井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第22回

「メカス日本日記の会」


「あなたの映画を日本で観るにはどうしたらいいですか」。公式HPからメールを送ると、2014年1月23日、ジョナス・メカスさんから以下のように返信があった。

ときの忘れものというギャラリーを通じて、木下哲夫くんに連絡をとってみてください。
彼はビデオでなく、フィルムで私の映画を持っています。


気付けば10年もの月日が経っていて、その後、どのように事が進んだのかをあまり覚えていないのだけれど、おそらく私はメカスさんの指示通り、ときの忘れものを訪ね、木下さんに連絡を取ったのだと思う。同じ年の11月には「メカス日本日記の会」から16mmフィルムを借りて、初めての上映会を開かせてもらうことになった。メカスさんの言うフィルムを持っている云々は、「メカス日本日記の会」のことだったのだ。

当時はなぜか自然に受け入れていたけれど、映画のフィルムを「持っている」というのはすごいことだ。映画を「観たい」とか「上映のために貸してほしい」ということはあっても、「買いたい」という考えは浮かばないし、仮にそう願ったとしても「いいですよ」と許可してもらえる自信や財力がない。でも、「メカス日本日記の会」はジョナス・メカスのフィルムを何本も持っていて、しかも皆に快く貸し出してくれる。



2月17日、冬らしく冷えた曇りの日に、恵比寿のギャラリーLIBRAIRIE6で、そんな「メカス日本日記の会」のトークイベントが行われた。登壇者は、木下哲夫さん、小林俊道さん、森國次郎さん、吉増剛造さんの4名。2月10日から同会場で開催されていた「メカスルネサンス」展の作品群に囲まれながら、定員30名の会場にみっちりと人が集まっていた。

席に着くと、前方にはすでにゲストの姿があり、黒いハットをかぶった小林さんがまず口をひらく。

「本来であればここに木下哲夫がいるはずなんですが……どこにいるのかわかりません(笑)」。

そんな予期せぬ一言から幕をあけたこの日のイベント。木下さんの不在にそわそわとしつつも、会場で流れ始めたジョナス・メカスの映画『幸せな人生からの拾遺集』の映像に目をやると、とたんに幸福感がおしよせる。映画が始まった瞬間、吉増さんが「これはいいや」と一言。近隣のパーティー会場から、結婚式の二次会と思しき団体の笑い声が聞こえてきて、この映画にはメカスの結婚式で録音された合唱の音声が使われていたことをふと思い出した。そうこうしているうち、雪のニューヨークが映し出されたあたりで、木下さんが何事もなかったかのように会場に登場。どこからか聞こえた「始めよう」の一言でトークがスタートした。

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メカス日本日記の会の皆さん。左から:森國さん、小林さん、木下さん、吉増さん

この日、客席の手元には、森國さんが徹夜で作成したのだという貴重なリーフレット「メカス日本日記の会の歩み」が配られていた。同資料によると、会の発足は1990年9月。池袋の書肆山田に8人が集い、準備会議が行われたのだという。そして今年で活動34年目となるこの会は、とうとう次の代へと受け継がれるのだそうだ。会場には、これまで会の代表を務めてきた吉増さんが「なんとかメカスさんの魂をつながなければ」 と直々に指名したのだという今後の共同代表、岡本小百合さん、鈴木余位さんの姿があり、「どうぞお助けいただきますよう」と紹介がなされる。自分はもう「元・代表」だと身を引きながら二人を立てる吉増さんは、優しく、誇らしそうな顔をしていた。

そこからは、4人の口からぽろぽろとメカスさんとの思い出話が紡がれる。日本日記の会が最初に買ったフィルムは『時を数えて、砂漠に立つ』(1985年、150分)なのだそうで、木下さん曰く「ふつうは借りるものだと知らず、買いたいと伝えていた」のだという。先方は少し驚いたものの、プリントの実費を支払ってくれたら良いと許可をくれ、購入されたフィルムは新宿文化センターの試写会でお披露目されることに。ただ、リールに巻かれていない状態でフィルムが届いたためどう上映して良いかわからず、急遽、イメージフォーラムの中島崇さんに頼んでリールを巻くのを手伝ってもらったのだそうだ。皆さんは懐かしそうな笑みを浮かべる。

ちなみに当時、フィルムの購入価格はそれぞれ『時を数えて、砂漠に立つ』が1,500ドル、『リトアニアへの旅の追憶』が2,000ドル、『ウォールデン』が4,000ドル、『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』が4,500ドルだったとのこと。中には、最近になってようやくプリント代が回収できた作品もあるのだという。私が上映会をさせてもらったときにも何度もお世話になり、今でも全国各地を飛び回っているこのフィルムが、多くの人の心や人生に影響を与え続けていることは言うまでもない。

トーク中、メカスさんが日本にいた際のエピソードが多く登場したことも、幾度も来日をサポートしてきたこの会ならではの内容だと感じた。特に小林さんの口から語られた、1991年「ソ連8月クーデター」の際のメカスの様子(英字新聞を抱えてリトアニア情勢をチェックし、帯広のテレビでソ連崩壊のニュースを知り呆気にとられ、夜は歌いまくり、どんどん泣いていた)は深く心に刻まれた。

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木下さんが客席に回してくださった来日時の会見の写真。質問はリトアニアについてのことばかりだったという

続けて小林さんが「メカスさんは水に対して強い興味を持っていたけれど、お風呂に入らなかった」と話すと、森國さんが「お父さんにお風呂に入るなと言われて、それをずっと守ってきたんだと手紙に書いてあった」と付け加える。それを受けて木下さんが披露したエピソードは「メカスさんは一度服を着ると破けるまで脱がない」というもの。何年かぶりに日本にやってきたメカスさんを見ても、以前と同じ服を着ていたそうだ。吉増さんが寒そうなメカスさんを見て、服をあげたこともあるのだという。そういえば、日本とメカスの交流のきっかけをつくった一人としてこの日も名前が挙げられていた飯村昭子さんは、以前自身のエッセイで「いつもよれよれの同じマフラーをしている人は、たいてい心やさしい人なので、私はとても好感をもつ」と書いていた。

ところでこの日のトークでは、メカスさんと日本をつなぐ重要人物の一人に、安保登美子さんの存在があることも強調されていた。長らく新宿のバー「ナジャ」を切り盛りしていたものの去年の夏に倒れ、店を閉めざるを得なくなった登美子さん=通称「クロちゃん」を少しでも支援しようと企てられたのが今回の「メカスルネサンス」展なのだという。

1983年、木下さんと共に新宿のバー「文庫屋」を訪れ、口をひらくなり「こういうところがあれば、日本は大丈夫だ」と言ったメカスさんに、居合わせたクロさんは一気に魅了されたそう。吉増さんはクロさんから「素晴らしい人(メカス)が来た、と本気で言われた」ことを回想し、クロさんの存在がメカスにとって大切であったことはもちろん、日本日記の会の火種になったのは間違いないと断言した。

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※みなさんに連れていってもらい、数回だけお邪魔したナジャでのクロさん(2019年)。
吉増さんから届いたのだというFAXを持って微笑んでいる


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ナジャの店先での木下哲夫さん(2019年)。Anthology film archivesのTシャツを着ている。
左に写る後ろ姿は小林さん


ほかにも「詩人としてのメカス」を日本に紹介するにあたってリトアニア語翻訳の村田郁夫さんの尽力があったことなどが紹介され、あっという間に終演の時間が近づいてきた。話を聞いているうち、メカスさんを日本と結び付けてくれた皆さんへの興味と感謝がどんどん溢れてきて、質問はないかと会場に問いかけられたとき、思わず手を挙げた。

そうして私が質問したのは、この稀有な組織がなぜ「メカスと日本の会」などではなく「メカス日本"日記"の会」なのか、ということだった。いつ、だれが、どんな理由でこの名前をつけたのかと訊くと、吉増剛造さんが無言で自分を指さしニコニコしながら舌をだす。そして真剣な表情に戻ると「日記というものの大事さを、みんなが共有していたんでしょうね」と一言付け加えた。

ただ、ここで見落としたくないのは、「メカスルネサンス」展の紹介文で吉増さんが以下のようにも書いていることだ。

「日記性」「個人」「前衛、……」というのではない、魂の最深部を体現していましたメカスの、……そう“片雲”に触れて下さいますように……。

この日のトーク中、『ジョナス・メカス詩集』の表紙を指差し、メカスがカメラを構えながらも、レンズとは違う場所を見ていることを指摘した吉増さんは、メカスの「たった今」のとなりにはもう一つ「今」があり、この瞬間を深く深く見ていくからこそ「今」が豊かになっていくのだと話した。吉増さんや会のメンバーが大切にしたのは、固く定着された「日記」という概念ではなく、1文字1文字を書き進め、ページをめくり、1日、一瞬を小さく積み重ねていく精神のことなのだと思う。

この文章の序盤「フィルムを借りて、上映会を開かせてもらうことになった」と平然と書いたけれど、その時の私は今よりずっと世の中のことを知らなくて、自分の企画したイベントであるのに「上映会が赤字になったらどうすればいいのか」とか、そんなことまで日本日記の会のみなさんに相談していた。そして、本来であれば絶対に管轄外であるその質問にも親身になって答えてくれたのが日本日記の会の皆さんだった。そうして積み重ねられてきた心が、霧散せずに次の世代へと受け継がれていくというのは、本当に喜ばしいことだ。これまでにない、貴重なトークの場を用意してくださったギャラリーLIBRAIRIE6さんにも感謝を申し上げたい。

いどぬま きみ

●追記:
メカスさんの息子、セバスチャン・メカスさんが
ジョナス・メカスの公式Instagramを開設されたそうです。
もともと数千人のフォロワーがいる公式アカウントを持っていたそうなのですが
Instagramによって削除されてしまったそうで
この度新しくアカウントを作成されたとのこと。
伊藤知宏様が情報をご提供くださいました。これからの更新が楽しみです。

井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。

井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2024年5月22日掲載予定です。

ジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (DVD版)」を販売しています。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー
各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格:
*Blu-Ray版は完売しました、今後の入荷はありません。
DVD →15,000円(税込)

※2023年8月現在の価格となります。
商品の詳細については、2023年3月4日ブログをご参照ください。

第363回企画 アンディ・ウォーホル KIKU&LOVE
会期:2024年3月15日(金)~3月23日(土)
*日曜・月曜・祝日休廊 11:00-19:00
*出品作品の詳細とKIKU、LOVEシリーズ誕生の経緯は3月12日ブログをお読みください。
アンディ・ウォーホル展 案内状 表1200


映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也


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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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