「真庭市蒜山ミュージアムと柴川敏之展、その記録集」
三井知行
真庭市蒜山ミュージアム(を含むGREENable HIRUZEN)は、2021年7月に岡山県北にある真庭市(まにわし)の蒜山(ひるぜん)高原エリアにオープンしたアートセンター的な施設である。ミュージアムと名前がついているがコレクションは無く、美術館・博物館ではない。建物は茅を用いた1棟を除き、東京・晴海にあったCLT Park Harumiを移築したもので、その名の通り近年利用の増しているCLT(Cross Laminated Timber/直交集成板)を多く用いている。隈研吾建築でもあるので建築・建設関係者や木材・林業関係者にはご存知の方も多いかもしれない。しかし多くの人にとっては「真庭ってどこ?」という状態だろう。関西ではスキーやキャンプなどが楽しめるリゾート地「蒜山高原」の方が「真庭」よりも認知されているようだ。

GREENable HIRUZEN 空撮(正面斜め上より)
※左側の建物がミュージアム棟
©川澄・小林研二写真事務所
真庭市は平成の大合併で9つもの町村が合わさってできた市で、人口は市といえるだけの数だが、市域はそれ以上に広い(岡山県で一番の面積)。そしてその多くが山林で、林業や製材業が盛んである。CLT Park Harumiの移築先に選ばれたのも、原料のスギ・ヒノキが真庭産でCLTに加工する工場も真庭市内ということが大きいようだ。実際、間伐材を利用したパイオマス発電やSDGs未来都市(杜市)・モデル事業への選定など田舎の小さい市としてはかなり攻めたことをしていて、その方面で名前をご存知の方も多いと思う。「蒜山観光文化発信拠点」とされるGREENable HIRUZENはその「攻め手」の一つでもあるのだ。

GREENable HIRUZEN パビリオン「風の葉」
©川澄・小林研二写真事務所
余談だが岡山県中北部には高梁市成羽美術館(安藤忠雄)、奈義町現代美術館(磯崎新)もあり、県境を越えて鳥取県には伯耆町に植田正治写真美術館(高松伸)、さらに倉吉市には2024年度末に鳥取県立美術館(槇文彦)が開館予定であり、当館を含め比較的まとまったエリアに様々な有名建築家の美術施設が集まることになる。今後は新見美術館や勝央美術文学館なども含め広域の連携が進められるだろう。なお、蒜山ミュージアムでは現代美術展開催中であっても、1室を模型・図書などによる隈氏の建築資料展示にあてている(※2024年9月28日~11月24日開催の「森の芸術祭 晴れの国おかやま 2024」の展示においては隈研吾建築資料展示はなされない予定)。

GREENable HIRUZEN ミュージアム棟
※正面のガラス壁などが蒜山ミュージアムの部分
©川澄・小林研二写真事務所
さて、筆者はこのアートセンターの1人学芸員として開館前の2020年11月から勤めているのだが、開館まで1年を切ってから学芸員になったところで、オープン準備と同時に開館記念展を企画できるわけもなく、この時点で決まっていた第2回展(隈研吾展 ネコの目でみる公共性のある未来)に加え、オープニングの展覧会(隈研吾展 ハコからの解放―たし算, ひき算, かけ算, わり算―)も隈研吾建築都市設計事務所に依頼することとなった。企画を丸投げするわけではないので、この2展覧会にも色々と参画したのだが、ともあれ実質的な最初の現代美術展となる第3回展に向けて、より本質的なところから企画を考える時間を多少なりとも持つことができた。
しかしここで「何を展示すべきか」という話の前に「何を展示できるか/できないか」という制約について説明しておきたい。前述の通りミュージアムの建物は移築物件である。建設段階で移築先までは決まっていたようだが、移築後の用途まで決まっていなかったそうである。つまり設計・建設段階で一般的な美術作品を展示することは全く考慮されていない。展示室にあたる部分は全て二等辺三角形のプランであり、一番大きな空間は一面ガラス張りで直射日光が他の部屋にまで入り、同空間内にある二階への階段には(この建築の「見どころ」でもあるのだが)隈氏による雄弁な木組みの装飾が施されている。展示壁の多くはCLTのため木目になっていて補修も難しく、空調も貧弱で湿度管理は望むべくもない。また館内の見通しは必ずしも良くないが、予算的な事情で監視員を簡単には増やせない状況である。無論これは設計・施工側の問題ではないが、現実としておよそ美術館などに「作品を貸してください」とえるスペックではない。いきおい展示作品は現代美術の、それも存命の作家に環境の悪さを説明し、了承してもらったものとなる(実際にそうしている)。もちろん現代美術を展示する館として前向きに企画を進めているのだが、裏を返せば現代美術しか展示できない事情がある。

GREENable HIRUZEN 空撮全景(真上より)
©川澄・小林研二写真事務所
こうした中で蒜山ミュージアムに展示する現代美術はどのようなものがふさわしいか。条例による規定には「現代美術の振興」など直接芸術に関係する文言はなく、自然と人との共生(を体感的に学ぶ場)というようなことしか書いていない。これは柴川敏之展記録集中の拙文にも書いているが、つまり「現代美術館」としてイキのいい若手や最先端のトレンドをどんどん紹介する、というのとはちょっと違う。いきなりハードコアな企画をやっても反発を買うだけだろうし、だからといって変に観客や流行におもねたものは排除すべきであろう。無考えに何となく「いいこと」をするのがアートと思っている人、特に自然との共生を表現している、SDGsのために制作しているという人は長い目で見れば作品が持続可能とは思えないし、基本的に今後もずっと声をかけることはないだろう。地元の出身だから10点プラスというようなこともすべきではないし、それを当然と考えるような作家は論外である。しかし地縁は大切にしたい、地元作家の応援もしたい/地元の若手に目標とされるような施設でありたい... と考えれば考えるほどいろんな条件や思いが出てきて混乱したが、自分の中にいくつかの方針的なものはできてきた。すなわち
・真庭の人に見せたいと思える作家(観光地にある施設だが、地域の人に興味を持ってもらってこその持続可能性)
・表面的な「感性」や安易な「感動」よりも「知性」を刺激する作品(今、美術が注目されている理由は、つまるところこれではないか)
・若手、中堅、ベテラン関係なく、もちろん性別も関係なく、なるべくまんべんなく紹介(それぞれ作家としてのライフステージに応じた展覧会の意味を見出せるように)
である。さらに方針というほどではないが、中堅・ベテランの作家においては「もっと評価されてしかるべき」「美術業界の一般的な解釈よりも別の切り口で見せた方が面白い」と思える作家をなるべく取り上げたいと考えている。
さて、それで最初の現代美術展は誰にお願いするべきか。会場としていろいろ難しい要素も多いので、ここはベテランの経験値と良い意味での力の抜け具合に期待しよう、それなら作家同士の調整の必要のない個展がよいだろう。また、この空間に平面は配置がかなり難しそうなので、立体やインスタレーションの作家が向いている... と考えていくと、以前自分の企画したグループ展に参加してもらった柴川敏之氏が適任(しかも県内在住で地縁も少しある)と思えて、個展のオファーをした。このとき柴川氏はほぼ快諾してくれたが、実際にはプライベートを含めて様々なイベントなどがあり、こちらの事情を慮って無理をしてくださったようである。

真庭市蒜山ミュージアム『柴川敏之展|41世紀の蒜山博物館』展示風景
photo:Daisuke Aochi
さて、ここから展覧会までの経緯は展覧会終了後に発行された記録集に詳しく書かれているので、可能ならそちらを参照いただきたいが、実際の展示と記録集について、いくつか説明しておきたい。
まず、記録集の制作であるが、現代美術展をするなら図録か記録集を作らなければ、と真庭市に来た時から考えていた。実は筆者は印刷物好き・執筆好きでもなく、図録などにさしたるこだわりもないのだが、それでも現在活動している作家の展覧会をする以上、形に残る記録物を作るべきと考えている。特に蒜山ミュージアムは、多くの人にとって気軽に行ける場所ではないためなおさらである。図録でなく記録集なのは、展覧会準備と同時に図録を作るほどの体力がないためだが、会場が個性的なため展示風景の写真を多く掲載したい、という理由もある。事情があって柴川展の次に開催された山部泰司展の記録集が先に発行されるということはあったが、作家を招聘しない冬季の展覧会を除き、これまで全ての展覧会で記録集を制作・発行している。これらは作家にとっては自身の活動を広く伝え次に繋げるツールとなり、当館にとってはコレクションに代わって館の方向性と実績を伝えるものとなる。

記録集書影 詳しい情報はこちらをご覧ください
さて、前述の通り筆者は記録集のエッセイに、展覧会の経緯やその作家を選んだ理由を具体的に書いている。これは柴川展だけでなく、これまで発行された記録集や真庭市以前に自分が担当した展覧会の図録等でも意図的にそうしている。なぜなら、展覧会の企画経緯や企画者の思いが平易な言葉で届けられるだけで展覧会や作家理解の裾野が広がり、他の論考の解像度(ひいては図録の存在価値)も増すと考えているからである。
展覧会についていうと、まず今回の「柴川敏之展」は2つあるということ。真庭市蒜山ミュージアムの『柴川敏之展 | 41世紀の蒜山博物館』(2022年3月19日―7月3日)の他に、真庭市蒜山郷土博物館において開館30周年記念展『アート&考古コラボ企画 41世紀の古墳ミュージアム』(2022年3月19日―12月4日)が関連企画として開催され、記録集もページ数に差はあるが2部構成になっている。展覧会が2つ開かれた理由なども記録集の拙文に書いているのだが、このような展開ができたのは、何よりも蒜山郷土博物館の館長が蒜山ミュージアムの館長でもあることが大きい。古墳の出土品や出土状況のレプリカを展示しているこの館で「未来の出土品」である柴川の作品を展示するというアイディアは誰でも思いつくものだが(実際、柴川は現代美術家の中でも飛び抜けて「博物館」で展示が多い)、一種の遊び心も含めて寛容かつ積極的に受け止めていただき、出土品(現在から見た太古)と柴川作品(はるか未来から見た現在)を一緒に展示する(もちろん出土品と作品の区別はつくようにしてあるが)チャレンジングな企画が実現した。

《2000年後の考古学者の机2(蒜山の街を復元中)》
真庭市蒜山ミュージアム『柴川敏之展|41世紀の蒜山博物館』
photo:Daisuke Aochi

《2000年後の収蔵庫》
真庭市蒜山ミュージアム『柴川敏之展|41世紀の蒜山博物館』
photo:Daisuke Aochi

真庭市蒜山郷土博物館『柴川敏之展|41世紀の古墳ミュージアム』展示風景
photo:Toshiyuki Shibakawa
館長の前原茂雄は、日本の中世史を研究する歴史学者でありながら、蒜山郷土博物館の館長となってからは地元の古老の聞き取りなど地道なフィールドワークを重ね、その成果は今回のコラボレーションの端緒となった企画展示「蒜山原陸軍軍事演習場の全貌~守り、伝え、誓う」にも結実している。また彼は様々な芸術・芸能の良き鑑賞者でもあり、ユネスコ無形文化遺産に登録された蒜山の「大宮踊」の担い手でもある。その見巧者ぶりは現代美術においても遺憾なく発揮され、柴川敏之展をはじめ蒜山ミュージアムのほとんどの記録集に論考を寄稿してもらっている。
今回、思いがけず「ときの忘れもの」の綿貫氏より蒜山ミュージアムと柴川展、その記録集について紹介する機会をいただいた。自分にとってはよい振り返りの機会となったのだが、様々なことが思い出され、新たな気づきもあり、ついつい冗長に書きすぎてしまった。ご容赦願いたい。
■三井知行(みつい ともゆき/真庭市蒜山ミュージアム学芸員)
1968年青森県八戸市生まれ。1991年、早稲田大学第一文学部哲学専修卒業。同年、原美術館に学芸員として採用。以後、ハラ ミュージアム アーク(現 原美術館アーク)、大阪市立近代美術館建設準備室(2013年より大阪新美術館建設準備室、現 大阪中之島美術館)、川口市立アートギャラリー・アトリアなどで学芸員。2020年11月より現職。専門は現代美術と教育普及。
「柴川敏之展 41世紀の蒜山博物館 ―高原のミュージアムを後にすると、 そこは21世紀だった。」記録集
編集: 柴川敏之、 三井知行
執筆: 柴川敏之、 前原茂雄、川延安直、 三井知行
翻訳: クリストファー・スティヴンズ、 小島康子
デザイン: ブルーワークス PHOTO & DESIGN Office
写真: 青地大輔 ※一部の写真を除く
印刷: 株式会社iプランニング KOHWA
発行日: 2023年3月31日
発行: 真庭市
価格: 1,000円(税込み)
●目次
会場風景 | 41世紀の蒜山博物館 (真庭市蒜山ミュージアム)
会場風景 関連企画: 41世紀の古墳ミュージアム (真庭市蒜山郷土博物館)
蒜山に舞い降りた鶴|柴川敏之
「未来」 と 「過去」の往復 柴川敏之さんの作品展に寄せて|前原茂雄
柴川敏之展を見てできなかった展覧会 「柴川敏之×岡本太郎」|川延安直
なぜ柴川敏之なのか|三井知行
トピックス
関連イベント
展示配置図 作品リスト
柴川敏之 略歴
※真庭市蒜山ミュージアムで販売中。こちらからネット購入もできます。
*画廊亭主敬白
ブログではメジャーな美術館よりも人知れずひっそりと存在する地方の小美術館を紹介するのが亭主の楽しみの一つです。
少し前のことですが柴川敏之さんから不思議なカタログのご恵贈を受けました。お目にかったことはない(はず)のですが、お名前は存じ上げていました。昔、大原美術館がメーリングリストで企画案内をしていたころ(ネット時代の先駆けですね、担当は柳沢秀行先生でした)、そのメンバーのお一人でした。
「未来の出土品」というコンセプトが面白く、展覧会を開催した真庭市蒜山ミュージアムの三井知行先生にご寄稿をお願いしました。
三井知行先生とは長い付き合いで、なにせ我が群馬を第二の故郷と標榜(元群馬県民)されている音楽好き。川口市立アートギャラリー・アトリア時代にはよく画廊にも来ていただきました。それが遠く岡山の山の中(?)に「1人学芸員」として赴任されてしまった。岡山には大原美術館はじめ磯崎新先生設計の奈義町現代美術館、安藤忠雄先生設計の高梁市成羽美術館など若いスタッフたちに見せたい美術館が数多ある。建築ツアーを組みたいなぁと思っています。乞う、ご期待。
●本日のお勧め作品は内間安瑆です。
《Ref.》
1979年1月
木版、銅版、ドローイング
イメージサイズ: 29.4x21.8cm
シートサイズ: 38.0x27.7cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログに掲載しました。

ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です
三井知行
真庭市蒜山ミュージアム(を含むGREENable HIRUZEN)は、2021年7月に岡山県北にある真庭市(まにわし)の蒜山(ひるぜん)高原エリアにオープンしたアートセンター的な施設である。ミュージアムと名前がついているがコレクションは無く、美術館・博物館ではない。建物は茅を用いた1棟を除き、東京・晴海にあったCLT Park Harumiを移築したもので、その名の通り近年利用の増しているCLT(Cross Laminated Timber/直交集成板)を多く用いている。隈研吾建築でもあるので建築・建設関係者や木材・林業関係者にはご存知の方も多いかもしれない。しかし多くの人にとっては「真庭ってどこ?」という状態だろう。関西ではスキーやキャンプなどが楽しめるリゾート地「蒜山高原」の方が「真庭」よりも認知されているようだ。

GREENable HIRUZEN 空撮(正面斜め上より)
※左側の建物がミュージアム棟
©川澄・小林研二写真事務所
真庭市は平成の大合併で9つもの町村が合わさってできた市で、人口は市といえるだけの数だが、市域はそれ以上に広い(岡山県で一番の面積)。そしてその多くが山林で、林業や製材業が盛んである。CLT Park Harumiの移築先に選ばれたのも、原料のスギ・ヒノキが真庭産でCLTに加工する工場も真庭市内ということが大きいようだ。実際、間伐材を利用したパイオマス発電やSDGs未来都市(杜市)・モデル事業への選定など田舎の小さい市としてはかなり攻めたことをしていて、その方面で名前をご存知の方も多いと思う。「蒜山観光文化発信拠点」とされるGREENable HIRUZENはその「攻め手」の一つでもあるのだ。

GREENable HIRUZEN パビリオン「風の葉」
©川澄・小林研二写真事務所
余談だが岡山県中北部には高梁市成羽美術館(安藤忠雄)、奈義町現代美術館(磯崎新)もあり、県境を越えて鳥取県には伯耆町に植田正治写真美術館(高松伸)、さらに倉吉市には2024年度末に鳥取県立美術館(槇文彦)が開館予定であり、当館を含め比較的まとまったエリアに様々な有名建築家の美術施設が集まることになる。今後は新見美術館や勝央美術文学館なども含め広域の連携が進められるだろう。なお、蒜山ミュージアムでは現代美術展開催中であっても、1室を模型・図書などによる隈氏の建築資料展示にあてている(※2024年9月28日~11月24日開催の「森の芸術祭 晴れの国おかやま 2024」の展示においては隈研吾建築資料展示はなされない予定)。

GREENable HIRUZEN ミュージアム棟
※正面のガラス壁などが蒜山ミュージアムの部分
©川澄・小林研二写真事務所
さて、筆者はこのアートセンターの1人学芸員として開館前の2020年11月から勤めているのだが、開館まで1年を切ってから学芸員になったところで、オープン準備と同時に開館記念展を企画できるわけもなく、この時点で決まっていた第2回展(隈研吾展 ネコの目でみる公共性のある未来)に加え、オープニングの展覧会(隈研吾展 ハコからの解放―たし算, ひき算, かけ算, わり算―)も隈研吾建築都市設計事務所に依頼することとなった。企画を丸投げするわけではないので、この2展覧会にも色々と参画したのだが、ともあれ実質的な最初の現代美術展となる第3回展に向けて、より本質的なところから企画を考える時間を多少なりとも持つことができた。
しかしここで「何を展示すべきか」という話の前に「何を展示できるか/できないか」という制約について説明しておきたい。前述の通りミュージアムの建物は移築物件である。建設段階で移築先までは決まっていたようだが、移築後の用途まで決まっていなかったそうである。つまり設計・建設段階で一般的な美術作品を展示することは全く考慮されていない。展示室にあたる部分は全て二等辺三角形のプランであり、一番大きな空間は一面ガラス張りで直射日光が他の部屋にまで入り、同空間内にある二階への階段には(この建築の「見どころ」でもあるのだが)隈氏による雄弁な木組みの装飾が施されている。展示壁の多くはCLTのため木目になっていて補修も難しく、空調も貧弱で湿度管理は望むべくもない。また館内の見通しは必ずしも良くないが、予算的な事情で監視員を簡単には増やせない状況である。無論これは設計・施工側の問題ではないが、現実としておよそ美術館などに「作品を貸してください」とえるスペックではない。いきおい展示作品は現代美術の、それも存命の作家に環境の悪さを説明し、了承してもらったものとなる(実際にそうしている)。もちろん現代美術を展示する館として前向きに企画を進めているのだが、裏を返せば現代美術しか展示できない事情がある。

GREENable HIRUZEN 空撮全景(真上より)
©川澄・小林研二写真事務所
こうした中で蒜山ミュージアムに展示する現代美術はどのようなものがふさわしいか。条例による規定には「現代美術の振興」など直接芸術に関係する文言はなく、自然と人との共生(を体感的に学ぶ場)というようなことしか書いていない。これは柴川敏之展記録集中の拙文にも書いているが、つまり「現代美術館」としてイキのいい若手や最先端のトレンドをどんどん紹介する、というのとはちょっと違う。いきなりハードコアな企画をやっても反発を買うだけだろうし、だからといって変に観客や流行におもねたものは排除すべきであろう。無考えに何となく「いいこと」をするのがアートと思っている人、特に自然との共生を表現している、SDGsのために制作しているという人は長い目で見れば作品が持続可能とは思えないし、基本的に今後もずっと声をかけることはないだろう。地元の出身だから10点プラスというようなこともすべきではないし、それを当然と考えるような作家は論外である。しかし地縁は大切にしたい、地元作家の応援もしたい/地元の若手に目標とされるような施設でありたい... と考えれば考えるほどいろんな条件や思いが出てきて混乱したが、自分の中にいくつかの方針的なものはできてきた。すなわち
・真庭の人に見せたいと思える作家(観光地にある施設だが、地域の人に興味を持ってもらってこその持続可能性)
・表面的な「感性」や安易な「感動」よりも「知性」を刺激する作品(今、美術が注目されている理由は、つまるところこれではないか)
・若手、中堅、ベテラン関係なく、もちろん性別も関係なく、なるべくまんべんなく紹介(それぞれ作家としてのライフステージに応じた展覧会の意味を見出せるように)
である。さらに方針というほどではないが、中堅・ベテランの作家においては「もっと評価されてしかるべき」「美術業界の一般的な解釈よりも別の切り口で見せた方が面白い」と思える作家をなるべく取り上げたいと考えている。
さて、それで最初の現代美術展は誰にお願いするべきか。会場としていろいろ難しい要素も多いので、ここはベテランの経験値と良い意味での力の抜け具合に期待しよう、それなら作家同士の調整の必要のない個展がよいだろう。また、この空間に平面は配置がかなり難しそうなので、立体やインスタレーションの作家が向いている... と考えていくと、以前自分の企画したグループ展に参加してもらった柴川敏之氏が適任(しかも県内在住で地縁も少しある)と思えて、個展のオファーをした。このとき柴川氏はほぼ快諾してくれたが、実際にはプライベートを含めて様々なイベントなどがあり、こちらの事情を慮って無理をしてくださったようである。

真庭市蒜山ミュージアム『柴川敏之展|41世紀の蒜山博物館』展示風景
photo:Daisuke Aochi
さて、ここから展覧会までの経緯は展覧会終了後に発行された記録集に詳しく書かれているので、可能ならそちらを参照いただきたいが、実際の展示と記録集について、いくつか説明しておきたい。
まず、記録集の制作であるが、現代美術展をするなら図録か記録集を作らなければ、と真庭市に来た時から考えていた。実は筆者は印刷物好き・執筆好きでもなく、図録などにさしたるこだわりもないのだが、それでも現在活動している作家の展覧会をする以上、形に残る記録物を作るべきと考えている。特に蒜山ミュージアムは、多くの人にとって気軽に行ける場所ではないためなおさらである。図録でなく記録集なのは、展覧会準備と同時に図録を作るほどの体力がないためだが、会場が個性的なため展示風景の写真を多く掲載したい、という理由もある。事情があって柴川展の次に開催された山部泰司展の記録集が先に発行されるということはあったが、作家を招聘しない冬季の展覧会を除き、これまで全ての展覧会で記録集を制作・発行している。これらは作家にとっては自身の活動を広く伝え次に繋げるツールとなり、当館にとってはコレクションに代わって館の方向性と実績を伝えるものとなる。

記録集書影 詳しい情報はこちらをご覧ください
さて、前述の通り筆者は記録集のエッセイに、展覧会の経緯やその作家を選んだ理由を具体的に書いている。これは柴川展だけでなく、これまで発行された記録集や真庭市以前に自分が担当した展覧会の図録等でも意図的にそうしている。なぜなら、展覧会の企画経緯や企画者の思いが平易な言葉で届けられるだけで展覧会や作家理解の裾野が広がり、他の論考の解像度(ひいては図録の存在価値)も増すと考えているからである。
展覧会についていうと、まず今回の「柴川敏之展」は2つあるということ。真庭市蒜山ミュージアムの『柴川敏之展 | 41世紀の蒜山博物館』(2022年3月19日―7月3日)の他に、真庭市蒜山郷土博物館において開館30周年記念展『アート&考古コラボ企画 41世紀の古墳ミュージアム』(2022年3月19日―12月4日)が関連企画として開催され、記録集もページ数に差はあるが2部構成になっている。展覧会が2つ開かれた理由なども記録集の拙文に書いているのだが、このような展開ができたのは、何よりも蒜山郷土博物館の館長が蒜山ミュージアムの館長でもあることが大きい。古墳の出土品や出土状況のレプリカを展示しているこの館で「未来の出土品」である柴川の作品を展示するというアイディアは誰でも思いつくものだが(実際、柴川は現代美術家の中でも飛び抜けて「博物館」で展示が多い)、一種の遊び心も含めて寛容かつ積極的に受け止めていただき、出土品(現在から見た太古)と柴川作品(はるか未来から見た現在)を一緒に展示する(もちろん出土品と作品の区別はつくようにしてあるが)チャレンジングな企画が実現した。

《2000年後の考古学者の机2(蒜山の街を復元中)》
真庭市蒜山ミュージアム『柴川敏之展|41世紀の蒜山博物館』
photo:Daisuke Aochi

《2000年後の収蔵庫》
真庭市蒜山ミュージアム『柴川敏之展|41世紀の蒜山博物館』
photo:Daisuke Aochi

真庭市蒜山郷土博物館『柴川敏之展|41世紀の古墳ミュージアム』展示風景
photo:Toshiyuki Shibakawa
館長の前原茂雄は、日本の中世史を研究する歴史学者でありながら、蒜山郷土博物館の館長となってからは地元の古老の聞き取りなど地道なフィールドワークを重ね、その成果は今回のコラボレーションの端緒となった企画展示「蒜山原陸軍軍事演習場の全貌~守り、伝え、誓う」にも結実している。また彼は様々な芸術・芸能の良き鑑賞者でもあり、ユネスコ無形文化遺産に登録された蒜山の「大宮踊」の担い手でもある。その見巧者ぶりは現代美術においても遺憾なく発揮され、柴川敏之展をはじめ蒜山ミュージアムのほとんどの記録集に論考を寄稿してもらっている。
今回、思いがけず「ときの忘れもの」の綿貫氏より蒜山ミュージアムと柴川展、その記録集について紹介する機会をいただいた。自分にとってはよい振り返りの機会となったのだが、様々なことが思い出され、新たな気づきもあり、ついつい冗長に書きすぎてしまった。ご容赦願いたい。
■三井知行(みつい ともゆき/真庭市蒜山ミュージアム学芸員)
1968年青森県八戸市生まれ。1991年、早稲田大学第一文学部哲学専修卒業。同年、原美術館に学芸員として採用。以後、ハラ ミュージアム アーク(現 原美術館アーク)、大阪市立近代美術館建設準備室(2013年より大阪新美術館建設準備室、現 大阪中之島美術館)、川口市立アートギャラリー・アトリアなどで学芸員。2020年11月より現職。専門は現代美術と教育普及。
「柴川敏之展 41世紀の蒜山博物館 ―高原のミュージアムを後にすると、 そこは21世紀だった。」記録集編集: 柴川敏之、 三井知行
執筆: 柴川敏之、 前原茂雄、川延安直、 三井知行
翻訳: クリストファー・スティヴンズ、 小島康子
デザイン: ブルーワークス PHOTO & DESIGN Office
写真: 青地大輔 ※一部の写真を除く
印刷: 株式会社iプランニング KOHWA
発行日: 2023年3月31日
発行: 真庭市
価格: 1,000円(税込み)
●目次
会場風景 | 41世紀の蒜山博物館 (真庭市蒜山ミュージアム)
会場風景 関連企画: 41世紀の古墳ミュージアム (真庭市蒜山郷土博物館)
蒜山に舞い降りた鶴|柴川敏之
「未来」 と 「過去」の往復 柴川敏之さんの作品展に寄せて|前原茂雄
柴川敏之展を見てできなかった展覧会 「柴川敏之×岡本太郎」|川延安直
なぜ柴川敏之なのか|三井知行
トピックス
関連イベント
展示配置図 作品リスト
柴川敏之 略歴
※真庭市蒜山ミュージアムで販売中。こちらからネット購入もできます。
*画廊亭主敬白
ブログではメジャーな美術館よりも人知れずひっそりと存在する地方の小美術館を紹介するのが亭主の楽しみの一つです。
少し前のことですが柴川敏之さんから不思議なカタログのご恵贈を受けました。お目にかったことはない(はず)のですが、お名前は存じ上げていました。昔、大原美術館がメーリングリストで企画案内をしていたころ(ネット時代の先駆けですね、担当は柳沢秀行先生でした)、そのメンバーのお一人でした。
「未来の出土品」というコンセプトが面白く、展覧会を開催した真庭市蒜山ミュージアムの三井知行先生にご寄稿をお願いしました。
三井知行先生とは長い付き合いで、なにせ我が群馬を第二の故郷と標榜(元群馬県民)されている音楽好き。川口市立アートギャラリー・アトリア時代にはよく画廊にも来ていただきました。それが遠く岡山の山の中(?)に「1人学芸員」として赴任されてしまった。岡山には大原美術館はじめ磯崎新先生設計の奈義町現代美術館、安藤忠雄先生設計の高梁市成羽美術館など若いスタッフたちに見せたい美術館が数多ある。建築ツアーを組みたいなぁと思っています。乞う、ご期待。
●本日のお勧め作品は内間安瑆です。
《Ref.》1979年1月
木版、銅版、ドローイング
イメージサイズ: 29.4x21.8cm
シートサイズ: 38.0x27.7cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログに掲載しました。

ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です
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