写真家の篠山紀信さんが新年早々1月4日に亡くなられました。享年83。

1984年11月13日 「宮脇愛子 新作版画展」オープニングで篠山紀信さん(中央)
会場:ギャラリー方寸(渋谷区松濤)
磯崎新先生のアトリエが防衛庁の隣にあった乃木坂時代、亭主は版画制作のために頻繁にアトリエに通いましたが、アトリエの家主が篠山さんで、磯崎先生が店子でした。
篠山ビルの設計はもちろん磯崎先生、篠山さんのスタジオの内装は倉俣史朗先生でした。
私たちが篠山さんと最初に仕事をしたのは1983年11月。
福岡の秀巧社ギャラリーで開催した「磯崎新展」のときに、カメラのドイさんの協力を得て、篠山紀信さんが激写した「シノラマショー」を会場で上映しました。
この年の春竣工したばかりの磯崎先生設計の「つくばセンタービル」を篠山さんが三台のカメラで追い、それを会場で三面スクリーンに映し出すショーでした。
磯崎先生の設計した秀巧社ビル(1975年竣工)もいまはありません。版画の中でのみ生きています。

現代版画センター倒産後も篠山さんにはお世話になりました。
亭主が「ピカソ、ミロ、ガウディとカタルーニャ展」を企画したのは1990年。
当時在籍していた会社での最後の仕事でした。
ピカソとミロは二人とも多くの版画作品を残しているので作品の確保は問題なかったのですが、ガウディに関しては苦慮しました。ガウディの展示できる作品は極めて少ないので、このときは篠山さんが撮影したガウディ建築の写真をプリントして展示しました。
篠山さんに相談に行くと、ポジフィルムのケースを無造作にあけて「どれでも好きなの持っていって」と大事なフィルムを貸してくれたのは懐かしい思い出です。
『ピカソ、ミロ、ガウディとカタルーニャ展』図録
1990年
テキスト:大高保二郎
デザイン:北澤敏彦
発行:日本アドヴィザー㈱


お二人の『磯崎新+篠山紀信 建築行脚』(六耀社 1980年 -1992年)は建築好きなら必読の写真集です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(画廊亭主敬白)

1984年11月13日 「宮脇愛子 新作版画展」オープニングで篠山紀信さん(中央)
会場:ギャラリー方寸(渋谷区松濤)
磯崎新先生のアトリエが防衛庁の隣にあった乃木坂時代、亭主は版画制作のために頻繁にアトリエに通いましたが、アトリエの家主が篠山さんで、磯崎先生が店子でした。
篠山ビルの設計はもちろん磯崎先生、篠山さんのスタジオの内装は倉俣史朗先生でした。
私たちが篠山さんと最初に仕事をしたのは1983年11月。
福岡の秀巧社ギャラリーで開催した「磯崎新展」のときに、カメラのドイさんの協力を得て、篠山紀信さんが激写した「シノラマショー」を会場で上映しました。
この年の春竣工したばかりの磯崎先生設計の「つくばセンタービル」を篠山さんが三台のカメラで追い、それを会場で三面スクリーンに映し出すショーでした。
磯崎先生の設計した秀巧社ビル(1975年竣工)もいまはありません。版画の中でのみ生きています。

現代版画センター倒産後も篠山さんにはお世話になりました。
亭主が「ピカソ、ミロ、ガウディとカタルーニャ展」を企画したのは1990年。当時在籍していた会社での最後の仕事でした。
ピカソとミロは二人とも多くの版画作品を残しているので作品の確保は問題なかったのですが、ガウディに関しては苦慮しました。ガウディの展示できる作品は極めて少ないので、このときは篠山さんが撮影したガウディ建築の写真をプリントして展示しました。
篠山さんに相談に行くと、ポジフィルムのケースを無造作にあけて「どれでも好きなの持っていって」と大事なフィルムを貸してくれたのは懐かしい思い出です。
『ピカソ、ミロ、ガウディとカタルーニャ展』図録1990年
テキスト:大高保二郎
デザイン:北澤敏彦
発行:日本アドヴィザー㈱


お二人の『磯崎新+篠山紀信 建築行脚』(六耀社 1980年 -1992年)は建築好きなら必読の写真集です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(画廊亭主敬白)
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