ガウディの街バルセロナより

その10 アストゥリアス建築


丹下敏明

前回話したように70年代の後半は年に地球1周ぐらいの距離を車で走っていた。結局自宅にいたのは3分の1、残りの3分の1は妻の実家のあったイタリア、そして残りは旅行していた。今も強いインパクトで忘れられないのがプレ・ロマネスク建築だった。先回触れたサン・ホアン・デ・ロス・バーニョスの教会は西ゴート建築と呼ばれるもので、ローマ帝国の衰退に409年ゲルマン諸民族の半島への侵入を許した事に始まり、415年には、西ゴート族勢が力を伸ばし、更に3年後には事もあろうにローマの同盟者となって、トレドを首都として西ゴート王国を作っている。彼らが建築で独自な様式を半島に築いたのは6世紀から11世紀の間だった。

初期キリスト教建築というのは大まかに3つに分類できる。ひとつは西ゴートの建築、もうひとつは711年のイスラーム教徒の侵入以降に形成された、アストゥリアス建築とモサラベ建築だ。
アストゥリアス建築というのは、西ゴートの最後の王ロドリーゴ(Rodrigo/Rodorico, 710~711年在位)が殺されて、半島がイスラーム教徒の手に落ちた後、わずかに半島で温存されたキリスト教勢力によってつくられた一連の建築であり、カンタブリア海沿岸のほんの一地方、つまりアストゥリアス地方に限ってみられるもので、年代的には8世紀後半から10世紀にかけてのごく短い時期に展開されている。

このことからひとりの天才建築家、あるいは少数の建築家集団によって築かれた様式ではないかという憶測さえされてきた。

しかし、このいずれも小規模な極地方的な建築が、あたかもキリスト教徒による反イスラーム勢力の文化中枢の結果であるかのような輝かしい一章を建築史に飾っている。というのもアストゥリアス建築は、2世紀後はじめてロマネスク建築で見られる石造による架橋を使っているからである。

この先駆的業績の裏には陸からはイスラーム教徒、海からはノルマン人の圧迫を受けるという孤立地にあって、不安定な政情下での建物の防火対策に全て石で構築された建築の必要性が生まれ、それが歴史の流れから外らせたのかもしれない。

この2世紀に満たないアストゥリアス建築の中は3段階の発展がある。第1期はティオダ(Tioda)と呼ばれる建築家が建てたもので、西ゴートの延長上にあり、いまだ石の架橋を持たず、第2期はラミロI世が建設したサンタ・マリア・デル・ナランコを始めとする、トンネル・ヴォールトの使用、第3期はアルフォンソIII世下、モサラベ様式の影響を受けてデカダンスをむかえていく。という具合だ。

さて、オビエド近郊、ナランコの丘上に夏季の離宮として848年に建てられたサンタ・マリア・デル・ナランコ(Santa Maria de Naranco, Oviedo郊外)はサラマンカの司教セバスティヤンがすでに880年に記録しているように、「石と石灰のわが国の比類なき建物」。建物は2層でトンネル・ヴォールトと横断アーチによって覆われ、角柱のように装った控柱がこれを補強しているというもので、石造の架橋、控え柱も西欧ではほとんど最初の登用で、少なくとも年代的にはロンバルディア様式が生まれる以前にこれが使われていた。

1. サンタ・マリア・デ・ナランコ全景
サンタ・マリア・デル・ナランコ全景

2.サンタ・マリア・デ・ナランコの南面ファサード
サンタ・マリア・デル・ナランコの南面ファサード

3.サンタ・マリア・デ・ナランコトリビューンと柱に刻まれたレリーフ
サンタ・マリア・デル・ナランコトリビューンと柱に刻まれたレリーフ

しかしこの由来については定説がなく、シリアからの伝来が考え得るとしても、経路も明確にできなければ、その溝彫りや柱頭といった装飾が、あまりに地方的であるため謎となっている。

下階は浴室、上層がサロンという構成で、長辺には2組の階段が付けられていたらしい。上層の両端にはトリビューンがあり、いわゆるベルベデーレの機能を果たしているようで、周辺の景色が堪能できる。後年教会として転用されていた時期があり、そのためサンタ・マリアという名前が付いている。今ではアストゥリアス文化の輝かしい記念碑として保存されている。(理想復元は1930~1934年に行われ、宮殿の夏の離宮らしい姿が今では見ることが出来る)

4.サンタ・マリア・デ・ナランコの断面パース
サンタ・マリア・デル・ナランコの断面パース

5.サンタ・マリア・デ・ナランコのヴォールトと内部空間構成
サンタ・マリア・デル・ナランコのヴォールトと内部空間構成

すぐ横にはサン・ミゲル・デ・リジョ(San Miguel de Lillo, Oviedo郊外)教会がありこれはナランコの付属礼拝堂と考えられるほどの至近距離にあって、ラミーロの命で842年着工したが、14世紀に内陣部分を残し崩壊している。

6. サン・ミゲル・デ・リジョ教会で崩壊を免れた内陣部分
サン・ミゲル・デ・リジョ教会で崩壊を免れた内陣部分

7.サン・ミゲル・デ・リジョ教会の理想復元された平面〈黒い部分が現存部分〉
サン・ミゲル・デ・リジョ教会の理想復元された平面〈黒い部分が現存部分〉

8.サン・ミゲル・デ・リジョ教会の開口とその透かし彫り
サン・ミゲル・デ・リジョ教会の開口とその透かし彫り

個人的に一番気に入ったのがサンタ・クリスティーナ・デ・レナ(Santa Cristina de Lena, Pola de Lena, Asturias)だ。記録は発見されていないが、バットレス、透かし彫りのレリーフ、何よりも空間構成の素晴らしさからナランコを建てた建築家がこの作者と考えられている。方形の内陣は1ベイずつ前後に延び、さらに方形のアプスが四方を固めるという特異なプランで、さらにそれに3段のレベル差を付け、外観はバットレスをもってパースペクティブをもてあそぶという卓越した手法を示している。小さな建築なのに王家も利用したと考えられるのは、3つのレベル差があることだ。つまり民衆のレヴェル、司祭のレヴェル、そして王族のレヴェルと着席する場所がそれぞれ分けられてる。それがこの素晴らしい内部空間を生んでいる。

9.小高い丘に建つサンタ・クリスティーナ・デ・レナ教会
小高い丘に建つサンタ・クリスティーナ・デ・レナ教会

10.サンタ・クリスティーナ教会の内部空間
サンタ・クリスティーナ教会の内部空間

11.サンタ・クリスティーナ教会の内陣
サンタ・クリスティーナ教会の内陣

サンタ・クリスティーナ・デ・レナに最初に行ったのは1976年の5月の事だった。しかし、この日は小高い山の上にぽつりと立つこの教会に辿り着いたものの、バケツをひっくり返したというか、プールをひっくり返したような土砂降りの雨で車から出ることさえできなかった。それ以降行きたくてチャンスを待っていたが、仕事が忙しく叶わずやっとパラウ・サンジョルディが完成して一息付けた92年の3月だった。思っていた通り素晴らしい教会だ。

第3期はアルフォンソIII世治世時の代表作はサン・サルバドール・デ・バルデディオスの教会(San Salvador de Valdedios, Villavisiosa近郊, Asturias)であるのは間違いなく、893年7人の司教の手によって奉納されたという記録がある。うちひとりがモサラベの司教であり、そのディティールがモサラベ化されている理由とされている。

12.サン・サルバドール・デ・バルデヂィオス教会書面ファサード
サン・サルバドール・デ・バルデディオス教会書面ファサード

13.サン・サルバドール・デ・バルデヂィオス教会内陣部分
サン・サルバドール・デ・バルデディオス教会内陣部分

14.サン・サルバドール・デ・バルデディオス教会平面
サン・サルバドール・デ・バルデディオス教会平面

(写真・図版は全て筆者)

(たんげとしあき)

■丹下敏明(たんげとしあき)
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作 (カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984~2022年 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blanes計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画(現在進行中)などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画 (全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展 (バルセロナ・アパレハドール協会展示会場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展(サン・ジョアン・デスピ)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加

主な著書
『スペインの旅』実業之日本社(1976年)、『ガウディの生涯』彰国社(1978年)、『スペイン建築史』相模書房(1979年)、『ポルトガル』実業之日本社(1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社(1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会(1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版(1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社(1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社(2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社(2022年)など

・丹下敏明のエッセイ「ガウディの街バルセロナより」は隔月・奇数月16日の更新です。次回は2023年11月16日です。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は細江英公です。
10_sagrada_familia≪Sagrada Familia 203≫1975年
ヴィンテージ・ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.9×44.6cm
シートサイズ:60.6×50.7cm
サインあり

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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