静岡のバー「COMBLE」での連続トークイベントの第2回に参加してきたので、ご報告いたします。

1月14日のトークテーマは静岡の家具産地イメージアップ事業と倉俣史朗について。「COMBLE」以外の倉俣と静岡のつながりに関して、また静岡の家具生産に関しても不勉強で存じ上げず、今回は大変勉強になりました。

司会進行:伊藤鮎さん(静岡市美術館 学芸員)
ゲスト:町田光さん(デーシーエスデザイン研究所)

05273a15
af11ad3e

IMG_4606
コンブレの扉。取っ手の無いすっきりとしたデザインが印象的です。
筆者は今回が初訪問のため、一見してどこから開けたものか見当がつかず大変焦りました。

IMG_4591
昨年ときの忘れものでの倉俣展でも人気のあった"Flower Vase #1301"(バイオレット)
同系色のアルミスパンドレルに縁どられ、画廊での展示とはまた違うスタイリッシュさを醸しています。

①町田光さんについて
町田さんの務めるデーシーエスデザイン研究所の前身は、1954年に町田氏のお父様が設立された町田デザイン研究所でした。当時「デザイン」を謳った社名は珍しく、先進的だったと思うとのこと。1965年にはデザインセンターシズオカへと社名を改め、同社のデザイン部門として発足、後に独立したのが今のデーシーエスデザイン研究所です(現在デザインセンターシズオカはDCS Corpという照明器具専門のデザイン・販売会社となっています)。町田氏はプロダクトデザインを担当されています。
IMG_4596
左から中山昌彦さん(コンブレオーナー)、伊藤鮎さん、町田光さん

②静岡の家具産地イメージアップ事業とは
静岡市は昔から木製家具の5大生産地に数えられるほど家具作りが盛んでしたが、80年代当時は生産地の増加や海外企業の流入によって産業が停滞していたとのこと。この状況を打破すべく、1988年に市が起こしたプロジェクトが「家具産地イメージアップ事業」でした。生産地静岡の対外的アピールが狙いで、1. 従来品より新しいものを 2. 地方より中央の展示会へ 3. 機能性より抒情性(≒デザイン性)へ 4. 著名な新進気鋭のデザイナーを呼び込む という方向性を打ち出しました。

ちなみに:町田さん曰く、その昔静岡では材木は取れても加工の技術が無かったそう。3代 徳川家光の時代、浅間神社建立のために各地から職人が呼び込まれ、そのまま静岡に居ついた人々が現在の木工技術を継承したと言われています(静岡と徳川家の関係は静岡市歴史博物館で詳しく学べます)。材木の切れ端を再利用した食器棚やサイドボードなど、いわゆる「箱もの」生産が主流で、椅子や机等「脚もの」は数少なかったとこのと。イメージアップ事業では後者を強化していくことも狙いの1つでした。
IMG_4576
コンブレからほど近い静岡市歴史博物館
IMG_4583
1階は静岡市の遺構の発掘現場が再現された特徴的な構造。
周りをぐるりと囲むスロープを上ると、2・3階の展示室に辿り着きます。
IMG_4580
この日は丁度開館1周年記念日で、展示室の無料開放に加え様々な催しが行われていました。
写真は1階遺構での尺八演奏。

③新進気鋭のデザイナー
「著名な新進気鋭のデザイナー」探しで白羽の矢が立ったのが町田さん。静岡市からの依頼を受けた町田さんは、当時から流行の発信地であった六本木AXISの林さんに情報を求め、倉俣史朗を紹介されます。更に倉俣からジョージ・ソーデン内田繁喜多俊之を紹介され、1988年7月、上記4名のデザイナーに正式決定。10月には公開募集された19のメーカーがどのデザイナーの製品を担当するかの選定会が行われますが、倉俣デザインには希望のメーカーがつかず、呼び込んだ張本人の町田さんが引き受けざるを得なかったそうです。

④倉俣史朗 シンプルな鬼デザイン
倉俣のデザインはシンプルに見えて壊れやすい構造で大層作り辛い。見る人が見れば、その難しさは一目で分かると言います。希望メーカーが挙がらなかった理由もそれでした。町田さんも実際に取り掛かって実現の厳しさを実感されました。

例えば、町田さんが手掛けた倉俣デザイン家具の代表作《静岡ファニコンの椅子》。木製の4本脚にスチールパイプの背もたれのみ、「椅子」という概念を体現するようなシンプルな形です。普通なら力の分散のために直立の脚と脚の間に横木を渡して強度を出すものですが、倉俣デザインではNG。町田さんが試作品を倉俣事務所に持ち寄る度、椅子に直接「ここを1mm削って」といった赤ペンを入れて戻される日々が続きました。製作は88年の10~11月という急ピッチで進められています。
201313000100_01-768x1151
201313000100_02-768x1151
静岡ファニコンの椅子(武蔵野美術大学美術館「みんなの椅子」展HPより)
IMG_4602
町田さんが実物も持ってきてくださいました。

⑤六本木AXISでの展示と静岡凱旋
12月、会場デザインも倉俣に決定しました。ところで、静岡市から会場設営として充てられた予算は80万円(!)。会場のデザイン費と施工費を賄うことはとてもできません。倉俣は全予算を会場デザイン料として受け取り、施工費は全てクラマタデザイン事務所が受け持ったそうです。翌年1989年1月18日(水)~20日(金)には六本木AXISで、1月26日(水)~31日(火)には静岡伊勢丹で展覧会が開催されました。中日、日経、毎日新聞などの全国紙にも取り上げられ評判は上々。

この事業を通して、町田さんは倉俣のことを純粋で、妥協しない強さを持った方だと感じたと語ります。その一方で人の多いパーティー等は苦手で、静かな場所を好む人でもあったそうです。AXIS関連のあるパーティーで倉俣の元に招待客が殺到し名刺交換の行列ができた時、倉俣と町田さんは適当なところでその場を離れ、人気のないバルコニーで静かに煙草をふかしあったと言います。

⑥コンブレと町田さんの関係
コンブレの施工が始まったのも家具産地イメージアップ事業と同じ1988年。町田さんの事務所に施工に関するヘルプ要請があったことを機にコンブレにも関りが生まれたそうです。

コンブレは1998年に一度閉店していますが、その際オーナーの中山さんが、町田さんに店の奥の4~6人用の大きなテーブルの保管を依頼。自宅にも置けるかどうかというサイズでしたが、倉俣の想いを廃棄したくない一心で了承されたと言います(それ以外の椅子やテーブルは、オーナーが変わった後のイタリアンレストランで継続して使われたそうです)。
中山さんがコンブレを買い戻した時、町田さんが満を持してテーブルを持ちこんだとのこと。ただ、特徴的な天井のアーチ型ポリカーボネートは閉店の際に回収され、現在あるのはコンブレ再開後に復元されたものなのだそうです。
IMG_4603
バーカウンター下に静かに佇むオバQ。

帰り際、中山さんからときの忘れものへ素敵なお土産が。
IMG_4833
創業当初に作られた、案内状(左上)、お知らせカード(右上)、専用の封筒(左下)、ボトルキープ用リング(右下)。一見シンプルなお知らせカードは、右上に「COMBLE」の文字がエンボスされてている凝った仕様です。
中山さん、貴重な資料をお贈りいただき誠にありがとうございました。

倉俣史朗と静岡の深い関係性を学べた実りある1日でした。
今度は是非、お客としてもコンブレに足を運んでみたいと思います。
(じんの もえ)

●本日のお勧め作品は倉俣史朗の名作"Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)"です。
カビネ・ド・キュリオジテ倉俣史朗
"Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)"
1989年(1989~2014年製造)
アクリル
46.0×46.0×190.0cm
Ed.40
*倉俣美恵子夫人の証明書付
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
photo (2)
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。