三上豊「今昔画廊巡り」

第5回 東邦画廊


 かつて日本橋髙島屋ビルの影が被さるような所に小さな画廊があった。64年に開廊、「賃貸せず、画廊企画による」と謳う東邦画廊だ。住所は中央区日本橋通り2の7。75年には住所表示の変更で「日本橋2-6️―5」になる。小さな建物の2階、1階は喫茶店、階段を上がり右手の扉を開けると右手に展示スペースがあり、低いテーブルと数脚の椅子があった。画廊主の中岡吉典(1927―2015)さんが「まあ、どうぞ」と椅子をすすめてくる。まずお茶がでて、話が進むとコーヒーがでてくる。取材だとこのパターンが常となるが、私は例によって作品を見て引き上げることが多かった。お茶とコーヒーは、パートナーの女性とお手伝いの女性が用意するのだが、お二人ともいつも黒い服を着ていた記憶がある。
 中岡さんもパートナーの方も繰り返し言っていたことがある。「うちは、銀座の大きな画廊とは違って、普通の家にあう大きさの作品を扱う。銀座は見る画廊、うちは買える作品が中心」「銀座の場所代は作品にのせない」と。
 中岡さんは愛媛県出身で、実家は指物師、親戚には表具店などがあった。早くから版画に興味を示したという。60年、版画家永瀬義郎の紹介でホテルニュージャパン内の画廊の運営にあたるが、しばらくして退職。64年に山口長男、南画廊の志水楠男の知遇を得て、東邦画廊を開廊する。当初は三岸黄太郎の個展を4回開催、作家では68年に個展を開催した難波田龍起とは長い付き合いとなり、評論家では同世代の針生一郎の意見を入れていく。針生は中岡夫妻の仲人だったか。なかでも針生とタッグを組んでノルウェーの画家ラインハルト・サビエを扱い、94年から毎年のように展示をしていた。サビエの画風は暗い風景のなかに佇む人物像が多かった。海外作家は扱わないと言っていた中岡さんにしては何か特別な思いがあったのだろう。
 国内の作家では、建畠覚造、杢田たけを、吉野辰海、大沢昌助、平賀敬、谷川晃一、馬場彬、橋本正司、建畠朔弥ら、立体平面問わず、60年代に活躍してきたちょっとうるさい方々が多いと見ていた。作家によっては銀座の日辰画廊と共催にして、100号などの大きな作品は銀座に展示していたことがあった。東邦画廊の取材では、私が編集に携わっていた雑誌で小山田二郎の水彩画を左右逆に掲載した苦い思い出がある。
 東邦画廊の特色として、展覧会のパンフレットを毎回作成してきたことがあげられる。2つ折りから数ページにわたるものまで、カラー図版を入れて、略歴や作家のコメント評論家のテキストなどから構成されていた。そのパンフレットが残っているから、画廊の活動もまた記録に残ることのひとつの例証となっている。
 1993年春には中央区京橋2―5―6 トキワビル1階へ、さらに99年には近くの京橋3―9―2 宝国ビル2階へ移転した。銀座のすぐ手前まできたが、銀座には入らず初心を貫いたのかもしれない。画廊は中岡さんが亡くなると、しばらくして閉廊した。

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ラインハルト・サビエ展 パンフ

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馬場彬展 パンフ

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三岸黄太郎パステル展 パンフ

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難波田龍起 新作展 パンフ

(みかみ ゆたか)

■三上 豊(みかみ ゆたか)
1951年東京都に生まれる。11年間の『美術手帖』編集部勤務をへて、スカイドア、小学館等の美術図書を手掛け、2020年まで和光大学教授。現在フリーの編集者、東京文化財研究所客員研究員。主に日本近現代美術のドキュメンテーションについて研究。『ときわ画廊 1964-1998』、『秋山画廊 1963-1970』、『紙片現代美術史』等を編集・発行。

・三上豊のエッセイ「今昔画廊巡り」は毎月28日の更新です。次回は2023年10月28日です。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は難波田龍起です。
難波田龍起水彩パステル1961頃
難波田龍起(作品
1961年頃
色紙に水彩、鉛筆、パステル
イメージサイズ:25.0×21.0cm
シートサイズ:26.5×23.0cm
サインあり

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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