縦書き 14-15頁

所蔵品等目録 横書き (70)-(71)頁
限定25部(+著者本1) 限定番号・サイン入り 書容設計・印刷・造本: 編著者 サイズ 21 x 15 cm、288頁 パピヨン縢りによる手製本、コデックス装。本文: Aプラン・アイボリーホワイト 47.50kg 表紙: キハラ 芯ボール 表紙カバー: キュリアスIRパール 103kg 印刷: エプソン PX-049A、PX-105。
受容史目次: [戦前]1926~1945: レイヨグラフ、前衛映画、写真、油彩、リトルマガジン [戦後]1946~1976: 東京オリンピックの頃まで、パリ いそがしい皮肉屋 マン・レイ再評価 そして 訃報。1977~1995: アートとしての写真 ワイセツ論争 最初の巡回展──東京 鎌倉 瀬田 津 大阪 ロンドンでの遺産セール。1996~2020: 贋作事件 マン・レイ展『私は謎だ。』──福井 岡崎 埼玉 山梨 徳島 消費されるマン・レイ。2021~2022: 後刷と錯誤──『マン・レイと女性たち』展 日々是好物|いとしきものたち──『マン・レイのオブジェ』展 湿潤の国での収集と保存。112頁
所蔵品等目録目次: Ⅰ.展覧会情報: 個展、団体展、会場写真。 Ⅱ.文献資料等: マン・レイの本 マン・レイに触れた本、逐次刊行物、新聞、その他。 Ⅲ.コレクション: 公共機関所蔵一覧。172頁。Ⅰ. Ⅱ.については立項凡そ1330 (内、会場写真51)、Ⅲの公共機関25館。
2. 石原輝雄編著『マン・レイと日本 1926~2022 / マン・レイ展のエフェメラ』 銀紙書房 2023年4月16日(5月9日)刊。

書影

23番本内容
限定25部 限定番号・サイン入り 書容設計・印刷・造本: 編著者 サイズ 33 x 26 cm エフェメラ・オリジナル別添 表紙: キハラ 芯ボール 表紙カバー: キュリアスIRパール 103kg 印刷: エプソン PX-105。国内開催マン・レイ展(1982~2022)のチラシ、案内状、リーフレットなど58点収録(1-2番全点、3-25番適宜38点)、プログラム表記。
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刊行直後に珍しい資料をいくつか入手した。いつも思うのだがマン・レイへのオマージュが一段落すると「ご褒美が頂ける」。今回の戦前雑誌は未見でテキストに項目を追加したくなるものだった。──いずれ書きますよ、例えば「1938年のマン・レイ」。
泉下のマン・レイと筆者の絡合は、この先も楽しく展開すると思う。5月後半にニューヨークから送られてきた1927年のマン・レイ展カタログなど、諦めていた資料の随喜の登場だった訳で、個人的なエフェメラ・フォリオの扉を閉じることは出来そうにない。先日もある方の指先で揺れていたチラシを眼にしながら、自分の仕事にうっとりしてしまうのだった。

3番本のフォリオが開かれる。
本稿ではマン・レイが望む「マン・レイ像」の外側、ケースの話題ばかりに終始し、受容史の内容に触れなかった。資料目録とテキストがどのように活用されるのか、これは手にされた個々の問題意識と直結する。今後、マン・レイ研究を目指す方には基本文献として強く意識されるだろう。しかし、限定25部、番号とサインを記したある種の美術作品。幸い筆者地元の京都国立近代美術館が理解を示し貴重書として公開する道筋を準備してくださった。関係各位に心より感謝申し上げる。いずれ「蔵書閲覧」が可能になると聞く、ご興味がお有りの方には、ぜひ申し込みをしていただきたい。バカな仕事のバカな味。「愛」にこのような表現があることを、指先で味わっていただけたら筆者としては望外の喜びである。
(いしはら てるお)
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*画廊亭主敬白
マン・レイになってしまった人=石原輝雄さんがときの忘れもののブログに初登場したのは2011年5月23日でした。
マン・レイについて世界的にも高く評価されるコレクターと時代をともにできる幸せを思わずにはおられません。いままでも手作り本を何冊も刊行されてきた石原さんですが、その集大成ともいえる今回刊行の『マン・レイと日本 1926~2022』(限定25部)は発表と同時に即完売となったことは皆さんご存じでしょう。
ときの忘れものの顧客の皆さん用に希少な一冊を確保することができましたので、9月11日ブログ開催の「中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会」に特別出品します。
希望者が複数の場合は抽選で一名の方におわけします。
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