明日2月1日は倉俣史朗先生(1934年11月29日 - 1991年2月1日)の命日です。
ときの忘れものは昨年末「倉俣史朗展」を開催しましたが、ご覧になった方や、開催をネットで知った方から貴重な情報や思わぬ贈り物をいただき感激しています。
1970年代から田中信太郎先生(2019年8月に79歳で死去)と親交したというYさんからの贈り物は、1989年頃に倉俣史朗先生から直接いただいたというアクリル・オブジェ4点です。


羽根の小品は、AXISの地下にあったお店の《アクリル・スツール》の試作品で、"Floating Feather"(白)とは別物で、サイズも一回り小さいです。

カラフルなパーツ3点も、検討用に制作されたアクリルの試作です。


勤めていた事務所からYさんが独立された1989年頃に、田中先生と六本木の防衛庁前にあったクラマタデザイン事務所にご挨拶に伺った際に、倉俣先生から独立記念にいただいたというもの。
Yさん、この度は貴重なものお譲りいただきありがとうございました。
倉俣史朗先生ととても親しかった田中信太郎先生は、2018年にときの忘れもので開催した「倉俣史朗 小展示」にお越しくださいました。
画廊亭主と1984年に竣工した虎ノ門パストラル(東京農林年金会館新館)での思い出を語りあいました。
2018年10月23日ときの忘れものにて、田中信太郎先生(右)と亭主
日曜美術館の五十嵐久枝先生のインタビューでは、倉俣先生と田中先生の親交を話されていました。
今まで花柄などとんでもなかったという倉俣先生が、1988年の夏、田中先生が韓国旅行のお土産として倉俣先生の愛娘・晴子さんにと買ってきたおもちゃの薔薇がきっかけで《ミス・ブランチ》が生まれたとい言います。
田中先生の証言では「一本100円で売ってたんです。これをクラさんハルちゃんへのお土産だよ。そしたら1週間ぐらいして倉俣さんの事務所に遊びに行ったらスケッチ見せてくれて「シンさんこれどう?」って。それがミス・ブランチの最初のきっかけになったんですね」と話されました。
倉俣先生と田中先生は最晩年まで親交があったそうで、お互いに刺激しあったり共有しあったりする間柄だったということがわかります。
また、世田谷美術館の倉俣史朗展には、倉俣先生が田中先生に宛てた書簡と夢のスケッチが展示されていました。「'87.2.1に見た三木さんの夢です。」と書かれた書簡数枚と、部屋の壁とベッドカバーすべてにチューリップ模様が描かれたスケッチもありました。87年というと、おもちゃの薔薇を手に入れる前ですが、作品にこそしなかったものの、もしかしたら夢の中ではすでに花柄の空間や家具のイメージがあったのかもしれませんね。
◆「倉俣史朗展」(終了しました)
会期=2023年12月8日(金)~23日(土)11:00-19:00 日曜・月曜・祝日休み
会場:ときの忘れもの

ときの忘れものは2017年に青山から駒込に移転しましたが、偶然にも倉俣史朗はこの街で生まれ、近くの昭和小学校を卒業されました。
出品作品と価格については2023年11月25日ブログに掲載しました。
現在エディション進行中のシルクスクリーン作品集『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier』1集2集3集、1979年東京国際版画ビエンナーレ出品の貴重なオリジナル版画《無極Ⅱ》、1983年磯崎新設計の筑波第一ホテルの客室用鏡、1989年パリの個展のために制作した"Cabinet de Curiosite"はじめ、椅子《How High the Moon》、ソファ《Sofa With Arms Black Edition》、香水瓶やフラワーベース、オブジェ《薔薇の封印》などを展示しました。
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

ときの忘れものは昨年末「倉俣史朗展」を開催しましたが、ご覧になった方や、開催をネットで知った方から貴重な情報や思わぬ贈り物をいただき感激しています。
1970年代から田中信太郎先生(2019年8月に79歳で死去)と親交したというYさんからの贈り物は、1989年頃に倉俣史朗先生から直接いただいたというアクリル・オブジェ4点です。


羽根の小品は、AXISの地下にあったお店の《アクリル・スツール》の試作品で、"Floating Feather"(白)とは別物で、サイズも一回り小さいです。

カラフルなパーツ3点も、検討用に制作されたアクリルの試作です。


勤めていた事務所からYさんが独立された1989年頃に、田中先生と六本木の防衛庁前にあったクラマタデザイン事務所にご挨拶に伺った際に、倉俣先生から独立記念にいただいたというもの。
Yさん、この度は貴重なものお譲りいただきありがとうございました。
倉俣史朗先生ととても親しかった田中信太郎先生は、2018年にときの忘れもので開催した「倉俣史朗 小展示」にお越しくださいました。
画廊亭主と1984年に竣工した虎ノ門パストラル(東京農林年金会館新館)での思い出を語りあいました。
2018年10月23日ときの忘れものにて、田中信太郎先生(右)と亭主日曜美術館の五十嵐久枝先生のインタビューでは、倉俣先生と田中先生の親交を話されていました。
今まで花柄などとんでもなかったという倉俣先生が、1988年の夏、田中先生が韓国旅行のお土産として倉俣先生の愛娘・晴子さんにと買ってきたおもちゃの薔薇がきっかけで《ミス・ブランチ》が生まれたとい言います。
田中先生の証言では「一本100円で売ってたんです。これをクラさんハルちゃんへのお土産だよ。そしたら1週間ぐらいして倉俣さんの事務所に遊びに行ったらスケッチ見せてくれて「シンさんこれどう?」って。それがミス・ブランチの最初のきっかけになったんですね」と話されました。
倉俣先生と田中先生は最晩年まで親交があったそうで、お互いに刺激しあったり共有しあったりする間柄だったということがわかります。
また、世田谷美術館の倉俣史朗展には、倉俣先生が田中先生に宛てた書簡と夢のスケッチが展示されていました。「'87.2.1に見た三木さんの夢です。」と書かれた書簡数枚と、部屋の壁とベッドカバーすべてにチューリップ模様が描かれたスケッチもありました。87年というと、おもちゃの薔薇を手に入れる前ですが、作品にこそしなかったものの、もしかしたら夢の中ではすでに花柄の空間や家具のイメージがあったのかもしれませんね。
◆「倉俣史朗展」(終了しました)
会期=2023年12月8日(金)~23日(土)11:00-19:00 日曜・月曜・祝日休み
会場:ときの忘れもの

ときの忘れものは2017年に青山から駒込に移転しましたが、偶然にも倉俣史朗はこの街で生まれ、近くの昭和小学校を卒業されました。
出品作品と価格については2023年11月25日ブログに掲載しました。
現在エディション進行中のシルクスクリーン作品集『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier』1集2集3集、1979年東京国際版画ビエンナーレ出品の貴重なオリジナル版画《無極Ⅱ》、1983年磯崎新設計の筑波第一ホテルの客室用鏡、1989年パリの個展のために制作した"Cabinet de Curiosite"はじめ、椅子《How High the Moon》、ソファ《Sofa With Arms Black Edition》、香水瓶やフラワーベース、オブジェ《薔薇の封印》などを展示しました。
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

コメント