ガウディの街バルセロナより

その11 モサラベ Mozárabe


丹下敏明

先回に続いて70年代後半から80年代前半に見て回ったプレ・ロマネスクについて話したい。プレ・ロマネスクには西ゴート建築、アストゥリアス建築、そしてモサラベ建築というのがあるのはすでに述べた通り。
半島へ侵入したイスラーム教徒は住民にはむしろ寛大で、異教の信仰すら征服後わずかの間に認めている。それというのも、彼らは半島に入り、ローマ人の建てた館や道路、橋を見て驚嘆し、ギリシャ思想にひかれたからであり、またその征服自体が水平的性格を持っていたことに関わるのである。それが住民であるキリスト教徒にとっては、支配・被支配の関係にありながら、異教文化であるアラブを受け入れたのも当然であろう。彼らはアラブ語をこなし、娘をイスラーム教徒に嫁がせ、息子をコルドバへ留学させたのであった。そうしたキリスト教徒はモサラベと呼ばれた。
つまりモサラベ様式はこのようにしてイスラーム教徒下のキリスト教美術を指すが、イスラーム教徒支配の長かった南部では、わずかふたつの例が現存するのみである。マラガのボバストロとトレド近郊のサンタ・マリア・デ・メルケ(Santa Maria de Melque, Bobastro)がそれである。

1 Bobastro
洞窟教会ボバストロ教会の平面とアクソメ

ボバストロの教会は建設が917年以前と推定されている、三身廊を持つ16.5X10.3メートルのバシリカ形式で、同代建立のサン・ファン・デ・ラ・ペーニャの教会堂(San Juan de la Peña, Santa Cruz de la Serós, Huesca県)やサン・ミジャン・デ・ラ・コゴージャの教会堂(San Millan de la Cogolla, La Rioja)と同じく、丘陵に刻まれたアンダーグランド教会である。というのもこの地方一帯は928年のアブド・アッラフマーン3世の征服まで点的に持ちこたえたキリスト教徒らのレジスタンス地区であったからだ。

2 San Millan
サン・ミジャン教会のポーティコ部分。入口には馬蹄形アーチ

ただしアンダーグランドといっても天井高が丘陵だけでは満たし得なかったため、木組天井を用いたと推定されている。メルケの教会(Santa María de Melque, San Martín de Montalbán, Toledo県) は花崗岩の巨材で積まれたラテン十字形式で、プランには西ゴート様式が認められる。一般にはモサラベは西ゴートに建築、装飾的範をとり、イスラームの影響を加味していくが、このふたつはむしろその背景からモサラベ建築の例外である。
一方半島の北部には、9世紀末頃からコルドバより、新しくキリスト教徒に征服された(レコンキスタされた)土地へ移住してきたモサラベが新しい形式の教会、つまり本来のモサラベ様式の教会を建てた。それらは、例えば内陣のアーチのフラグメントにミヒラブを模したり、ドームのリヴを交叉させずに、ちょうどコルドバのモスクのマスクーラのようにいくつかの平行リヴで構成させたり、モディリオン(Modillónのスペイン語が語源)をコルドバ風に飾ったり、卵型丸天井を使ったりしている。

3. Modillon
コルドバのモスクのモディリオン

サン・ミゲル・デ・エスカラーダ(San Miguel de Escalada, Gradefes, León県)の修道院はこれらのうちもっともプロポーションが整った美しい例だろうか。この会堂は913年11月20日に奉納されて以来、930年頃の側面ポーチ、13世紀の鐘塔と礼拝堂の増築があったが、ほとんどその原型をとどめているといえようか。といってもその前身は西ゴートの礼拝所であったようで、堂内の大理石のコリント柱などはその名残りだ。

4
サン・ミゲル・デ・エスカラーダの平面分析とアクソメ

内部は三身廊で、ビザンティンのようなイコノスタシスがアーケードによって区切られている。会堂内のアーチと側面ポーチのアーチは、いずれも馬蹄型アーチで、三つの礼拝堂の平面にもそれが見られる。天井は木造で、スケルトンとして14世紀のレオン・カスティージャの紋章が残っているが、12の側面ポーチのアーチやモディリオンは彼らの故郷、つまりコルドバを明確に物語っている。
というのも、彼らコルドバ出身の建築家たちは、キリスト教徒でありながら、その政治的孤立もあって、自ずからその範をキリスト教教会堂にではなく、直接モスクに求めたために、イスラーム的スタイルをキリスト教的教義解釈に翻訳するという手法で、レコンキスタ後の地へ教会奉納を行なっていた。

5. San Miguel de Escalada
サン・ミゲル・デ・エスカラーダ壁面に埋め込まれた複数の碑文

6. San Miguel de Escalada
同・モディリオン

その端的な例としてはサン・セブリアン・デ・マソテのサン・チプリアーノ教会(San Cipriano, San Cebrián de Mazote, Valladolid 県, 920年奉納)があるが、これなど空間構成はあのコルドバの大モスクのスケール版とでも言える。

7
サン・セブリアン・デ・マソーテのアクソメ

周りには集落どころか何もない場所にぽつりと建っている建設年代不詳のサン・バウデル・デ・ベルランガ(San Baudel de Berlanga, Soria近郊)の教会はモサラベ建築中、もっともオリジナリティーに富んだもの。そのプランは方形の8.5 X 7.5メートルの内陣に、4.1 X 3.6メートルの祭壇が付くというものだが、注目に値するのは中央に円柱が聳え立ち、ここからは8本のリヴが延び、これがちょうど傘をさしたように軽い凝灰岩のヴォールトを支えている。そのヴォールトと屋根との間には空間があり、ここは柱上修行の場であったのではないかとも解釈されうる。柱上修行とはまさしく柱の上に鎮座しここで自然以外は外界との接触を断ち修行するという苦行が流行った時代がキリスト教圏ではあった。そのうえ祭壇とは反対の側には5 X 2ベイの明らかにイスラーム空間を回想する円柱の列柱がある。その上はトリビューンとなっている。これは修道僧の住空間と考えられていて、この出入りのためにここに直接外から出入りすることができるように小さな開口部がついている。イスラーム教徒とキリスト教教徒が空間を共有していたのであろうか。これも摩訶不思議な組み合わせだ。この時代はこれを許していたのだろうか。

8. San Baudel de Berlanga
サン・バウデル・デ・ベルランガのセクションとヴォールト

9. San Baudel de Berlanga
同・外観

10. San Baudel de Berlanga
同・内部

また同下階からは、3室に分かれた人工のグロッタへ通じる小さな開口部があり、修道僧たちの使った貯蔵庫とも、その天井に描かれた宗教的シンボルから、更に秘密の礼拝堂ともいわれているがこれも謎に包まれている。検証できる古文書が無いからだ。しかしこの特異な空間をさらに特異なものにしているのは、そこに描かれた異国的なフレスコ画だろう。

11. San Baudel de Berlanga
サン・バウデル・デ・ベルランガ・ヴォールトと円柱

12. San Baudel de Berlanga
同・イスラーム教徒が共有していたのではないかとされる多列室

デフォームした動物、もしくは半島では見る事が出来ない動物や、狩の様子、聖人らしきものなどがヴォールトも含め描きめぐらされている。フレスコの一部は海外に売られ飛ばされたりしたが、ニューヨークのメトロポリタン美術館では永久的にデポジットするとして現在ではマドリッドのプラド美術館で保存展示されている。しかし、これも引き換えの条件付きで、セゴビアのある教会の壁画をスペイン政府は提供している。

13. San Baudel de Berlanga
サン・バウデル・デ・ベルランガ・フレスコ画(プラド美術館蔵)

14. San Baudel de Berlanga
同・フレスコ画(プラド美術館蔵)

15. San Baudel de Berlanga

同・フレスコ画(プラド美術館蔵)

またピレネーを超えたモサラベとしてサン・マルティ・デル・カニゴの修道院(Sant Marti del Canigó, Canigó,(Saint-Martin du Canigou)現在のフランス)、サン・ミケル・デ・クシャ修道院(Sant Miquel de Cuix[a, フランス語ではSaint-Michel de Cuxa]がある。これも現在の国境を越えてカタルーニャがピレネー山脈を越えた版図を占めていた証だ。

16. Canigo
サン・マルティ・デル・カニゴの修道院全景

17
同・モサラベの地下聖堂

18. Canigo
同・柱頭

(作図、写真全て筆者)

(たんげとしあき)

■丹下敏明
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作 (カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984~2022年 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blanes計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画(現在進行中)などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画 (全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展 (バルセロナ・アパレハドール協会展示会場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展(サン・ジョアン・デスピ)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加

主な著書
『スペインの旅』実業之日本社(1976年)、『ガウディの生涯』彰国社(1978年)、『スペイン建築史』相模書房(1979年)、『ポルトガル』実業之日本社(1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社(1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会(1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版(1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社(1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社(2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社(2022年)など

・丹下敏明のエッセイ「ガウディの街バルセロナより」は隔月・奇数月16日の更新です。次回は2024年1月16日です。どうぞお楽しみに。

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