佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第88回
「共同について」のメモ
先日、大阪・関西万博について共同通信社の記者さんから取材を受けた。大阪支社社会部の方がはるばる飛行機に乗って福島の当方の事務所までやってきた。およそ2ー3時間は喋っていた気もする。記事はすでに公開されている。
一応、万博開催まであと1年という区切りの記事でもあるらしい。記事はありがたいことにそれなりに長く話した内容を記録してくれている。こちらとしては、気張りもせずになるべく正直に話をしたつもりだ。万博という大きな出来事に対してあくまでも自身の小ささを対峙させるような話をした。大きなものに対応する術として、どうも私は結局のところある種の「小ささ」に逃げ込みがちである。それが有効だと考えているし、また自分の気質としてもブレてはいないつもりではあるが、一方でこれはあまり長く効力を持つものでもない(身をすり減らし続ける)とも思っている。これからどうにか次の展開を探ってはいきたい。けれども、そう考え続けて結局すでに10年くらいは経っている。
国家という大きなものを相手にした時には、それこそ60年代の吉本隆明、鶴見俊輔、谷川雁あたりの詩的かつ実践的な言葉を読み返すことからいろいろと示唆を得ることができる。あるいは間接的な抵抗の行為として文学もまた参照すべきだろう。国家という存在についてはすでに先達の人々が散々議論し、その心的対応の筋道を試行している。かつての時代と今の時代に大きな違いがあるとすれば、いわゆる大衆というものの一部がインターネット上で言葉を持ってそれぞれを刺々しく牽制し合っているその生臭さがつけ加わったことかもしれない。
今月、東京でちょっとしたレクチャーをさせていただく機会を得たのだが、そのタイトルを「共同について」としようかと考えている。ここでの共同という言葉にはおおよそ二つの意図が込めてある。まず一つが、いわゆるコラボレーションとしての共同についてである。はじめに述べた、どうも逃げ込みがちな処世術としての「小ささ」とは、建築を自分たちの手でコツコツと作っていくこと、施主や職人らと限りなく水平的な関係の中で一回的な建築を考えていく、あたりのことを意味している。こうした建築の作り方によって得られる確からしさ、実感はとても強固なものだとも思うが、一方でそこから果たしていわゆる大きな物語、社会や国家という関係(=共同幻想、的な)にどのようにアプローチできるかが問題である。かつての吉本隆明はそのあたり(対幻想)にこそ対抗できると唱えたわけだが、、
この辺りのことが「共同」に込める二つ目の意図であり、つまり「小ささ」が持つ外への展開の可能性をどう考えるかということである。
そのあたりの活路についてレクチャーを通して見つけていきたいと思っている。ちなみにこの問題意識は、「建築家(机上の人)がなぜ美術作品(小さなモノ)を作るのか」にも直結していると思っているので、考えたい。



(福島県内で準備している建物の部品制作の様子)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。

《窓はないわけではない 25》
2024年
ゼラチンシルバープリント
18.0×18.0cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
佐藤さんが上掲の文章の最初に触れている共同通信の取材についてですが、必読の記事です。
<万博に参加する動機は「どろどろを覗きたい」? 福島県の30代若手建築家が考える「自分事」と「コミュニケーション」とは>
書いたのは木村直登さんという記者さん。
最近は現地にも行きもせず(電話やメールで安易に)書く人もいるようですが、木村直登さんは大阪から福島まで出かけ、佐藤さんにじっくり話を聞いている。話す方はもちろんですが、聴き手の力量が試されるインタビュー。
私たちは佐藤さんの学生時代から嘱目していましたが、さすが。
秋の個展を成功させたいですね。
4連休、皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。
難波田史男展、今週末まで開催しています。どうぞお出かけください。

ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
「共同について」のメモ
先日、大阪・関西万博について共同通信社の記者さんから取材を受けた。大阪支社社会部の方がはるばる飛行機に乗って福島の当方の事務所までやってきた。およそ2ー3時間は喋っていた気もする。記事はすでに公開されている。
一応、万博開催まであと1年という区切りの記事でもあるらしい。記事はありがたいことにそれなりに長く話した内容を記録してくれている。こちらとしては、気張りもせずになるべく正直に話をしたつもりだ。万博という大きな出来事に対してあくまでも自身の小ささを対峙させるような話をした。大きなものに対応する術として、どうも私は結局のところある種の「小ささ」に逃げ込みがちである。それが有効だと考えているし、また自分の気質としてもブレてはいないつもりではあるが、一方でこれはあまり長く効力を持つものでもない(身をすり減らし続ける)とも思っている。これからどうにか次の展開を探ってはいきたい。けれども、そう考え続けて結局すでに10年くらいは経っている。
国家という大きなものを相手にした時には、それこそ60年代の吉本隆明、鶴見俊輔、谷川雁あたりの詩的かつ実践的な言葉を読み返すことからいろいろと示唆を得ることができる。あるいは間接的な抵抗の行為として文学もまた参照すべきだろう。国家という存在についてはすでに先達の人々が散々議論し、その心的対応の筋道を試行している。かつての時代と今の時代に大きな違いがあるとすれば、いわゆる大衆というものの一部がインターネット上で言葉を持ってそれぞれを刺々しく牽制し合っているその生臭さがつけ加わったことかもしれない。
今月、東京でちょっとしたレクチャーをさせていただく機会を得たのだが、そのタイトルを「共同について」としようかと考えている。ここでの共同という言葉にはおおよそ二つの意図が込めてある。まず一つが、いわゆるコラボレーションとしての共同についてである。はじめに述べた、どうも逃げ込みがちな処世術としての「小ささ」とは、建築を自分たちの手でコツコツと作っていくこと、施主や職人らと限りなく水平的な関係の中で一回的な建築を考えていく、あたりのことを意味している。こうした建築の作り方によって得られる確からしさ、実感はとても強固なものだとも思うが、一方でそこから果たしていわゆる大きな物語、社会や国家という関係(=共同幻想、的な)にどのようにアプローチできるかが問題である。かつての吉本隆明はそのあたり(対幻想)にこそ対抗できると唱えたわけだが、、
この辺りのことが「共同」に込める二つ目の意図であり、つまり「小ささ」が持つ外への展開の可能性をどう考えるかということである。
そのあたりの活路についてレクチャーを通して見つけていきたいと思っている。ちなみにこの問題意識は、「建築家(机上の人)がなぜ美術作品(小さなモノ)を作るのか」にも直結していると思っているので、考えたい。



(福島県内で準備している建物の部品制作の様子)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。

《窓はないわけではない 25》
2024年
ゼラチンシルバープリント
18.0×18.0cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
佐藤さんが上掲の文章の最初に触れている共同通信の取材についてですが、必読の記事です。
<万博に参加する動機は「どろどろを覗きたい」? 福島県の30代若手建築家が考える「自分事」と「コミュニケーション」とは>
書いたのは木村直登さんという記者さん。
最近は現地にも行きもせず(電話やメールで安易に)書く人もいるようですが、木村直登さんは大阪から福島まで出かけ、佐藤さんにじっくり話を聞いている。話す方はもちろんですが、聴き手の力量が試されるインタビュー。
私たちは佐藤さんの学生時代から嘱目していましたが、さすが。
秋の個展を成功させたいですね。
4連休、皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。
難波田史男展、今週末まで開催しています。どうぞお出かけください。

ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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