オディロン・ルドン『聖アントワーヌの誘惑』第3集について
山上紀子(再録)
『聖アントワーヌの誘惑』第3集(第1版1896年、第2版1933年)は、19世紀末にフランスで活躍したオディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)がギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert, 1821-1880)の小説「聖アントワーヌの誘惑」から想を得て制作した石版画集3部作の最終作である。ルドンが同じ小説を三度も取り上げた例は他になく、第1版の各版画作品にはフローベールの小説の一節がキャプションとして添えられているが、テキストと照らし合わせて挿絵として眺める慣習は通じない。これは、文学からの独立に力を入れた自由な造形作品である。
ルドンはテキストをどのように乗り越えようとしたのか。『聖アントワーヌの誘惑』第3集では、第1集から繰り返し取り上げられる要素や場面がさらに抽象度を高め、源泉を特定できないさまざまな図像や異質な要素が唐突に現れる。本稿では、第3集のこうした複雑な特徴に含まれる創意についてささやかな考察を行う。
ルドンの最初のカタログを編纂したジュール・デストレはルドンの一連の版画集を1886年の前後で分け、後半に文学作品からの乖離が顕著となると述べていた1 。しかし、これ以前にもルドンは作品から物語性を排除する機会をつねにうかがっていた。たとえば、小説家ポーの名を冠した版画集『エドガー・ポーに』(1882年)に収められた作品は、小説の特定の場面を描写したものというよりも、ポーの文学についての総合的な理解を土台にルドンが「暗示」と呼ぶ象徴的な方法によって曖昧に描かれていた。1893年以降ルドン作品を扱うようになった画商アンブロワーズ・ヴォラールが『エドガー・ポーに』と同時期に制作された素描4点を購入したとき、明らかにポーの小説にもとづいているのに、ルドンは《アモンティラードの酒樽》以外のタイトルを隠し、例外的に伝えられたこのタイトルもヴォラールにより隠されてしまった。そのためこの作品は「メフィスト」や「狂気」と呼ばれ、ポーの原作よりもゲーテやドラクロワに由来する悪魔的主題と結び付けられてきた。
『聖アントワーヌの誘惑』は、第1集、第2集、第3集を合わせると全体で42点の石版画という量的な存在感からも、ルドン芸術においてフローベールの小説がとりわけ重要な着想源だったことを示すものである。批評家エミール・エヌカンの勧めで小説「聖アントワーヌの誘惑」を読んだルドンは、5年以上経ってユイスマンスにふたたび勧められ、版画集のコンセプトを練り始めた。ルドンの版画カタログでアンドレ・メルリオが述べるように、この小説は「掘り下げることを喜びとする鉱山であり、彼はここに何度も戻ってきた。彼はその都度いっそう豊穣であると感じた2 」。研究者たちは、この小説とルドンの造形の類稀なる調和を称えてきたが、テキストを逸脱した大胆な翻案であるこの作品は「挿絵」という言葉から大きく隔たっている。ジュール・デストレは言う。「ルドンの鉛筆が、図解する作品のいずれかの文章に従属するように見えるとしても、実際に彼が表現しているのはその文面でも精神でもない。またほとんどの場合、彼の版画はそれが浮かび上がらせるテキストとはかなり隔たった、こじつけの関係しかもたない3 」
つまりルドンは、自分が偏愛するいくつかの主題を自由に展開する口実としてフローベールのテキストを利用したのである。ヤン・ブリューゲルやジャック・カロから着想を受けた作家フローベールとて、自身の小説の挿絵は望んでいなかった。ルドンは、フローベールが想像の光景と現実の視覚体験を融合させた幻影の記述を、ルネサンス期の美術や写真など複数の図像や過去の自分の素描と統合し、独自の神秘的ヴィジョンを作りあげた。ルドンは「変換」(transmission)あるいは「解釈」(interprétation)という表現の方を好んだ4 。
第3集において、テキストからの逸脱はまず、さまざまな異形の生き物の造形に認められる。フローベールの小説から、ルドンは怪物やグロテスクな生き物たちが登場する箇所を選び出し、それらに魚介類のような体を与えた。巨大な蛇(V)、指もえらも翼も混じり合った、眼窩に収められない眼球(VIII)、混沌の最初の意識であるという半蛇のオアンネス(XIV)、革袋のように丸い海の獣(XXII)も登場する。始原的な形象は、ルドンがすでに別の版画集で扱ってきた「生命の起源」の主題を転用したものである。聖人を惑わす脅威というフローベール小説の特徴を取り入れつつ、画家は進化論思想と微生物学者アルマン・クラヴォーのもとで顕微鏡越しに観察した極小の生物の生態を応用した未熟な軟体動物を連ねる。小説の記述とは直接対応しない無限の生命が湧き出す感覚は、ローマ皇帝の宮殿(III)にも、樹木(IX)や暗闇そのものの中にも(VI、XVI、XXI、XXIII)潜んでいる。
濃厚な黒に目を凝らせば、闇を照らす光線によってさまざまなイメージが喚起される。フローベールの記述によればバラモンの裸形仙人の棲家だという無花果 の樹は、ルドンの故郷で繰り返した素描をもとに歪 な形が強調された大木となり、口を開いた怪物のように立ち塞がっている。異形の怪物たちのあいだに出現する「不毛の起伏の多い原野」(VII)とイダの女神の背景にそびえる切り立った岩(XV)には、銅版画家ロドルフ・ブレスダンのもとで修行した時期に描いた風景が生かされている。
死神と淫欲が競ってアントワーヌを翻弄する場面は、第1集では薔薇の冠をかぶった巨大な蛆虫のような死神が、第2集では死神に代わって現れた若い裸の女の姿をした淫欲が、それぞれ一人ずつ下半身とぐろを巻く姿で描かれていたが、第3集ではもはや骸骨となった死神が裸の若い女の姿をした淫欲と並んでこちらへ向かってくる(XX)。死神と淫欲の下半身は強い光を浴びて消えかけている代わりに、二人の間から生じた不完全な渦のような円環は、淫欲と死神がじつは一体のものであったことを示している。
第2集の扉絵に使われた、アントワーヌがイラリヨンの背に乗り大宇宙を一望する場面は、第3集では悪魔を主役とする構図で描かれている(XVIII)。アントワーヌは悪魔の背後でうなだれる姿で小さく描かれ、悪魔の正体を表したイラリヨンには、複数の素描で用いられてきたキリストの図像が与えられている。日輪の戦車を引く馬が暴れ出し、太陽神アポロンが深淵に落ちてゆく場面(XVII)でも、昼と夜、光と闇、天と地、善と悪などは表裏一体であることが示唆されている。神話では太陽神アポロンではなく傲慢な息子ファエトンが墜落するはずだが、ルドンは1900年代にアポロンとファエトンを意図的に曖昧に扱ったパステル画を集中的に描いた。1895 年から1910 年頃にかけて熱中した「仏陀」のモチーフも、ルドンにおいては両義的な主題である。仏陀(XII)の頭上で光輪のように輝く円環には、ルドンを含む19世紀の画家たちが魅了された「輪廻転生」の概念と「花粉」や「胞子」のイメージが重なっている。詩人の瀧口修造は、「下半身が蛇、奇妙な頭巾を被り、射るような目つきをした魔法使いのような仏陀」に「死の形相」を見出していた5 。
このように、もっとも多くの作品からなる第3集は、煩悶する聖アントワーヌの横顔(II)から始まり、太陽とともに現れるキリストの顔(XXIV)で終わっているが、時間的なストーリーを重視するよりも、ひとつのまとまりとして空間的に構築する方法が採られている。小さなフォーマット(X)や技法の多様性(III-IV、VII-VIII)は隣り合った作品との間に断絶を生じかねないが、ちょうど真ん中に即興的な素描(XI)を挟んで、全体は立体的な体裁を呈している。
しかし、この壮大な版画集の出版は容易に進まなかった。扉絵を含め24点のリトグラフからなる『聖アントワーヌの誘惑』第3集第1版50部は、実家の土地ペイルルバードをめぐる精神的かつ金銭的な困難のなかで、国からの助成金と、予約金などで刷り代を賄う自費出版だった。ルドン自ら手売りした営業活動の記録も残っているが、作家アンドレ・ジッドは委託販売をしていた版画商デュモンを通じてこれを購入し、絶賛した。じつは『聖アントワーヌの誘惑』第2集は、「厳密な意味での挿絵ではない」、「関係するテキストと別物である」という理由から国家収蔵品として認められず、助成金を受けることができなかったが、第3集は「真の独創性と個人的な幻想的性格」、「怪物性における極めて独自のヴィジョン」が評価された。国家収蔵品として受け入れられた5部に対して、500フランの助成金が支払われている。ただし、これはルドンの作品の変化というよりも、7年の間に公的評価の審査が劇的に変容したことが大きくかかわっている。
今回展示される第2版は、画商アンブロワーズ・ヴォラールの企画で、ブランシャールとクロが刷りを担当し、1909年末には完成していた(画家の記録[Livre de raison])。ルドンは1902年以降数回にわけてヴォラールから支払いを受けている。1896年の初版に収められた石版画のうち22点と、新たに制作された素描をもとにジョルジュ・オベールが制作した木炭画15点をあわせた最大の版画集となり、表紙にはヴォラールの名が入れられた。ヴォラールは扉に1933年と刊行年を入れているが、じっさいに出版されたのは1938年である。というのも、ヴォラールは1937年に出版した『画商の思い出』の中で、ルドンの絵によるフローベール豪華本を出版する企画があったと述べている6 。つまりこの時点ではまだ世に出ていなかった。ヴォラールはこの回想録のなかで、1909年に仕上がった版画集の出版が滞った理由に触れている。ルドンの作品を見たフローベールの姪が、聖アントワーヌを誘惑する悪魔に裸の女の姿を与えた場面に懸念を抱き、ルドンの作品を彼女の判断に委ねる旨を明記した契約書が結ばれたのである。画商ヴォラールは出版を断念しかけたのだが、29年後にオリジナルの石版画と木炭画を無事回収し、出版に漕ぎ着けたのだった。
おわりに
複数の小型作品を生む石版画の手法と、デカダンと呼ばれた文学仲間たちの支持を手放したルドンは、世紀転換とともに大ブルジョワと貴族に支えられるようになり、一点ものの、中型大型の色彩作品制作へと活動を移してゆく。
版画家ルドンから画家ルドンへの過渡期にあったルドンの最後の石版画集として、1899年にヴォラールが出版した『聖ヨハネの黙示録』が知られてきた。本展出品の『聖アントワーヌの誘惑』第3集第2版は、1933年(じっさいは1938年)に出版されたが、1896年の版をもとに1909年に制作されており、そのまま封印されていれば幻の版画集となるところであった。
(やまじょう のりこ)
註1 Jules Destrée, L’œuvre lithographique de Odilon Redon: catalogue descriptif, Paris, E. Deman, 1891, p.39.
註2 André Mellerio, Odilon Redon: Les Estampes. The Graphic Work: Catalogue Raisonné, ed. Alan Hyman, San Francisco: Wofsy, 2001[初版1913], p.xii.
註3 Jules Destrée, op.cit., p.39.
註4 Lettres d’Odilon Redon 1878-1916, Paris & Bruxelles: Librairie nationale d’art et d’histoire & G. van Oest, 1923, pp.31-32.
註5 滝口修造「ルドンの復活」『芸術新潮』1957年3月(『コレクション瀧口修造2』みすず書房、1991年再収、394-402頁)
註6 Ambroise Vollard, Souvenirs d’un marchand de tableaux, Paris, Albin Michel, 1937, p.288.
■山上紀子 Noriko YAMAJO
専門はフランス近代美術史。現在、大阪市立大学都市文化研究センター研究員。大阪大学、京都芸術大学、神戸大学で美術史講義を担当。
論文に「花はどこから来たのか-ゴブラン織り下絵に現れるルドンの植物相-」(2019)、「オディロン・ルドンの作品における有色人種の表象-《出現》(1883)を中心に-」(2017)、「まぼろしの競作-ルドン、マラルメ、ドビュッシーの「出現」–」(2016)、訳書にダリオ・ガンボーニ『アモンティラードの酒樽』(長屋光枝と共訳、三元社、2013)など。
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オディロン・ルドン展-『聖アントワーヌの誘惑』WEB展覧会動画
コロナ禍の2020年開催時の映像です、現在開催中の「オディロン・ルドンとロベルト・マッタ」展は予約不要です。
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《VII. …そして彼は乾いた起伏のある平原を見わける》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:24.5×19.9cm
Ed.220
レゾネ No. 140
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《II. 聖アントワーヌ:助けたまえ 神よ!》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:21.8×13.2cm
Ed.220
レゾネ No. 135
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XXI. …精霊のようなものをしばしば天空に見た》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.5×18.3cm
Ed.220
レゾネ No. 154
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《IV. わが口づけは汝の心にとろける果実の味…汝はわれをさげずむ。さよなら!》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:20.0×16.3cm
Ed.220
レゾネ No. 137
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《III. いたるところに玄武岩の柱がならぶ…光は穹窿から差しこむ》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:24.3×19.0cm
Ed.220
レゾネ No. 136
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《VI. 物かげで 人々が彼等を諫めるほかの人々に囲まれて 泣いたり祈ったりしている》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.2×21.6cm
Ed.220
レゾネ No. 139
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《V. 花が散り 怪しい蛇の頭が現われる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.0×20.0cm
Ed.220
レゾネ No. 138
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《IX. …私は孤独のうちに沈んだ 私は私のうしろの木に住んでいた》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:29.8×22.6cm
Ed.220
レゾネ No. 142
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《X. エレーヌ(エンノイア)》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:9.4×8.5cm
Ed.220
レゾネ No. 143
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XI. いきなり三人の女神が現れる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.7×16.2cm
Ed.220
レゾネ No. 144
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XII. 叡知は私のものだ 私は仏陀になった》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.6×21.7cm
Ed.220
レゾネ No. 145
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XIV. オアンネス:私は混沌のなかの最初の意識として物質を固まらせ形をきめるために深淵の中から現れた》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:28.0×21.8cm
Ed.220
レゾネ No. 147
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XV. ここによき女神がいる イデ山脈のイデ山に》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:14.8×12.8cm
Ed.220
レゾネ No. 148
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XVI. 私は常に偉大なるイシスである 何人も私のヴェールを持ち上げた者はいない わが生かせる果実は太陽である》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:28.2×21.0cm
Ed.220
レゾネ No. 149
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XVII. 彼は奈落の底へまっさかさまに落ちる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:28.0×21.0cm
Ed.220
レゾネ No. 150
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XVIII. アントワーヌ:これらすべてのものの目的は何だろう? 悪魔:目的なんぞありはしない!》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.1×25.0cm
Ed.220
レゾネ No. 151
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XIX. 老女:何を恐れるのか? 広く暗い穴だ! それは多分からっぽだろう?》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:16.3×10.8cm
Ed.220
レゾネ No. 152
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XX. 死:おまえを救えるのは私だ 抱き合おう》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:30.3×21.3cm
Ed.220
レゾネ No. 153
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XXIII. オケアノスにはさまざまな人々が住んでいる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×23.6cm
Ed.220
レゾネ No. 156
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XIII. そして頭を持たない目が軟体動物のようにただよっていた》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.2×22.5cm
Ed.220
レゾネ No. 146
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XXII. …革袋のように丸い海の動物》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:22.5×19.5cm
Ed.220
レゾネ No. 155
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より
《XXIV. ついに陽が昇った…そして太陽の円光の中にイエス・キリストの顔が輝く》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.3×20.3cm
Ed.220
レゾネ No. 157
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ギュスターヴ・フローベールの小説『聖アントワーヌの誘惑』は着想から30年近い歳月をかけて1874年に刊行されました。紀元3世紀の聖者アントワーヌが、テーベの山頂の庵で一夜にして古今東西の様々な宗教・神話の神々や魑魅魍魎の幻覚を経験した後、生命の始原を垣間見、やがて昇り始めた朝日のなかにキリストの顔を見出すまでを絵巻物のように綴っていく幻想的な作品です。
ルドンは『聖アントワーヌの誘惑』を題材に42点(表紙を含む)のリトグラフを制作しました。幻覚を見るような魔的な世界を、自身「あらゆる色彩の中で最も本質的な色」とした黒一色で表現したルドンの代表作として知られています。
1888年に 第一集(全11点 限定60部)、翌1889年に 第二集(全7点 限定60部)を制作、 第三集 は1896年の初版(全24点 限定50部)と1933年版(全22点 限定220部、1938年刊行)の2種類のエディションがあります。ときの忘れものは『聖アントワーヌの誘惑』 第三集第二版の全22点を所蔵しています。
*画廊亭主敬白
前回のルドン展のおりに山上先生にご執筆いただいた論考を再録掲載させていただきました。
連日の猛暑で出勤するスタッフも汗だくです。
そんな暑さにも関わらず、ありがたいことにお客様がぱらぱらといらっしゃる。ルドンがお目当てのようです。
ルドンの「黒」に惹かれる人は意外に多いのですね。再認識しました。
亭主がルドンに目覚めたのは1989年前後のパリ通いの日々、オルセーだったか、ポンピドォーだったかパステルだけのルドンの小展をみたときからでした。展示室は(作品保護のため)ほとんど真っ暗。壁面から浮かび上がる神秘的ともいえるルドンの「色彩」に衝撃を受けました。
ときの忘れものの直ぐ傍にある駒込富士神社の境内で8月2日(金)、3日(土)の二日間、夜7時から駒込地区町会連合会主催の盆踊りがあります。毎年ご近所の子供さんたちで賑わっています。
画廊では8月3日(土)まで「オディロン・ルドンとロベルト・マッタ」展を開催していますので、夕方少し涼しくなったら画廊にお出かけいただき、その後盆踊りに行くというのはいかがでしょうか。
◆「オディロン・ルドンとロベルト・マッタ」
会期:2024年7月24日~8月3日 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

フランスの象徴主義を代表する画家オディロン・ルドンと、シュルレアリスム運動に参加したロベルト・マッタの幻想的な版画作品をご紹介します。
出品作品の詳細は7月20日のブログに掲載しました。
●取り扱い作家たちの展覧会情報(7月ー8月)は7月1日ブログに掲載しました。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
山上紀子(再録)
『聖アントワーヌの誘惑』第3集(第1版1896年、第2版1933年)は、19世紀末にフランスで活躍したオディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)がギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert, 1821-1880)の小説「聖アントワーヌの誘惑」から想を得て制作した石版画集3部作の最終作である。ルドンが同じ小説を三度も取り上げた例は他になく、第1版の各版画作品にはフローベールの小説の一節がキャプションとして添えられているが、テキストと照らし合わせて挿絵として眺める慣習は通じない。これは、文学からの独立に力を入れた自由な造形作品である。
ルドンはテキストをどのように乗り越えようとしたのか。『聖アントワーヌの誘惑』第3集では、第1集から繰り返し取り上げられる要素や場面がさらに抽象度を高め、源泉を特定できないさまざまな図像や異質な要素が唐突に現れる。本稿では、第3集のこうした複雑な特徴に含まれる創意についてささやかな考察を行う。
ルドンの最初のカタログを編纂したジュール・デストレはルドンの一連の版画集を1886年の前後で分け、後半に文学作品からの乖離が顕著となると述べていた1 。しかし、これ以前にもルドンは作品から物語性を排除する機会をつねにうかがっていた。たとえば、小説家ポーの名を冠した版画集『エドガー・ポーに』(1882年)に収められた作品は、小説の特定の場面を描写したものというよりも、ポーの文学についての総合的な理解を土台にルドンが「暗示」と呼ぶ象徴的な方法によって曖昧に描かれていた。1893年以降ルドン作品を扱うようになった画商アンブロワーズ・ヴォラールが『エドガー・ポーに』と同時期に制作された素描4点を購入したとき、明らかにポーの小説にもとづいているのに、ルドンは《アモンティラードの酒樽》以外のタイトルを隠し、例外的に伝えられたこのタイトルもヴォラールにより隠されてしまった。そのためこの作品は「メフィスト」や「狂気」と呼ばれ、ポーの原作よりもゲーテやドラクロワに由来する悪魔的主題と結び付けられてきた。
『聖アントワーヌの誘惑』は、第1集、第2集、第3集を合わせると全体で42点の石版画という量的な存在感からも、ルドン芸術においてフローベールの小説がとりわけ重要な着想源だったことを示すものである。批評家エミール・エヌカンの勧めで小説「聖アントワーヌの誘惑」を読んだルドンは、5年以上経ってユイスマンスにふたたび勧められ、版画集のコンセプトを練り始めた。ルドンの版画カタログでアンドレ・メルリオが述べるように、この小説は「掘り下げることを喜びとする鉱山であり、彼はここに何度も戻ってきた。彼はその都度いっそう豊穣であると感じた2 」。研究者たちは、この小説とルドンの造形の類稀なる調和を称えてきたが、テキストを逸脱した大胆な翻案であるこの作品は「挿絵」という言葉から大きく隔たっている。ジュール・デストレは言う。「ルドンの鉛筆が、図解する作品のいずれかの文章に従属するように見えるとしても、実際に彼が表現しているのはその文面でも精神でもない。またほとんどの場合、彼の版画はそれが浮かび上がらせるテキストとはかなり隔たった、こじつけの関係しかもたない3 」
つまりルドンは、自分が偏愛するいくつかの主題を自由に展開する口実としてフローベールのテキストを利用したのである。ヤン・ブリューゲルやジャック・カロから着想を受けた作家フローベールとて、自身の小説の挿絵は望んでいなかった。ルドンは、フローベールが想像の光景と現実の視覚体験を融合させた幻影の記述を、ルネサンス期の美術や写真など複数の図像や過去の自分の素描と統合し、独自の神秘的ヴィジョンを作りあげた。ルドンは「変換」(transmission)あるいは「解釈」(interprétation)という表現の方を好んだ4 。
第3集において、テキストからの逸脱はまず、さまざまな異形の生き物の造形に認められる。フローベールの小説から、ルドンは怪物やグロテスクな生き物たちが登場する箇所を選び出し、それらに魚介類のような体を与えた。巨大な蛇(V)、指もえらも翼も混じり合った、眼窩に収められない眼球(VIII)、混沌の最初の意識であるという半蛇のオアンネス(XIV)、革袋のように丸い海の獣(XXII)も登場する。始原的な形象は、ルドンがすでに別の版画集で扱ってきた「生命の起源」の主題を転用したものである。聖人を惑わす脅威というフローベール小説の特徴を取り入れつつ、画家は進化論思想と微生物学者アルマン・クラヴォーのもとで顕微鏡越しに観察した極小の生物の生態を応用した未熟な軟体動物を連ねる。小説の記述とは直接対応しない無限の生命が湧き出す感覚は、ローマ皇帝の宮殿(III)にも、樹木(IX)や暗闇そのものの中にも(VI、XVI、XXI、XXIII)潜んでいる。
濃厚な黒に目を凝らせば、闇を照らす光線によってさまざまなイメージが喚起される。フローベールの記述によればバラモンの裸形仙人の棲家だという
死神と淫欲が競ってアントワーヌを翻弄する場面は、第1集では薔薇の冠をかぶった巨大な蛆虫のような死神が、第2集では死神に代わって現れた若い裸の女の姿をした淫欲が、それぞれ一人ずつ下半身とぐろを巻く姿で描かれていたが、第3集ではもはや骸骨となった死神が裸の若い女の姿をした淫欲と並んでこちらへ向かってくる(XX)。死神と淫欲の下半身は強い光を浴びて消えかけている代わりに、二人の間から生じた不完全な渦のような円環は、淫欲と死神がじつは一体のものであったことを示している。
第2集の扉絵に使われた、アントワーヌがイラリヨンの背に乗り大宇宙を一望する場面は、第3集では悪魔を主役とする構図で描かれている(XVIII)。アントワーヌは悪魔の背後でうなだれる姿で小さく描かれ、悪魔の正体を表したイラリヨンには、複数の素描で用いられてきたキリストの図像が与えられている。日輪の戦車を引く馬が暴れ出し、太陽神アポロンが深淵に落ちてゆく場面(XVII)でも、昼と夜、光と闇、天と地、善と悪などは表裏一体であることが示唆されている。神話では太陽神アポロンではなく傲慢な息子ファエトンが墜落するはずだが、ルドンは1900年代にアポロンとファエトンを意図的に曖昧に扱ったパステル画を集中的に描いた。1895 年から1910 年頃にかけて熱中した「仏陀」のモチーフも、ルドンにおいては両義的な主題である。仏陀(XII)の頭上で光輪のように輝く円環には、ルドンを含む19世紀の画家たちが魅了された「輪廻転生」の概念と「花粉」や「胞子」のイメージが重なっている。詩人の瀧口修造は、「下半身が蛇、奇妙な頭巾を被り、射るような目つきをした魔法使いのような仏陀」に「死の形相」を見出していた5 。
このように、もっとも多くの作品からなる第3集は、煩悶する聖アントワーヌの横顔(II)から始まり、太陽とともに現れるキリストの顔(XXIV)で終わっているが、時間的なストーリーを重視するよりも、ひとつのまとまりとして空間的に構築する方法が採られている。小さなフォーマット(X)や技法の多様性(III-IV、VII-VIII)は隣り合った作品との間に断絶を生じかねないが、ちょうど真ん中に即興的な素描(XI)を挟んで、全体は立体的な体裁を呈している。
しかし、この壮大な版画集の出版は容易に進まなかった。扉絵を含め24点のリトグラフからなる『聖アントワーヌの誘惑』第3集第1版50部は、実家の土地ペイルルバードをめぐる精神的かつ金銭的な困難のなかで、国からの助成金と、予約金などで刷り代を賄う自費出版だった。ルドン自ら手売りした営業活動の記録も残っているが、作家アンドレ・ジッドは委託販売をしていた版画商デュモンを通じてこれを購入し、絶賛した。じつは『聖アントワーヌの誘惑』第2集は、「厳密な意味での挿絵ではない」、「関係するテキストと別物である」という理由から国家収蔵品として認められず、助成金を受けることができなかったが、第3集は「真の独創性と個人的な幻想的性格」、「怪物性における極めて独自のヴィジョン」が評価された。国家収蔵品として受け入れられた5部に対して、500フランの助成金が支払われている。ただし、これはルドンの作品の変化というよりも、7年の間に公的評価の審査が劇的に変容したことが大きくかかわっている。
今回展示される第2版は、画商アンブロワーズ・ヴォラールの企画で、ブランシャールとクロが刷りを担当し、1909年末には完成していた(画家の記録[Livre de raison])。ルドンは1902年以降数回にわけてヴォラールから支払いを受けている。1896年の初版に収められた石版画のうち22点と、新たに制作された素描をもとにジョルジュ・オベールが制作した木炭画15点をあわせた最大の版画集となり、表紙にはヴォラールの名が入れられた。ヴォラールは扉に1933年と刊行年を入れているが、じっさいに出版されたのは1938年である。というのも、ヴォラールは1937年に出版した『画商の思い出』の中で、ルドンの絵によるフローベール豪華本を出版する企画があったと述べている6 。つまりこの時点ではまだ世に出ていなかった。ヴォラールはこの回想録のなかで、1909年に仕上がった版画集の出版が滞った理由に触れている。ルドンの作品を見たフローベールの姪が、聖アントワーヌを誘惑する悪魔に裸の女の姿を与えた場面に懸念を抱き、ルドンの作品を彼女の判断に委ねる旨を明記した契約書が結ばれたのである。画商ヴォラールは出版を断念しかけたのだが、29年後にオリジナルの石版画と木炭画を無事回収し、出版に漕ぎ着けたのだった。
おわりに
複数の小型作品を生む石版画の手法と、デカダンと呼ばれた文学仲間たちの支持を手放したルドンは、世紀転換とともに大ブルジョワと貴族に支えられるようになり、一点ものの、中型大型の色彩作品制作へと活動を移してゆく。
版画家ルドンから画家ルドンへの過渡期にあったルドンの最後の石版画集として、1899年にヴォラールが出版した『聖ヨハネの黙示録』が知られてきた。本展出品の『聖アントワーヌの誘惑』第3集第2版は、1933年(じっさいは1938年)に出版されたが、1896年の版をもとに1909年に制作されており、そのまま封印されていれば幻の版画集となるところであった。
(やまじょう のりこ)
註1 Jules Destrée, L’œuvre lithographique de Odilon Redon: catalogue descriptif, Paris, E. Deman, 1891, p.39.
註2 André Mellerio, Odilon Redon: Les Estampes. The Graphic Work: Catalogue Raisonné, ed. Alan Hyman, San Francisco: Wofsy, 2001[初版1913], p.xii.
註3 Jules Destrée, op.cit., p.39.
註4 Lettres d’Odilon Redon 1878-1916, Paris & Bruxelles: Librairie nationale d’art et d’histoire & G. van Oest, 1923, pp.31-32.
註5 滝口修造「ルドンの復活」『芸術新潮』1957年3月(『コレクション瀧口修造2』みすず書房、1991年再収、394-402頁)
註6 Ambroise Vollard, Souvenirs d’un marchand de tableaux, Paris, Albin Michel, 1937, p.288.
■山上紀子 Noriko YAMAJO
専門はフランス近代美術史。現在、大阪市立大学都市文化研究センター研究員。大阪大学、京都芸術大学、神戸大学で美術史講義を担当。
論文に「花はどこから来たのか-ゴブラン織り下絵に現れるルドンの植物相-」(2019)、「オディロン・ルドンの作品における有色人種の表象-《出現》(1883)を中心に-」(2017)、「まぼろしの競作-ルドン、マラルメ、ドビュッシーの「出現」–」(2016)、訳書にダリオ・ガンボーニ『アモンティラードの酒樽』(長屋光枝と共訳、三元社、2013)など。
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オディロン・ルドン展-『聖アントワーヌの誘惑』WEB展覧会動画
コロナ禍の2020年開催時の映像です、現在開催中の「オディロン・ルドンとロベルト・マッタ」展は予約不要です。
映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《VII. …そして彼は乾いた起伏のある平原を見わける》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:24.5×19.9cm
Ed.220
レゾネ No. 140
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《II. 聖アントワーヌ:助けたまえ 神よ!》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:21.8×13.2cm
Ed.220
レゾネ No. 135
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XXI. …精霊のようなものをしばしば天空に見た》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.5×18.3cm
Ed.220
レゾネ No. 154
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《IV. わが口づけは汝の心にとろける果実の味…汝はわれをさげずむ。さよなら!》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:20.0×16.3cm
Ed.220
レゾネ No. 137
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《III. いたるところに玄武岩の柱がならぶ…光は穹窿から差しこむ》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:24.3×19.0cm
Ed.220
レゾネ No. 136
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《VI. 物かげで 人々が彼等を諫めるほかの人々に囲まれて 泣いたり祈ったりしている》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.2×21.6cm
Ed.220
レゾネ No. 139
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《V. 花が散り 怪しい蛇の頭が現われる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.0×20.0cm
Ed.220
レゾネ No. 138
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《IX. …私は孤独のうちに沈んだ 私は私のうしろの木に住んでいた》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:29.8×22.6cm
Ed.220
レゾネ No. 142
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《X. エレーヌ(エンノイア)》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:9.4×8.5cm
Ed.220
レゾネ No. 143
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XI. いきなり三人の女神が現れる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.7×16.2cm
Ed.220
レゾネ No. 144
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XII. 叡知は私のものだ 私は仏陀になった》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.6×21.7cm
Ed.220
レゾネ No. 145
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XIV. オアンネス:私は混沌のなかの最初の意識として物質を固まらせ形をきめるために深淵の中から現れた》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:28.0×21.8cm
Ed.220
レゾネ No. 147
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XV. ここによき女神がいる イデ山脈のイデ山に》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:14.8×12.8cm
Ed.220
レゾネ No. 148
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XVI. 私は常に偉大なるイシスである 何人も私のヴェールを持ち上げた者はいない わが生かせる果実は太陽である》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:28.2×21.0cm
Ed.220
レゾネ No. 149
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XVII. 彼は奈落の底へまっさかさまに落ちる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:28.0×21.0cm
Ed.220
レゾネ No. 150
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XVIII. アントワーヌ:これらすべてのものの目的は何だろう? 悪魔:目的なんぞありはしない!》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.1×25.0cm
Ed.220
レゾネ No. 151
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XIX. 老女:何を恐れるのか? 広く暗い穴だ! それは多分からっぽだろう?》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:16.3×10.8cm
Ed.220
レゾネ No. 152
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XX. 死:おまえを救えるのは私だ 抱き合おう》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:30.3×21.3cm
Ed.220
レゾネ No. 153
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XXIII. オケアノスにはさまざまな人々が住んでいる》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×23.6cm
Ed.220
レゾネ No. 156
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XIII. そして頭を持たない目が軟体動物のようにただよっていた》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:31.2×22.5cm
Ed.220
レゾネ No. 146
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XXII. …革袋のように丸い海の動物》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:22.5×19.5cm
Ed.220
レゾネ No. 155
〈聖アントワーヌの誘惑 第三集〉より《XXIV. ついに陽が昇った…そして太陽の円光の中にイエス・キリストの顔が輝く》
1896年(1933年刊)
リトグラフ
イメージサイズ:26.3×20.3cm
Ed.220
レゾネ No. 157
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ギュスターヴ・フローベールの小説『聖アントワーヌの誘惑』は着想から30年近い歳月をかけて1874年に刊行されました。紀元3世紀の聖者アントワーヌが、テーベの山頂の庵で一夜にして古今東西の様々な宗教・神話の神々や魑魅魍魎の幻覚を経験した後、生命の始原を垣間見、やがて昇り始めた朝日のなかにキリストの顔を見出すまでを絵巻物のように綴っていく幻想的な作品です。
ルドンは『聖アントワーヌの誘惑』を題材に42点(表紙を含む)のリトグラフを制作しました。幻覚を見るような魔的な世界を、自身「あらゆる色彩の中で最も本質的な色」とした黒一色で表現したルドンの代表作として知られています。
1888年に 第一集(全11点 限定60部)、翌1889年に 第二集(全7点 限定60部)を制作、 第三集 は1896年の初版(全24点 限定50部)と1933年版(全22点 限定220部、1938年刊行)の2種類のエディションがあります。ときの忘れものは『聖アントワーヌの誘惑』 第三集第二版の全22点を所蔵しています。
*画廊亭主敬白
前回のルドン展のおりに山上先生にご執筆いただいた論考を再録掲載させていただきました。
連日の猛暑で出勤するスタッフも汗だくです。
そんな暑さにも関わらず、ありがたいことにお客様がぱらぱらといらっしゃる。ルドンがお目当てのようです。
ルドンの「黒」に惹かれる人は意外に多いのですね。再認識しました。
亭主がルドンに目覚めたのは1989年前後のパリ通いの日々、オルセーだったか、ポンピドォーだったかパステルだけのルドンの小展をみたときからでした。展示室は(作品保護のため)ほとんど真っ暗。壁面から浮かび上がる神秘的ともいえるルドンの「色彩」に衝撃を受けました。
ときの忘れものの直ぐ傍にある駒込富士神社の境内で8月2日(金)、3日(土)の二日間、夜7時から駒込地区町会連合会主催の盆踊りがあります。毎年ご近所の子供さんたちで賑わっています。
画廊では8月3日(土)まで「オディロン・ルドンとロベルト・マッタ」展を開催していますので、夕方少し涼しくなったら画廊にお出かけいただき、その後盆踊りに行くというのはいかがでしょうか。
◆「オディロン・ルドンとロベルト・マッタ」
会期:2024年7月24日~8月3日 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

フランスの象徴主義を代表する画家オディロン・ルドンと、シュルレアリスム運動に参加したロベルト・マッタの幻想的な版画作品をご紹介します。
出品作品の詳細は7月20日のブログに掲載しました。
●取り扱い作家たちの展覧会情報(7月ー8月)は7月1日ブログに掲載しました。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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