井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第24回

『墓泥棒と失われた女神』


もう、何も話したくないと思った。目にした光景の数々に「うつくしかった」と文字をあてた瞬間、何かが決定的に崩れ落ちてしまう気がして、言葉を口にするのが惜しかった。社会性を忘れたむきだしの魂のような気分で、オロオロと試写室を後にする。

過去作『夏をゆく人々』(2015)と『幸福なラザロ』(2019)がカンヌ国際映画祭においてグランプリ、脚本賞をそれぞれ受賞したアリーチェ・ロルヴァケル監督が、1980年代のイタリア・トスカーナ地方を舞台につくりあげた映画『墓泥棒と失われた女神(原題:La Chimera)』(2023)。古代エトルリア人の墓を発見できるという特殊能力を持つ主人公・アーサーが、墓泥棒たちと埋葬品を掘り出し、売りさばきながら日々を過ごす様子を描いている。

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©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinema

墓を掘り起こし売りさばくという非人道的なあらすじに、身が引ける人もいるだろう。自分もそういう観客の一人だったし、その戸惑いは映画を観終えた今も拭いきれたわけではない。けれど、私は既にこの映画をすっかり愛してしまっていて、ここではどうか矛盾を認めさせてほしい(*1)。

同作を観たあとしばらく、脳内にあれこれと映像が蘇ってくる時間は本当に幸せだった。ジョシュ・オコナー演じる主人公・アーサーの、夢から目覚めてなぜか泣いているときのような、生暖かく滋味深い表情。走行中の電車をチラチラと照らし満たしていく光の粒。物語のあいまに差し込まれる、フィルムで撮影された鳥たちの飛翔(*2)。一瞬も同じ状態で固定されることのない、うつろいゆく存在の跡を、アリーチェ監督はじっと記録していく。

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©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinema

そして傍から見れば寡黙に見える者たちの合図を、この映画は決して見逃さない。例えば共に異邦人であるアーサーとイタリアが同じ家の中で交わし合う一瞬の視線、タバコの火をつけるときの距離。長らく地下に眠っていた女神像がアーサーを見つめ返すまなざし、墓の入り口付近に根を張る草を揺らす風。利己的な人々が自分のために使う罵りの言葉や表層的な価値基準はあっさりと無効化され、代わりに無色透明で形のない、恍惚とした瞬間が映画に記録されていく。日常生活においては、自分の思いを言葉にできないことは不利なようにも思えるけれど、この映画はむしろ、ほんとうの意味では言葉にするのが不可能なことのほうにこそ価値を見出しているように見える。墓でさえ簡単に掘り起こされてしまう世界にあっても、誰にも奪えないものがあるとでも言うように。

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©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinema

さらに同作の魅惑的なのは、形にならない想いがいかに豊かであるのかを知り尽くした上で、明確に何かを伝えたい場面では、あっけらかんと言葉を手玉にとっていることだ。例えばある時点で劇中に現れるストーリーテラーは何の躊躇もなく物語の筋を言葉でなぞり始めるけれど、そこで作品への没入感が薄れることはない。むしろ客観的な言葉で要点をおさえてもらうことで、観客は心ゆくまで画面の細部に身を預けられるようになるのだ。

はたまた男だらけの窃盗団に混じる「メロディー」は、登場して間もないタイミングでカメラをまっすぐに見据え「エトルリア文明が続いてたらイタリアは女性社会だった」と話す。このたった一言によって、私たちは彼女が興味本位で盗みを働く頭の悪い女ではないことを即座に理解できるようになる(*3)。

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©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinema

『墓泥棒と失われた女神』は、言葉という道具の効果を肯定しながらも、その道具を使う私たちにはまず不安定な魂があるということを思い出させてくれた。口に出せない喜びや祈りばかりが、人生を引き延ばしていく。



*1:エトルリア人の墓を荒らし骨董品を売りさばく「トンバローリ」について監督は「強く、若々しく、そして罰当たりな人たちだった」と綴り、主人公のアーサーを、彼らとは違う倫理で墓に潜る存在として描いている
*2:本作には35mm、16mm、スーパー16mmと3つの形式のフィルムが使用されている。鳥の飛翔はエトルリア人にとって運命を象徴するのだそう
*3:この映画ではニナ・メンケスが指摘したような「Male Gaze(男性のまなざし)」はいっさい身を潜め、代わりに主体的でしたたかで、賢い女たちが存在感を放っていた

いどぬま きみ

『墓泥棒と失われた女神』本ビジュアル『墓泥棒と失われた女神』
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル(『幸福なラザロ』『夏をゆく人々』)
出演:
ジョシュ・オコナー
イザベラ・ロッセリーニ
アルバ・ロルヴァケル
カロル・ドゥアルテ
ヴィンチェンツォ・ネモラート
2023年/イタリア・フランス・スイス/カラー/DCP/5.1ch/アメリカンビスタ/131分/原題:La Chimera
後援:イタリア文化会館
配給:ビターズ・エンド
www.bitters.co.jp/hakadorobou

井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。

井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2024年9月22日掲載予定です。

●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
0909-05《モナ・リザ》
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
サインあり
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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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