酒井実通男のエッセイ「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」第2回
西脇絵画との出会い
1990年当時、京橋に「美術研究 藝林」という画廊がありました。前回にも書きましたが、私の勤める会社のオーナーが絵画コレクターで、まだ創刊間もない『日経アート』という雑誌を定期購読していました。その一面広告にちょっと謎な「君はこの絵が分かるか」みたいなコピーが載っていまして、「美術研究 藝林」の広告でした。オーナーがこの広告を見て、この絵を買ってこないか、と言われて出向いたのがそもそもの画廊巡りの始まりでした。会社が終わってこの雑誌の案内地図を見ながら藝林を探して行ったのでした。ご主人の梅野隆氏 (1926‐2011、後の梅野記念絵画館の創立者) という、絵を語るにとても力のある言葉を持った方で、最初から面食らったのが忘れられない程に印象深いものがありました。初対面にして、どんな奴かも知れないのにこんなにも熱く一枚の絵について語るとは! 驚きが感動に変わって行くのが、自分自身でさえ驚いたことを今も鮮明に記憶しています。爾来、会社が引けると銀座に出て数件の画廊を回り、京橋近辺の画廊を覗き、そしてこの「美術研究 藝林」詣でが始まったのでした。ここでは大川美術館創立者の大川栄二氏 (1924‐2008) のお話をたくさん伺うことが出来たことも幸福な時間でした。
まだ通い始めて間もない頃、私が西脇順三郎の詩集を集めていることを何かの折に話していると、梅野氏が突然と席を立って狭い画廊の奥から、「こんなのがあるよ」と持ってこられたのが西脇のA4大くらいの紙に描かれたデッサンでした。他にも数枚あって、中には北園克衛(1902-1978)のデッサンや写真も交じっていました。聞けば、昭森社 ( 現在は廃業か? ) の社主・森谷均氏 (1897-1969) が故人となられたあと、社から譲り受けたものだというのでした。昭森社は良質な詩集や美術書の出版で夙に有名な出版社でした。西脇順三郎詩集『えてるにたす』( 特装版・普及版1962年12月 ) も昭森社の発行です。この詩集に使われた西脇自身になるデッサン数枚がこの時に梅野氏から見せられたものでした。代金は私の給料日払いということで、いただくことにしました。

『えてるにたす』表紙画デッサン

詩集『えてるにたす』特装版表紙
自分が、本に印刷された絵の原本を持つということが初体験であるということにドキドキしていたことを今思い出しても、「脳髄」の永遠の震えを感覚するのです。そして、「マダム・サピアンスの晩餐に」( 散文詩「トリトンの噴水」より ) 唐突に招待された少年の戸惑いのような思いでした。「こんなのがあるよ」という梅野氏の 『えてるにたす』( 永遠 ) からの誘いによって、私の第二の運命が始まったように思います。この時から「絵を描く」西脇順三郎の絵画作品を気にするようになりました。
偶然の出会いがその後の生き方を決定することがある、と言います。今になって思うと、その言葉に納得している自分が今ここにいるのです。大層な生き方をしている訳でも何でもないのですが、一個のアマチュアリズムと言う趣味の世界が、日々の支えになっているのは事実であるのです。
分相応の中で詩集を集め、絵を集めてドップリと俗を生きています。そして「俗にこれを芸術という」俗なる生活を生活していくことの楽しみを知って行くようになりました。
世界にはあらゆる事象が生起していて、これが人間世界でもあるのですが、しかし個人は全ての当事者にはなれないのです。一個の目前の現実を、希望と断念の繰り返し中で、私は私を生きて行かねばなりません。私にとっていわゆる芸術とは、思えば、現実と超現実との狭間を、換言すれば実生活と精神生活の交錯を生きる慰めだったのかも知れません。つまり私にとっての絵とは、「このつまらない現実を一種独特の不思議な快感をもって意識さす一つの方法である」ようです。
上記の文を書き終わって、夕暮れにいつもの散歩にでかけました。この文が掲載される頃は10月の気候のいい秋真っ盛りでありますが、しかしこれを書いているのは、まだまだ残暑のある最中で、私の住む長岡市や新潟県の各地では夏の気温が今年何回か全国一位の名誉?をもらいました。
そして、刈谷田川のほとりのいつもの散歩道でよくケモノに遭遇します。その日は暑さと夕立にうな垂れてフラヌールするタヌキでした。

現実と超現実を横断する一個の夢遊病者のような…
出会った現実に思わぬ可笑しみを誘われ、可笑しさの素朴に美と永遠なるものを詩と絵に表現したのが、私は西脇順三郎ではなかったか、と思うのです。この『えてるにたす』のためのデッサンも自然の可笑しさのデフォルマシヨンであるのです。
当時の私の慰めは、西脇のすでにセピア色なった詩集を通勤カバンに入れて持ち歩き、通勤帰りの夕方の夜の安いカフェで、それを開くことでした。憂鬱がたくさんありましたし、影と明かりが入り混じる日々、頭脳のメカニズムも時に時代錯誤でありました。そこで一層この西脇の詩の現実のデフォルマシオンが私の何かを突き破ってくるのを感じたものでした。何回でも書きますが、私にとっての西脇順三郎は「このつまらない現実」を変形さす物理学でありました。
■酒井実通男(さかいみちお)
昭和27年(1952)12月、新潟県長岡市生まれ。中央大学理工学部卒。
エンジニアとしてサラリーマン生活を続ける傍ら、2004年7月東京目黒にて、絵画と本と椅子のギャラリー“gallery artbookchair”を開店(金・土・日のみ)。2008年6月故郷・長岡市にUターンする。現在は、集めた本の整理とフラヌールの日々。長岡市栃堀在住。
・酒井実通男のエッセイ「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」(全6回)は毎月23日の更新です。次回は11月23日掲載となります。
●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。

≪Ⅴ- 21≫
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:19.7×13.7cm
シートサイズ:19.7×13.7cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

西脇絵画との出会い
1990年当時、京橋に「美術研究 藝林」という画廊がありました。前回にも書きましたが、私の勤める会社のオーナーが絵画コレクターで、まだ創刊間もない『日経アート』という雑誌を定期購読していました。その一面広告にちょっと謎な「君はこの絵が分かるか」みたいなコピーが載っていまして、「美術研究 藝林」の広告でした。オーナーがこの広告を見て、この絵を買ってこないか、と言われて出向いたのがそもそもの画廊巡りの始まりでした。会社が終わってこの雑誌の案内地図を見ながら藝林を探して行ったのでした。ご主人の梅野隆氏 (1926‐2011、後の梅野記念絵画館の創立者) という、絵を語るにとても力のある言葉を持った方で、最初から面食らったのが忘れられない程に印象深いものがありました。初対面にして、どんな奴かも知れないのにこんなにも熱く一枚の絵について語るとは! 驚きが感動に変わって行くのが、自分自身でさえ驚いたことを今も鮮明に記憶しています。爾来、会社が引けると銀座に出て数件の画廊を回り、京橋近辺の画廊を覗き、そしてこの「美術研究 藝林」詣でが始まったのでした。ここでは大川美術館創立者の大川栄二氏 (1924‐2008) のお話をたくさん伺うことが出来たことも幸福な時間でした。
まだ通い始めて間もない頃、私が西脇順三郎の詩集を集めていることを何かの折に話していると、梅野氏が突然と席を立って狭い画廊の奥から、「こんなのがあるよ」と持ってこられたのが西脇のA4大くらいの紙に描かれたデッサンでした。他にも数枚あって、中には北園克衛(1902-1978)のデッサンや写真も交じっていました。聞けば、昭森社 ( 現在は廃業か? ) の社主・森谷均氏 (1897-1969) が故人となられたあと、社から譲り受けたものだというのでした。昭森社は良質な詩集や美術書の出版で夙に有名な出版社でした。西脇順三郎詩集『えてるにたす』( 特装版・普及版1962年12月 ) も昭森社の発行です。この詩集に使われた西脇自身になるデッサン数枚がこの時に梅野氏から見せられたものでした。代金は私の給料日払いということで、いただくことにしました。

『えてるにたす』表紙画デッサン

詩集『えてるにたす』特装版表紙
自分が、本に印刷された絵の原本を持つということが初体験であるということにドキドキしていたことを今思い出しても、「脳髄」の永遠の震えを感覚するのです。そして、「マダム・サピアンスの晩餐に」( 散文詩「トリトンの噴水」より ) 唐突に招待された少年の戸惑いのような思いでした。「こんなのがあるよ」という梅野氏の 『えてるにたす』( 永遠 ) からの誘いによって、私の第二の運命が始まったように思います。この時から「絵を描く」西脇順三郎の絵画作品を気にするようになりました。
偶然の出会いがその後の生き方を決定することがある、と言います。今になって思うと、その言葉に納得している自分が今ここにいるのです。大層な生き方をしている訳でも何でもないのですが、一個のアマチュアリズムと言う趣味の世界が、日々の支えになっているのは事実であるのです。
人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的な偉大なつまらなさを感ずることが詩的動機である。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味 ( 不思議な快感 ) をもって意識さす一つの方法である。俗にこれを芸術という。
「PROFANUS」(1929年)より
分相応の中で詩集を集め、絵を集めてドップリと俗を生きています。そして「俗にこれを芸術という」俗なる生活を生活していくことの楽しみを知って行くようになりました。
世界にはあらゆる事象が生起していて、これが人間世界でもあるのですが、しかし個人は全ての当事者にはなれないのです。一個の目前の現実を、希望と断念の繰り返し中で、私は私を生きて行かねばなりません。私にとっていわゆる芸術とは、思えば、現実と超現実との狭間を、換言すれば実生活と精神生活の交錯を生きる慰めだったのかも知れません。つまり私にとっての絵とは、「このつまらない現実を一種独特の不思議な快感をもって意識さす一つの方法である」ようです。
上記の文を書き終わって、夕暮れにいつもの散歩にでかけました。この文が掲載される頃は10月の気候のいい秋真っ盛りでありますが、しかしこれを書いているのは、まだまだ残暑のある最中で、私の住む長岡市や新潟県の各地では夏の気温が今年何回か全国一位の名誉?をもらいました。
そして、刈谷田川のほとりのいつもの散歩道でよくケモノに遭遇します。その日は暑さと夕立にうな垂れてフラヌールするタヌキでした。
永遠への唯一の軌道は
夢からさめた夢をみた
夢をみる
川べりを歩く
夢遊病者の足あと
(「えてるにたす」より)

現実と超現実を横断する一個の夢遊病者のような…
出会った現実に思わぬ可笑しみを誘われ、可笑しさの素朴に美と永遠なるものを詩と絵に表現したのが、私は西脇順三郎ではなかったか、と思うのです。この『えてるにたす』のためのデッサンも自然の可笑しさのデフォルマシヨンであるのです。
一般民衆は犬と同じくこの超自然の詩の香を嫌うことであろう。しかし永久にこれを嫌って貰うことを実は希望するものである。夕暮れは狂人を刺激する。あるものはギャルソンにチキンカツレツをぶつける。ある者は憂鬱になりバルコンに昇って来るガラス屋をたたき落とす。夕暮れの神に向って暫く祈祷すると共に自然的詩人はその生存に急ぎ立つ。けれども超自然的ポエジイはクラゲの如く永久にフラフラとしている。
(「超自然主義」より)
当時の私の慰めは、西脇のすでにセピア色なった詩集を通勤カバンに入れて持ち歩き、通勤帰りの夕方の夜の安いカフェで、それを開くことでした。憂鬱がたくさんありましたし、影と明かりが入り混じる日々、頭脳のメカニズムも時に時代錯誤でありました。そこで一層この西脇の詩の現実のデフォルマシオンが私の何かを突き破ってくるのを感じたものでした。何回でも書きますが、私にとっての西脇順三郎は「このつまらない現実」を変形さす物理学でありました。
■酒井実通男(さかいみちお)
昭和27年(1952)12月、新潟県長岡市生まれ。中央大学理工学部卒。
エンジニアとしてサラリーマン生活を続ける傍ら、2004年7月東京目黒にて、絵画と本と椅子のギャラリー“gallery artbookchair”を開店(金・土・日のみ)。2008年6月故郷・長岡市にUターンする。現在は、集めた本の整理とフラヌールの日々。長岡市栃堀在住。
・酒井実通男のエッセイ「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」(全6回)は毎月23日の更新です。次回は11月23日掲載となります。
●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。

≪Ⅴ- 21≫
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:19.7×13.7cm
シートサイズ:19.7×13.7cm
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●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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